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第20回ノーベル物理学賞 ギヨームの「インバー合金の発見」

2010年01月31日 | 物理

 合金とは何だろう?
 合金とは何だろう?...そう、種類の違う金属と金属を混ぜ合わせたものである。では、どんな合金があるのだろう? 

 ステンレス鋼(Fe-Ni-Cr)、黄銅(しんちゅう:60Cu-40Zn)、青銅(Cu-Sn)、白銅(Cu-Ni)、赤銅(Cu-Au)、ジュラルミン(Al-Cu)、はんだ(Pb-Sn)...などおなじみの合金はたくさんある。

 では、なぜいろいろな金属を混ぜて合金にするのだろう?

 合金は純金属に他の元素を添加したもので、こうすると、もとの性質が変化したり、いままでなかった性質が現れたりする。例えば、さびやすい鉄がさびにくくなったり、融点、磁性、機械的強度、耐食性などが大きく変化する。組成を調節することで、様々な用途に応じた性質を持つ合金が生産・利用されている。

 さまざまな合金例
 ステンレス(Stainless steel)は、さびにくくするためにクロムやニッケルを含ませた合金鋼である。黄銅(brass)は適度な強度、展延性を持つ扱いやすい合金として、約350年ほど前から広く利用されるようになった。日本では5円玉で使われている。

 青銅(bronze)は、銅Cu を主成分としスズSn を含む合金である。青銅には、適度な展延性と、鋳造に適した融点の低さや流動性があり、鉄が、銅よりも安価かつ大量に供給されて普及する以前には、もっとも広く利用されていた金属であった(青銅器時代)。紀元前3000年頃、初期のメソポタミア文明であるシュメール文明ですでに発明されていた。鉄とともに日本に伝わったのは紀元前4世紀頃である。

 白銅(cupronickel)は、銅を主体としニッケルを10%から30%含む合金である。日本の100円硬貨、50円硬貨などに使用されている。海水に対する耐食性が高く、海水淡水化の設備や船舶関連の部品に多く使用されている。

 黄銅(brass)は、銅 と亜鉛の合金で、特に亜鉛が20%以上のものをいう。真鍮と呼ばれることもある。日本で現在発行されている五円硬貨の素材がこの黄銅である。適度な強度があり、展性に優れる。日本では、多くの金管楽器などにも多用されている。

 電子回路でよく使われる「はんだ」は、鉛と錫(スズ)を主成分とした合金である。合金にしたことで融点が低くなり、使いやすくなった。スズの割合が63%のとき、融点が184℃で最も低い。金属同士を接合したり、電子部品をプリント基板に固定するために使われる。

 熱膨張しないインバー合金
 このような様々な合金の中で、インバー(invar)は常温付近で熱膨張率が小さい合金である。ニッケル36%、鉄64%。Invarという名称はInvariable Steel(変形しない鋼)から名づけられた。日本語では不変鋼とよばれる。温度によって寸法が変化しないので、精密機器、精密測定器、時計や実験装置、LNGタンカーのタンク、ブラウン管のシャドーマスク等に用いられる。

 1897年にスイス人物理学者シャルル・エドゥアール・ギヨームがFe-36Ni合金でインバー特性を発見した。ギョームはこの功績によって1920年にノーベル物理学賞を受賞した。磁気歪みによる体積変化と通常の格子振動による熱膨張が相殺しあって、ある温度範囲での熱膨張が小さくなるのを利用するものである。

 1920年ノーベル物理学賞の受賞理由は「インバー合金の発見とそれによる精密測定の開発」である。
 
 シャルル・エドゥアール・ギヨームとは?
 シャルル・エドゥアール・ギヨーム(1861年~1938年)はフランス系スイス人の物理学者である。室温付近の温度変化に対して、体積膨張の小さい合金インバー(アンバー)、弾性係数変化の少ないエリンバーを発明した。1920年に「インバー合金の発見とそれによる精密測定の開発」によりノーベル物理学賞を受賞した。

 スイス、ジュラ地方のフルリエに生まれた。祖父はフランス革命時にロンドンに亡命し時計製造を始めた家系であるが、シャルルの父親の代にフルリエに移住した。チューリッヒ工科大学で学位を得たあと、パリの国際度量衡局に職を得た。1896年にインバーを開発した。このニッケル合金は室温付近で熱膨張が他の金属に比べてきわめて小さいので、サーモスタットや天文用時計の振り子などの精密機器の部品の材質として用いられた。

 国際度量衡局の局長をつとめ、温度測定について研究し、ジュネーブ大学、ヌシャテル大学、パリ大学から名誉博士号を送られた。(出典:Wikipedia)

参考hHP Wikipedia「合金」「シャルル・エドゥアール・ギヨーム」 「インバー」

見方・考え方 合金状態図
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金属における拡散-純金属および合金における拡散の基礎,理論,現象 (World physics selection:monograph)
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不思議!95%水プラスチック?新素材「アクアマテリアル」開発!

2010年01月30日 | 化学

 水分が多いものと言えば?

 人の約70%は水分だという。水中にすむ魚になると水分は80%。コンニャクでは96~97%が水分となり、クラゲになると99%以上も水分を含むものがある。

 これだけ、水分が多くても一定の形を保っているのは、もちろん、水以外にいろいろなものが含まれているからである。水などの液体や気体に固体の小さな粒が混じったものを分散系という。分散系の中で、液体や気体など流動状のものをゾルといい、これが固まったものをゲルという。コンニャク、豆腐、ゼリー、寒天はゲルの例である。

 コンニャクには水以外に「グルコマンナン」が主成分として混ざっている。グルコマンナンはグルコースとマンノースが2:3-1:2の比率で重合した多糖類の一種で、これが架橋して水分を含みながらネットワークをつくり、ゲル化してコンニャクをつくっている。

 今回、全体の95%以上が水分なのに、コンニャクの500倍も強く、切ってバラバラにしてもくっつけるだけで元にもどる不思議な新材料を、東京大の相田卓三教授たちのチームが開発した。環境や生体への負荷が少なく、主に手術の材料など医療分野への応用が期待される。

 例えば、手術中にも簡単につくれ、傷口をふさぐ材料に使ったり、人工関節の成分として使ったりできる。強度を高めるなどの改良を進めれば、プラスチックなど一部の石油製品を代替する可能性もあるという。廃棄後には、自然界の酵素によって分解するエコな素材だ。 
 
 高強度アクアマテリアル
 東京大学 大学院工学系研究科の相田 卓三教授らは、高強度で透明なアクアマテリアルの開発に成功した。このアクアマテリアルの、95%以上は水である。2~5%の層状粘土鉱物(クレイ)と、わずか0.4%に満たない有機高分子化合物と水を混ぜるだけで簡単に得られた。

 今までに知られているどの含水材料よりはるかに高い強度を持ち、形状保持性とともに自己修復性も有している。これらの優れた性質は、このアクアマテリアルの分子が非共有結合性の相互作用のみによって形成されている。

 このアクアマテリアルの開発成功は、有機高分子化合物として、親水性の高分子の両末端をクレイと親和性の高い陽イオンのデンドロン基で修飾した高分子化合物を利用し、扇状に分子が広がるデンドロン基とクレイの層(クレイナノシート)の表面との相互作用によって、クレイナノシートを高度に均一に分散させた非共有結合性の架橋構造を実現したことによるもの。

 また、クレイを極少量のポリアクリル酸塩などのポリアニオンで予め処理すると、強度がさらに6倍にまで向上することも発見。さらにミオグロビンなどの生理活性のあるたんぱく質を、その活性を損なうことなく取り込むことも明らかになった。

 近年、環境問題はますますその重要性を増している。地球上の生命の源であり、クリーンな物資の象徴である「水」から構成される本研究のアクアマテリアルは、究極の環境無負荷材料への道を切り開くものである。

 なお、このアクアマテリアルを構成する高分子化合物は、人体から容易に排出され生物学的に易分解性であり、また、クレイは天然由来の安全な物質として化粧品などに広く用いられているものを使用している。

 本研究成果は、2010年1月21日(米国東部時間)に英国科学雑誌「Nature」のオンライン速報版で公開される。

 アクアマテリアルの材料
 
アクアマテリアルの成分は、水分95%。これ以外にはクレイ2~5%、Gn-binderと呼ばれる高分子0.4%、ポリアクリル酸ソーダ(ASAP)微量の4つの成分からできている。

 クレイは天然に存在するふつうの粘土で、クレイナノシートが層状に積み重なった構造を持っている。ASAPの水溶液とクレイを混合すると積層したクレイナノシートのエッジの正に帯電した部分がアニオン性のASAPに覆われてクレイを構成するクレイナノシートが1枚1枚はがれて、水中に均一に分散するようになる。

 この分散液を撹拌しながら親水性のポリエチレングリコール鎖の両末端にグアニジニウムカチオンを有するデンドロン基(枝分かれ構造)で修飾したGn-binderを加えると、グアニジニウムカチオンが多数のオキシアニオンの存在する、クレイナノシートの表面と相互作用して、長いポリエチレングリコール鎖を介してクレイナノシートを結合し、3次元の網目構造を形成した透明なハイドロゲルを生成する。

 このハイドロゲルの生成は、Gn-binderを加えてから3分以内という極めて短い時間で完成する。強度の高いハイドロゲルを得るためには、クレイをあらかじめASAPで処理するプロセスが極めて重要で、この操作によりクレイナノシートがきれいに分散して3次元網目構造を形成するために十分な表面積が確保される。ASAPで処理していないクレイを用いてもハイドロゲルは生成するが、得られるゲルの強度は約1/6に過ぎず、また、このようなハイドロゲルにASAPを後添加してもゲルの強度は向上しないことが明らかになった。

 奇跡の強度と自己修復性
 ハイドロゲルの強度はクレイナノシートの濃度とGn-binderのデンドロン基の世代(分岐回数)に依存し、クレイナノシートの濃度が高いほど、またGn-binderのデンドロン基の世代が高い(分岐回数が多い)ほど強度の高いハイドロゲルが得られる。5%のクレイナノシートとG3-binderを用いて作製したハイドロゲルの剛性は0.5MPaに達し、約95%の水分を含有していながらこれほどの強度を有する超分子ハイドロゲルはいままでに知られていない。

 このハイドロゲルに強い力を加えるとゲルの構造が破壊されて擬液体状態となるが、力を取り除くと直ちにハイドロゲルの状態に戻り、剪断力の付加―解除を繰り返しても再現性よく擬液体―ハイドロゲルの転移が繰り返される。このハイドロゲルが優れた自己修復性を有することが明らかとなった。

 自己修復性を有するハイドロゲルの最初の例として、コポリペプチドから成るハイドロゲルが知られているが、これらのゲルの強度はたかだか1kPaに過ぎず、また、擬液体状態からハイドロゲルへの回復には約1時間を要するようなものだった。

 興味深いことに、今回のこのハイドロゲルのブロックをスライスして得た断片を、スライスした直後に貼り合わせれば容易に新たなブロックが形成される。メチレンブルーで青色に着色したゲルのブロックと無着色のゲルのブロックから切り出した断片を交互に貼り合わせて得たブロックが十分な強度を保っている様子を見ることができる。

 またこのハイドロゲルは鋳型の中で作製すれば形状を付与することができるが、こうして作製したハイドロゲルの形状は、ゲル中の水をテトラヒドロフランなどの有機溶媒で置換しても、保たれることが明らかになった。

 さらに、このハイドロゲルが生理活性のあるたんぱく質を変性させることなくゲル内に取り込むことを明らかにした。たとえば、ミオグロビンは過酸化水素によるオルソフェニレンジアミンの酸化反応の触媒活性を有することが知られているが、このミオグロビンはハイドロゲルに取り込まれても71%の活性を保持していた。(出典:JST) 

参考HP 科学技術振興機構(JST)「高強度・自己修復性のあるアクアマテリアル」 

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恐竜の謎解明?鳥類の起源「ジュラ紀後期」・皮膚の色「栗色」

2010年01月29日 | 古生物

 恐竜に関する謎

 恐竜に関する謎は多い。絶滅の理由、生活の様子、鳥類への進化、体温、皮膚の色...。

 何しろ、今から約65000万年前、白亜紀末期に忽然と姿を消してしまったので、データが圧倒的に少ないのだ。巨大隕石の落下が絶滅の原因だとされるが、なぜ同時期に存在していた両生類や爬虫類などが絶滅を免れたか、また、なぜ非常に多様な進化を遂げた恐竜が、全て絶滅してしまったかなど、説明されていない。

 現在、鳥類は恐竜の子孫であるという見方が一般的だ。最初期の鳥類の始祖鳥は、19世紀にドイツのジュラ紀の地層で発見された。始祖鳥の発見以降は鳥類の化石はほとんど見つからず、鳥類の起源については諸説が乱立していた。

 しかし、1990年代以降、中国の白亜紀の地層で羽毛をもった恐竜の化石が相次いで発見され、鳥類と恐竜の系統関係が明らかになってきた。 羽毛をもった恐竜には、シノサウロプテリクス・プロターケオプテリクス・カウディプテリクス・ミクロラプトル・ディロングなどがある。

 これらの発見から、従来は鳥類の固有の特徴と見られてきた羽毛が恐竜にも存在していたことが分かり、この羽毛をもった恐竜のグループから空を飛ぶ鳥類が進化したことが明らかになった。現在では、鳥類の先祖は恐竜の獣脚類の一種であることがほぼ定説である。

 鳥に近い最古の恐竜化石
 では、いつごろ恐竜から鳥類が進化したのだろうか?

