2023年3月6日(月)
#474 宮之上貴昭「スモーキン」(キング/Paddle Wheel KICJ 80)
日本のジャズ・ギタリスト、宮之上貴昭のライブ・アルバム。91年リリース。宮之上自身によるプロデュース。東京・国立「音楽の森」での録音。
宮之上貴昭は53年東京生まれ。いまや日本を代表するジャズ・ギタリストといっていいだろう。
リーダー・アルバムは78年以来、20枚以上を出しており、北村英治をはじめとする他のジャズ・ミュージシャンとの共演盤、ジャズ・シンガーのアルバム・プロデュースも数多く手がけており、本場米国のジャズメンとの共演経験も豊富である。
そんなベテラン宮之上の、30年以上前のライブ盤を久しぶりに引っ張り出してみた。
アルバムは宮之上のライブを聴きに行く、外国人老夫婦のドラマ仕立てで始まる。
ライブハウスのドアを開けると始まるのが「スモーキン」。
宮之上のオリジナル。アップ・テンポのフォービート・ナンバー。カルテットによる演奏。
「Smokin’」という英語、ハンブル・パイのアルバム名にも使われていたが「ご機嫌な」あるいは「セクシーな」という意味である。
宮之上の場合は、彼が至高のギタリストとしてリスペクトするウェス・モンゴメリーのライブ盤「Smokin’ at the Half Note」からとっているのは間違いない。
その言葉を自分のグループ名、オリジナル曲名、そしてアルバム・タイトルにもしているわけだから、どれだけウェスへの思い入れが深いかが分かるだろう。
実際、ギター・ソロではウェスの代名詞ともいえる、オクターブ奏法を全開で披露している。この再現度がまことに高い。
日本でこの難度の高い奏法を、彼以上にマスターしているギタリストは他にいないといえる。まさにヴァーチュオーゾ。
演奏メンバーは宮之上のほか、ピアノの今泉正明、ベースの松島憲昭、ドラムスの原大力、そしてゲスト・プレイヤーとしてテナー・サックスの岡まこと(淳)、ピアノの吉岡秀晃。いずれも実力派の巧者ぞろいである。
岡と吉岡は元はスモーキンのオリジナル・メンバーだったそうで、宮之上と息もぴったりの演奏を聴かせてくれる。
「今宵のあなた」はスタンダード・ナンバー。ジェローム・カーン、ドロシー・フィールズの作品。カルテットによる演奏。
ご本家のフレッド・アステアをはじめ、シナトラ、ベネット、クロスビーら大御所が愛唱したナンバー。
モダン・ジャズのスタイルでも演奏されることが多い。例えば、ソニー・ロリンズ、ジム・ホール、ジョー・パスなどなど。
このライブでは、まずはアップ・テンポで快調にギターとピアノでテーマ演奏。次いで宮之上のソロ。ここではまずシングル・トーンを駆使してから、オクターブ奏法に入る。
続くのは今泉のピアノ・ソロ。これがさすがの腕前。10本の指が、自在に鍵盤の上を飛び回る様子が目に浮かぶ。
後半はギターとピアノのインタープレイ。おたがい、技術の限りを尽くしてベストな演奏を聴かせる。息もつかせぬ展開だ。
「きりきりぶらうん」は再び、宮之上のオリジナル。テナーを加えたクインテットによる演奏。ピアノは吉岡。
タイトルの由来はというと、当時国分寺にあったライブ・ハウスの名前からとっている。残念ながら2004年に閉店しているが、宮之上はそこでも演奏することが多かったので、その印象的な店名をタイトルに使っている。
