2023年3月3日(金)
#471 THE ROLLING STONES「GOT LIVE IF YOU WANT IT!」(Plydor/London P25L 25038)
ザ・ローリング・ストーンズの初のライブ・アルバム。66年、米国のみのリリース。アンドリュー・オールダムによるプロデュース。英国内録音。
ストーンズは現在までに8枚のライブ盤を出しているが、これは一番最初にリリースされたもの。
しかし、ストーンズ自身は「あれは勝手にレコード会社が出したもの。オレたちは一切関与していない」ときっぱりとコメントしており、本当の意味でバンドの最初のライブ盤は、70年リリースの「ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト」だと考えた方がよさそうである。
それでもやはり、あのストーンズのライブ盤となれば、聴かないわけにはいかない。
彼らには悪いが、レビューしてみたいと思う。
黄色い歓声、そしてMCのアナウンスから始まるオープニング・ナンバーは「アンダー・マイ・サム」。ジャガー=リチャーズの作品。
この曲は知名度が高いわりに、英米では意外にもシングル化されていない。そのかわり、日本では独自にシングル・カットされている。66年のアルバム「アフターマス」収録曲。
この曲でのミックの激しいシャウトは、なかなか聴きごたえがあってマル。
「一人ぼっちの世界」は65年のヒット・シングル。ジャガー=リチャーズの作品。全英、全米で1位。
ビートの洪水、コール・アンド・レスポンスの嵐で、会場は早くも超興奮状態になる。ラフな音質ではあるが、そのあたりはしっかり伝わってくる。
「レディ・ジェーン」は「アフターマス」所収、米国でのシングル「マザーズ・リトル・ヘルパー」のB面。ジャガー=リチャーズの作品。
ライブでは、スタジオ録音版の雰囲気をうまく再現している。アコースティック・ギターの響きが美しい。
終わった時のオーディエンスの歓声が凄まじい。
ところで初期ストーンズは64年の「リトル・レッド・ルースター」までは完全にカバー中心のバンドだった。昨日取り上げたヤードバーズと似たような感じだったのだ。
その一例が次の「ノット・フェイド・アウェイ」。これは英国でのサード、米国でのファースト・シングル。64年リリース。バディ・ホリー、ノーマン・ペティ57年の作品。
ボ・ディドリー・ビートが特徴的なナンバー。ミックはこの曲で歌とハープを共にこなしている。
このハープがなかなか達者な腕前なのである。これだけ速いテンポの曲で歌いながら息も切らせずにハープを吹けるものだと思う。
ミックの、もうひとつの非凡な才能を感じる一曲だ。
「恋をしすぎた」はオーティス・レディング、ジェリー・バトラーの作品。65年5月録音。
当時人気絶頂のソウルシンガー、レディングのバラードのカバー。思い入れたっぷりに歌うミック。甘い声がいつものミックとは一味違っていて、面白い。
この曲、実はスタジオでの録音に女性ファンの歓声を被せただけの擬似ライブなのだそうだ。確かに、よく聴くと反応のしかたが不自然な気がする。
「フォーチュン・テラー」はナオミ・ネヴィルことアラン・トゥーサンの作品。63年8月録音。
R&Bシンガー、ベニー・スペルマンの62年のヒットのカバー。ザ・フーやホリーズによるカバーもあるくらい、英国でもよく知られていた。
この曲も、どうやら前の曲同様、擬似ライブとのこと。そう言われると、やはり、不自然なオーディエンスのレスポンスが気になる。フェイドアウトで終わるのも、もともとスタジオ録音だったせいか。
だいぶん前にスタジオ録音したトラックを引っ張り出して来て、ライブ録音時のデータと合わせたということのようだ。アルバム一枚分の尺を稼ぐために、お蔵入りのテープまで出してくるとは、いささか情けないね。
そしてさらに付け加えるなら、この2曲以外についても、実際はライブ録音後、ボーカル・トラックを録り直した曲が大半らしい、という残念な情報があるのだ。それが本当だとしたら、ガッカリだね。
録音技術がまだ未熟だった時代には、そんなことはフツーに行われていたみたいだが、ライブ盤と銘打つ以上はやって欲しくなかったなぁ。
後半トップの「ラスト・タイム」は65年の英米両方でチャート1位をとった大ヒット・シングル。これでストーンズの名前は世界級になったといえる記念すべき曲。ジャガー=リチャーズの作品。
冒頭に「サティスファクション」を出囃子のように配して始まる。演奏はパワーに満ち溢れ、ミックとキース(おそらく)のコーラスも見事に決まっている。トップ・バンドに躍り出たストーンズの自信が伝わってくるような、いいパフォーマンスだ。
