NEST OF BLUESMANIA

ミュージシャンMACが書く音楽ブログ「NEST OF BLUESMANIA」です。

音盤日誌「一日一枚」#425 井上陽水「クラムチャウダー」(フォーライフ 35KD-55)

2023-01-16 05:32:00 | Weblog
2023年1月16日(月)



#425 井上陽水「クラムチャウダー」(フォーライフ 35KD-55)

シンガーソングライター、井上陽水のライブ・アルバム。86年リリース。東京渋谷・NHKホールにて収録。

井上陽水はこれまでに5枚のライブ盤をリリースしているが、これはその4枚目にあたる。

井上陽水については、筆者はあまり語るべき言葉を持っていない。

70年代、彼がデビューしてすぐは注目していたが、ヒットが出て売れっ子になると、たちまち興味を失ってしまった。

もう一度聴く気になったのは、80年代に入り、他アーティストへの楽曲提供や自身のヒット曲によりようやく第一線に復帰したあたりから。それもたまにベスト・アルバムを買う程度の「薄い」ファンだった。

だから、今日はざっくりとした感想のみを語ることにしよう。

オープニングは、スーパー・ベストセラー「氷の世界」所収の「帰れないふたり」。

陽水と忌野清志郎の共作。ふたりの親交はデビューの頃からだそうで、それが実を結んだのがこの曲だ。

あまりにも美しい歌詞とメロディ、幻想的なサウンド。なんの文句のつけようもない。

「ミスコンテスト」は78年のシングル・ヒット。エキゾチックなメロディは、以降「なぜか上海」「ジェラシー」といった曲群に引き継がれていく。

歌詞にも、かつてあったような身辺雑記、私小説的な要素が消え、社会観察、そして少し皮肉めいた視線の作品が増えてくる。

「娘がねじれる時」もそのタイプの一曲。79年のアルバム「スニーカーダンサー」所収。毒のある歌詞で、リスナーをかき回してくれる。

シニカルで、シュールで、時にはナンセンスな歌詞。

それが陽水の個性として認知されるようになる。

「ミスキャスト」もその流れにある。82年、沢田研二のアルバム「ミスキャスト」に、全曲を提供して話題となったが、これはそのタイトル・チューン。

人間の悪意を鋭くえぐる歌詞。ここまで不信感に満ちた言葉を吐くに至ったのは、売れてしまったが故に世間の醜さ、酷薄さと直面した彼の経験がなせる技であろう。

「新しいラプソディー」は、それまでの数曲の毒を洗い流すような、清新なナンバー。ニュー・シングルとして出したばかりで、おそらく初お披露目だったはず。陽水の澄んだ声は、やはりこういう曲に一番合う。

「灰色の指先」は、78年のアルバム「”white”」所収のナンバー。陰キャなプレス工の青年の物語。

物悲しいメロディのジャズ・バラード。陽水が麻薬で逮捕され、執行猶予中に発表された頃の曲だからか、厭世的な色が濃い。聴く者の心にずしりと来る。

「ジャストフィット」は激しいロック・ナンバー。ギターの大村憲司は、このコンサート全編のアレンジも担当しているのだが、この曲ではまるで堰が切れたかのようなパッショネートな演奏でリスナーを圧倒する。