 今回、鳥類の近縁とされるアルバレツサウルス類の恐竜としては最も古い化石を、米ジョージワシントン大と中国科学院古脊椎動物・古人類研究所のチームが中国新疆ウイグル自治区のジュラ紀後期(1億6000万年前)の地層から発見し、1月29日付の米科学誌サイエンスに発表した。

 アルバレツサウルス類はこれまで、最古の鳥類である始祖鳥が現れた時期より遅い白亜紀後期以降の化石しか見つかっていなかったため、鳥類との関係を疑問視する声もあった。今回の発見は鳥類が恐竜から進化したことを示す有力な証拠となり、この疑問が解消されることになる。

 化石は1億6120万~1億5870万年前の地層からほぼ完全な形で見つかり、「器用でシンプルな形の手」を意味する「ハプロケイルス・ソルラス」と命名された。従来考えられていたよりも6300万年前にアルバレツサウルス類が存在していたことになる。全長は欠損した尾の部分を入れると190~230センチと推定される。(2009年1月29日 読売新聞)

 恐竜は恒温動物?
 鳥類が恐竜から進化したとなると、疑問が浮かんでくる。爬虫類は変温であるが、鳥類は恒温である。いったいいつから恐竜は恒温動物に変化したのだろう?

 おそらく、羽毛には保温の目的があるから、羽毛恐竜ではすでに恒温性を獲得していたと予想できる。すると羽毛の有無が、恒温か変温かの区別になるのであろうか?

 初めて恐竜が見つかった時には、爬虫類であることも踏まえて変温動物と考えられていた。それに異を唱え、「恐竜は恒温動物である」とした研究者にはジョン・オストロムや彼の弟子のロバート・T・バッカーなどがいる。

 彼らを含む研究者の一部は、恐竜を含む主竜類、特に小型の獣脚類は温血動物であったと主張している。しかしながら脳の発達の程度、骨に年輪が見られることなどから恒温性を否定する研究者も多く、最終的な同意はとれていない。また大型の竜脚類などでは「慣性恒温性」で体温を保っていたとする主張もあり、現在も研究が続けられている。

 恐竜の色はわからない?
 恐竜がどのような色をしていたのかは明らかではない。 図鑑などに載っている恐竜の色は現世動物をもとに推測したものであり、以前は爬虫類と同様の茶色やくすんだ緑色など地味なものが多かった。 その後、鳥類との関係が認知され、羽毛をもつ恐竜が発見されるに従い、カラフルな恐竜の復元画も登場してきている。

 2008年、ヤコブ・バンターらは恐竜の羽の化石中に含まれるメラニン色素を解析することにより、オリジナルの色がどのようなものであったか判別することに成功した。

 研究によると、1億年前の恐竜時代の羽の化石を分析した結果、化石の中にメラニン色素を含む細胞「メラソーム」を発見した。これは、当初は化石化したバクテリアだと思われていたもの。

 さらにこのメラソームを分析した結果、メラニン色素の構造は、化石化すると数百万年から数億年経過してももとの形を保つことが可能であることを発見した。また、この化石化メラソームの構造を分析し、化石になる前のもとの色がどのようなものだったかを判別することができるという。

 今後、羽に覆われた保存状態のよい皮膚組織の化石が発見されれば、恐竜がどのような色をしていたのか解明することが可能と主張している。(2008年07月21日 読売新聞)

 恐竜の色がわかった!
 中国東北部・遼寧省で発見された白亜紀前期(1億2000万~1億2500万年前)の恐竜の羽毛に2種類のメラニン色素が存在することを中国科学院などの研究チームが突き止めた。電子顕微鏡で、メラニン色素の化石をとらえ、化石の構造から体色が栗色であることがわかった。 

 恐竜の色を初めて科学的に確かめた画期的な成果だ。英科学誌ネイチャー電子版に1月28日発表する。

 チームが電子顕微鏡を使って化石を調べた結果、羽毛恐竜「中華竜鳥」では、赤茶色の色素「フェオメラニン」が首筋から背中にかけてと、尾の羽毛から見つかった。尾は、しま模様だった可能性がある。ほかの羽毛恐竜からは黒色の「ユーメラニン」も確認できた。

 これらの色素が入った粒は直径が1000分の1ミリ・メートル以下と微細なため、従来の研究では汚れなどと区別するのが難しく、恐竜の色は現在の動物などから類推するしかなかった。

 鳥類はメラニン色素以外の色素も使い多彩な体色となっている。恐竜もメラニン色素だけで体色を確定できないが、国立科学博物館の真鍋真研究主幹は「恐竜の色は分からないという常識を覆した」と意義を語る。(2010年1月28日  読売新聞) 

 

参考HP Wikipedia「恐竜」「始祖鳥」 

恐竜はなぜ鳥に進化したのか―絶滅も進化も酸素濃度が決めた
ピーター・D. ウォード
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2010年1月28日 火星が地球に最接近!30日衝 月に再接近!

2010年01月28日 | 宇宙
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 東の空の赤い星
 夕方日が沈んで、暗くなると、東の空から赤く輝く星が上ってくる。あの星は何だろう?

 あの星は火星である。1月28日、2年2ヶ月ぶりに地球に最接近する。赤く見えるのは、地表表面に酸化鉄を多く含んでいるからである。

 火星の接近は、2003年8月27日の「大接近」が記憶に新しい。このとき、火星と地球の距離は5576万kmまで近づいた。今回は、9933万kmまで接近する「小接近」である。

 2003年の接近では、視直径(見かけの直径)は最大25.13秒角まで大きくなった。今回の接近では、視直径は14.1秒角と、約半分ぐらいの大きさだ。それでも、望遠鏡では十分に火星の表面の模様が観察できる。双眼鏡でも丸い姿が確認できる。


 
 火星の接近と地球
 火星に大接近と小接近があるのはなぜだろう?

 地球の軌道はかなり円に近いのだが、火星の軌道は少しつぶれた楕円形をしている。また、会合周期がちょうど2年ではなく、2年2ヶ月であるため、火星と地球が接近する位置は毎回ずれていく。そのため、火星が太陽に近いときに地球との接近が起こると地球との距離が近くなり(5500万km程度)、火星が太陽から遠いときに地球との接近が起こると、地球と火星との距離は遠くなる(9900万km程度)。

 また火星の1日は地球とほぼ同じ24時間39分35.244秒であるが、1年は686.98 日で地球の約1.9倍だ。また、直径は地球の半分ほどで、表面の重力の強さは地球の40%ほどしかない。火星の表面積は地球の約 1/4、質量は地球の約 1/10 に過ぎないが、火星には海がないため、その表面積は地球の陸地の面積(1.5億平方km)とほぼ等しい。

 火星の大気にメタン発見
 火星の大気は希薄である。地表での大気圧は約750Paで、地球での平均値の約0.75%に過ぎない。逆に大気の厚さを示すスケールハイトは約11kmに達し、およそ6kmである地球よりも高い。これらはいずれも重力の少なさに起因している。

 火星の大気は希薄なために熱を保持する作用が弱く、その結果火星の温度は低い。火星の表面温度は最高でも約20℃である。火星大気の組成は二酸化炭素が95%、窒素が3%、アルゴンが1.6%で、他に微量の酸素と水蒸気を含む。

 2003年、地球からの望遠鏡による観測で火星の大気にメタンが含まれている可能性が浮上し、2004年3月のマーズ・エクスプレス探査機の調査によって大気の解析が行われ、事実上その存在が確認された。現在観測されているメタンの量の平均値は体積比で約11±4 ppb である。

 火星にメタンが存在することは非常に興味深い。なぜならメタンは火星の環境では不安定な気体なので、それが存在するということはガス源が火星に存在する(または、少なくとも最近100年以内には存在していた)ことを示唆するからである。ガスの生成源としては火山活動や彗星の衝突、あるいはメタン菌のような微生物の形で生命が存在するなどの可能性が考えられているが、いずれも未確認である。

 1月30日 月とランデブー
 2010年1月の火星接近は、一番地球に近づく28日でも9933万kmと距離が大きく、明るさはマイナス1.2等にとどまる。それでも、全天で一番明るい恒星のシリウスに匹敵する明るさなのですぐに目に付く。シリウスの白と火星の赤が対照的で美しい。また、ほとんど点に近いシリウスの光が気流によって激しくまたたくのに対して、最大で14.1秒角と小さいながらも視直径のある火星は、肉眼ではそれほどちらつかないのが印象的である。

 最接近直後の1月30日には、火星が衝になる。衝は、火星は地球から見て太陽と正反対の位置に来る。太陽系を上から見ると、太陽と地球と火星が一直線上に並ぶこと。衝の夜には火星は満月のすぐそばに見え(約7度)、寄り添いながら夜空を横切る天体ショーが見られる。

参考HP 国立天文台・アストロアーツ ・Wikipedia「火星」

Vixen[ビクセン] 天体望遠鏡 ニューアトラクス赤道儀 NA-AX103S

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2003年火星 / 地球に大接近 [ポスター]

トライエックス

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なぜ南極に隕石が?51次南極観測隊 氷原にユーレライト発見!

2010年01月27日 | 地学
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 南極隕石隊、快挙続々
 今回、51次南極観測隊の隕石(いんせき)隊8人が、セールロンダーネ山地(セルロン)で探査をして、これまでに500個近い隕石を発見している。貴重なユレーライトや鉄隕石などもあり、予想を上回る成果をあげている。

 ユーレライトはダイヤモンドなど炭素質物質が輝石やカンラン石のすき間を埋めている、世界でも数十個しかない貴重な隕石である。 同時に見つかった鉄隕石は天体がバラバラに壊れた時にできたかけらだと考えられている。表面は滑らかで茶色がかかった黒、縦横約5センチと3センチで丸みがあった。地球に降って来た隕石の1%程度しかなく、隕石隊の小島秀康リーダー(極地研教授)は「これまで日本が集めた南極隕石1万6201個のうち数十個程度しかない」と喜んだ。

 隕石は、日本に持ち帰った後、国立極地研究所などで解析する。隕石は46億年前に太陽系とともに生まれ、変化していない。南極に降ったのは数千年から10万年前で、極地研などは、太陽系の誕生と成長の謎を解くカギとなると期待している。

 隕石隊は、雪原の隕石が集まりやすいところを狙い、周囲の石と見比べながら探す。これまで日本の観測隊は月と火星の隕石を見つけたが、「水星や金星の隕石も見つけたい」と小島教授は意気込む。探査は1月下旬まで続く。

 南極隕石の不思議
 それにしても何で南極で貴重な隕石が多数見つかるのだろうか?

 光る氷の上に、隕石があると黒い石がぽつんと見えて発見しやすい。さらに、南極では、セールロンダーネのような山地に隕石が集まりやすい。南極大陸に積もる雪は、いずれ氷となり、長い年月をかけて低い海の方へと流れていく。隕石は落ちるとまず雪に埋もれ、その後、氷の中に閉じこめられる。その氷が流れて山にぶつかり、日差しや風を受けて昇華することで、隕石が顔を出す。

 隕石隊が、セルロンのバルヒェンにベースキャンプを置いたのは1月3日。昭和基地から約500キロ西に離れた標高約1200メートルの高地で、季節は夏だが、気温は零下10度前後、吹雪と強風で体感温度は零下20度くらいになる。クレバスが広がる氷原をスノーモービル7台が約50メートル間隔で横一列になり、時速5~10キロで走りながら探す。 

 1月5日には一気に169個の隕石を発見。117個がまとまっていた。南極では1912年に豪州隊が初めて発見。その後、隕石の集まるメカニズムにいち早く気づいた日本が探査を重ね、2000年までに16000個余りを集めた。米国隊が2007~2008年の収集でそれを1000個ほど上回ったために収集量の世界一の座を譲ったが、再び世界一をめざす。 (asahi.com 2010年1月20日)

 隕石の種類
 隕石は、地球以外の天体の小片が地上に落下したものである。隕石には、さまざまな種類があり、隕石を分けて、その組織をくわしく観察し、分析をおこなうと、その性質がわかる。隕石は太陽系ができてから存在しているものもあり、太陽系誕生の歴史がわかる。

 地球上で確認されている隕石の種類は、金属鉄(Fe)とケイ酸塩鉱物の比率で大きく3つに分類される。石質隕石(ストーン)、鉄隕石(アイロン) 石鉄隕石(ストーンアイロン)の3種類に大きく分けられている。

 また石質隕石はコンドリューという物質を含むかどうかで、コンドライトとエコンドライトとに区分される。このような隕石の違いは、隕石のできた場所によるものと考えられている。

 原始太陽系の小天体のうち、概ね直径100km以上のものは内部が融解し得ると考えられている。小天体の内部で融解が生じれば、重力によって成分分離が起こり、密度の大きい金属が中心に集まって核となり、これをより密度の小さい岩石質の物質が包んでマントルとなる。

 このような小天体が、相互衝突などによる何らかの外力を受けて破壊されたものが、隕石として地表に落下してくる天体小片であると考えられる。中心核が鉄隕石であり、マントル部が石質隕石である。小天体の中心核とマントルは明瞭な境界があるのではなく、境界領域では金属鉄と岩石が混在する。これが石鉄隕石の起源物質であると考えられる。 

 

参考HP 南極隕石ラボラトリ 南極観測のホームページ  

地球環境を映す鏡 南極の科学―氷に覆われた大陸のすべて (ブルーバックス)
神沼 克伊
講談社

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南極観測隊―南極に情熱を燃やした若者たちの記録

日本極地研究振興会

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世界一高い場所にある地層「イエローバンド」とは何か?

