臓器移植法の問題点
3月28日NHKスペシャル「人体製造」は衝撃であった。夢だと思われた“拒否反応”のない「臓器移植」が安全に、必要に応じていつでも可能になったといっても過言ではないからである。
2009年の「臓器移植法」の改正で「脳死は人の死」とされた。また、臓器提供にはドナーカードによる意思表示が必要であったが、本人の同意がなくても、家族の同意があれば臓器提供できることになった。また、15最未満の子供の臓器提供は禁止されていたが、改正後は年齢制限はなく、生まれて間もない乳幼児も臓器提供が可能になった。
この改正により臓器移植の可能性が増えて良かったように思える。しかし、「脳死」の判定が医師にまかされることになったが、医師が何をもって脳死とするかはっきりしていないこと、また「脳死」=「人の死」であることは、科学的に証明されていないこと(法律で決められたに過ぎない)、そして、他人の臓器である以上どうしても拒否反応は避けられないということなど問題があった。
今回のNHKの「人体製造」で紹介された、「臓器移植」ならこれらの問題はすべて解決できると思った。なぜなら、他人の細胞ではなく自分の皮下組織にある幹細胞を使って、必要な場所へ移植したり、ブタに注入して自分の臓器をつくらせることも可能になったからだ。
救世主兄弟
そして、もうひとつ衝撃的な臓器移植の方法として紹介されたのが「救世主兄弟」である。
米国ニュージャージー州ロングアイランドに住む、トレビング夫妻の娘ケイティは生まれつき赤血球がうまくできない遺伝病“ダイアモンドブラックファン貧血”であった。このため、彼女は定期的に輸血を受け続けていた。医師はこのままでは死は免れないとしていた。
生存のためには白血球の血液型“HLA”の合う幹細胞を移植する必要があった。しかし、同じ血液型を持つ人は数万人に1人。見つけるのは至難なことであった。同じ兄弟であれば1/4の確立で血液型が一致する。しかし、ケイティの兄はあいにく違う血液型である。
ここで医者は1つの提案をする。もし、HLAの一致する兄弟を出産すれば、その子から骨髄液を採取して、ケイティに移植することができる。トレビング夫妻は喜んで出産を決意した。どうやって1/4の確立でHLAの一致する、兄弟を出産できるのであろうか?
実は体外受精で受精卵を複数つくり、その中でHLAの合う受精卵を選んで着床させたのだ。受精卵は8細胞期の時1つだけ細胞を取ってHLAを調べた。残った7つの細胞で胎児が育つことは分かっている。23個の受精卵のうち2個のHLAが一致した。
こうして兄弟を救う目的で生まれる兄弟を「救世主兄弟」と呼ぶ。ケイティを救うために生まれてきた弟のクリストイファーは1歳の時、骨髄の造血幹細胞を採取され、ケイティに移植された。それから数年後、クリストファーもケイティも健康で、互いによかったと言っている。現在「救世主兄弟」は世界中で200例以上もつくられていて、珍しいことではない。
救世主兄弟の問題点
これはこれで“Happy End”ではある。しかし、ことはそれほど単純ではない。これからケイティとクリストファーは生涯、血液だけでなくすべての臓器が互いに移植できる関係にある。そしてそれが、偶然ではなく両親の意志でそうなったことに問題がある。
大人であれば「臓器移植」の意志があるかないか、本人が決めることができるが、クリストファーに選択の余地はなかった。
この点について英国議会は4年も議論を続けて結論を出した。「救世主兄弟は血液の病気目的でのみつくってよい、しかし臓器移植の目的でつくってはならない」。米国では自主規制という立場。「まさか臓器目的で兄弟をつくりはしないだろう」というニュアンス。そこには、法律以外の規制である、キリスト教の宗教観が伺える。
しかし、医師側の立場ではどうだろうか?これまで救世主兄弟を103人つくってきた、米国デトロイトのマーク・フューズ医師はこう語った。「はじめはとんでもないことだと思ったが、医療とはもともと生活をよりよくするためのもの、人の生命を救うためならば抵抗はない」という。それが医師の務めでもある。
一方、英国では最近になって女性の幹細胞から精子を分化させることに成功した報告があがっている。これは、女性同士の間に子供がつくれることを意味する。
クローン人間について規制のない中南米の国で、米国から移住したザボス医師はいう「卵子や精子のできない人のためにクローン人間を出生させることに抵抗はない」と...。これらの国々では、いずれ法律による規制や宗教による規制がはたらくことは予想できる。
価値基準のない不透明な日本
日本では、こういった議論は未だなされていない。私はこの番組を見てクリストファーに現代の日本が写して見えた。クリストファーが自己の意志で移植したのではないように、戦後の日本は米国を中心とする連合国側によってつくられた憲法により、軍隊を放棄させられる状態が65年も続いた。
それでいて世界的に見て自衛隊という立派な軍備をもっている。これが本当に自分の意志でつくったのなら立派だが、クリストファーのように選択の余地はなかったようだ。
クリストファーはいつになれば、自分の意志を示せるのであろうか?クリストファーは一生、意志を示してはいけないのだろうか?それは人と呼べるのであろうか?
それと同じように、米軍の基地問題にしても、自分の意志を示せない日本は独立した国と言えるのだろうか?私には同じ問題に思える。
「憲法を改正し、自分の国は自分で守るから米軍はいらない」といえばそれですむのに、今の民主党政権は国内の意見をまとめられず、赤子のようにいやだからいやだと“駄々”を捏ねている。そう思うのは私だけであろうか?
参考HP NHKスペシャル「人体製造」
脳死・臓器移植の本当の話 (PHP新書) 小松 美彦 PHP研究所 このアイテムの詳細を見る |
臆病国家日本が、世界の救世主になる日 ベンジャミン フルフォード,浅井 隆 あうん このアイテムの詳細を見る |