「おや、今日はおふたりですか」
Cさんが女性2人連れでのご来店である。一緒の女性は初めて見る顔だ。年齢はCさんと同年配で、40代半ばと見受けられた。
「私はいつもの」
Cさんはソルティ・ドッグをオーダーすると、隣の連れの女性に向かって、
「あなたは何にする?」
「そうね、ティフィン・レモネードを頂けるかしら?」
私の方を向いてオーダーした。
ティフィンは紅茶リキュールのブランド名で、ドイツのミュンヘンにある酒造メーカーで作られている。
それを使ったカクテルのひとつが、ティフィン・レモネード。
氷を入れたグラスにティフィンを注ぎ、レモンジュースを入れてステアする。
これに炭酸を注いで再度ステアする。レモンジュースの代わりにレモンスライスを入れることもある。
紅茶の香りが爽やかなカクテルである。
紅茶リキュールのティフィン
「何年ぶりかなぁ」
Cさんが感慨深げに隣の女性に語りかける。
「Cちゃんが、旦那さんとうちに遊びに来たとき以来だから、3年ぶりかな」
「もうそんなになるのかぁ」
「ところで、ご主人はお元気?」
「宿六?元気々々。亭主元気で留守がいいって言うけど、なかなか留守しないのよねこれが」
「フフッ、相変わらずね」
「今日は、わざわざ鹿児島からご苦労さんでした」
「ううん、仕事だからね。それに明日は土曜日だし、丁度非番だったのでこれ幸いよ」
「今は生活安全課だったわよね。本部の方なの?」
「ううん、所轄の方なんだけど、本部の方が誰も手が空いていなくて、お鉢が回ってきたという次第よ」
Cさんの連れの女性も、どうやら警察関係者のようだ。Cさんは、今は地方の警察署に勤めている。一時期は生活安全課の刑事で、熊本市内で忙しい時期を過ごしていたらしい。今は内勤の仕事に変わったと言っていた。
「で、小川刑事さんはどのような御用事で熊本へ?って、言えるわけないか。」
「そうね、警察の仕事はたとえ二人きりでも、軽々しく話せないのが普通だからね。」
「じゃあ、お互いの旦那について愚痴話でもしますか」
Cさんが軽い口調で言うと、
「今日はね、捜査情報という話でもないし、どちらかというとできるだけ多くの人に聞いて貰った方がいいような話だから、Cちゃんにも聞いて欲しいの」
小川さんは、少し沈んだ調子で切り出した。
「私は向こうに行っていましょうか?」
私は遠慮した方がいいかもしれないと切り出すと、Cさんは、
「何言ってんのマスター。こんな狭い店で、あっちもこっちもないわよ。マスターに聞かれてもいいんでしょう?」
小川さんの方を向いて、Cさんが確認する。
「ええ、秘密にするような捜査情報ではないですし、むしろマスターのように交流関係が広い方には是非聞いてもらいたいくらいです。」
そう言って、小川さんは今日熊本に来た理由を話し始めた。
「3週間くらい前になるんだけど、私の所轄にあるビルから飛び降り自殺があったのよ」
「事件性でもあったの?」
Cさんが問う。
「ううん、調べたところ自殺に間違いは無いって結論に達したんだけど。身元が分からないの」
「どういうこと?」
「身元を示すものを何も持っていなかったのよ。免許証、保険証、携帯やスマホ、何にも無し。着の身着のままで、ポケットにはハンカチ1枚も無かった」
「自殺するのに、そういうことってあるかしら。普通だったら、誰か身近な人に自分のことを知らせておきたいって思うものよ」
「そうなのよねぇ。でもね、最近そういうご遺体が結構な数あるそうなの。」
私は先日録画して見たNHKの「クローズアップ現代+」を思い出して小川さんの方に顔を向けた。
「もしかして、縁切り死というのじゃありませんか?」
「あらっ、マスターはご存じなんですね。」
「ええ、先日NHKで放送したやつでしょう」
「ああ、私も見た見た。それ絡みなの、今回の出張は?」
Cさんも同じ番組を見たようだ。
以前から身元不明の遺体は全国で約2万体に上る。
最近特に増えているのが、身元につながるものを一切持たずに自殺する人たちだ。
そういった遺体の身元特定のために、警視庁の身元不明捜索チームが活動しているが、それに密着した番組だった。
ある女性の身元が分かり、その女性と一緒に暮らしていた男性には、女性が自殺する理由に思い当たることは何もないと答える。
あまりに唐突な死に呆然とする様を見て、捜査員は掛ける言葉も無い。
それでなくても、自殺で残された家族や近親者には、何故相談してくれなかったのかという思いがつきまとう。
それが、死の直前までそういう素振りもなく、別れの言葉を初め、身元の分かるものを何も残さず、唐突にいなくなられたら、身近にいた人はどうしたらいいのだろうか。
番組の中で、いろいろな考察はなされていたが、どんな理由付けをされても、残された者が救われることはないだろうというのが、私の感想だった。
