雨風が過ぎたら寒くなった。
また冬に戻ってしまった。
鍋でもしたいとこだけど…
そうだ「雨雲の動き」もなくなるらしい。
これがいちばん便利だったのになあ。
「ラジオ番組表」といい、
便利なものからなくなっていく。
さすがにきのうは疲れたみたいでよく寝られたみたい。
でも、まだ寝不足な感じ。
方向音痴の自覚はなかったけど、
言われてみれば思いあたるふしがありすぎて困る。
行きと帰りで見える景色が違うと戻れなくなるのは、
自分だけじゃなくてよかった。
あと、建物の中に入ると確実に迷子になる。
部屋に入った瞬間に出口はわからなくなるし、
トイレに行ったらもう元の部屋には戻れない。
自信満々で逆の方向に進みだす。
対策方法はないことに気づいた。
初めて行く場所は増やさないし、
もしそうなった場合は下見に行く。
下見ができないときは、ストリートビュー。
”リベラル”界隈の方って、
メディアに出てるときはすごく紳士風に見えるのに、
SNSではものすごく品がなくなってしまう人が多い印象がある。
保守的な人はよくも悪くもどっちも印象変わらないのに。
「100分de名著」を見た。
先月が予想以上に大当たりでもったいなくて、
第3回から見られてないくらいなんだけど、
今月は…
物理を究めることと俳句を詠むことが、
なぜ矛盾してると思うんだろう?
”細工”という言い回しは、
「科学を振りかざす」とか「お気持ち重視」な感じと、
つながっているように感じるし、
「個人から共同体へ被害が広がる」のも当たり前なような。
持続可能っていうのもよく言われているけれど、
太陽光も風力も持続どころか、
いまのところ、必要な電力をまかなうことすらできてないのに、
どうしろっていうんだろうかな。
ひとりひとりのムダをなくすことはもちろん大切だけど、
ほんとに必要なところへ電気をいきわたらせなければいけないというときには、
そんなことはなんの意味もなかったりするし。
そうしたい人たちがまず電気を使わないで、
原始の生活にまず戻ってみれば?って言いたいところだけど、
そもそも原始の生活が持続可能な生活なんだかどうだか。
一万三千五百五日。
37年前のことを忘れてしまうどころか、
たった10年ほど前のことを振り返ることも、
反省することもしないような人たちを、
信じる気持ちにはなれないし、
失言や切り取りで不信感をあおって、
そういう空気を作り出せた成功体験を忘れられない人たちへの、
警戒感は絶対に失ってはいけないと思う。
日本人はもともと自然と上手につきあってきたはずだし、
自然を御せるとは考えてこなかったはず。
むしろそう考えるようになってしまったのは、
欧米からの考え方が入ってきたからなのでは。
そういう外圧に押されるのではなく、
日本ならではの自然との向き合い方というのを、
考えていくべきだと思う。