2010年01月26日 | 地学

 エベレストの「イエローバンド」
 世界で一番高い地層はどこにあるのだろう? 

 それはヒマラヤ山脈の「エベレスト」である。山頂付近は、4億6000万年前(古生代・オルドビス紀)の地層で、「チョモランマ層」という。チョモランマ層の石灰岩からは海ユリや三葉虫の化石が発見されている。

 その下には「イエローバンド」と呼ばれる、変成石灰岩の層があり、ここにもウミユリの化石が見つかっている。「イエローバンド」の下は「ノースコル層」があり、おもに黒雲母片岩からなる。

 エベレストの高さは8,848m。頂上に4億6000万年前の海生生物の化石があるということは、驚いたことに世界一高い場所が海の底だったことを意味する。

 およそ7000万年前後期白亜紀、まだ海の底だったヒマヤラが隆起を始めた。プレートテクトニクス理論によると、ヒマラヤの下にある「インド・オーストラリアプレート」が15cm/年の速度で北上し、「ユーラシアプレート」と衝突した。

 約5000万年前、このインド・オーストラリアプレートの速い動きによって海底の堆積層が隆起し、周縁部には火山が発生してインド亜大陸とユーラシア大陸の間にあったテチス海を完全に閉ざした。

 これらの堆積岩は軽かったので、プレートの下には沈まずにヒマラヤ山脈を形成した。 今もインド・オーストラリアプレートはチベット高地の下で水平に動いており、その動きは高地を更に押し上げている。

 インド・オーストラリアプレートは67mm/年の速度で動いており、今後1000万年の間でアジア大陸に向って1,500km移動すると考えられている。 この動きのうち約20mm/年の分は、ヒマラヤの南の正面を圧縮することによって吸収される。 結果として約5mm/年の造山運動が発生し、ヒマラヤ山脈を地質学的に活発にしている。 このインド亜大陸の動きにより、この地域は地震の多発地帯となっている。

 15,000mもあったエベレスト?
 世界最高峰のエベレスト(8,848m)のさらに上には約2000万年前まで、巨大な地層があった。1998年登頂に成功した「チョモランマ総合学術調査隊」が、その証拠となる断層を発見した。調査隊に参加した九州大学の酒井治孝教授(地質学)の分析で分かったもので、山体は「二層構造」だったが、上の層が約300万年かけてずり落ち、さらに風雪や氷河による浸食により、現在の形になったという。酒井教授は「エベレストはかつては15,000メートル以上有った」としている。

 ヒマラヤ山脈がどのようにして出来たかの研究は1980年代にはいって大きく進んだ。現在の有力な学説では、約5000万年前にインドがアジア大陸にぶつかり地続きとなった結果、地中深くで高温高圧にサラされて出来た広域変成岩が盛り上がって堆積岩の地層を押し上げ、二層構造の山脈になったとされる。

 また現在の山脈の北側に波状に曲がった褶曲地層が有ることなどから、二千万年前ころ堆積岩の地層が耐えきれず、北側へずり落ち始め、水平方向の断層を作りながら約三百万年間ゆっくり落ち続けたと考えられてきた。しかし、決め手となる断層は見つかっていなかった。

 酒井教授によると、発見された断層は、岩石の壊れ方ずれた方向が有力な学説と一致するという。堆積岩の厚さは約一万メートル有ったと言われ、酒井教授は「二千万年の間に山脈全体がしたから盛り上がったことなど様々な要因を差し引いても、エベレストは15,000メートルは有った」と説明している。(朝日新聞 1999年7月4日)

 「ヒマラヤの氷河2035年消失」は誤り?
 あのノーベル平和賞に輝いた、国連「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)が間違えを認めたという報道。いったいどうしたのだろうか?

 IPCCは20日、2007年に公表した4次報告書の記述のうち、ヒマラヤの氷河が35年ごろまでに消失するという予測が誤りだったと発表した。

 誤りだったのは、報告書のうち、地球温暖化の影響をまとめた「第2作業部会」担当部分の一部。環境NGO(非政府組織)世界自然保護基金(WWF)の2005年のデータの引用などとして、「ヒマラヤの氷河は世界のどの地域よりも早いスピードで崩壊が進み、35年ごろまでに消失する」と指摘していた。IPCCは、報告書作成の過程で必要とされる科学的根拠の確認などが十分でなかったとしている。

 また、カナダや米国の研究者らは同日、米科学誌サイエンス電子版で誤りの背景などを解説。IPCCが消失の時期を「2035年」としたのは「世界全体の氷河は2350年ごろに(現在の)50万平方キロメートルから10万平方キロメートルに縮小する」という過去の研究を誤って引用した可能性があるという。研究者らは、35年ごろまでにヒマラヤの氷河が消失するには、1960~1999年の間の消失率の25倍の速度で減少していかなければならない計算になり、氷河と気候の関係に関する知見と相反すると指摘した。(asahi.com 2010年1月22日)

 参考HP Wikipedia「エベレスト」「ヒマラヤ山脈」

続きはこちら → http://sciencejournal.livedoor.biz/ 

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大型化する始新世の哺乳類 新生代国内最古哺乳類化石とは?

2010年01月25日 | 古生物
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 新生代の動物と言えば?
 古生代の化石と言えば三葉虫やフズリナ。中生代の化石と言えば恐竜やアンモナイト。特に恐竜の化石といえば、子供達にも大人気だ。 では、新生代の化石にはどんなものがあるだろう?

 新生代の生物化石というと、現代に近い時代にもかかわらず、あまり知られていない。よく例にあげられるのは、マンモス、ナウマンゾウ、ビカリア...などであろうか。

 しかし、マンモスは現在の新生代・第四紀・完新世初期まで生き残っていたし、ナウマンゾウもその前の第四紀・更新世には生きていた、比較的新しい哺乳類である。ビカリアは、巻貝の総称。古第三紀・始新世から新第三紀・中新世にかけて繁栄していた。殻長10cmほどの円錐形の巻貝である。現在でも、キバウミニナ、センニンガイ、フトヘナタリなどに似ているものがある。

 新生代は哺乳類の発達した時代である。新生代初期の哺乳類はどんなユニークな姿をしていたのだろうか?

 知られざる新生代初期の哺乳類
 調べてみると、新生代初期の動物化石は国内では少ない。しかし、2004年8月、兵庫県、三田市(さんだし)から2種類の哺乳類化石と、国内最古の哺乳類の足跡化石が発見されている。時代は、新生代・古第三紀・始新世の後期である。
 
 哺乳類の化石は2004年3~5月、兵庫県立「人と自然の博物館(三田市)」の三枝春生研究員(古脊椎(せきつい)動物学)が道路建設現場で発見。足跡はそのすぐ近くで4月、県立湊川高校の木村一成教諭が見つけたという。

 出土したのは「神戸層群吉川層」と呼ばれる約3700万年前(新生代古第三紀後期始新世)の地層。ブナ科などの植物の化石が多く出ることで知られるが、1999年には約一キロ南の神戸市北区の同じ地層から、サイの一種の化石が見つかっていた。

 発見されたのは偶蹄(ぐうてい)目アントラコテリウム科(炭獣類)の草食獣の臼歯6本を含む下あごの一部(長さ約14センチ、幅約2センチ、高さ約1センチ)と、バクの仲間(バク上科)の臼歯3本(長さ約3センチ、幅、高さ約1センチ)。それぞれ体長は約1.5メートル、約1メートルと推定される。ともに北半球全域で生息していたとされる。足跡は約10個見つかり、最大深さ約10センチ、幅約20センチで、大型哺乳類のものとみられる。

 この時代の哺乳類の化石が複数種類見つかるのは国内では珍しく、 古第三紀の哺乳類の化石は国内十数カ所で発見されているが、複数種の発見例は熊本県御所浦町など3カ所しかなかった。 (2004/08/31 神戸新聞)

 大型化する哺乳類「始新世・後期」
 始新世(ししんせい、Eocene)は地質時代の一つで、約5,500万年前から約3,800万年前までの期間。新生代の第二の時代。古第三紀の第二の世。

 この時代、新生代・第三紀の地球温暖化ともいえるほど、新生代で最も高温の時代になった。極地付近にも氷床はなく、湿度も高かった。このため、哺乳類の巨大化が起きた。

 始新世末あるいは次の漸新世初期には一時的に気温が急に低下したが(始新世終末事件)、この頃、彗星が頻繁に地球に衝突したためだとする説がある。また当時大規模な海退が起こり、海の面積が減少したのが気温低下の原因であるとも言われる。

 原始的な哺乳類の多くはこの時代、後期から末期には姿を消した。そのかわりに新たな哺乳類の出現が促され、第二次の適応放散が始まったと言える。

 始新世の巨大哺乳類について調べてみた。

 ウインタテリウム
 ウインタテリウム(Uintatherium)は、新生代・古第三紀・始新世に北アメリカとアジアに分布した大型の哺乳類。サイくらいの大きさで、やわらかな草を食べる植物食獣であった。

 ウインタテリウムの四肢はむしろゾウに似るが、頭には3対、計6本の短い角が2列に並び、上顎にはサーベルタイガーやティラコスミルスを思わせる長い牙が下向きに生えている。下顎には、この牙を保護する「鞘」となる骨の隆起が存在した。現生動物では角と牙を同時に持つものは偶蹄類のキョンのみであり、化石種でもウインタテリウム以前はエステメノスクスなどの初期獣弓類まで遡る。

 アルシノイテリウム
 アルシノイテリウム(genus Arsinoitherium)は、約3,500万- 約2,300万年前(新生代古第三紀始新世後期後半「プリアボニアン」~ 同紀漸新世末期「チャッティアン」のアフロアラビアに生息していた、植物食性有蹄哺乳類の一種(1属)。

 巨大な体躯と角を持ち、その外観からサイのような印象を受けるが、進化系統上は遠く、近縁関係が認められるのはともに近蹄類として総括される動物群、すなわち、ハイラックスやゾウ、ジュゴンなどである。

 体長約3.0m、体高約1.8m。発見されている最大個体(Arsinoitherium giganteus)で、肩高約2.13m(約7ft)。重脚目の特徴として、骨太で頑丈な巨躯と、短くはあるが柱のようにがっしりとした四肢を持つ、重量感あふれる動物であった。

 アンドリューサルクス
 アンドリューサルクス(genus Andrewsarchus)は、約4,500万- 約3,600万年前(新生代古第三紀始新世中期- 後期半ば)のユーラシア大陸東部地域(現在のモンゴル)に生息していた、原始的な大型肉食性哺乳類の一種(1属)。

 蹄(ひづめ)を持つ有蹄動物であり、推定体長(頭胴長)382cm、推定体重180-450kgというその体躯の巨大さゆえ、ときに「史上最大の陸生肉食獣」と称される。実際、メソニクス目で最大、史上でも最大級の陸生肉食哺乳類であると言える。

 アンドリューサルクスは、現在知られている限りの全ての陸生肉食哺乳類のなかで最大級の顎の持ち主である。長い吻部によく発達した顎を持ち、そこに生える歯はどれも大きかった。切歯、湾曲した鋭い犬歯、そして、獲物の骨を噛み砕いたかもしれない頑丈な臼歯を具えている。

 頭蓋骨は長さ83.4cm、最大幅56cmと巨大。頭骨長から単純計算されたアンドリューサルクスの大きさは、体長約382cm、肩高約189cmほどである。オオカミかハイエナのような体形の大型獣で、やや短めの四肢とその指先に小さく丸まった蹄を具えている、そのような姿で再現される。

 インドリコテリウム
 インドリコテリウム(Indricotherium) は、およそ3600万~2400万年前(新生代第三紀の始新世末期から漸新世後期)に、中央アジアから中国、東ヨーロッパにかけて生息していたサイ科の巨大な哺乳動物。現在、学名はパラケラテリウムに変更されているが、インドリコテリウムと呼ばれる事も多い。これまで地球上に現われた最大の陸生哺乳類とされる。

 サイの仲間であるが、角はなく、首が比較的長かった。頭胴長約8メートル、肩高約5.5メートル、長い首を伸ばせば7メートル近い高さに達した。体格はウマ的でやや細身であり、体重は約15~20トンに達したと考えられる。

