とら箱

後期高齢者で元気な父と暮らしてます。 自分も還暦を迎えました

南武線が国鉄だった頃

2021-10-24 18:00:00 | 電車・気動車

 南武線沿線に住み着いたのが旧型国電がなくなり、101系と103系が走ってました。 昭和57年ごろの「とれいん」で日光モデルの主人が旧型国電の記事を投稿され、関東地区にクモハ73-600なる逆向きのクモハ73、連結方にパンタグラフを搭載したタイプが南武線や横浜線に配置されていましたが見る機会がありませんでした。

 国鉄末期でしたので、当時の新聞の地元の記事で南武線の車両は全て寄せ集めで「修理技術は一級」とか南武線は「電車の墓場」と言われてたそうです。 それも黄色とオレンジの電車が混じり、当時の総武線各駅停車も似たような感じでしたが、クモハが中間に入り中間車と顔を合わせ「通り抜けできません」と張り紙が貼って会って、好きな路線でした。 中原電車区に試作車を見に行ったこともありました。

「オレンジ色の電車」は関西に住んでた子供の頃、157系電車と20系客車に並ぶ「東京にばかりいるええ車両」でした。 その頃、東海道緩行線は旧型国電で「バ〇色の電車」と呼んでました。 日光モデルの主人に申し訳なく思います。 当時、環状線の101系はたまにしか見ることができず、103系も東海道緩行線に進出したばかりでした。 阪神・阪急沿線に住んでると国鉄は本当に疎くなり、図鑑や絵本で見るだけでたまに神戸に買い物に行って三ノ宮駅で見るだけでした。

 101系の終焉の地と言われた南武線ですが、混色編成の「東京にばかりいるええ車両」が最後の奮闘をして愛着を持ってました。 さて画像のクモハ101を整備しましょう。
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