アカデミー賞を受賞「ザ・コーブ」
日本のイルカ漁を隠し撮りしたドキュメンタリー映画が第82回米アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を受賞した。舞台は日本の和歌山県太地町。イルカが赤い血をあげる様子や、隠し撮りに対して地元住民が憤って「妨害」する様子などが収録されている。
内容はイルカやクジラを「優先的」に保護する「環境保護活動家」が、太地町のイルカ漁に抗議し、イルカを捕っている日本人は野蛮だというメッセージになっている。
太地町の三軒一高町長が「映画は科学的根拠に基づかない虚偽の事項を事実であるかのように表現しており、遺憾に思う」とコメントしたほか、赤松広隆農相も、「誤解に基づく点が多く『日本人は野蛮だ』というメッセージになっている。残念だ」と映画を批判した。
テレビでもみのもんたが「イルカ漁は日本古来の漁法、文化ですよ。年中獲ってるわけじゃない。じゃあ牛をころして食べるのはどうなのといいたくなる」
高木美也子も、「牛の認知能力は高いといわれる。では、牛とイルカの差はどうなの」となる。みのは「文化を否定すると人種差別になる。彼らはわかってないだろう」(JCAST 2010年3月10日)
環境保護or人種差別?
そう!人種差別なのだと思った。このニュースを見て、欧米人の本質は植民地をつくった帝国主義時代と何ら変わっていないなと思った。自分の都合のよいように物事を解釈して、植民地を増やしていったあの時代、白人には黄色人種や黒人を支配する権利があるということを正当化し、はっきり人種差別をしていた。
実は彼らの国には貧富の差が拡大する矛盾があり、一般国民に不満がたまっていた。その不満を解消させるために、国は国民の目を海外へ向けさせ、安く労働力や商品が得られる「植民地」を求めたのだ。そのために軍事力をも利用した。これが帝国主義である。
まさか!と思うかもしれないが、和歌山県太地町と姉妹都市提携しているオーストラリアのブルーム(Broome)市は、イルカ漁に抗議して2009年8月に同町との姉妹都市提携の停止を決議している。現在、姉妹都市提携停止決議を撤回を決定しているものの、市議会は「イルカ猟は容認できない」との立場を明確にしている。
ブルーム市と太地町は、1981年に姉妹都市の提携を結び、30年近くにわたって交流を続けてきた。だが、同町で毎年、2万3000頭のイルカが殺されていると主張する環境活動家(シーシェパード)からの反発をうけ、同市議会は8月22日、太地町との姉妹都市提携の停止を決定した経緯がある。(AFP 2010/03/10)
帝国主義的人種差別
この映画では、水銀がイルカの体内に蓄積している問題も指摘している。こうしたことを知らないでイルカの肉を食べるのは危険だと述べているが、我々日本人はそれを知っている。どうも日本人を無知だと決めつけているようだ。
こうした欧米の自分だけが正しいという、帝国主義的人種差別思想には、気をつけて対処せねばならない。彼らは何をたくらんでいるのか?直接の人種差別はまずいので、植民地は広げられない。そこで環境保護活動の名を借りて、日本企業のイメージダウンをねらったり、金持ちから寄付を得ようとしているのかもしれない。
こうした国々はキリスト教の国が多いが、キリスト教自体の教えは悪くないのに、この傲慢な帝国主義的人種差別思想がいっしょになって広がってくるので、日本では本当のキリスト教が理解できないでいる。
日本人クリスチャンに受難の歴史
例をあげると、江戸時代にクリスチャンは幕府から迫害された。クリスチャンの反乱である「島原の乱」では、最後まで、正義のキリスト教国が助けに来てくれると信じて戦った。ところが最後に攻撃を仕掛けてきたのは幕府に雇われたキリスト教国オランダの船であった。
島原は長崎県にあるが、長崎にはクリスチャンが多かった。さらに、長崎のクリスチャンには受難が降りかかる、原子爆弾である。1945年(昭和20年)8月9日、長崎への原爆投下により、爆心地から至近距離に在った浦上天主堂はほぼ原形を留めぬまでに破壊された。
投下当時、8月15日の聖母被昇天の大祝日を間近に控えて、ゆるしの秘跡(告解)が行われていたため多数の信徒が天主堂に来ていたが、原爆による熱線や、崩れてきた瓦礫の下敷きとなり、主任司祭・西田三郎、助任司祭・玉屋房吉を始めとする、天主堂にいた信徒の全員が死亡している。(出典:Wikipedia)