 頭骨長は約1.3メートルであるが、体躯に比してやや小さい。雄の頭骨には骨の肥厚が認められ、縄張りや雌を巡っての儀礼的闘争を行ったとされる。おそらくは柔軟な上唇を持ち、現生のキリンのように、上顎にある牙状の切歯で高木の小枝や葉をむしり取って食べたと想像される。当時の彼らの生息地域には、餌となる大きな樹木が生い茂っていた。胴体は前肢が長いため後方に向かってなだらかに傾斜しており、脊柱は空隙などで軽量化された構造になっていた。

 ヒラコテリウム
 ヒラコテリウム(Hyracotherium)は始新世に北アメリカ大陸およびヨーロッパ大陸に生息していた哺乳類。現生するウマ科動物の最古の祖先と考えられており、エオヒップス(Eohippus)という別名(シノニム)でも知られている。和名は「あけぼのウマ」。

 主に北アメリカ大陸とヨーロッパの森林地帯に生息、体高はおよそ20~30cmと、現在見られるウマ科動物と比較すれば非常に小型である。骨格では椎骨の発達が特に顕著であり、背から後躯にかけて強大な筋肉が備わり、優れた走力で捕食者から逃れていたと考えられている。

 また前肢4本、後肢3本の指は本来5本であったが、進化の過程で前肢の第1指、および後肢の第1指と第5指は退化し、完全に消失したと見られる。食性は草食で、口腔正面手前からいずれも小型の切歯、犬歯、小臼歯、大臼歯を備え、木の若芽や草の実など柔らかい植物を摂取していたとされる。生息域や食性から、各個体が独自のテリトリーを有する単独生活者であったと推測されている。

 エンボロテリウム
 エンボロテリウム(Embolotherium)は始新世末期から漸新世前期(約4,000万年前〜約3,500万年前)に生息した哺乳類。奇蹄目・ブロントテリウム科。ブロントテリウムに近縁の大型の草食動物で、同様に頭部に大きな角を持つ。学名は、「大槌を持つ獣」の意で、頭部の角から命名された。

 肩高約2.5m。頭骨の全長は1.1m(角含む)。同科の多くの属同様鼻の上に大きく太い角を持つが、これは鼻骨が伸びたものであり、ブロントテリウムなど北アメリカのグループとは異なる。また角は板状で、それから額の上にまでかけて一体となった装甲板を持っていた。この角は最大70cmにもなり、メスよりもオスの方が大きな角を持っていた。恐らくこれで儀礼的闘争を行ったと思われるが、脆かったために捕食者から身を護る武器とはなり得なかったとされる。

 

参考HP Wikipedia「ウインタテリウム」 「アンドリューサルクス」「エンボロテリウム」「ヒラコテリウム」「インドリコテリウム」「アルシノイテリウム」

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恐竜絶滅後、哺乳類・鳥類そして人類繁栄「新生代」とは何か?

2010年01月24日 | 古生物
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 恐竜絶滅の原因
 恐竜は、三畳紀に爬虫類から進化し中生代に繁栄した生物である。恐竜の大部分は白亜紀末期に絶滅したが、恐竜から分岐進化した鳥類は現在でも繁栄している。

 恐竜をはじめとする大型爬虫類は白亜紀末期に絶滅し、その滅亡原因については諸説ある。もっとも、鳥類は絶滅を逃れ進化した恐竜との見方を取れば、恐竜は絶滅してはいないことになる。

 短時間で滅んだとする激変説(隕石衝突説・すい星遭遇説・伝染病説など)や長時間かかったとする漸減説(温度低下説・海退説・火山活動説など)がある。
 
 そのうち、現在最も有力とされているのは巨大隕石の衝突のパターンである。隕石衝突による恐竜の絶滅を最初に提唱したのは物理学者ルイス・アルバレスとその息子で地質学者のウォルター・アルバレスであった。

 二人は1980年代に、巨大隕石の衝突による地球規模の大火災で生態系が破壊され、衝突後に生じた塵埃が大気中に舞い、日光を遮断することで起きた急速な寒冷化が絶滅の原因であると示説した。これは激変説と漸減説の複合に近い形である。

 この説の根拠は、中生代白亜紀層と新生代第三紀層の間の黒色粘土層(通称K-T境界層)中のイリジウムが数十倍の濃度であること(イリジウムは地殻にはほとんど存在しないため、地球外由来と考えられる)、またユカタン半島の地下に巨大なクレータが発見されたこと、などがある。直径11kmの隕石が秒速40kmで衝突したと考えられている。

 あれだけの栄華を誇った恐竜は絶滅した。しかし、なぜ他の生物は生き残ったかなど、まだ謎は残っている。この後、地球はどのような歴史をたどるのであろうか?

 第一次適応放散「暁新世」
 暁新世(ぎょうしんせい、Paleocene)は地質時代の時代区分の一つで、約6,550万年前から約5,580万年前までの期間を指す。新生代最古の世。古第三紀の第一の世。

 前時代である中生代白亜紀には主役であった恐竜のグループは、鳥類を唯一の例外として、そのほかはことごとく絶滅している。アンモナイトも全て滅びた。陸上では鳥類と哺乳類が、海洋では魚類が放散(radiation)進化を行なったが、哺乳類はまだ原始的で小型のものが多かった。

 植物は、白亜紀に引き続き被子植物が栄え、この時代にほぼ現代的な様相を示すようになった。

 白亜紀末に引き続き、やや不安定であったが地球全体で気温は高めで湿度も高かった。北極・南極とも温暖で氷河の形跡は無い。

 白亜紀には既に超大陸・パンゲア大陸の分裂が始まっており、暁新世ではアフリカと南アメリカは完全に離れ、アフリカと南極大陸も大きく離れていた。ヨーロッパと北アメリカはまだ陸続き状態であった。

 インドは巨大な島となってインド洋上を北に向かって移動しており、全ての大陸から孤立していたので、次の時代である始新世にアジアに接近するまでは哺乳類(有胎盤類)は生息していなかった。

 南極とオーストラリアは一つにまとまっていたが、これらの大陸塊が南アメリカと切り離された時期は、白亜紀末とも、暁新世に入ってからとも言われ、はっきりしない。南北アメリカが分離した時期も白亜紀末頃と考えられるが、狭い海峡で隔てられていただけであれば、動物の交流はそれ以降も継続した可能性がある。

 新生代の地球温暖化「始新世」
 始新世(ししんせい、Eocene)は地質時代の一つで、約5,500万年前から約3,800万年前までの期間。新生代の第二の時代。古第三紀の第二の世。

 ヨーロッパと北アメリカは更に大きく離れて大西洋が拡大し、両大陸の連絡は始新世中期には絶たれたが、北アメリカとユーラシアはベーリング海方面で次第に接近し、陸橋となっていた。既に南アメリカと分離していた南極大陸・オーストラリア大陸塊は始新世半ば以降分裂した。インドはアジア大陸に接近しつつあった。

 暁新世にやや低下した気温は始新世では再び温暖化に転じ、新生代では最も高温の時代になった。湿度も高かった。このため、ウインタテリウムのような巨獣も出現する。極地付近にも氷床はなく、ワニや有袋類の化石が出土している。

 ウシ・ウマなどの現存する哺乳類のほとんどの祖先は、始新世の初期には現れている。ほとんどの哺乳類はまだ小型であった。クジラ類も初期に偶蹄目から分かれた。

 始新世末あるいは次の漸新世初期には一時的に気温が急に低下したが(始新世終末事件)、この頃、彗星が頻繁に地球に衝突したためだとする説がある。また当時大規模な海退が起こり、海の面積が減少したのが気温低下の原因であるとも言われる。

 原始的な哺乳類の多くはこの時代、後期から末期には姿を消した。そのかわりに新たな哺乳類の出現が促され、第二次の適応放散が始まったと言える。

 第二次適応放散「漸新世」
 漸新世(ぜんしんせい、Oligocene)は地質時代の一つで、約3,400万年前から約2,300万年前までの期間。新生代の第三の時代。古第三紀の第三番目かつ最後の世。

 初期には一時気温が低下し気候が不安定になった。この気候変動は、後に述べる同時期の大海退や動物の大量絶滅と関連し、地球外に原因がある(例えば巨大隕石や彗星の衝突)とする説もあるが、確実ではない。

 中期以降は温暖で安定した気候になった。しかし、従来は中新世になってからと考えられていた北極の海氷と南極大陸の氷床は、既にこの時代に形成されたとする意見もある。

 大陸の分離によって、動物相には地域ごとの違いが見られるようになった。また、前の始新世に栄えた動物の多くが、始新世と漸新世の境界付近で絶滅し、それに変わる新しい種の発展が見られる。

 哺乳類の進化、特に大型化が進んだ。史上最大の陸生哺乳類とされるアジア産奇蹄目(サイ類)のインドリコテリウムはその極致と言える。ゾウの仲間(長鼻目)はアフリカで進化し、大きな体躯を持ったが、まだ他の大陸には進出していない。霊長目では類人猿が大きな発展を遂げ、現在のテナガザルに似た小型の類人猿の仲間が繁栄し、アフリカからヨーロッパにかけて勢力を広げた。

 現代の生物相「中新世」
 中新世(ちゅうしんせい、Miocene)は地質時代の一つであり、約2,300万年前から約500万年前までの期間。新生代の第四の時代。新第三紀の第一の世。

 大陸はほぼ現在の様相だが、北アメリカ大陸と南アメリカ大陸は離れている。ヨーロッパのアルプス山脈と北アメリカのロッキー山脈で造山運動が始まった。日本がユーラシア大陸から分離し、日本海が形成された。

 一般的に温暖であったが、南極大陸には氷床が発達・拡大していた。中新世の終わりには氷床は大陸のほとんどを覆うようになっていた。

 海と陸の生物相はより現代に近づいた。オオカミ類、ウマ類、ビーバー類、シカ類、ラクダ類、カラス類、カモ類、フクロウ類、クジラ類、メガロドンなどは、中新世にすでに存在していた。

 孤立している南アメリカ大陸とオーストラリア大陸のみ、異なった動物相である。

 人類のあけぼの「鮮新世」
 鮮新世(せんしんせい、Pliocene)は地質時代の一つであり、約500万年前から約160万年 前までの期間。新生代の第五の時代。新第三紀の第二の世であり、最後の世。気候は寒冷化しており、南極大陸は中新世よりもさらに氷床を拡大していた。北半球での氷床の発達もこの時代に既に始まっていた。

 パナマ地峡が形成され、ヒマラヤ山脈の上昇が激しくなった。現代の動物相につながるものがほぼ出現している。アウストラロピテクス「ルーシー」やラミダス猿人などヒトの祖先はこの時代に誕生した。南米大陸が北米大陸に繋がったことで、多くの生物の両大陸間の行き来が可能になった。

 これによって北米の生物との生存競争にさらされた南米原産の生物には衰退し、絶滅したものも多かった。例えばトクソドン、メガロドンなどが競争に敗れ、絶滅した。

 氷河期の時代「更新世」
 更新世(こうしんせい、Pleistocene)は地質時代の区分の一つで、約180万-160万年前から約1万年前までの期間。第四紀の第一の世。この前の鮮新世と合わせてPlio-Pleistoceneとして扱われることもある。かつては洪積世(こうせきせい、Diluvium)ともいった。

 更新世のほとんどは氷河時代であった。このため、北京原人、ジャワ原人、ネアンデルタール人などヒト属は進化したが、更新世の終わり頃から、ナウマンゾウ、メガテリウム、オオツノシカ、サーベルタイガー、など大型の哺乳類の絶滅があった。

 大陸の形は現在とほとんど変わらないが、氷期・間氷期の氷床の拡大・縮小による海水準変動に伴って、海岸線の位置が移動した。更新世の後期では海水準にして百数十メートルの変動があった。海水準が低下した時期は、現在浅い海である海域の多くが陸地となっていた。

 気候は氷期と間氷期を繰り返した。知られているだけで7回の氷期がある。200万年前 - ヒーバー氷期、ヒーバー-ドナウ間氷期 100万年前:ドナウ氷期、ドナウ-ギュンツ間氷期 80万年前:ギュンツ氷期 50万年前:ギュンツ-ミンデル間氷期、ミンデル氷期 40万年前:ミンデル-リス間氷期、リス間氷期 25万年前~12万年前:リス氷期 7万年前:ヴュルム氷期(最終氷期)、リス-ヴュルム間氷期 2~1.8万年前:最寒冷期 1.4~1.2万年前:古ドリアス期(小寒冷期)

 人類の文明開化「完新世」
 完新世(かんしんせい、Holocene)は地質時代区分(世)のうちで最も新しいもの。第四紀の第二の世であると同時に、現代を含む。かつて沖積世(Alluvium)と呼ばれた。

 最後の氷期が終わる約1万年前から現在までの時代。その境界は、ヨーロッパにおける大陸氷床の消滅をもって定義される。

 期間が短いため大規模な大陸の移動などはないが、完新世の初期には、大陸氷床の融解によって海面が130m以上急激に上昇した。特に完新世の気候最温暖期と呼ばれる時代には、現在より3mから5mほど海水準が高かったとされる(縄文海進)。その後、海面は緩やかに下降し、海水準は直近のここ2,000年ほどは比較的安定している。

 完新世の初め頃、大きな川の流域などで、徐々に人類が文明を築き始めた。一方人類の乱獲や環境の変化が原因で、マンモス、モア、ドードーを始め多くの動物が絶滅しており、これを「完新世の大量絶滅」と呼ぶ人もいる。

 定義の変わった新「新生代」とは何か?
 新生代は現代から新しい順に、第四紀、新第三紀、古第三紀の、3つの時代に分けられる、6500万年前までの時代をいう。それ以前は中生代である。この第四紀・第三紀の呼び方は、以前、地質時代を第一紀・第二紀・第三紀・第四紀の4つに分けていたから。現在、第一紀・第二紀はない。

 新生代全体は、恐竜が絶滅してから現代に至るまでの時代である。ひと言で言えば哺乳類と鳥類の時代である。

 しかし、新生代初期には温暖な時期もあったが、氷河期や間氷期などの気候変動や巨大隕石や彗星の衝突などに伴う生物の大量絶滅などがあり、生物層と気候などの関係で、新生代はさらに、完新世、更新世、鮮新世、中新世、漸新世、始新世、暁新世の7つの紀に分けられている。

 現在、新生代第四紀に「完新世・更新世」、新第三紀に「鮮新世、中新世」、古第三紀には「漸新世、始新世、暁新世」が区分されている。

 一方、この区分のしかたにはいろいろな意見があり、特に第四紀の専門家の間では、鮮新世の最上部のジェラシアン(Gelassian)期を第四紀に含めるが、第三紀の専門家はこれを第三紀に含めるという、意見のくいちがいがあった。

 2009年6月、万国地質学会議 (IGS)において、第四紀・更新世の定義について鮮新世の最上部のジェラシアン(Gelassian)期を第四紀に含めることが決まったばかりである。

 

参考HP Wikipedia「新生代」「完新世」「更新世」「鮮新世」「中新世」「漸新世」「始新世」「暁新世」「恐竜」

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恐竜絶滅後、哺乳類・鳥類そして人類繁栄「新生代」とは何か?