スインギーなテーマを、テナーの岡とともに演奏。続いては、宮之上のギター・ソロ。
そして岡のテナー・ソロ。骨太のトーンが実にいい。
ピアノ・ソロが続く。吉岡のプレイもナイスだ。スイングとはどういうものかを、身体で分かっている。
「遥かなる影」は、先日94歳で亡くなったコンポーザー、バート・バカラックとハル・デイヴィッドの作品。カーペンターズ、70年の大ヒット曲。カルテットによる演奏。
この至上のバラード・ナンバーを、優しいタッチで、歌い上げるように弾く宮之上。バックの、今泉の繊細なピアノもいい雰囲気だ。
「ブルー・アイランド」は宮之上のオリジナル。作曲にもウェスの濃い影響(特にリバーサイド期の)が見てとれるナンバー。クインテットによる演奏。ピアノは吉岡。
ただギターを上手く弾くだけではない、コンポーザー、アレンジャーとしての宮之上の実力を知ることができる一曲。
ソロはギター、テナー、ピアノと続くが、ここでの吉岡のピアノがまた素晴らしい。60年生まれで宮之上よりは下の世代だが、すでにトップ・クラスの実力を持っていた俊英だ。
後半の原のドラム・ソロと他楽器との長い掛け合いも、スリリング。
「ゴアより愛をこめて」も宮之上のオリジナル。カルテットによる演奏。
ゴアとはインドの地名のそれ。そこでの思い出を込めたミディアム・テンポのスイング・ナンバー。
軽く明るい雰囲気のテーマに続いては、宮之上のシングル・トーン中心のギター・ソロ。
そのあとは今泉がピアノ・ソロ。スインギーかつ洒落たフレーズで、耳を楽しませてくれる。
彼は吉岡よりさらに若い世代だが、ジャズ的なセンスは抜群。その後、トランペッター松島啓之のクインテットで現在もバリバリ活動しているのも納得である。
「チー・ママ」はファンキーでユーモラスなテーマで始まる楽しいナンバー。宮之上のオリジナル。クインテットによる演奏。
このチーママとは、宮之上の仕事で頼りにしている若い女性マネージャーのことを指すようだ。彼女への感謝の心を込めた一曲らしい。
ソロはギターに続いて、岡のテナー。堂々としたブローは貫禄を感じさせる。
後半の、ギターとテナーのリラックスした掛け合いが、聴きごたえ満点だ。
「ローリング・シップ」は、やはりファンキーな曲調のアップ・テンポのナンバー。宮之上のオリジナル。クインテットによる演奏。
まずは、宮之上のソロ。そして岡のソロ。いずれも緊迫感ある演奏が続く。
そして、今泉のソロ。ここでのホレス・シルヴァーばりのファンキーなプレイが鮮やかだ。才能を感じずにいられない。
「サンセット・ストリート」はバラード・ナンバー。宮之上のオリジナル。カルテットによる演奏。ピアノは吉岡。
ギターの哀感に満ちたメロディ、そして丁寧なオクターブ・プレイがなんとも心にしみるなぁ。
以上9曲。すべて生音、一発録りってのはスゴいの一言。
ジャズのライブだから、そんなの当たり前だろとおっしゃられるかもしれないが、「すべて同日の同ステージ」というところがスゴい。
つまり、特にベスト・テイクを選りすぐったのではなく、常にこれだけの水準の演奏が出来るということ。
これって、スゴくないですか?
