ラッキーあぐら

幸運の上にあぐらをかく状態

坐和民

2009-04-18 23:30:29 | 日記・エッセイ・コラム

『いらつくわたし』というタイトルのゴロが好きだったので
最後だけちょっこと残した。
私は意外と繊細なのだ。その辺を理解しないと自分はやっていられない。
私の右耳の下の方に瘡蓋が出来ていて、瘡蓋をとると
結構、血がふんだんに出たりする。
ティッシュは真っ赤になってゆく。耳は血が止り難いのかもしれない。

今日の麻雀の成績は営業麻雀みたかった。
前半の半チャン4回は4位3位2位1位という結果でトータルが
ぴったりのゼロだった。
実に完璧な営業麻雀である。残念なのは営業麻雀でなく真剣勝負だと
いう事である。
全自動麻雀卓のご機嫌は著しく斜めであった為、故障して
ちゃんと稗を積んでくれなかったので、手積みで今日は行う事になった。
如何に全自動が便利なものであるのか理解したわけである。
心配なのは、麻雀卓の寿命がついて、二度と全自動になってくれなく
なってしまったら、どうしよう?という事である。
右耳の瘡蓋が出来て血が止ってくれた。
これ以上、止らなかったらカヨワイ私は貧血を起こしていたかもしれない。

麻雀の後の飲み会は『坐和民赤羽店』で行ったけど
店員さんの態度は『あぁ、教育されていて、心地よいぞ』という想いである。
料理も創意工夫がされていることが判るし、甚く気に入った。
多分、スタッフの一人一人が自分のやるべき事が何であるか
お客様の目線にたってサービス、心地よい場所を考えているのだと思う。
不景気だとか言っていても、諦めるのではなく
こういう時だからこそ他店では味わえない、差別化を明確にしているのでは
ないかと思う。
何も考えていない人は、ただ、過ぎ去るのを待っているが
この不況は、何もしなければ、終ってしまう物だという事を
認識しなければならない。待っているだけで解決する事なんて
多分、何もやっていなかった人が思う事である。
もっと、いろいろな人の意見を聴く耳を持て、行こうじゃないか。
心地よいことばかり言う人の意見は聞かなくても良いかもしれない。
見るなら、自分の目で見よう、聞くなら自分の耳で聞こう。
で、考えるのなら全てを平等に考えられるような
1回、クリアボタンを押してみよう。リセットはゲームと違って出来ない
出来るのは、改めて第三者の目で道理を見る事なのだ。


悪気は無い

2009-04-18 08:41:49 | 日記・エッセイ・コラム

昨日書いた(今日の日付)は意味不明過ぎたので消した。
既読率ゼロであって欲しいものである。
まぁ、土曜日の朝から私のブログを読むような奇特な方も居ないに
違いない。内容は意味不明だし、敵を作るような書き方なので
なにか、ヴァーチャルな世界ではなく現(うつつ)な世界に
影響が出るのは面白くない。
お酒の席だからとか、酒を飲んでいたのでみたいな
言い訳はしてはいけない事である。
お酒を飲むと相手も飲んでいるので
たとえ悪気があって言った言葉でなくても
酒を飲んだ脳はあいまいな記憶喪失だ
経緯は省かれて、一言だけが記憶に残されてしまったりする事がある。
だから、大切な話し、本当に伝えたい事は飲まない時に言えば良い。

今日のこのかったるダルさは蕎麦屋の蕎麦湯割り焼酎のせいなのか
パスタ屋のワインのせいか焼き鳥屋の日本酒のせいかは判らない。
残されたダルさを味わうべき憂鬱でもある。
金曜日はあらゆる事柄が行き過ぎになるのは土曜日の前の日だからだ。
というわけで、『土曜日に出社しなければならない病』は治った。
というか、今は谷間というか台風の目というか
まぁ、早く言えば、休む事が出来る土曜日である。
こうありたいものであるけど、こうダル過ぎる結果になるほど
飲んでしまった事に反省にも似た気持ちで居る。
今日は久々の麻雀を赤羽で行う。
この気だるさを忘れるくらいなツキが来ます様に
ちょっとだけ、神様にお願いした。