2010年01月24日 | 古生物
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 恐竜絶滅の原因
 恐竜は、三畳紀に爬虫類から進化し中生代に繁栄した生物である。恐竜の大部分は白亜紀末期に絶滅したが、恐竜から分岐進化した鳥類は現在でも繁栄している。

 恐竜をはじめとする大型爬虫類は白亜紀末期に絶滅し、その滅亡原因については諸説ある。もっとも、鳥類は絶滅を逃れ進化した恐竜との見方を取れば、恐竜は絶滅してはいないことになる。

 短時間で滅んだとする激変説(隕石衝突説・すい星遭遇説・伝染病説など)や長時間かかったとする漸減説(温度低下説・海退説・火山活動説など)がある。
 
 そのうち、現在最も有力とされているのは巨大隕石の衝突のパターンである。隕石衝突による恐竜の絶滅を最初に提唱したのは物理学者ルイス・アルバレスとその息子で地質学者のウォルター・アルバレスであった。

 二人は1980年代に、巨大隕石の衝突による地球規模の大火災で生態系が破壊され、衝突後に生じた塵埃が大気中に舞い、日光を遮断することで起きた急速な寒冷化が絶滅の原因であると示説した。これは激変説と漸減説の複合に近い形である。

 この説の根拠は、中生代白亜紀層と新生代第三紀層の間の黒色粘土層(通称K-T境界層)中のイリジウムが数十倍の濃度であること(イリジウムは地殻にはほとんど存在しないため、地球外由来と考えられる)、またユカタン半島の地下に巨大なクレータが発見されたこと、などがある。直径11kmの隕石が秒速40kmで衝突したと考えられている。

 あれだけの栄華を誇った恐竜は絶滅した。しかし、なぜ他の生物は生き残ったかなど、まだ謎は残っている。この後、地球はどのような歴史をたどるのであろうか?

 第一次適応放散「暁新世」
 暁新世(ぎょうしんせい、Paleocene)は地質時代の時代区分の一つで、約6,550万年前から約5,580万年前までの期間を指す。新生代最古の世。古第三紀の第一の世。

 前時代である中生代白亜紀には主役であった恐竜のグループは、鳥類を唯一の例外として、そのほかはことごとく絶滅している。アンモナイトも全て滅びた。陸上では鳥類と哺乳類が、海洋では魚類が放散(radiation)進化を行なったが、哺乳類はまだ原始的で小型のものが多かった。

 植物は、白亜紀に引き続き被子植物が栄え、この時代にほぼ現代的な様相を示すようになった。

 白亜紀末に引き続き、やや不安定であったが地球全体で気温は高めで湿度も高かった。北極・南極とも温暖で氷河の形跡は無い。

 白亜紀には既に超大陸・パンゲア大陸の分裂が始まっており、暁新世ではアフリカと南アメリカは完全に離れ、アフリカと南極大陸も大きく離れていた。ヨーロッパと北アメリカはまだ陸続き状態であった。

 インドは巨大な島となってインド洋上を北に向かって移動しており、全ての大陸から孤立していたので、次の時代である始新世にアジアに接近するまでは哺乳類(有胎盤類)は生息していなかった。

 南極とオーストラリアは一つにまとまっていたが、これらの大陸塊が南アメリカと切り離された時期は、白亜紀末とも、暁新世に入ってからとも言われ、はっきりしない。南北アメリカが分離した時期も白亜紀末頃と考えられるが、狭い海峡で隔てられていただけであれば、動物の交流はそれ以降も継続した可能性がある。

 新生代の地球温暖化「始新世」
 始新世(ししんせい、Eocene)は地質時代の一つで、約5,500万年前から約3,800万年前までの期間。新生代の第二の時代。古第三紀の第二の世。

 ヨーロッパと北アメリカは更に大きく離れて大西洋が拡大し、両大陸の連絡は始新世中期には絶たれたが、北アメリカとユーラシアはベーリング海方面で次第に接近し、陸橋となっていた。既に南アメリカと分離していた南極大陸・オーストラリア大陸塊は始新世半ば以降分裂した。インドはアジア大陸に接近しつつあった。

 暁新世にやや低下した気温は始新世では再び温暖化に転じ、新生代では最も高温の時代になった。湿度も高かった。このため、ウインタテリウムのような巨獣も出現する。極地付近にも氷床はなく、ワニや有袋類の化石が出土している。

 ウシ・ウマなどの現存する哺乳類のほとんどの祖先は、始新世の初期には現れている。ほとんどの哺乳類はまだ小型であった。クジラ類も初期に偶蹄目から分かれた。

 始新世末あるいは次の漸新世初期には一時的に気温が急に低下したが(始新世終末事件)、この頃、彗星が頻繁に地球に衝突したためだとする説がある。また当時大規模な海退が起こり、海の面積が減少したのが気温低下の原因であるとも言われる。

 原始的な哺乳類の多くはこの時代、後期から末期には姿を消した。そのかわりに新たな哺乳類の出現が促され、第二次の適応放散が始まったと言える。

 第二次適応放散「漸新世」
 漸新世(ぜんしんせい、Oligocene)は地質時代の一つで、約3,400万年前から約2,300万年前までの期間。新生代の第三の時代。古第三紀の第三番目かつ最後の世。

 初期には一時気温が低下し気候が不安定になった。この気候変動は、後に述べる同時期の大海退や動物の大量絶滅と関連し、地球外に原因がある(例えば巨大隕石や彗星の衝突)とする説もあるが、確実ではない。

 中期以降は温暖で安定した気候になった。しかし、従来は中新世になってからと考えられていた北極の海氷と南極大陸の氷床は、既にこの時代に形成されたとする意見もある。

 大陸の分離によって、動物相には地域ごとの違いが見られるようになった。また、前の始新世に栄えた動物の多くが、始新世と漸新世の境界付近で絶滅し、それに変わる新しい種の発展が見られる。

 哺乳類の進化、特に大型化が進んだ。史上最大の陸生哺乳類とされるアジア産奇蹄目(サイ類)のインドリコテリウムはその極致と言える。ゾウの仲間(長鼻目)はアフリカで進化し、大きな体躯を持ったが、まだ他の大陸には進出していない。霊長目では類人猿が大きな発展を遂げ、現在のテナガザルに似た小型の類人猿の仲間が繁栄し、アフリカからヨーロッパにかけて勢力を広げた。

 現代の生物相「中新世」
 中新世(ちゅうしんせい、Miocene)は地質時代の一つであり、約2,300万年前から約500万年前までの期間。新生代の第四の時代。新第三紀の第一の世。

 大陸はほぼ現在の様相だが、北アメリカ大陸と南アメリカ大陸は離れている。ヨーロッパのアルプス山脈と北アメリカのロッキー山脈で造山運動が始まった。日本がユーラシア大陸から分離し、日本海が形成された。

 一般的に温暖であったが、南極大陸には氷床が発達・拡大していた。中新世の終わりには氷床は大陸のほとんどを覆うようになっていた。

 海と陸の生物相はより現代に近づいた。オオカミ類、ウマ類、ビーバー類、シカ類、ラクダ類、カラス類、カモ類、フクロウ類、クジラ類、メガロドンなどは、中新世にすでに存在していた。

 孤立している南アメリカ大陸とオーストラリア大陸のみ、異なった動物相である。

 人類のあけぼの「鮮新世」
 鮮新世(せんしんせい、Pliocene)は地質時代の一つであり、約500万年前から約160万年 前までの期間。新生代の第五の時代。新第三紀の第二の世であり、最後の世。気候は寒冷化しており、南極大陸は中新世よりもさらに氷床を拡大していた。北半球での氷床の発達もこの時代に既に始まっていた。

 パナマ地峡が形成され、ヒマラヤ山脈の上昇が激しくなった。現代の動物相につながるものがほぼ出現している。アウストラロピテクス「ルーシー」やラミダス猿人などヒトの祖先はこの時代に誕生した。南米大陸が北米大陸に繋がったことで、多くの生物の両大陸間の行き来が可能になった。

 これによって北米の生物との生存競争にさらされた南米原産の生物には衰退し、絶滅したものも多かった。例えばトクソドン、メガロドンなどが競争に敗れ、絶滅した。

 氷河期の時代「更新世」
 更新世(こうしんせい、Pleistocene)は地質時代の区分の一つで、約180万-160万年前から約1万年前までの期間。第四紀の第一の世。この前の鮮新世と合わせてPlio-Pleistoceneとして扱われることもある。かつては洪積世(こうせきせい、Diluvium)ともいった。

 更新世のほとんどは氷河時代であった。このため、北京原人、ジャワ原人、ネアンデルタール人などヒト属は進化したが、更新世の終わり頃から、ナウマンゾウ、メガテリウム、オオツノシカ、サーベルタイガー、など大型の哺乳類の絶滅があった。

 大陸の形は現在とほとんど変わらないが、氷期・間氷期の氷床の拡大・縮小による海水準変動に伴って、海岸線の位置が移動した。更新世の後期では海水準にして百数十メートルの変動があった。海水準が低下した時期は、現在浅い海である海域の多くが陸地となっていた。

 気候は氷期と間氷期を繰り返した。知られているだけで7回の氷期がある。200万年前 - ヒーバー氷期、ヒーバー-ドナウ間氷期 100万年前:ドナウ氷期、ドナウ-ギュンツ間氷期 80万年前:ギュンツ氷期 50万年前:ギュンツ-ミンデル間氷期、ミンデル氷期 40万年前:ミンデル-リス間氷期、リス間氷期 25万年前~12万年前:リス氷期 7万年前:ヴュルム氷期(最終氷期)、リス-ヴュルム間氷期 2~1.8万年前:最寒冷期 1.4~1.2万年前:古ドリアス期(小寒冷期)

 人類の文明開化「完新世」
 完新世(かんしんせい、Holocene)は地質時代区分(世)のうちで最も新しいもの。第四紀の第二の世であると同時に、現代を含む。かつて沖積世(Alluvium)と呼ばれた。

 最後の氷期が終わる約1万年前から現在までの時代。その境界は、ヨーロッパにおける大陸氷床の消滅をもって定義される。

 期間が短いため大規模な大陸の移動などはないが、完新世の初期には、大陸氷床の融解によって海面が130m以上急激に上昇した。特に完新世の気候最温暖期と呼ばれる時代には、現在より3mから5mほど海水準が高かったとされる(縄文海進)。その後、海面は緩やかに下降し、海水準は直近のここ2,000年ほどは比較的安定している。

 完新世の初め頃、大きな川の流域などで、徐々に人類が文明を築き始めた。一方人類の乱獲や環境の変化が原因で、マンモス、モア、ドードーを始め多くの動物が絶滅しており、これを「完新世の大量絶滅」と呼ぶ人もいる。

 定義の変わった新「新生代」とは何か?
 新生代は現代から新しい順に、第四紀、新第三紀、古第三紀の、3つの時代に分けられる、6500万年前までの時代をいう。それ以前は中生代である。この第四紀・第三紀の呼び方は、以前、地質時代を第一紀・第二紀・第三紀・第四紀の4つに分けていたから。現在、第一紀・第二紀はない。

 新生代全体は、恐竜が絶滅してから現代に至るまでの時代である。ひと言で言えば哺乳類と鳥類の時代である。

 しかし、新生代初期には温暖な時期もあったが、氷河期や間氷期などの気候変動や巨大隕石や彗星の衝突などに伴う生物の大量絶滅などがあり、生物層と気候などの関係で、新生代はさらに、完新世、更新世、鮮新世、中新世、漸新世、始新世、暁新世の7つの紀に分けられている。

 現在、新生代第四紀に「完新世・更新世」、新第三紀に「鮮新世、中新世」、古第三紀には「漸新世、始新世、暁新世」が区分されている。

 一方、この区分のしかたにはいろいろな意見があり、特に第四紀の専門家の間では、鮮新世の最上部のジェラシアン(Gelassian)期を第四紀に含めるが、第三紀の専門家はこれを第三紀に含めるという、意見のくいちがいがあった。

 2009年6月、万国地質学会議 (IGS)において、第四紀・更新世の定義について鮮新世の最上部のジェラシアン(Gelassian)期を第四紀に含めることが決まったばかりである。

 

参考HP Wikipedia「新生代」「完新世」「更新世」「鮮新世」「中新世」「漸新世」「始新世」「暁新世」「恐竜」

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奇妙な中新世の動物達 国内最大級の足跡化石650個発見!