まぁ、そのスゴさを意識出来るリスナーは、あまりいないのかもしれないな。
実は筆者はこのCDがリリースされたころ、青山のライブ・ハウスに宮之上貴昭を聴きに行ったことがあるが、そこで繰り広げられたライブは、このCDをさらに上回る感動をもたらしてくれた。言葉にはとうてい表しきれないほどの。
このようなギターをフィーチャーしたジャズを聴く機会は、きょうびなかなか無いと思う。
ジャズ自体がポピュラー音楽のメイン・ストリームからどんどん外れてしまったうえに、その中でもさらにマイナーな立ち位置にあるのが、ジャズ・ギターである。
とはいえ、現在でもジャズのライブハウスは、数少なくなったとはいえ、優れたミュージシャンたちの発表の場として続いている。
流行りものの音楽では到底出しえない、熟練の技を味わうことも、たまにはいいのではないだろうか。
レコード、CDもいいのだが、ジャズという音楽は生音を聴く楽しみに勝るものはない。そう思う。
<独断評価>★★★☆
日本のジャズ・ギタリスト、宮之上貴昭のライブ・アルバム。91年リリース。宮之上自身によるプロデュース。東京・国立「音楽の森」での録音。
宮之上貴昭は53年東京生まれ。いまや日本を代表するジャズ・ギタリストといっていいだろう。
リーダー・アルバムは78年以来、20枚以上を出しており、北村英治をはじめとする他のジャズ・ミュージシャンとの共演盤、ジャズ・シンガーのアルバム・プロデュースも数多く手がけており、本場米国のジャズメンとの共演経験も豊富である。
そんなベテラン宮之上の、30年以上前のライブ盤を久しぶりに引っ張り出してみた。
アルバムは宮之上のライブを聴きに行く、外国人老夫婦のドラマ仕立てで始まる。
ライブハウスのドアを開けると始まるのが「スモーキン」。
宮之上のオリジナル。アップ・テンポのフォービート・ナンバー。カルテットによる演奏。
「Smokin’」という英語、ハンブル・パイのアルバム名にも使われていたが「ご機嫌な」あるいは「セクシーな」という意味である。
宮之上の場合は、彼が至高のギタリストとしてリスペクトするウェス・モンゴメリーのライブ盤「Smokin’ at the Half Note」からとっているのは間違いない。
その言葉を自分のグループ名、オリジナル曲名、そしてアルバム・タイトルにもしているわけだから、どれだけウェスへの思い入れが深いかが分かるだろう。
実際、ギター・ソロではウェスの代名詞ともいえる、オクターブ奏法を全開で披露している。この再現度がまことに高い。
日本でこの難度の高い奏法を、彼以上にマスターしているギタリストは他にいないといえる。まさにヴァーチュオーゾ。
演奏メンバーは宮之上のほか、ピアノの今泉正明、ベースの松島憲昭、ドラムスの原大力、そしてゲスト・プレイヤーとしてテナー・サックスの岡まこと(淳)、ピアノの吉岡秀晃。いずれも実力派の巧者ぞろいである。
岡と吉岡は元はスモーキンのオリジナル・メンバーだったそうで、宮之上と息もぴったりの演奏を聴かせてくれる。
「今宵のあなた」はスタンダード・ナンバー。ジェローム・カーン、ドロシー・フィールズの作品。カルテットによる演奏。
ご本家のフレッド・アステアをはじめ、シナトラ、ベネット、クロスビーら大御所が愛唱したナンバー。
モダン・ジャズのスタイルでも演奏されることが多い。例えば、ソニー・ロリンズ、ジム・ホール、ジョー・パスなどなど。
このライブでは、まずはアップ・テンポで快調にギターとピアノでテーマ演奏。次いで宮之上のソロ。ここではまずシングル・トーンを駆使してから、オクターブ奏法に入る。
続くのは今泉のピアノ・ソロ。これがさすがの腕前。10本の指が、自在に鍵盤の上を飛び回る様子が目に浮かぶ。
後半はギターとピアノのインタープレイ。おたがい、技術の限りを尽くしてベストな演奏を聴かせる。息もつかせぬ展開だ。
「きりきりぶらうん」は再び、宮之上のオリジナル。テナーを加えたクインテットによる演奏。ピアノは吉岡。
タイトルの由来はというと、当時国分寺にあったライブ・ハウスの名前からとっている。残念ながら2004年に閉店しているが、宮之上はそこでも演奏することが多かったので、その印象的な店名をタイトルに使っている。
