2023年1月7日(土)
#416 RCサクセション「シングル・マン」(ユニバーサル ミュージック UPCY-9146)
日本のロック・バンド、RCサクセションの3枚目のスタジオ・アルバム。76年リリース。多賀英典によるプロデュース。
RCサクセション(以下RC)は、忌野清志郎、小林和生、破廉ケンチの3人で結成された。中学の同級生だった彼らが66年に作った「ザ・クローバー」が前身で、当初はフォーク・バンドだった。
東芝音工のオーディションに合格、70年にシングル・デビュー。ホリプロに所属する。
72年の3枚目のシングル「ぼくの好きな先生」がヒット、ファースト・アルバムも出して、人気グループの仲間入りを果たす。
少し遅咲きではあったが、ようやく順調にバンド活動が展開出来ると思われていた74年、RCは思わぬつまずきを経験することになる。
当時ホリプロでRCを担当していたマネージャーO氏が、同じく担当していた売れっ子の井上陽水を引き抜いて、自ら設立した事務所に移籍させた。
RCもその新事務所に移籍することが決まっていたのだが、契約関係が残っていたこともあり、しばらくホリプロに残らざるを得なくなった。そして彼らは、仕事を完全に干されてしまったのだ。
サード・アルバムも、次に所属となる予定のレーベル、ポリドールの多賀英典のもとでレコーディングを秘密裡に進めて、74年に完成していたのだが、これが宙ぶらりん状態となってしまった。
結局、RCが新事務所に移籍出来たのは76年で、サード・アルバムも4月にようやくリリースされたのだった。
そういった、いわくつきの本盤は、それまでのRCのサウンド・イメージを大きく打ち破る、画期的な内容だった。
従来のアコースティック楽器によるフォーク・サウンドから、電気楽器、そしてホーン・セクションを導入したロック・サウンドへと大きく模様替えしたのである。
オープニングの「ファンからの贈り物」を聴いてみよう。レコードには全くクレジットされていないが、スゴく切れ味のいい、ファンキーなバック・バンド。これは一体、何者?
タネ明かしをすると、これは米国のバンド、タワー・オブ・パワーなのだ。
曲は作詞・作曲ともに忌野(作詞は肝沢幅一という変名を使っている)。アコースティック時代からのレパートリーだそうだが、見事なファンク・ナンバーに仕上がっている。
これこそが、RCが目指した新たな音なのだった。
忌野は、もともとソウル・ミュージックを愛好していて、中でもオーティス・レディングに心酔していた。
本音ではフォークよりもソウルをやりたかった忌野が、ついにその夢を実現したということなのだ。
もちろん、自前のバンドではなく、外部のミュージシャンの手を借りざるを得なかったわけで、その辺の物足りなさ、欲求不満が、のちのRCの再編成によるロック・バンド化へとつながっていく。
外部のミュージシャンといえば、本盤のもうひとりのプロデューサーとも言える、ギタリストにしてアレンジャー、星勝の果たした役割は非常に大きい。
星は日本のロック・バンドの先駆け、ザ・モップスのギタリスト。モップスは74年5月に解散したが、バンド現役時代から、星は井上陽水をはじめとするアーティストのアレンジを並行して行なっていた。
その星が、本格的なプロデューサー業に専念するようになり、成果としてこの「シングル・マン」が生まれたのだ。
「大きな春子ちゃん」は、珍しく小林(リンコ)がリード・ボーカルをとったナンバー。忌野の歌い方に似ているが、もう少しのほほんとしたユーモラスな歌声が、お茶目なこの曲にマッチしている。レゲエ・ビートのアレンジも新鮮だ。
「やさしさ」は、恋人との優しい関係に潜むエゴイズムをあぶり出した、忌野らしいブラック・ユーモアが発揮された一曲。悲痛な叫びと、乾いた笑いが同居している。
ラストのヘレン・シャピロの「悲しき片想い」をもじった、おチャラけエンドには笑いました。
「ぼくはぼくの為に」は、3人に深町純のピアノ、西哲也のドラムス、そして星のエレキギターを加えた、RCらしい生き生きとしたナンバー。が、歌詞は決して明るくなく、恋人に告げる決別の言葉である。
RCにとってのラブソングとは、どちらかといえば恋愛のハッピーな状態よりも、それが危うくなった時のことを描くもの、そんな気がする。
「レコーディング・マン(のんびりしたり結論急いだり」は、SE、そして雑多な演奏のパッチワークによる実験的ナンバー。当時の彼らの心象風景といえるだろう。
「夜の散歩をしないかね」は一転、柴田義也のジャズ・ピアノをフィーチャーした、しっとりとしたバラード。RCらしからぬアダルトな音が、異彩を放っている。