2010年01月23日 | 古生物
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 新生代の足跡化石
 人類の出現はラミダス猿人の発見により、260万年前からやがて440万年前に書き換えられるであろう。この人類の時代を、新生代・第四紀という。

 その人類の出現からさらに1360万年さかのぼる。今から1800万年前の新生代・新第三紀・中新世の地層から、動物の足跡化石が650個も発見された。

 2010年1月、岐阜県可児市下切の可児川左岸の河原の新生代の「瑞浪層群平牧累層」(約1800万年前)から、大型哺乳(ほにゅう)動物や鹿、鳥のものと見られる足跡化石約650個が見つかった。この時代の足跡化石としては国内最大規模とみられ、9月の日本地質学会で発表される。

 発見したのは同県関市立寺尾小教頭の藤岡比呂志さん(50)。岐阜聖徳学園大非常勤講師の鹿野勘次さん(62)と調査し、11日に現地で発表した。

 足跡化石は約300平方メートル(長さ約20メートル、幅約15メートル)の範囲に集中。ゾウの仲間とみられる足跡は長さ約35センチ、3本の指が確認できるサイの仲間とみられる足跡は約25センチ、鹿の仲間とみられる足跡は12センチ。鳥は約6センチで、いずれも深さは約1~5センチ。鹿野さんは「動物や鳥が集う湿地帯だったのでは」と推測している。

 新生代の地層からは、兵庫県三田市で国内最古とみられる約3700万年前の足跡化石、福井市内からは約300個の足跡化石が見つかっている。(2010年1月11日  読売新聞) 

 新生代・新第三紀・中新世とは?
 さて、この新生代・新第三紀・中新世という時代の動物とはどんな動物だろう?

 今回発見されたのは、サイなどの奇蹄類や鹿などの偶蹄類、その他も含めた哺乳類の化石だが、この瑞浪層群の平牧累層では、これまでも象や馬、サイ、バクなどの体の化石が見つかっているという。

 新生代・新第三紀・中新世では、一般的に温暖であったが、南極大陸には氷床が発達・拡大していた。中新世の終わりには氷床は大陸のほとんどを覆うようになっていた。

 この時代の生物は、海と陸の生物相はより現代に近づいた。オオカミ類、ウマ類、ビーバー類、シカ類、ラクダ類、カラス類、カモ類、フクロウ類、クジラ類、メガロドンなどは、中新世にはすでに存在していた。しかし、地球の寒冷化による環境の変化で多くの種が絶滅した。

 現在の象、サイや鹿、ウマやバクなどはその生き残りである。調べてみるとこの時代、これらの哺乳類の祖先達が、多種多様に存在しており、姿も大型で、現在とは違ったものが多かった。どんな哺乳類がいたのだろう?

 アエピカメルス
 アエピカメルス (Aepycamelus ) は、中新世後期から鮮新世後期にかけての約2,000万年前〜200万年前に生息していたラクダ科の一種。アエピカメルスは、北アメリカの大草原に生息していた。肩高はおよそ2m、頭頂高約3mになった上にS字に曲がった長い首を持っていたことから、高い枝の木の葉を常食とするキリンのような生態であったと考えられている。指先の二つの蹄は小さく、その後ろに大きなパッドが発達していたと思われる。

ラクダ類の特徴的なものとしては側対歩という、同じ側の前後の脚を同時に動かす歩き方が挙げられるが、中新世の地層にもそうした足跡が残されていた。その事から、かれらも現代のラクダと同様の歩き方をしていたのではないかと推定されている。

 シンテトケラス
 シンテトケラス(Synthetoceras)は新生代中新世後期の北アメリカ大陸に生息していた草食獣。哺乳綱 - 鯨偶蹄目 - ラクダ亜目(核脚亜目)- プロトケラス科に属する。

 頭胴長約2m、頭骨長約45cm。頭部に角を持つ、外観の印象としてはシカに似るが、実際はラクダ科の姉妹群であるプロトケラス科である。かれらは同科の後期に現れ、また最大の属であった。吻上部にY字型、側頭部には上方に湾曲した一対の角を備えていたが、シカの様な骨質が剥き出しになった形の角(アントラーという)ではなく、キリンに似てその表面は皮膚で覆われていた(オッシコーン)と推定されている。このうち吻上部の角は、オスにのみ存在した。

 モロプス
 モロプス (Moropus) は新生代中新世の北アメリカ大陸及びヨーロッパに生息した、ウマに似た草食動物。奇蹄目 - カリコテリウム科に属する。学名は「遅い脚」を意味する。

 肩高約1.8m - 2.4m。大型のウマほどの大きさのであった。頭骨はウマに似る。しかし歯は低歯冠であり、柔らかい植物を食べていたとされる。胴体は四肢に比して短い。四肢は後肢に比べてやや前肢が長く、胴体は後傾する。前後とも三本の趾を持つが、前肢には大きな鉤爪があった。

 これは、同科のカリコテリウムなども同様の形態であった。しかしモロプスはカリコテリウムに比べて首が長く、オカピに似た体型であった。歩く際は鉤爪を地面に触れない様にしていたのであろうが、ナックルウォーキングをしていた訳ではないらしい。

 マクラウケニア
 マクラウケニア (Macrauchenia)は、新生代中新世末期から更新世末期の700万年前〜2万年前の南アメリカに生息した哺乳類の絶滅した属。滑距目・マクラウケニア科。学名は大きな(あるいは長い)ラマの意。命名者はリチャード・オーウェンであるが、発見者は若き日のチャールズ・ダーウィンであった。骨格はややラクダに似るが遠縁。南アメリカ独特の有蹄哺乳類で、最後まで生き残ったものの1つ。

 体長約3mとラクダほどの大きさ。比較的小さな頭部や長い首など、骨格もラクダに似た特徴を持つ。そのためダーウィンも当初はグアナコの祖先と考えた。しかし脚先には趾が三つあり、これはバクなど奇蹄目に似る。また、頭部は鼻孔の位置が背側に寄り、眉間の頭骨上部に存在するという特徴は、ゾウ程ではないにせよある程度長い鼻を持っていた可能性を示唆する。

 デスモスチルス
 デスモスチルス(Desmostylus)は、中新世中期から後期にかけて生息した半海生の哺乳類。束柱目・デスモスチルス科。その歯の特徴から、ギリシア語で「束ねられた(デスモス)柱(スティルス)」を意味している学名を与えられた。束柱目の名もここからきている。

 かつては束柱獣(たばはじゅう)とも呼ばれた。目の名の元となった生物であるが、進化過程としては最後期に現れた属である。体長約1.80m、体重は約200kgと推定される。ずんぐりとした体躯と頑丈な四肢を持っており、頭部はやや細長く、上部に鼻孔、眼、耳が並ぶ。

 その姿はカバに似るが、同様に半水性であったと考えられる。ただし、四肢はやや外に張り出している上、前腕の尺骨と橈骨が癒合して前肢端の向きを変える事が出来ないなど、陸上での動きは鈍重であったと思われる。

 ティラコスミルス
 ティラコスミルス (Thylacosmilus) は新生代中新世後期から鮮新世後期の約700万年前〜300万年前の南アメリカに生息した肉食有袋類。哺乳綱・有袋上目・ティラコスミルス科(ボルヒエナ科とされることもある)。学名は「ポケットナイフ」の意。スミロドンら剣歯虎に酷似し、同様に長大なサーベル牙を持つ。

 全長約1.2m〜1.7m、頭骨長約20〜23cm。上顎にはサーベル状、下顎には釘状の犬歯を持つ。この特徴はスミロドンに似た特徴である。同様にこの牙を獲物に打ち込むために顎は120度まで大きく開き、頸椎には筋肉の付着点が発達していた。また、獲物を押さえるための前肢も強力である。しかし最大の相違点は、この牙が一生伸び続ける無根歯だという事である。また、下顎には切歯を持っていない。顎先近くの下顎骨が下方に伸び、サーベル犬歯を保護する「鞘」の様になっていた。この「鞘」はスミロドンには存在しないが、それ以前のマカイロドゥスは持っていた。

 デイノテリウム
 デイノテリウム (Deinotherium) は新生代中新世中期から更新世前期にかけての約2,400万 - 約100万年前に生息した、絶滅したゾウの属。哺乳綱 - アフリカ獣上目 - ゾウ目 - デイノテリウム科に属する。下顎から下方に向かって生えた牙が特徴の一つ。「ディノテリウム」あるいは「ダイノテリウム」と呼ばれる事もあるが、正しい呼称ではない。

 初期の種は比較的小型であったが時代とともに大型化し、肩高は最大種 D. giganteum で約4m、体長は約5mに達した。既知のゾウ目では最大級、陸生哺乳類でもインドリコテリウム(パラケラテリウム)に次ぐ大きさとなる。しかし、形態自体はデイノテリウム属の歴史を通じて変化は無かった。最大の特徴は下向きやや内側に向かって生えた一対の下顎切歯であるが、これは現生のゾウの様な柔らかい象牙質ではなく硬い材質であった。

 

参考HP Wikipedia「アエピカメルス 」「シンテトケラス」「モロプス」「マクラウケニア」「デスモスチルス」「ティラコスミルス」「デイノテリウム」 

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180万年から260万年前へ!書き換えられる「第四紀」とは何か?

2010年01月22日 | 古生物
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 ラミダス猿人
 昨年、話題になった科学ニュースの中に「ラミダス猿人の復元」がある。「ラミダス猿人は」東京大総合研究博物館の諏訪元教授らの研究グループが、約440万年前の人類、アルディピテクス・ラミダス(ラミダス猿人)の化石から全身像を復元することに成功し、生活の様子が明確になった。この人類は二足歩行をしていたらしい。

 米科学誌サイエンスは、2009年の科学10大ニュースの第1に「アフリカ東部エチオピアで発見された約440万年前のラミダス猿人(初期人類)化石」を選んだ。

 化石は、「アルディピテクス・ラミダス」という種類の人類で「アルディ」と名づけられた。身長1メートル20の女性で、全身骨格としては最古。サイエンス誌は「化石が発見されたのは1994年だが、47人の研究者が10年以上かけて詳細に分析した」とねばり強い研究を評価した。

 最初に発見されたのは、歯だけだったそうだ。その後に発見された骨格も、一部分だけで、これから10年もかけて全身を復元したのは、すばらしいのひと言に尽きる。

 これまで全身に近い人類骨格は、「ルーシー」の愛称を持つ約320万年前のアウストラロピテクスのものが最古だった。ラミダス猿人より古い人類化石には、チャドで見つかったサヘラントロプス・チャデンシス(約700万年前)、ケニアで見つかったオロリン・ツゲネンシス(約600万年前)などがあるが、化石が部分的で姿や生活についてはよくわかっていない。
 
 人類とは何か?
 ところで人類の祖先として、時代によって猿人、とか旧人、原人、新人とか言った言葉をよく聞くが、人類というとどの時代のものを言うのだろうか?

