きょうも寒い。でも、雪は降らなかったと思う。
朝起きたらめっちゃいい天気。
車乗ったら暑いくらいだし、日なたに止めても暑い。
なのに一歩外に出ると寒い。
なんだろうな、こういう感じ。
お店の人に顔を覚えられるのが苦手。
「いつものでいいかな」とか言われるとしばらく行けなくなる。
粗相、というかドジっ子ぶりを発揮してしまうともっと気まずい。
逆の立場から考えると、そんなに気にする必要ないと思うし、
もっとめんどくさいお客さんは死ぬほどいると思うから、
ぜんぜん大丈夫だと思うんだけど、やっぱり気にする。
まあでも、気にしすぎてたら行ける店なくなっちゃうし…
通販も続けて頼みすぎたら、またかって思われそう。
これは確実に思う。
配達の仕事してたことあるからわかる。
でも、いやな客じゃなければ気にはしないのもわかる。
いいお客さんなら、うれしいくらい。
そうか、ということは、声をかけてくれるっていうのは、
相手からすればいいお客さんってことなのかな。
まあ、そういうこーとーにしておーけばー、これーかーら先もーいい感じ。
とはいっても、恥ずかしいことをしてしまうとよけいに恥ずかしいような気もする。
つくづく、こういうめんどくさい自分がいやだ。
「Jフットニスタ」やっぱりアキナだった。
ルヴァンのダイジェストが見たかったんだけど…
ガンバのは見た。
さらっとしか放送してなかったけど、
キーパーとは離れてるし、DFも近くにはいない。
あれでも”関与”してるってことになるんだろうかな。
VARというか、チャレンジ制度がほしいなあ。
「100分de名著」見た。
我田引水っていうか、趣旨に合わないものを切り捨てていくと、
それはどういう風にも都合よく解釈できるよね、っていう…
そもそも”ポスト全体主義”という定義がまだよくわからないし、
それが「個人」とか「生」というものとの二択になっていることもわからない。
芸術や音楽が、前‐政治というのも…
どういう表現をしても、それを政治に結び付けることはできるのではないのかな。
「並行構造」についても。
国や自治体に頼らないで行動はできるし、第3の場所も作れる。
ここでなんで「表現の不自由」の問題を出さないんだろう。
国や自治体に頼らなくても、表現はできるはず。
そして、NPOだとしても、あえて国や自治体を敵に回す必要もない。
使えるものは使えばいいし、動かせるものは動かせばいい。
味方につけられるならつけるにこしたことはない。
取り込まれないように気を付ける必要はあるけれど。
体制=敵って短絡してしまうのがそもそも間違いでは。
ひとりひとりでは弱くて立ち向かえないような状況のときに、
生き物は群れを作って集団で立ち向かう。
集団には秩序は必要だし、組織化することも必要になってくる。
組織化するといろんな問題点も出てくる。
だからといって、全否定してなにもかもぶち壊してしまうと、
また弱者が危険にさらされることになりはしないのか。
ゼロか百か、〇か×か、二択を強制するのではなくて、
大事なのはバランスなのでは。
「西側社会」とことわっているのもよくわからない。
ひとつひとつの消費行動において責任が伴うっていうのは、
どこでも同じことだし、
自分が何がほしいのかわからない、というのもただ個人の問題。
西側、東側とか関係ない気がする。
そして「責任を取らない匿名の権力者たち」と聞いて、
頭に思い浮かぶのは、ふつうは官僚なような。
そういう「権力の技術者」への反発が、
民主党政権時代の「脱官僚」だったり、小泉内閣の「郵政民営化」だったり、
今のアメリカの反知性主義からくる、ワシントンの政治家への不信。
ヒラリーさんやバイデンさんの不人気。
トランプさんやサンダースさんの台頭なのではないかな。
最後のほうの「全体主義の根源は西側社会にある」みたいなのは、
まったく意味がわからなかった。
共産主義を掲げていた東側こそ、まさに”ポスト全体主義”に陥っていたのだし、
そして「個人の生」を封殺し多様性を消し去り自由を押し殺していた、
そのものこそが、共産主義だったのではないのかな。
共産主義を”ポスト全体主義”と言い換えてるように感じる、というのも、
なにか意味があったりするのか勘ぐってしまうけれど…
「誤解を与えたのならば謝りたい」は方便として必要な時はあるのでは。
さんざん誤解を与えて風評被害をまき散らしておいても、
絶対に謝らない人たちよりははるかにましに思える。