スインギーなテーマを、テナーの岡とともに演奏。続いては、宮之上のギター・ソロ。
そして岡のテナー・ソロ。骨太のトーンが実にいい。
ピアノ・ソロが続く。吉岡のプレイもナイスだ。スイングとはどういうものかを、身体で分かっている。
「遥かなる影」は、先日94歳で亡くなったコンポーザー、バート・バカラックとハル・デイヴィッドの作品。カーペンターズ、70年の大ヒット曲。カルテットによる演奏。
この至上のバラード・ナンバーを、優しいタッチで、歌い上げるように弾く宮之上。バックの、今泉の繊細なピアノもいい雰囲気だ。
「ブルー・アイランド」は宮之上のオリジナル。作曲にもウェスの濃い影響(特にリバーサイド期の)が見てとれるナンバー。クインテットによる演奏。ピアノは吉岡。
ただギターを上手く弾くだけではない、コンポーザー、アレンジャーとしての宮之上の実力を知ることができる一曲。
ソロはギター、テナー、ピアノと続くが、ここでの吉岡のピアノがまた素晴らしい。60年生まれで宮之上よりは下の世代だが、すでにトップ・クラスの実力を持っていた俊英だ。
後半の原のドラム・ソロと他楽器との長い掛け合いも、スリリング。
「ゴアより愛をこめて」も宮之上のオリジナル。カルテットによる演奏。
ゴアとはインドの地名のそれ。そこでの思い出を込めたミディアム・テンポのスイング・ナンバー。
軽く明るい雰囲気のテーマに続いては、宮之上のシングル・トーン中心のギター・ソロ。
そのあとは今泉がピアノ・ソロ。スインギーかつ洒落たフレーズで、耳を楽しませてくれる。
彼は吉岡よりさらに若い世代だが、ジャズ的なセンスは抜群。その後、トランペッター松島啓之のクインテットで現在もバリバリ活動しているのも納得である。
「チー・ママ」はファンキーでユーモラスなテーマで始まる楽しいナンバー。宮之上のオリジナル。クインテットによる演奏。
このチーママとは、宮之上の仕事で頼りにしている若い女性マネージャーのことを指すようだ。彼女への感謝の心を込めた一曲らしい。
ソロはギターに続いて、岡のテナー。堂々としたブローは貫禄を感じさせる。
後半の、ギターとテナーのリラックスした掛け合いが、聴きごたえ満点だ。
「ローリング・シップ」は、やはりファンキーな曲調のアップ・テンポのナンバー。宮之上のオリジナル。クインテットによる演奏。
まずは、宮之上のソロ。そして岡のソロ。いずれも緊迫感ある演奏が続く。
そして、今泉のソロ。ここでのホレス・シルヴァーばりのファンキーなプレイが鮮やかだ。才能を感じずにいられない。
「サンセット・ストリート」はバラード・ナンバー。宮之上のオリジナル。カルテットによる演奏。ピアノは吉岡。
ギターの哀感に満ちたメロディ、そして丁寧なオクターブ・プレイがなんとも心にしみるなぁ。
以上9曲。すべて生音、一発録りってのはスゴいの一言。
ジャズのライブだから、そんなの当たり前だろとおっしゃられるかもしれないが、「すべて同日の同ステージ」というところがスゴい。
つまり、特にベスト・テイクを選りすぐったのではなく、常にこれだけの水準の演奏が出来るということ。
これって、スゴくないですか?
まぁ、そのスゴさを意識出来るリスナーは、あまりいないのかもしれないな。
実は筆者はこのCDがリリースされたころ、青山のライブ・ハウスに宮之上貴昭を聴きに行ったことがあるが、そこで繰り広げられたライブは、このCDをさらに上回る感動をもたらしてくれた。言葉にはとうてい表しきれないほどの。
このようなギターをフィーチャーしたジャズを聴く機会は、きょうびなかなか無いと思う。
ジャズ自体がポピュラー音楽のメイン・ストリームからどんどん外れてしまったうえに、その中でもさらにマイナーな立ち位置にあるのが、ジャズ・ギターである。
とはいえ、現在でもジャズのライブハウスは、数少なくなったとはいえ、優れたミュージシャンたちの発表の場として続いている。
流行りものの音楽では到底出しえない、熟練の技を味わうことも、たまにはいいのではないだろうか。
レコード、CDもいいのだが、ジャズという音楽は生音を聴く楽しみに勝るものはない。そう思う。
<独断評価>★★★☆