「警視庁に不明遺体の身元確認専門チームがあってね、そこに鹿児島のご遺体の情報を上げたの。」
小川さんは、Cさんに顔を向けて言った。
「へぇ、警視庁にねぇ」
Cさんが感心したように言う。
「それで、向こうのデータと照合してくれて、熊本県警から出ている行方不明届の人物に、似ている人がいると連絡があったんです」
「なるほど、そういうこと。で、確認の結果はどうだったの?」
「年齢や体格、それに顔など、似ている部分はかなりあったんですが、実際に確認すると違っていたわ」
「それは残念ね。ご遺体を帰るべきところに帰してあげたいものね」
Cさんも少し悄然とした様子でソルティドッグに口を付けた。
私はその話を聞きながら、先ほどから気になっているのは何だろうと、モヤモヤとした自分の記憶を探っていたが、はっと思い出した。
「そう言えば、先日カンチャンが、自分のアパートに住む夫婦の方で、ご主人がいなくなったという話をしていたような気がするんだが、どうだったかな?」
「私も聞いたよ。確かマスターからだったじゃない。行方不明届について相談したいことがあるっていうんで、手続きのことを教えたわね」
Cさんのアドバイスをカンチャンに電話で伝えたのだった。
「で、どうだったの、カンチャンの方は?」
「まだ聞いてないんだ。電話してみようか」
「まさかと思うけど、もしかしてということもあるし、いなくなった人の詳細を聞けるかな。今すぐ確認できる?」
Cさんに催促されて、私は慌てて携帯を取り出した。
「どうやら今は仕事中みたいで、あとで掛け直すと言ってた」
カンチャンとの遣り取りのあとで、Cさんにそう告げた。
小川さんもいくぶん緊張した顔で、私たちの様子を伺っている。
何となく静かになった店の中で、私の携帯が鳴ったのは10分ほど経ったあとだった。
カンチャンの名前が表示されているのを確認してから、私は2人の方に頷いて通話ボタンを押した。
で、結果はどうだったかですって? お知りになりたければ、名も知らぬ駅に来ませんか。
フフッ。それじゃあ蛇の生殺し状態ではないかですって。確かに仰る通り。結論だけ申し上げましょう。
カンチャンの店子さんの失踪人も、鹿児島のご遺体と状況は似通っていたのですが、やはり違っていました。
詳しいことは店に来てから、カンチャンかCさんに直接お聞きになって下さい。
それにしても「縁切り死」という言葉は哀しい響きですね。
Cさんが女性2人連れでのご来店である。一緒の女性は初めて見る顔だ。年齢はCさんと同年配で、40代半ばと見受けられた。
「私はいつもの」
Cさんはソルティ・ドッグをオーダーすると、隣の連れの女性に向かって、
「あなたは何にする?」
「そうね、ティフィン・レモネードを頂けるかしら?」
私の方を向いてオーダーした。
ティフィンは紅茶リキュールのブランド名で、ドイツのミュンヘンにある酒造メーカーで作られている。
それを使ったカクテルのひとつが、ティフィン・レモネード。
氷を入れたグラスにティフィンを注ぎ、レモンジュースを入れてステアする。
これに炭酸を注いで再度ステアする。レモンジュースの代わりにレモンスライスを入れることもある。
紅茶の香りが爽やかなカクテルである。
紅茶リキュールのティフィン
「何年ぶりかなぁ」
Cさんが感慨深げに隣の女性に語りかける。
「Cちゃんが、旦那さんとうちに遊びに来たとき以来だから、3年ぶりかな」
「もうそんなになるのかぁ」
「ところで、ご主人はお元気?」
「宿六?元気々々。亭主元気で留守がいいって言うけど、なかなか留守しないのよねこれが」
「フフッ、相変わらずね」
「今日は、わざわざ鹿児島からご苦労さんでした」
「ううん、仕事だからね。それに明日は土曜日だし、丁度非番だったのでこれ幸いよ」
「今は生活安全課だったわよね。本部の方なの?」
「ううん、所轄の方なんだけど、本部の方が誰も手が空いていなくて、お鉢が回ってきたという次第よ」
Cさんの連れの女性も、どうやら警察関係者のようだ。Cさんは、今は地方の警察署に勤めている。一時期は生活安全課の刑事で、熊本市内で忙しい時期を過ごしていたらしい。今は内勤の仕事に変わったと言っていた。
「で、小川刑事さんはどのような御用事で熊本へ?って、言えるわけないか。」
「そうね、警察の仕事はたとえ二人きりでも、軽々しく話せないのが普通だからね。」
「じゃあ、お互いの旦那について愚痴話でもしますか」
Cさんが軽い口調で言うと、
「今日はね、捜査情報という話でもないし、どちらかというとできるだけ多くの人に聞いて貰った方がいいような話だから、Cちゃんにも聞いて欲しいの」
小川さんは、少し沈んだ調子で切り出した。
「私は向こうに行っていましょうか?」
私は遠慮した方がいいかもしれないと切り出すと、Cさんは、
「何言ってんのマスター。こんな狭い店で、あっちもこっちもないわよ。マスターに聞かれてもいいんでしょう?」
