93歳・老大娘の日記

晩年を生きる

行ってきました

2017-11-29 15:11:23 | 新聞

大型ショッピングモール「プライムツリー赤池」が近くにオープンしました。

近いと言いましても地下鉄で一駅あります、駅から徒歩4分とのことですが、

私の足では10分かかりました。

週日ですからいいかと思いましたが、店内は大賑わい。

紀伊国屋書店が入るとのことで楽しみでした。

名駅前の三省堂が遠くなり、中間の未来屋書店を利用していましたが

ここに紀伊国屋書店ができて、ウオーキングに丁度良い距離で嬉しいことです。

来年の手帳、雑誌、新書を買いました。

  

夕食には早いでしたが、江戸前天丼大サービスに惹かれ

1時間待ちと言われましたが、本屋さんで時間つぶせばと頼みました。

小さな端末を持たされ、鳴ったら来てくださいと。 初めての経験でした。

しかし30分で端末が鳴り、受け取ってびっくり!

私の2食分くらいの量、確かに大サービスです、当分天ぷらは結構。

最寄り駅からお店まで交差点ごとに大渋滞、

係り員が大勢出て整理していました。

店内は殆ど見ていないので、ほとぼりが冷めたころまたいきます。

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ふるさと

2017-11-27 11:31:03 | 想い出

信州(亡夫のふるさと)からリンゴが送られてきました。

夫のきょうだいは昨年の弟(医師)を最後に全員亡くなりました。

毎年りんごを送ってくれるのは、甥や姪たちです。

        

「ふるさとは遠きにありて思うもの・・・」は室生犀星、

石をもて故郷を追われた啄木ですが

「かにかくに渋民村は恋しかり 思いでの山 思いでの川」

「故郷の山に向かいていうことなし ふるさとの山はありがたきかな」

またあるときは「ふるさとのなまり懐かし停車場の

    人ごみの中にそを聞きに行く」 等々たくさんの望郷の歌を遺しました。

********************************

私は東京で生まれ、記憶にない1歳?くらいで名古屋へ来て

途中2,3の転居はありましたが、この齢まで殆ど名古屋で過ごしました。

夫の両親健在のころは夏と冬の二回は帰省していました。

志賀高原の麓の町なので、夏は涼しい高原に遊び、冬はスキーを楽しみました。

都会生活しか知らない私は、信州が故郷になっているかも?

いまは細々とリンゴで信州と繋がっています。

義父は福沢諭吉に傾倒していたようで夫に諭吉と名付けました。

夫はこの名前が気に入っていたようです。

おかげで毎日のように「諭吉さん」に会えますが、

できれば長く私の元に留まっていてほしいのに、

羽根が生えたように飛んでいってしまいます。

夫とは生前改まってふるさとへの思いなど聞いたこともないのですが

この本(長野県人が寄稿しています)にはそんな思いが感じられます。

             

郷土愛も感じられ、そういう思いだったのかと改めて知りました。

 

 

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講座「知多半島のふしぎ物語」

2017-11-25 20:55:36 | お出かけ

紅葉真っ盛りの庭。

この日(21日)の主テーマは「榊原亀三郎と弱者救済所」

 

この日本最大の民間施設は榊原亀三郎の努力で明治30年ころ誕生。

当時街角には貧しさゆえに捨てられた子供や老人が多く暮らしていた。

そんな社会から棄てられた弱者を救済する施設を彼は個人の力で造った。

青年期は「べっ甲亀」と呼ばれた侠客で子分は70人もいた。

明治31年ころ、慈善運動に転身、日本で初めての「榊原救済所」を建設。

以来、孤児、極貧者、身障者、帰る家のない女性、出獄者など

一般社会で受け入れられない人を保護、救済、自立支援をした。

 差別意識の強かった当時、どれだけの人が救われただろう。

ここはまさに「幸せの村」だった。平成の世になりこの偉業を称え、

跡地に記念碑が建てられた。

侠客の世界にいた彼が何故弱者救済事業に入ったか、

ヤクザ世界に来るものの殆どが貧困層、彼はそこに不条理を感じていた。

周辺の人々の協力、支援があったとは言え、

この偉業は教科書ものではないだろうか?

そういう私も知らなかったのですが、

もっと多くの人の知るところとなってほしいとおもいました。

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時代は遡って、江戸時代には貧しさゆえの「口減らし」のため老人や

生まれた子を棄てることもありました。

東北民芸品の「こけし」は棄てられた子を供養する意味で作られたと

読んだことがあります。

今日の講座は「楢山節考」や、JR篠ノ井線の「姥捨駅」を思いださせてくれました。

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郡上八幡へ

2017-11-20 21:53:37 | お出かけ

去る18日(土)郡上八幡へ日帰りで出かけました。

長良川鉄道乗車と郡上八幡城が目的でした。

廃藩置県でお城は取り壊され、現在のお城は昭和8年に再建され、

木造4層5階建。石垣だけは当時のまま、苔むしていました。

手すりもなく雨で濡れた不規則な石段を見て、城門を見上げたところまでで諦めました。

ここまではタクシーで九十九折の狭い道を登ってきました。

 レトロな郡上八幡駅

タクシーでお城の下まで行けたので、郡上八幡の街が見下ろせました。

海抜3百余mとか。

郡上踊りの時は町民3万余の何倍もの人で賑わう由。

会館で郡上踊りの実演をみました。

往きの観光列車内でランチ。地元産の食材ばかりらしい。

ドラ焼き円空さんは車内販売で。

美濃太田駅は長良川鉄道の出発点、ここで「駅長さん」もお出迎え

その名は雪乃丞、いい名前!

長良川の清流、車窓より

電車の写真がなくて、頂いた絵葉書です。

賢婦の誉れ高い山内一豊の妻は、初代城主遠藤盛数の娘と言われています。

このツアーは往き郡上八幡駅で降りたところで終了。あとは自由。

城下町などはタクシーで通り過ぎ、1,2軒お店へ立ち寄っただけ。

「騎馬看花」の旅でした。

↓ 名古屋へ着くと駅前のライトアップが眩く

  土曜日とあって若い人で賑わっていました。

郡上八幡城は山城ですが、幸いにもタクシーで近くまで行けました。

若い人、元気な人はバスや徒歩でお城や城下町散策したことでしょう。

今後は平城ならいざ知らず、お城は私には無理なようです。

 

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おしらせ

2017-11-15 22:28:52 | おしらせ

先日は私の風邪でブログ休みましたが、今度はパソコンが「風邪」を引きました。

ひと手間かければ、更新可能ですが少々面倒なので・・・ パソコン回復しましたら

すぐ再開致しますのでよろしくお願い致します。コメント欄閉じてあります。すみません!

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