 人類とは生物の中で直立二足歩行が可能な存在。人類の進化は、アウストラロピテクスとよばれる猿人に始まった。彼らは400万~500万年前に現われ、150万年目には姿を消してしまった。アウストラロピテクスは、直立2足歩行をするようになった初めての生物であった。

 160万~150万年前には、脳が大きくなり、歯が小型になったホモ・エレクトゥスが現われた。原人ともいわれる。ホモ・エレクトゥスも、はじめはそれまでのヒトの祖先と同じくアフリカの東部と南部だけで生活をしていたが、100万年前くらいからユーラシア大陸へと移動していった。

 30万~20万年前に、ホモ・エレクトゥスはホモ・サピエンスへと進化した。旧人である。ホモ・サピエンスは“知性あるヒト”という意味で、彼らは当時のきびしい氷河期の中でも効率よく食料を獲得することができた。また人類史上初めて死者に花を添えるなどして弔う習慣ができた。

 ネアンデルタール人の謎
 ネアンデルタール人は、10万~3万5000年前頃ヨーロッパや中東の各地で暮らしていた採集狩猟民である。体つきはずんぐりとしていて身長は160cmくらい、筋肉隆々で100kgを越えていたという。また顔も低頭で大きく、あごの先端が未発達など、現生人類の祖先とみなすにはあまりにも原始的だといわれている。

 そのためネアンデルタール人は人類の進化から枝分かれをし、絶滅していった種だという説がある。実際ネアンデルタール人の姿は約3万年前、現生人類の初期の人々、クロマニヨン人と入れ替わるようにして消えてしまった。しかし、ネアンデルタール人の知力こそ現生人類より下回っていたが、脳の大きさは体力と共に現生人類を上回っていた。 

 現生人類の出現やネアンデルタール人の行き先についてはまだはっきりとはわかっていない。約2万~1万年前の氷河時代末期になると、もはや現生人類と変わりのない特徴をもった人類が世界各地にあらわれてくる。彼らはまとめて新人とよばれ、日本で言えば縄文人や弥生人である。彼らは金属を使用するようなる。

 そして約1万年前に今の私たちができる過程において欠かすことのできない出来事が起きる。農耕革命である。人々は植物を栽培し、動物を家畜化するようになる。その後、様々な文化、技術を得、産業革命などを経て今の私たちがいるのである。(出典:奇跡の星地球

 第四紀とは?
 こうしてみると、ラミダス猿人は直立歩行していたと考えられているので人類といえる。ところで人類というのは、何という時代に出現したのだろう?

 新生代・第四紀は地質時代の一つで、260万~8000年前から現在までの期間。第四紀は人類の時代という意味で決められた。したがって、古人類学の進展に伴い次々に古い原人が発見されるとともに、第四紀の始まる年代も変化している。現在ではヒト属の出現を基準とし、地質層序や気候変動を併用して決定している。

 第四紀の始まりは、従来180万年前であったが、2009年6月に国際地質科学連合 (IUGS) が再定義した公式な地質区分で、260万年前に変更されたばかり。今回のラミダス猿人の発見などで、近い将来、また新しく変更されることになるだろう。

 新しくなる「第四紀」
 日本地質学会など4団体は、地球の歴史を分ける「地質年代」のうち最も新しい「第四紀」の始まりを、260万年前とする国際定義を国内でも普及させる方針を決定した。

 地学の教科書、地質図の書き換えなどが必要となるため、22日に東京都内でシンポジウムを開き、社会的な影響、問題点を検討する。

 第四紀は、地球が寒冷化して氷河が発達した時代。過去の気候変動の解明が近年急速に進んだ結果、第四紀の起点は従来の180万年前よりも80万年も古い可能性が高くなり、昨年6月の国際地質科学連合で定義変更が採択された。

 同学会などは、国際的な基準に統一させるため、教科書などの表記で新定義を推奨していく。日本学術会議でも近く正式に決めて、周知を図るという。(2010年1月21日16時48分  読売新聞)

 

参考HP Wikipedia「ラミダス猿人」「第四紀」・人類進化年表「アルディピテクス・ラミダス

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小惑星探査機「はやぶさ」奇跡の飛行!6月ついに地球帰還!

2010年01月21日 | 宇宙
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 サンプルリターン
 「はやぶさ」は、将来の太陽系の資源利用や天体との往復飛行に必要な技術を開発し、それが実際に使えることを実証する工学技術実験衛星。特に、天体表面からの試料を地球に持ち帰る「サンプルリターン技術」を目指している。

 そのための目的は主に5つある。第1は、イオンエンジンという新しい推進機関を使って惑星間を飛行すること。第2は、自分の判断でどこにいるかを知り、自分で近づいて行ったり、姿勢を変えたりするような自律航行。第3は小惑星の試料の採取。第4は、イオンエンジンを使った飛行に、地球の重力を利用した地球スウィングバイを併用して加速すること。そして最後が、試料を積んだカプセルを地球に持ち帰ること。小惑星からサンプルを持ち帰ることは史上初の試みで、成功すれば世界的快挙となる。

 こうして最新技術を結集し、2003年5月に打ち上げられた「はやぶさ」は、約20億kmを旅した後、2005年9月に小惑星イトカワに到着し、同年11月にイトカワへの着陸に成功した。

 ところが、その後の燃料漏れなどのトラブルで出発が延期されていた。「はやぶさ」が小惑星の試料採取に成功したかどうかは、カプセルが地球にもどってくるまで分からないが、「はやぶさ」プロジェクトチームは、試料採取に成功したことを信じ、サンプルを地球に持ち帰りたいという強い信念で探査機の復旧作業を行った。

 そして2007年4月、「はやぶさ」は地球に向けてイトカワを出発。あれから3年、奇跡の飛行を続け、帰還は今年、2010年6月に予定されている。これまで「はやぶさ」にどんな困難な歴史があったのだろうか?

 奇跡の飛行「はやぶさ」帰還へ
 打ち上げ直後、四台のイオンエンジンのうち一台が不安定になり停止。その後も三基の姿勢制御装置のうち二基が故障した。

 ようやくたどり着いたイトカワでは着陸後に補助エンジンで燃料漏れ。機体の姿勢が狂って通信が途絶えた。

 通信は約七週間後に復旧し「奇跡の復活」といわれたが、このトラブルのため2007年6月だった帰還予定は3年延びた。

 復路も無事には済まなかった。通信復活の後まもなく2台目のイオンエンジンが故障。昨年11月にさらに一台。使えるのは劣化した一台だけとなった。

 このピンチも、運用チームが万一に備えて設けていた回線が救った。エンジンは「イオン源」と「中和器」が同時に動くことが必要だ。故障したエンジン二台のなかで、無事だったイオン源と中和器を遠隔操作でつないだところ、一台分の推進力が得られた。

 エンジンはその後も順調に稼働。2010年1月14日現在、地球まで約5900万キロに近づいた。ただ、残る一基の姿勢制御装置はいつ不具合が出てもおかしくない状態で予断を許さない。

 「昨年11月に再び動いた時点で帰還は五分五分とみていた。今は六割と少し高まった」と、はやぶさプロジェクト責任者の川口淳一郎・宇宙機構教授。「動いているだけでも奇跡。何とか戻ってきてほしい」

 「サンプル」ごく微量でも可能性
 「わずかかもしれないが、小惑星イトカワに降り立った時に舞い上がった砂がカプセル内に入っているはず」

 試料の処理を担当する安部正真・宇宙航空研究開発機構准教授は模擬実験などから八~九割の確率で試料が採取できているとみる。

 小惑星は地球などの惑星が誕生したころの状態をほぼ保ち、岩石の分析から太陽系形成の謎に迫れると期待される。

 はやぶさは、イトカワへの着陸時に金属弾を発射し、飛び散った岩石片をカプセルに回収する計画だった。だが、装置がうまく働かず弾は撃ち出されなかった可能性が高い。

 採取できていても、ごく微量ということは十分考えられる。だが分析技術が向上し「一ミリグラムもあれば十分調べられる」(安部准教授)という。

 宇宙機構の相模原キャンパス(神奈川県相模原市)には昨年三月、五室のクリーンルームなどからなる「惑星物質試料受け入れ設備」が完成。分析を担当する大学などの研究グループに試料を「汚さず、なくさず、分配する」ための中継施設だ。十マイクロメートル(百分の一ミリ)角の粒子もつかめるマニピュレーターを備える。

 「ようやく私たちの出番。バトンをしっかり引き継ぎたい」と安部准教授。試料開封から初期分析までの予行演習をするなどして、はやぶさ到着を待つ。

 砂漠で「鍋」を探す
 試料が入ったカプセルは直径四十センチ、重さ十七キロ。強化プラスチック製で、ふた付きの中華鍋のような形だ。地球から約十万キロの地点で機体から分離されて秒速十二キロで大気圏に突入。高度十キロでパラシュートが開き、オーストラリアの砂漠に落下する。

 カプセルが出す電波を地上四カ所のアンテナでとらえて着地点を割り出し、回収チームがヘリで駆け付ける。機体本体はカプセルに続いて大気圏で燃え尽きて役目を終える。

 昨年末には鹿児島県で気球を飛ばし、着地点割り出しの練習をした。山田哲哉・宇宙機構准教授は「かなりの精度で着地点を割り出せた。回収に不安はない」と自信を見せる。
(東京新聞 2010年1月19日)

 世界初「イオンエンジン」搭載
 「はやぶさ」の電気推進エンジン(イオンエンジン)は、マイクロ波を使ってプラズマを作るのが大きな特徴である。イオン化した推進剤のキセノンガスを、強力な電場で加速、高速で噴射させることによって推進力を得る。

 燃料と酸化剤を燃焼させる化学推進エンジンと比べると、推進力は小さいが、非常に燃費がよく長時間加速し続けることができる。また、イオンエンジンの加速電極板に、耐久性にすぐれた炭素の複合材を使用し、従来に比べて3倍ほど寿命を長くした。このイオンエンジンの実用化に成功したのは、「はやぶさ」が世界で初めてである。

 イオンエンジンは新しいシステムなので、それぞれの部品をすべて自分たちの技術で作り上げるのが大変難しい。地球と小惑星の往復には何年もかかるから、14,000時間の宇宙作動耐久性を確保するのが、「はやぶさ」用のイオンエンジンを完成させるための条件であった。

 そのために、その時間を上回る作動時間を証明する必要があり、私たちは、18,000時間の耐久試験を2回行いました。1年間は365日で約9,000時間ですから、連続して2年かかるということになる。また、耐久試験は、エンジンを真空装置に入れ、コンピュータによる完全自動運転で行われたが、この自動運転システムを作るのも苦労した。

 当然、最初からうまくいくはずがなく、コンピュータのプログラムが間違っていると途中で装置が止まってしまった。途中で止まってしまっては耐久試験にならない。最初のうちは、いつコンピュータが止まるか分からないため、何ヶ月も研究室に泊り込んだこともある。日曜でも夜中でも関係なく、装置に何か異常が見られたら電話がかかってきて、あわてて研究室に飛んで行くことも何度かあった。お正月も夏休みもなしで連続試験を実施し、最初の耐久試験を終えたのは1999年のことであった。その時が大変嬉しかったのを覚えている。(出典:JAXA 田中 均)


参考HP JAXA「はやぶさ、地球への旅へ出発~最後のチャレンジ~」 

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デボン紀後期 4足動物の足跡化石発見!最古の両生類か?

2010年01月20日 | 古生物
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 シーラカンス
 シーラカンスは古生代デボン紀(4億1600万年前から約3億6700万年前)に出現して広く世界の水域に栄えたが、約6500万年前(中生代白亜紀末)の絶滅イベント(K-T境界)を境にほとんど全ての種が絶滅した。

 長らくシーラカンス目は全て絶滅したものと考えられていたが、南アフリカにて1938年、現生種の存在が確認され、学会および世界を騒然とさせた。その後、1997年にはインドネシアでラティメリア・メナドエンシス (Latimeria menadoensis) の現生が確認されている。

 シーラカンスはその他に、胸びれに骨がある変わった特徴がある。この胸びれは肉鰭と呼ばれ、魚類が進化して陸上に上陸するため、足になる前のものだとされる。肉鰭は魚類が両生類に、進化した証拠だと考えられている。

 それでは陸上に初めて両生類が出現したのはいつごろだろうか?

 デボン紀末期に両生類出現?
 エルギネルペトン(Elginerpeton)はデボン紀末期のフラスニアン期(3億7700万年前)の地層に生息していた動物。スコットランドのエルギンという町の近くの化石産地から発見された。学名は「エルギンの這うもの」の意。

 もともとは肉鰭綱の一種として分類されていたが、1990年代はじめの Per Ahlberg による再調査によって原始的な四肢動物であることが示された。エルギネルペトンは、近縁のオブルチェヴィクティスとともに、化石で知られる四肢動物としてはもっとも古いものである。

 ティクターリク(Tiktaalik)はデボン紀後期(約3億7500万年前)に生息した絶滅肉鰭類である。四肢動物と多くの共通点を持つ。2004年にカナダのヌナブト準州エルズミーア島で保存状態のよい化石が3体発見された。

 3億8000万年前のパンデリクティスのような魚類と3億6500万年前のアカントステガやイクチオステガのような四肢動物の間を結ぶミッシングリンクであるといわれる。おそらく浅い水域で生息し、短時間ならば陸上に逃れることもできる魚食動物だったのだろう。(出典:Wikipedia)
  
 最古の四足動物?
 ところが今回、エルギネルペトンやティクターリクよりも古い時代に、すでに4足歩行する動物が見つかった。場所はポーランドの3億9500万年前の地層から、4足歩行と見られる足跡の化石が見つかった。

 過去に見つかっている4足動物の化石より1800万年さかのぼり、最古の痕跡とみられる。脊椎(せきつい)動物が水中から陸へ進出した時期が書き変わる可能性もある。同国とスウェーデンの研究チームが7日付の英科学誌ネイチャーに発表した。

 今回の化石は、ポーランド南東部の山地に露出している地層から多数見つかった。時代の目安となる微化石や地質などから、約3億9500万年前のもので、海の浅瀬(潮間帯)だったとみられる。足跡はサイズや特徴も様々で、連続した足跡は四本足で左右に体をくねらせて、はうように歩いたとみられる配置とわかった。

 四足動物は肉質のひれをもつ魚類が進化したとみられている。デボン紀(約4億1千万~3億6千万年前)に生息した4足動物が、水から陸に最初に上がったと考えられており、これまでに確認された最古の化石とされているのはスコットランドの3億7700万年前の地層からだった。

 研究グループは潮間帯への進出が上陸につながったとの仮説もたてている。

 国立科学博物館の真鍋真研究主幹は「今回の発見でこの地層の時代に4足動物がすでに多様化していた可能性が高いと推測できる。ただ、4足動物の最初の上陸がこの発見場所で起こったとは言い切れない。さらに古い地層や、すでに見つかっている他の足跡化石を精査する必要がある」と話している。(asahi.com 2010年1月7日) 
 

シーラカンス―ブラジルの魚類化石と大陸移動の証人たち
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今冬は寒い!30年ぶりの寒波をもたらした「北極振動」とは?