原子爆弾を落としたのは、またしてもキリスト教の国米国である。「戦争を早く終わらせるためにはやむをえなかった」と米国では教育しているが、日本人のキリスト教信者を無視して、自国の利益を優先しているのはあきらかだ。
米国の大統領はいまだに長崎・広島に訪れて謝罪しておらず、植民地政策は終わっても形を変えた帝国主義的人種差別思想は続いていると見た方がよい。日本だけでなく、アジア・アフリカ諸国に対するキリスト教を利用した、過去の植民地政策について、欧米諸国はもっと十分に反省する必要がある。
何で牛はよくて、イルカはダメなのかよく分からないので、何で植民地政策や広島・長崎の原子爆弾がよくないかを語ってみた。これを映画化して、世界中に公開すれば、アカデミー賞も夢ではない。
参考HP「The Cobe」
ここまでわかったイルカとクジラ (ブルーバックス) 村山 司,笠松 不二男 講談社 このアイテムの詳細を見る |
帝国主義と植民地 (展望 日本歴史) 東京堂出版 このアイテムの詳細を見る |
日本人は自国批判に繊細なので、このような映画をバッシングと受け止めがちだと思いますが、私はこの映画を見てそのような印象は受けませんでした。日本人には知られていませんが、世の中には陰の事実を指摘したドキュメンタリーが存在し、この映画はその中の1つでしかないと思います。もし同じようなことが欧米諸国で行われていたとしたら、フィルムメーカーはきっと同じことをしたと思います。
問題は、この事実を欧米人にこのような形で暴かれるまで、我々日本人が知らなかったことではないでしょうか?私はここ数ヶ月間日本のメディアの様子を追っていましたが、この映画が日本の「伝統文化」についての映画なのに、アカデミー賞にノミネートされたことすらもほとんど日本では報道されませんでした。賞を取ったからこそ騒がれるようになりましたが、もし賞を取らなかったらほとんどの日本人はこの事実を知らずにいたのではないかと思います。今時日本にこんなセンサーシップが存在するとは驚きでした。
そして最も残念だったのは、この問題に対する日本人の反応でした。まだ映画を見ていないほとんどの人々が、この映画に反論をしているという姿です。もし「欧米諸国に批判されたから」という理由でイルカ漁を擁護するのであれば、残念ながら重要な問題を見失っていると思います。
私にとってイルカ肉は一般的なものではないせいか、これがマグロと並ぶ日本の食文化の否定という受け止め方はしませんでした。むしろこの映画を見て疑問に思ったのは、殺されたイルカがすべて食肉になっているのか、という点でした。実は無駄にイルカが殺されているのではないか、と。
牛とイルカの違いですが、ここで問題なのは殺され方だと思います。牛は野生の中を家族単位で移動しながら狩りをして暮らしているわけではなく、人間に囲い込まれて恐怖で逃げ惑う中を一頭一頭槍で失血死するまで殺されているわけではありません。かわいそうですが牛は人間によって目的を持って生産され、飼育され、できるだけ苦しまないよう瞬時に殺されています。
この問題を話し合おうとすると、イルカ漁の範囲には留まらず、日本の文化的・社会的背景を含めいろいろなところに連鎖するのでとても難しいと思います。しかし、少なくともこの映画がメディアやジャーナリストをはじめ、多くの日本人にいろいろ考えるきっかけを与えてくれたと思います。この映画は隠しカメラで取られたことが問題になっていますが、映像化されたことは実際に太地町で行われていることです。欧米の価値観の押しつけや人種差別という奥深いところに焦点を合わせる前に、別の角度からこの問題を考えてみてはどうでしょうか。
私はできるだけ多くの日本人にこの映画を見てもらい、自分で判断してもらえることを願っています。そしてもしイルカ漁を正当化するなら、日本は世界に向けてそれなりの方法で主張をするべきだと思います。
そして無視するのが一番、飽食の米国人が他国の食生活にどうこう言うのは心外です、何様のつもりだと言いたくなります。
太地町の人が飽食や美食の為に殺す必要のない命を奪ったなら問題ですがそうでないなら人間が他の動物を殺して食するのはごく当たり前のことでしょう。
ただ生命は人間が作り出せないものです、どんな生命に対しても尊崇の念は持つべきでしょう。 それなのにクジラやイルカを特別視する考えは私には理解できません。
