昭和40年代後半、阪神が冷房化を勧めてた頃、尼崎の工場で改造した車両を試運転で本線走行させ主要駅に停車させて宣伝してました。 改造してピカピカになった冷房車を作業服の職員が「涼しいですよ、入ってみてください。」と「試運転」の車両のなかに入れてもらったことがあります。 中は涼しく、当時「家庭用の冷房」と言えば個人事業主か医者の家とかの裕福な家以外は無縁の製品でした。 母の実家も仕事場にしかなく、祖父母も冷房のない部屋が寝室でした。 「涼しい電車」はまもなく運転を開始し、数年後には阪神は冷房化率100%になります。
その面影が「片開きドァの冷房車」でしたが、武庫川線の2両編成が3本の6両が最後なので見に行きましたが、、、


見られず、諦めて三ノ宮に向かいました。 KOKに寄り「明日は運用につくかも」と話をして、宿泊地に向かいます。 かなり歩いたので天然温泉で疲れをほぐします。 子供の頃の思い出と共に神戸の夜は更けていきます。
その面影が「片開きドァの冷房車」でしたが、武庫川線の2両編成が3本の6両が最後なので見に行きましたが、、、


見られず、諦めて三ノ宮に向かいました。 KOKに寄り「明日は運用につくかも」と話をして、宿泊地に向かいます。 かなり歩いたので天然温泉で疲れをほぐします。 子供の頃の思い出と共に神戸の夜は更けていきます。