「ヒッピーに捧ぐ」は、無名時代のRCを支えてくれた、ひとりのスタッフの死に対する哀悼曲。
バックの美しいストリングスは、どうやらニューヨーク・フィルハーモニーらしい(クレジットなし)。なんとも贅沢な制作体制であった。
ラストの忌野の悲痛な叫びが、いつまでも耳に残る。
「うわの空」は「きみは空を飛ぶのが大好きなんだ」というフレーズが妙に心にこびりつく、フォーキーな一曲。
この曲も、ストリングスが効果的に使われており、アレンジした星のセンスが光っている。
恋人に他の男と結婚するようすすめる男の心情が、なんとも切ない。
「冷たくした訳は」は、ホーン・セクションをフィーチャーしたロックン・ソウル・ナンバー。80年以後の新生RCを予見するような、活気に満ち溢れている。
ドラムスは、ハプニングス・フォーのチト河内(クレジットなし)。手だれのビートはさすがである。
「甲州街道はもう秋なのさ」は、弦楽、そしてアコースティック・ギターの響きが印象的な、スロー・ナンバー。
これを聴くと、秋のわびしさが身に沁みてくるね。
ラストの「スローバラード」は、4月のアルバム・リリースに先行して1月に発表されたシングル曲。
多数のアーティストにカバーされている、名曲の誉れ高いソウル・バラード。しかし、発売当時の売れ行きは、宣伝の甲斐なくイマイチだったという。
ホーンはおそらく、タワー・オブ・パワー。テナーサックスのソロは、エミリオ・カスティーヨだろう。
「悪い予感のかけらもないさ」という忌野の反語的な叫びに、思わず涙があふれそうになる。
恋人たちのバッド・エンドを歌わせたら、忌野清志郎の右に出るものはいない、そう思う。
このアルバムの、その後についても少し触れておこう。
その充実した出来映えのわりに、プロモーションも十分でなく、完成後時間が経っていたこともあってメンバーもアピールする気合いが落ちていたため、セールスは芳しくなかった。翌年には廃盤の憂き目にあう。
これをのちに知った音楽評論家の吉見佑子が発起人となり、79年、再発売実行委員会を立ち上げて、マスコミなどの知人を巻き込んで、ポリドールへ働きかけたのである。実は、出版社勤務だった筆者の上司も、昔その運動に加わっていたという。
結果、「シングル・マン」はまず300枚限定での再プレス、自主販売となり、追加分も含めて1500枚が売れ、翌80年には正式に再発売となったのだ。
草の根的な活動が生んだ、アルバム復活のエピソードを聞くと、このアルバムがいかに魅力に満ちていたのかが、よくわかるだろう。
「シングル・マン」こそ、偉大なるバンド、RCサクセションの再スタートの原点。
50年近い歳月など、微塵も感じさせないみずみずしさを、この一枚に感じてほしい。
<独断評価>★★★★
日本のロック・バンド、RCサクセションの3枚目のスタジオ・アルバム。76年リリース。多賀英典によるプロデュース。
RCサクセション(以下RC)は、忌野清志郎、小林和生、破廉ケンチの3人で結成された。中学の同級生だった彼らが66年に作った「ザ・クローバー」が前身で、当初はフォーク・バンドだった。
東芝音工のオーディションに合格、70年にシングル・デビュー。ホリプロに所属する。
72年の3枚目のシングル「ぼくの好きな先生」がヒット、ファースト・アルバムも出して、人気グループの仲間入りを果たす。
少し遅咲きではあったが、ようやく順調にバンド活動が展開出来ると思われていた74年、RCは思わぬつまずきを経験することになる。
当時ホリプロでRCを担当していたマネージャーO氏が、同じく担当していた売れっ子の井上陽水を引き抜いて、自ら設立した事務所に移籍させた。
RCもその新事務所に移籍することが決まっていたのだが、契約関係が残っていたこともあり、しばらくホリプロに残らざるを得なくなった。そして彼らは、仕事を完全に干されてしまったのだ。
サード・アルバムも、次に所属となる予定のレーベル、ポリドールの多賀英典のもとでレコーディングを秘密裡に進めて、74年に完成していたのだが、これが宙ぶらりん状態となってしまった。
結局、RCが新事務所に移籍出来たのは76年で、サード・アルバムも4月にようやくリリースされたのだった。
そういった、いわくつきの本盤は、それまでのRCのサウンド・イメージを大きく打ち破る、画期的な内容だった。
従来のアコースティック楽器によるフォーク・サウンドから、電気楽器、そしてホーン・セクションを導入したロック・サウンドへと大きく模様替えしたのである。
オープニングの「ファンからの贈り物」を聴いてみよう。レコードには全くクレジットされていないが、スゴく切れ味のいい、ファンキーなバック・バンド。これは一体、何者?