日本人も米国人も飽食は厳に慎むべきでそれこそ生命に対する冒涜だと思います。
毎日テレビで放映される、お笑い番組ばかりに人気があるのを見ると、そのときだけ楽しければ良いという国民の風潮を感じ、心配になります。この日本の行く末を、みんな真剣に考えているのでしょうか。それとも私のような凡人が偉そうに考えてはいけないのかと、逆に自信がなくなることもあります。
こうやってコメントをいただけると、賛成意見でも反対意見でも、この国を憂いている人は自分だけではないと、勇気づけられました。
be humneさんのおっしゃるとおり、まだ私はちゃんと映画を見ていないので、この件についてはあまり意見を述べようとは思いません。また、Unknownさんのおっしゃるとおり、映画製作者の都合の良いように編集されている可能性もあり、どちらかというと見たくない気持ちが強いです。
今後も貴重なご意見を下さればうれしいです。また私も、思いついたら意見を述べていきたいと思います。
この映画が訴える大きな図は、日本人だけでなく世界の人間が自然界と環境に対して行っている行為で、イルカを巡るアクティビティーに関しては、残念ながら太地町も重要なキーを握っているようです。そしてこの映画が更にほのめかすことは、それをバックアップしている(ようにみえる)日本政府の姿勢です。
そういう視点でこの映画を見ると、実際に漁をする20数人の漁師の方々は単にこのチェーンの始まりで、実は日本人にはあまり知られていなかったこのビジネス(世界中のシーワールドが日本からイルカを買っているという事実を含め)とそれを巡るパワーがその先に存在するということに気づきます。
動物の命を奪うのは私もかわいそうだと思います。しかし前にも述べましたが1つの考え方としての野生の動物と家畜の線引きは、家畜は人間によって1つの目的のために繰り返し生産され飼育される動物という点にあります。そういう意味では、私は家畜とイルカを同じ輪ではくくれないと思いますし、数に限りのある野生の動物の捕獲に疑問を感じます。
地理的条件から日本人は海からの恩恵を受けて生活してきましたが、米国と並んで飽食の時代となった今、長年の「食文化」を強調し国外からの意見を無視するだけではなく、そろそろ私達が海に与える影響のことも自発的に考え始められないものでしょうか。
ところでこの映画を作ったOPSという団体は、小さな非営利団体です。なので彼ら自身には直接の利益はありません。この映画をどこまで信じるかは、個々の受け止め方だと思います。ただ1つだけ申し上げたいことは、もしこの映画を見ないで制作者側を疑うとしたら、それはつまりワンサイドー直接利益が絡む側ーだけを信じるということにはならないでしょうか?
考えれば考える程、この問題は複雑だと思います。
映画にするのは表現の自由かもしれませんが、アメリカやカナダ自国内ではイヌイットの人たちのクジラ漁は黙認されています。それなのに太地の少数の人がイルカ漁をしていけない正当な理由は思いつきません。イヌイットの人たちは伝統だとか少数だとかいうかも知れませんが、彼らも国籍はアメリカ人やカナダ人なのではないですか。伝統や少数や国籍という点では太地の人たちも同じです。
それよりも心配なのは、オーストラリアの太地の姉妹都市でこの映画が放映され、その結果日本人墓地が興奮した若者に荒らされたという事実です。この背後には日本人はけしからんという人種的な偏見がありそうです。
結局のところ、このような映画は人種的な偏見を助長したり、国の仲を悪くしたりするのではないでしょうか。あまり良くない映画だと思います。
http://www.thecovemovie.com/japanesefiles/the-cove-store-files-final/Cove-home-page-absolute-url.html
でも一言言っておきたいのは
「太地町がロシアやフィンランドの町だったら、こいつらはこんな映画をつくったのか」
ということだ。
捕鯨にしても、シーシェパードがロシアの捕鯨船を妨害した、なんて話は聞いたことがない。そして、オーストラリアは彼らを世論で支援し、他の白人捕鯨諸国は黙認して日本だけを提訴している。まさに
「エコテロリスト支援国家」
だ。
彼らは「日本叩きではない」とか言っているが、どこをどう切り取っても日本叩きとしか思えない。