「19回目の神経衰弱」は66年のシングル。全英、全米で1位。ジャガー=リチャーズの作品。
これも気合い十分な演奏だ。オリジナル・ナンバーが連続ヒットして、「これがオレたちの音だ」というものをしっかりと掴み取ったのだろう。破竹の勢いを、この一曲に感じる。
「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」は64年の米国でのシングル。ジェリー・ラゴヴォイ、ジミー・ノーマンの作品。女性シンガー、アーマ・トーマスの歌でヒット。
陽気で力強いR&Bナンバー。カバーとはいえ、この曲へのミックの熱い思いを感じ取れる快唱だ。
「アイム・オールライト」はナンカー・フェルジ65年の作品。
知ってる人は知っていると思うが、このナンカー・フェルジとは、ジャガー=リチャーズが他のストーンズのメンバーと共作した時に使われる名義なのだ。
この曲以外では「プレイ・ウィズ・ファイア」「ウェスト・コーストの宣伝屋」などがこの名義だ。
曲によって違うのかもしれないが、おそらくその多くはブライアン・ジョーンズが関わっているものと思われるね。
シンプルな繰り返しが印象的な、バディ・ホリーの影響が強いロックンロール。この曲でもファンの興奮が止まらない。
「マザー・イン・ザ・シャドウ」はは66年のシングル。オリジナル・アルバムには収録されていない。
ライブ・レコーディングしたのは66年10月。
ファズを効かせたサイケデリック・ギターのサウンドが、以前のストーンズのスタイルとは違って新鮮だ。
「サティスファクション」はストーンズの現在にまで至る、代表曲にしてライブの定番曲。全英、全米で1位。ジャガー=リチャーズの作品。
激しいビートに、オーディエンスもノリまくり。コンサートの締めにふさわしいナンバーだ。
以上12曲。「ストーンズのレコードならどんなものを出しても売れるだろう」というレコード会社のイージーな企画で本盤が作られたのは見え見えで、録音は低品質、擬似ライブ・録り直しやオーバーダビングも多分ありと、いかにもチープな作りではある。
こんなものを勝手に作られたストーンズが、気の毒でならない。
が、本盤が当時の貴重な記録であることも間違いない。
その頃の彼らの凄まじい人気(ことにミーハー女性からの)を知ることが出来る、いわばドキュメンタリー・フィルムのようなものと割り切れば、それはそれでけっこう楽しめると思うよ。
<独断評価>★★★
ザ・ローリング・ストーンズの初のライブ・アルバム。66年、米国のみのリリース。アンドリュー・オールダムによるプロデュース。英国内録音。
ストーンズは現在までに8枚のライブ盤を出しているが、これは一番最初にリリースされたもの。
しかし、ストーンズ自身は「あれは勝手にレコード会社が出したもの。オレたちは一切関与していない」ときっぱりとコメントしており、本当の意味でバンドの最初のライブ盤は、70年リリースの「ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト」だと考えた方がよさそうである。
それでもやはり、あのストーンズのライブ盤となれば、聴かないわけにはいかない。
彼らには悪いが、レビューしてみたいと思う。
黄色い歓声、そしてMCのアナウンスから始まるオープニング・ナンバーは「アンダー・マイ・サム」。ジャガー=リチャーズの作品。
この曲は知名度が高いわりに、英米では意外にもシングル化されていない。そのかわり、日本では独自にシングル・カットされている。66年のアルバム「アフターマス」収録曲。
この曲でのミックの激しいシャウトは、なかなか聴きごたえがあってマル。
「一人ぼっちの世界」は65年のヒット・シングル。ジャガー=リチャーズの作品。全英、全米で1位。
ビートの洪水、コール・アンド・レスポンスの嵐で、会場は早くも超興奮状態になる。ラフな音質ではあるが、そのあたりはしっかり伝わってくる。
「レディ・ジェーン」は「アフターマス」所収、米国でのシングル「マザーズ・リトル・ヘルパー」のB面。ジャガー=リチャーズの作品。
ライブでは、スタジオ録音版の雰囲気をうまく再現している。アコースティック・ギターの響きが美しい。
終わった時のオーディエンスの歓声が凄まじい。
ところで初期ストーンズは64年の「リトル・レッド・ルースター」までは完全にカバー中心のバンドだった。昨日取り上げたヤードバーズと似たような感じだったのだ。
その一例が次の「ノット・フェイド・アウェイ」。これは英国でのサード、米国でのファースト・シングル。64年リリース。バディ・ホリー、ノーマン・ペティ57年の作品。
ボ・ディドリー・ビートが特徴的なナンバー。ミックはこの曲で歌とハープを共にこなしている。