小川さんの方を向いて、Cさんが確認する。
「ええ、秘密にするような捜査情報ではないですし、むしろマスターのように交流関係が広い方には是非聞いてもらいたいくらいです。」
そう言って、小川さんは今日熊本に来た理由を話し始めた。
「3週間くらい前になるんだけど、私の所轄にあるビルから飛び降り自殺があったのよ」
「事件性でもあったの?」
Cさんが問う。
「ううん、調べたところ自殺に間違いは無いって結論に達したんだけど。身元が分からないの」
「どういうこと?」
「身元を示すものを何も持っていなかったのよ。免許証、保険証、携帯やスマホ、何にも無し。着の身着のままで、ポケットにはハンカチ1枚も無かった」
「自殺するのに、そういうことってあるかしら。普通だったら、誰か身近な人に自分のことを知らせておきたいって思うものよ」
「そうなのよねぇ。でもね、最近そういうご遺体が結構な数あるそうなの。」
私は先日録画して見たNHKの「クローズアップ現代+」を思い出して小川さんの方に顔を向けた。
「もしかして、縁切り死というのじゃありませんか?」
「あらっ、マスターはご存じなんですね。」
「ええ、先日NHKで放送したやつでしょう」
「ああ、私も見た見た。それ絡みなの、今回の出張は?」
Cさんも同じ番組を見たようだ。
以前から身元不明の遺体は全国で約2万体に上る。
最近特に増えているのが、身元につながるものを一切持たずに自殺する人たちだ。
そういった遺体の身元特定のために、警視庁の身元不明捜索チームが活動しているが、それに密着した番組だった。
ある女性の身元が分かり、その女性と一緒に暮らしていた男性には、女性が自殺する理由に思い当たることは何もないと答える。
あまりに唐突な死に呆然とする様を見て、捜査員は掛ける言葉も無い。
それでなくても、自殺で残された家族や近親者には、何故相談してくれなかったのかという思いがつきまとう。
それが、死の直前までそういう素振りもなく、別れの言葉を初め、身元の分かるものを何も残さず、唐突にいなくなられたら、身近にいた人はどうしたらいいのだろうか。
番組の中で、いろいろな考察はなされていたが、どんな理由付けをされても、残された者が救われることはないだろうというのが、私の感想だった。
「警視庁に不明遺体の身元確認専門チームがあってね、そこに鹿児島のご遺体の情報を上げたの。」
小川さんは、Cさんに顔を向けて言った。
「へぇ、警視庁にねぇ」
Cさんが感心したように言う。
「それで、向こうのデータと照合してくれて、熊本県警から出ている行方不明届の人物に、似ている人がいると連絡があったんです」
「なるほど、そういうこと。で、確認の結果はどうだったの?」
「年齢や体格、それに顔など、似ている部分はかなりあったんですが、実際に確認すると違っていたわ」
「それは残念ね。ご遺体を帰るべきところに帰してあげたいものね」
Cさんも少し悄然とした様子でソルティドッグに口を付けた。
私はその話を聞きながら、先ほどから気になっているのは何だろうと、モヤモヤとした自分の記憶を探っていたが、はっと思い出した。
「そう言えば、先日カンチャンが、自分のアパートに住む夫婦の方で、ご主人がいなくなったという話をしていたような気がするんだが、どうだったかな?」
「私も聞いたよ。確かマスターからだったじゃない。行方不明届について相談したいことがあるっていうんで、手続きのことを教えたわね」
Cさんのアドバイスをカンチャンに電話で伝えたのだった。
「で、どうだったの、カンチャンの方は?」
「まだ聞いてないんだ。電話してみようか」
「まさかと思うけど、もしかしてということもあるし、いなくなった人の詳細を聞けるかな。今すぐ確認できる?」
Cさんに催促されて、私は慌てて携帯を取り出した。
「どうやら今は仕事中みたいで、あとで掛け直すと言ってた」
カンチャンとの遣り取りのあとで、Cさんにそう告げた。
小川さんもいくぶん緊張した顔で、私たちの様子を伺っている。
何となく静かになった店の中で、私の携帯が鳴ったのは10分ほど経ったあとだった。
カンチャンの名前が表示されているのを確認してから、私は2人の方に頷いて通話ボタンを押した。
で、結果はどうだったかですって? お知りになりたければ、名も知らぬ駅に来ませんか。
フフッ。それじゃあ蛇の生殺し状態ではないかですって。確かに仰る通り。結論だけ申し上げましょう。
カンチャンの店子さんの失踪人も、鹿児島のご遺体と状況は似通っていたのですが、やはり違っていました。
詳しいことは店に来てから、カンチャンかCさんに直接お聞きになって下さい。
それにしても「縁切り死」という言葉は哀しい響きですね。
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