2010年01月19日 | 気象

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 久しぶりに10℃を越える
 厳しい寒さも一休み。関東地方は19日、冬型の気圧配置が緩んで広い範囲が高気圧に覆われた影響で、各地で気温が上昇、3月下旬並みの暖かさとなった。東京都内で気温が10度を超えたのは8日ぶり。

 気象庁によると、21日ごろまでは気温が平年を上回る日が続くが、その後は再び冬型の気圧配置が強まり寒くなるという。それにしても今年は寒い。暖かいとされるここ湘南でも、10℃を越したのは久しぶりだ。

 世界各地でも寒波が到来しており、ドイツでは大雪のため、交通網がマヒ、孤立化している村がある。また、暖かいスペインにも大雪をもたらした。フロリダでは寒さのため気絶したウミガメが、多数保護された。地球温暖化と言われるが、ここのところの寒さはどういうわけだろう? 

 30年ぶりの寒波
 気象庁は昨年12月半ばから欧州や北米、アジアなど北半球を襲っている寒波について、北極圏で寒気が蓄積と放出を繰り返す「北極振動」という現象が原因とする分析を発表した。

 ここ30年間で最も強い寒気の放出が1カ月以上続く状態で、日本にも大雪をもたらしている。寒気の放出は弱まってきているが、北極振動は予測が難しいといい、気象庁は引き続き注意を呼びかけている。

 気象庁によると、先月16日以降の最低気温は、ポーランド・ワルシャワ氷点下19.2度(平年値は氷点下5度)▽ノルウェー・オスロ同17.9度(同6.5度)▽ソウル同15.3度(同6.7度)▽ベルリン同14.4度(同1.3度)--など各地で30年に1度の異常低温となった。積雪はワシントンで41センチ、ソウルでは26センチを記録した。

 北極振動は北極圏で寒気が蓄積と放出を繰り返す現象。放出が続いているのは、北極圏の気圧が高く、中緯度帯の気圧が低い状態が維持され寒気が流れ込みやすくなっているため。寒気放出の強さは比較できる79年以降で最も顕著だという。

 北極振動のメカニズムは解明されておらず、寒気の放出が強まった原因ははっきりしない。今後について、気象庁気候情報課は「数日程度で寒気の放出は収まるとみられるが、その後再び放出される可能性もある」としている。(毎日新聞 2010年1月18日)

 北極振動とは?
 北極振動(ほっきょくしんどう、Arctic Oscillation:AO)とは北極と北半球中緯度地域の気圧が逆の傾向で変動する現象のことである。

 1998年にデヴィッド・トンプソン(David W. J. Thompson)とジョン・ウォーレス(John M. Wallace)によって提唱された。彼らは北半球の海面気圧の月平均の平年からの偏差を主成分分析して、第1主成分としてこのような変動が取り出されることを提唱した。

 この変動は冬季に顕著に現れ、日本など中緯度の気候と強く関連するため赤道側のエルニーニョ現象と並び近年注目されている。南半球においても南極と南半球中緯度の気圧が逆の傾向で変動する現象が見つかっている(南極振動(AAO))。

 北極の気圧が平年よりも高いときには中緯度の気圧は平年よりも低くなる。主成分分析の結果得られるこの偏差の程度を表す値を北極振動指数という。

 北極振動指数が正の時、北極の気圧が平年よりも低いことを表す。変動は複雑で数週間程度から数十年程度までのさまざまな周期を持つ変動が重なっていると考えられている。特に6~15年程度の周期の変動が顕著で準十年変動と呼ばれている。

 北極振動発見以前から知られている北大西洋振動(NAO)と北極振動の指数の符号は良く一致しているため、同一の現象(AO/NAO)として扱う場合もある。また、環状構造に注目して北半球環状モード(NAM)と呼ばれることもある。なおこの現象は地上付近だけでなく、成層圏にまで及ぶ大規模な現象である。

 北極振動の影響
 北極振動指数が正の時は北極と中緯度の気圧差が大きくなり、その結果極を取り巻く寒帯ジェット気流(極渦)が強くなる。この結果、極からの寒気の南下が抑えられユーラシア大陸北部、アメリカ大陸北部を中心に平年より気温が高めとなる傾向があり日本でも暖冬となる。

 逆に北極振動指数が負の時はジェット気流が弱くなるため極からの寒気の南下が活発となり、平年より気温が低めとなる。特に北極振動指数が負を示した2005年冬(同年12月~2006年2月)は日本でも寒冬となり、日本海側に記録的豪雪をもたらした平成18年豪雪の原因になったとされている。

 このように北極振動は北半球の冬季の気候に大きな影響を持っていると考えられている。また冬の気温の変化によって海氷や積雪の量が変化することにより中緯度の夏季の低気圧や高気圧の消長に影響し、夏季の気候にも影響を与えていることも指摘されている。日本付近では前の冬に北極振動指数が正であるとオホーツク海高気圧の勢力が増し、冷夏になるとされている。

 北極振動の原因
 北極振動より以前から知られている南方振動が海面水温の変動であるエルニーニョ現象と強く関連しているのに対して、北極振動への海面水温の影響は今のところはっきりしていない。

 しかし大気内部の現象は通常、数ヶ月程度しか続かないため準十年振動のような長期の変動は大気内部だけの現象とは考えにくく海洋の影響はあるものと考えられている。北極振動が始まる原因は現時点でははっきりしておらず北極振動自体も一つの物理的な現象なのか、NAOや太平洋・北米パターン(PNA)など複数の振動が重なりあって統計的に取り出された見かけ上のものなのかについても研究途上である。

 北極振動が変化する要因の1つとして太陽活動との関連が知られる。また、太陽活動は成層圏準2年周期振動(QBO:quasi-biennial oscillation)との関連も指摘されている。これら太陽活動と気候変動の関係を調べる研究は徐々に認知されてきており、北極振動における励起因子の解明の鍵となる可能性もある。

 1980年ごろから北極振動指数は正の値を示すことが多くなっているが、これについては地球温暖化との関連が考えられている。(出典:Wikipedia)

 

異常気象の正体
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異常気象―地球温暖化と暴風雨のメカニズム
マーク マスリン,三上 岳彦
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姿を消す「ササニシキ」、遺伝子組換えで注目される「サプリ米」

2010年01月18日 | テクノロジー
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 米の種類といえば何だろう?
 2005年の作付け面積の順に、コシヒカリ、ひとめぼれ、ヒノヒカリ、あきたこまち、キヌヒカリ、きらら397、はえぬき、ほしのゆめ、つがるロマン、ななつぼしなどがある。有名なササニシキは、どうしたのだろうか?

 ササニシキは1963年に誕生した。コシヒカリと比較すると、あまり粘らないあっさりした食感で、冷えても食味が落ちにくいのが特徴。寿司米に適し、寿司店によってはササニシキ使用をセールスポイントにしている。弁当などに使用する米としても最適である。

 かつてはコシヒカリとともに両横綱と呼ばれた人気品種で、1990年には207,438haに作付けされ、ピークに達した。しかし耐倒伏性、いもち病抵抗性に弱く、気象被害も受けやすいという短所があり、1993年の冷害では大きな被害を出した。その後冷害に強いひとめぼれの作付けが広まり、ササニシキは作付けを大幅に減らしつつ現在に至っている。

 このように日本では、品種改良を重ね、冷害や病気に強く、しかも美味しい米を作り出してきた。

 付加価値の高いサプリ米?の開発
 最近は科学技術の発展により、さらに付加価値を加えた米が誕生している。例えば「ワクチン米」。米にコレラ菌の毒素をつくる、遺伝子の一部を組み込んだ。この米を食べると、病気に強くなることが、マウス実験では確認されている。

 例えば「ダイエット米」。消化されにくいでんぷんを多く含む米で、食べても糖質の3割が消化されないため、ダイエット効果が期待されるという。
 
 例えば「鉄分強化米」。鉄分を通常の3倍含み、貧血の改善に効果が期待される米が開発され、マウス実験では効果が確認されている。

 これらの、付加価値の高い米の開発は、積極的に遺伝子を変える「遺伝子組換え技術」を使ってつくられたものが多い。これからは、おいしくて丈夫な米に加えて、様々な健康効果のあるサプリメントのような米、「サプリ米」?が選択できる時代がくるのかもしれない。
 
 「コレラワクチン」米
 東京大学医学研究所の清野宏教授らの研究グループは、コレラ菌の毒素の一部をつくる遺伝子をイネに組み込む事で「ワクチン入りの米」を開発。この米を粉末にして与えたマウスをコレラ菌に感染させても下痢などの症状が出ず、ワクチンとして機能する事を確認した。

 コレラ菌に感染すると2度目以降は発症し難くなる事から、コレラ菌の遺伝子の一部を組み込んだコメを食べる事で予め免疫を獲得する事を目指したもので、米国科学アカデミー紀要で発表される。なお、組み込む遺伝子を変更する事で他の感染症にも対応出来る上にコメは常温での保存が可能な事から、途上国での感染症阻止が期待出来るそうだ。(毎日新聞 2007.6.13)

 「糖質オフ」米
 ダイエット効果が期待される超硬質米 九州大農学部の佐藤光教授(遺伝子資源開発学)の研究グループは、消化されにくいでんぷんを多く含む新品種米「超硬質米」を開発した。

 食べても糖質の3割が消化されないため、ダイエット効果が期待されるという。同大や新潟大など九つの研究機関や企業が「糖質オフ」のうどんやパスタ、パンなどの材料として商品開発を進めている。

 米の品種改良に取り組んでいる佐藤教授が、従来品種の「金南風(きんまぜ)」を改良する過程で生まれた。

 粒の大きさは金南風の8割前後とやや小ぶりで、重さは60~65%しかない。炊いても粘りが弱く硬いため、おいしく食べることができなかった。新潟大農学部の大坪研一教授(食品製造学)らと米の成分を分析したところ、一般の米には1%程度しか含まれていない消化されにくいでんぷん「レジスタントスターチ」が、30%も含まれているのが原因とわかった。

 一般の米と同じ量を食べても、消化される糖質は7割程度にとどまるため、大坪教授がダイエット効果に着目。米飯が無理でも、米粉にすることで、めんやパンなどの素材に利用できるのではないかと考えた。

 マウスにこの米粉を与えると、血糖値の上昇を抑える働きや、血中脂質を低下させる効果があることも明らかになっているという。こうした効果についても、さらに研究を進めている。

 実用化のためには、安定的に収穫できる栽培方法の確立が課題で、両大や福岡県農業総合試験場(福岡県筑紫野市)などの研究機関が試験栽培を続けている。

 一方、鳥越製粉(福岡市)などの企業は、米の粉砕方法や米粉に適したパンやめんの商品化に取り組んでいる。

 佐藤教授は「消化される糖質が少ないため、これまでと同じ量のめんやパンを食べても太りにくい。肥満や糖尿病が気になる人にお勧めで、ダイエットや健康食品の素材として期待できる」と話している。(2010年1月4日16時49分  読売新聞)

 「鉄分強化」米
 鉄分を通常の3倍含み、貧血の改善に効果が期待されるコメの開発に、東京大学の西沢直子・特任教授ら日韓欧のチームが成功し、発表した。 貧血のマウスにこのコメを与えたところ、症状が改善した。

 西沢教授らは、植物の体内で鉄を運ぶアミノ酸の「ニコチアナミン」に着目。遺伝子組み換え技術を使い、このアミノ酸をたくさん作るコメを開発した。ニコチアナミンは、土壌から鉄を吸収するのに必要な物質にも変換されるため、鉄の吸収力が高まり、運搬能力の向上と合わせて白米の鉄の含有量が3倍に増えた。コメの鉄分は、通常より人間などが吸収しやすい状態になっていた。

 鉄分は生物にとって必須の栄養素で、成長期には特に欠乏症になりやすい。発展途上国を中心に世界の人口の約半数、日本でも女性の約2割が、鉄不足による貧血に悩まされている。

 西沢教授は「途上国向けのコメ開発に取り組む国際稲研究所などと協力して実用化を進めたい。小麦や野菜も、同じ技術で鉄分を高めることができる」と話している。 (2010年1月14日 読売新聞)


参考HP Wikipedia「米」「ササニシキ」「イネ」
 

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