
「とれいん」の1988年10月号に掲載された写真です。 36年前の今日の撮影です。 その頃は真鍮キットでリブをどう表現するか、それとも中村精密がナハ10の試作型を製品化してたので期待していました。 この他にも出雲客貨車区所属のオハネフ12は全て撮影しましたが、後に自分の写真がTOMIXに渡り製品化されました。 一番最初の製品はこの写真のように汚物処理装置がついています。 その理由は宮原からの転属で「きたぐに」で運用され北陸トンネルを通過するからです。
「きたぐに」と北陸トンネルは昭和47年の火災事故ですが、この事故で14系寝台が24系に設計変更されました。 当時のカツミの広告でそれを知ることになります。 この事故で指導機関士が殉職されましたが、戦前に祖母の弟も吹田機関区の機関士で殉職しています。


その14系寝台、スハネフ14に防火対策工事をするのでスハフ14がつながれています。 当時の時刻表では「乗車できません。」とあり「電源車」の役割でした。 皮肉なことにこの「いずも」は旧「いなば」で今の「サンライズ出雲」です。 少し前に「紀伊」が廃止されこのまま東京に行くことになります。
36年前の写真を出して「国鉄時代」に戻れた日でした。