このハープがなかなか達者な腕前なのである。これだけ速いテンポの曲で歌いながら息も切らせずにハープを吹けるものだと思う。
ミックの、もうひとつの非凡な才能を感じる一曲だ。
「恋をしすぎた」はオーティス・レディング、ジェリー・バトラーの作品。65年5月録音。
当時人気絶頂のソウルシンガー、レディングのバラードのカバー。思い入れたっぷりに歌うミック。甘い声がいつものミックとは一味違っていて、面白い。
この曲、実はスタジオでの録音に女性ファンの歓声を被せただけの擬似ライブなのだそうだ。確かに、よく聴くと反応のしかたが不自然な気がする。
「フォーチュン・テラー」はナオミ・ネヴィルことアラン・トゥーサンの作品。63年8月録音。
R&Bシンガー、ベニー・スペルマンの62年のヒットのカバー。ザ・フーやホリーズによるカバーもあるくらい、英国でもよく知られていた。
この曲も、どうやら前の曲同様、擬似ライブとのこと。そう言われると、やはり、不自然なオーディエンスのレスポンスが気になる。フェイドアウトで終わるのも、もともとスタジオ録音だったせいか。
だいぶん前にスタジオ録音したトラックを引っ張り出して来て、ライブ録音時のデータと合わせたということのようだ。アルバム一枚分の尺を稼ぐために、お蔵入りのテープまで出してくるとは、いささか情けないね。
そしてさらに付け加えるなら、この2曲以外についても、実際はライブ録音後、ボーカル・トラックを録り直した曲が大半らしい、という残念な情報があるのだ。それが本当だとしたら、ガッカリだね。
録音技術がまだ未熟だった時代には、そんなことはフツーに行われていたみたいだが、ライブ盤と銘打つ以上はやって欲しくなかったなぁ。
後半トップの「ラスト・タイム」は65年の英米両方でチャート1位をとった大ヒット・シングル。これでストーンズの名前は世界級になったといえる記念すべき曲。ジャガー=リチャーズの作品。
冒頭に「サティスファクション」を出囃子のように配して始まる。演奏はパワーに満ち溢れ、ミックとキース(おそらく)のコーラスも見事に決まっている。トップ・バンドに躍り出たストーンズの自信が伝わってくるような、いいパフォーマンスだ。
「19回目の神経衰弱」は66年のシングル。全英、全米で1位。ジャガー=リチャーズの作品。
これも気合い十分な演奏だ。オリジナル・ナンバーが連続ヒットして、「これがオレたちの音だ」というものをしっかりと掴み取ったのだろう。破竹の勢いを、この一曲に感じる。
「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」は64年の米国でのシングル。ジェリー・ラゴヴォイ、ジミー・ノーマンの作品。女性シンガー、アーマ・トーマスの歌でヒット。
陽気で力強いR&Bナンバー。カバーとはいえ、この曲へのミックの熱い思いを感じ取れる快唱だ。
「アイム・オールライト」はナンカー・フェルジ65年の作品。
知ってる人は知っていると思うが、このナンカー・フェルジとは、ジャガー=リチャーズが他のストーンズのメンバーと共作した時に使われる名義なのだ。
この曲以外では「プレイ・ウィズ・ファイア」「ウェスト・コーストの宣伝屋」などがこの名義だ。
曲によって違うのかもしれないが、おそらくその多くはブライアン・ジョーンズが関わっているものと思われるね。
シンプルな繰り返しが印象的な、バディ・ホリーの影響が強いロックンロール。この曲でもファンの興奮が止まらない。
「マザー・イン・ザ・シャドウ」はは66年のシングル。オリジナル・アルバムには収録されていない。
ライブ・レコーディングしたのは66年10月。
ファズを効かせたサイケデリック・ギターのサウンドが、以前のストーンズのスタイルとは違って新鮮だ。
「サティスファクション」はストーンズの現在にまで至る、代表曲にしてライブの定番曲。全英、全米で1位。ジャガー=リチャーズの作品。
激しいビートに、オーディエンスもノリまくり。コンサートの締めにふさわしいナンバーだ。
以上12曲。「ストーンズのレコードならどんなものを出しても売れるだろう」というレコード会社のイージーな企画で本盤が作られたのは見え見えで、録音は低品質、擬似ライブ・録り直しやオーバーダビングも多分ありと、いかにもチープな作りではある。
こんなものを勝手に作られたストーンズが、気の毒でならない。
が、本盤が当時の貴重な記録であることも間違いない。
その頃の彼らの凄まじい人気(ことにミーハー女性からの)を知ることが出来る、いわばドキュメンタリー・フィルムのようなものと割り切れば、それはそれでけっこう楽しめると思うよ。
<独断評価>★★★