タネ明かしをすると、これは米国のバンド、タワー・オブ・パワーなのだ。
曲は作詞・作曲ともに忌野(作詞は肝沢幅一という変名を使っている)。アコースティック時代からのレパートリーだそうだが、見事なファンク・ナンバーに仕上がっている。
これこそが、RCが目指した新たな音なのだった。
忌野は、もともとソウル・ミュージックを愛好していて、中でもオーティス・レディングに心酔していた。
本音ではフォークよりもソウルをやりたかった忌野が、ついにその夢を実現したということなのだ。
もちろん、自前のバンドではなく、外部のミュージシャンの手を借りざるを得なかったわけで、その辺の物足りなさ、欲求不満が、のちのRCの再編成によるロック・バンド化へとつながっていく。
外部のミュージシャンといえば、本盤のもうひとりのプロデューサーとも言える、ギタリストにしてアレンジャー、星勝の果たした役割は非常に大きい。
星は日本のロック・バンドの先駆け、ザ・モップスのギタリスト。モップスは74年5月に解散したが、バンド現役時代から、星は井上陽水をはじめとするアーティストのアレンジを並行して行なっていた。
その星が、本格的なプロデューサー業に専念するようになり、成果としてこの「シングル・マン」が生まれたのだ。
「大きな春子ちゃん」は、珍しく小林(リンコ)がリード・ボーカルをとったナンバー。忌野の歌い方に似ているが、もう少しのほほんとしたユーモラスな歌声が、お茶目なこの曲にマッチしている。レゲエ・ビートのアレンジも新鮮だ。
「やさしさ」は、恋人との優しい関係に潜むエゴイズムをあぶり出した、忌野らしいブラック・ユーモアが発揮された一曲。悲痛な叫びと、乾いた笑いが同居している。
ラストのヘレン・シャピロの「悲しき片想い」をもじった、おチャラけエンドには笑いました。
「ぼくはぼくの為に」は、3人に深町純のピアノ、西哲也のドラムス、そして星のエレキギターを加えた、RCらしい生き生きとしたナンバー。が、歌詞は決して明るくなく、恋人に告げる決別の言葉である。
RCにとってのラブソングとは、どちらかといえば恋愛のハッピーな状態よりも、それが危うくなった時のことを描くもの、そんな気がする。
「レコーディング・マン(のんびりしたり結論急いだり」は、SE、そして雑多な演奏のパッチワークによる実験的ナンバー。当時の彼らの心象風景といえるだろう。
「夜の散歩をしないかね」は一転、柴田義也のジャズ・ピアノをフィーチャーした、しっとりとしたバラード。RCらしからぬアダルトな音が、異彩を放っている。
「ヒッピーに捧ぐ」は、無名時代のRCを支えてくれた、ひとりのスタッフの死に対する哀悼曲。
バックの美しいストリングスは、どうやらニューヨーク・フィルハーモニーらしい(クレジットなし)。なんとも贅沢な制作体制であった。
ラストの忌野の悲痛な叫びが、いつまでも耳に残る。
「うわの空」は「きみは空を飛ぶのが大好きなんだ」というフレーズが妙に心にこびりつく、フォーキーな一曲。
この曲も、ストリングスが効果的に使われており、アレンジした星のセンスが光っている。
恋人に他の男と結婚するようすすめる男の心情が、なんとも切ない。
「冷たくした訳は」は、ホーン・セクションをフィーチャーしたロックン・ソウル・ナンバー。80年以後の新生RCを予見するような、活気に満ち溢れている。
ドラムスは、ハプニングス・フォーのチト河内(クレジットなし)。手だれのビートはさすがである。
「甲州街道はもう秋なのさ」は、弦楽、そしてアコースティック・ギターの響きが印象的な、スロー・ナンバー。
これを聴くと、秋のわびしさが身に沁みてくるね。
ラストの「スローバラード」は、4月のアルバム・リリースに先行して1月に発表されたシングル曲。
多数のアーティストにカバーされている、名曲の誉れ高いソウル・バラード。しかし、発売当時の売れ行きは、宣伝の甲斐なくイマイチだったという。
ホーンはおそらく、タワー・オブ・パワー。テナーサックスのソロは、エミリオ・カスティーヨだろう。
「悪い予感のかけらもないさ」という忌野の反語的な叫びに、思わず涙があふれそうになる。
恋人たちのバッド・エンドを歌わせたら、忌野清志郎の右に出るものはいない、そう思う。
このアルバムの、その後についても少し触れておこう。
その充実した出来映えのわりに、プロモーションも十分でなく、完成後時間が経っていたこともあってメンバーもアピールする気合いが落ちていたため、セールスは芳しくなかった。翌年には廃盤の憂き目にあう。
これをのちに知った音楽評論家の吉見佑子が発起人となり、79年、再発売実行委員会を立ち上げて、マスコミなどの知人を巻き込んで、ポリドールへ働きかけたのである。実は、出版社勤務だった筆者の上司も、昔その運動に加わっていたという。
結果、「シングル・マン」はまず300枚限定での再プレス、自主販売となり、追加分も含めて1500枚が売れ、翌80年には正式に再発売となったのだ。
草の根的な活動が生んだ、アルバム復活のエピソードを聞くと、このアルバムがいかに魅力に満ちていたのかが、よくわかるだろう。
「シングル・マン」こそ、偉大なるバンド、RCサクセションの再スタートの原点。
50年近い歳月など、微塵も感じさせないみずみずしさを、この一枚に感じてほしい。
<独断評価>★★★★