
117系がデビューしたころ、関西圏ではこれまで新快速に充当されてた153系が湘南色に戻され混結で編成されてました。 自分が好きなのは非冷房の153系の新快速色ですが、これはかなり前の昭和47年のことですがもう半世紀も前です。 その頃「学生街の喫茶店」という曲や「いちご白書をもう一度」では「授業を抜け出して」という歌詞から「大学生って勉強しないのかな」やと思ってました。 昭和時代の神保町界隈はそんな雰囲気の喫茶店がありましたが、今はチェーン店ばかりですし、鉄道書の古書店も少なくなりました。
話が横道にそれましたが117系がデビューしたころ、関西の東海道緩行線からひっそりとグリーン車が姿を消しました。 図鑑や「陸蒸気からひかりまで」で見たサロ153-900を改造したサロ111-900やサロ165を改造したサロ112など個性的な車両でした。 その頃、和歌山に住んでましたが阪和線の113系に湘南色のユニットが入ってたので関西圏ではグリーン車の廃止に伴い、車両の移動がありました。
117系はマッハ模型に行ったときに初めてみましたが「阪急2800やな」と思いました。 当時、6300系がデビューし2800系が格下げ3扉改造されてましたが、自分は阪急京都線の特急は2800系の印象が強いです。
画像はさらに時が進み国鉄末期の千葉で見た阪和色のクハ111です。 思えば55-10改正が国鉄で初めての減量改正、そして59-2の貨物輸送改革、そして民営化と117系は歴史の変化の中を走り続けたことになるでしょう。