ラッキーあぐら

幸運の上にあぐらをかく状態

努力している事

2008-06-01 22:11:51 | 日記・エッセイ・コラム

今日は朝早起きをして本を読んだが、中途半端に眠くなるので
Gyaoで『真・雀鬼11』を観た。
観始めたのは9時10分前であった。1時間25分位の作品だ。
中野富士見町10時41分発の電車に乗る用事があったので
丁度よい時間くらいに観終わると思っていた。
で、観終わって時計を見たら10時26分。
計算が合わない理由はGyaoも一応CMを流している。
1時間25分というのは映画そのものの長さだったのだ。
慌てふためく事になった。
人生の縮図を見るような思いである。
昔から言うではないか『油断大敵』。まったくそのとおりである。
そういう時に限って物が見えなくなってくるものだ。
目的地までの路線図がちょっと前に見たのに見当たらない。
電車の中で読もうとしていた本が見当たらない。
見当たらない物を探す場合は、まず深呼吸をして
ゆっくり考えると自己暗示をかける。41分の電車に乗らなくても
どうにかなるものである。携帯電話があるじゃないか
集合地に遅れる電話を一本すれば、迷惑はかけないはずだ。
という暗示のせいか、見当たらない物は
わりと簡単に見つかった。41分にも間に合った。

遠足の日の前の晩に見る夢は必ず集合場所に遅れるというものであった。
小さな頃から、そういう性格だったのだ。
人間の性格という物は、結構幼い頃に形成されるものである。
夏休みの宿題は7月中に終らせるようなものである。
9月の新学期の頃には全てを忘れているわけである。
まったく損な性格だ。遅まきながら、治すよう努力はしている。
天然でそういう事が出来る人が実に羨ましい。
私は苦労してノンビリ屋になろうとしているのだ。この差は大きい。
家のローンを心配する事の無い、親に家を買ってもらった者と
35年間ローンを払い続ける者が、同じ価値観でいられる筈が無い。
そんな感じである。私は常に努力をしてノンビリ屋でいるのだ。