大村は98年に49歳の若さで亡くなっている。日本を代表するギタリストのひとりであったのに、実に惜しい。

そんな彼のハンパない実力が伺えるのが、このコンサートのハイレベルな編曲だ。

高水健司のフレットレスベースのソロから始まるのは「ワインレッドの心」。一時期陽水のバックを務めていた安全地帯のために歌詞を書いた、大ヒット曲(作曲は玉置浩二)。

陽水の歌は、玉置のエモーショナルなそれとは一味違っていて、クールな中にも秘めた熱さを感じさせる。

生み出す曲が優れているだけでなく、単にシンガーとしても底知れない実力を持つことが、この曲だけでもよく分かる。

フォーライフ創設の四人衆の中でも、ずば抜けた歌のうまさで、頭ひとつ抜けた存在であり続けた陽水。

ラストは「結詞」。のちに(92年)シングル化されている隠れた名曲。終幕にふさわしい、ひたすら美しいスローバラードだ。

アレンジの素晴らしさ、そして陽水の歌唱の見事さに、賞賛の言葉が見つからない。

実際のライブはアルバムの2倍の尺があるのだが、残りをどうしても聴きたいかたは、DVD化されていないそうなので、ビデオテープを中古で探して観ていただきたい。

クールと熱狂。いわば相反した要素を包含しながら、見事にひとつにまとまったライブの記録。

スタジオ録音同様、陽水の歌声は一分の曇りもない。感服のひと言だ。

<独断評価>★★★★

音盤日誌「一日一枚」#424 大貫妙子「クリシェ」(RCA/RVC RHT-8807)

2023-01-15 06:01:00 | Weblog
2023年1月15日(日)



#424 大貫妙子「クリシェ」(RCA/RVC RHT-8807)

シンガーソングライター、大貫妙子のスタジオ・アルバム。82年リリース。宮田茂樹、彼女自身によるプロデュース。

大貫妙子(以下ター坊)は53年生まれ。75年、シュガー・ベイブのメンバーとしてレコード・デビュー。その解散後、76年にソロ・デビュー。

ター坊は日本クラウンで2枚のアルバムを出してからRVCに移籍するが、そこでの4枚目のアルバムが「クリシェ」である。

筆者はこれをリリース当時はまるで聴かなかったが、1年後、当時担当していた漫画家某氏がいたく愛聴していた影響で、聴くようになった。

そしてそれ以降、90年に至る約7年間、ター坊は新譜が出れば必ず購入するという、ひいきアーティストになったのだった。

このアルバムは、A面のうち4曲を坂本龍一、A5とB面はフランスのコンポーザー、ジャン・ミュジーがアレンジを担当しており、それぞれの個性が強く出た作りになっている。作詞・作曲はすべて彼女自身による。

「黒のクレール」は、本盤のテーマ曲ともいえるバラード。報われることのない愛の苦しみ、孤独感を歌った佳曲で、ター坊の数ある作品の中でも屈指の出来ばえだと思う。ストリングス、そして細野晴臣のベースがいい演奏をしている。

ター坊にまつわるモノトーンっぽいイメージは、主にこの曲から来ているのだろう。そのくらい、圧倒的な曲なのだ。

「色彩都市」は一転して、ハッピーで色鮮やかな世界を歌うポップな一曲。恋の始まりのウキウキした感覚が見事に描き出されている。

「ピーターラビットとわたし」は、当時人気急上昇中だったキャラクター、ピーターラビットをテーマにした愛らしい小曲。

ター坊の「かわいいもの」趣味が全面に出ている。ピーターラビットとわたしが「お隣りに住んでいる」という設定がユニークで、微笑ましい。女性リスナーからも人気が高い曲。

「Labyrinth」は、今でいう「中二病」的な指向性を先取りしたような、悪魔召喚、禁断の儀式がテーマの作品。ファンタジーを愛読するター坊ならではのナンバー。教授の妖しさに満ちたアレンジも、中二な人々のツボを押さえていてグッド。

「風の道」は、ミュジーの編曲による、バラード・ナンバー。言葉少なく語られる、「ふたり」の話。ふたりはどのような関係なのかは、聴くものの想像力に委ねられる。含意に富んだ、スケールの大きい歌曲だ。

ここからの6曲のため、フランス・パリまでター坊、そしてギターの大村憲司、ドラムスの村上秀一も同行し、初の海外レコーディングを行なったのだ。オーケストレーションが、まことに美しい。

「光のカーニバル」は、ヨーロッパ色満開のワルツ。

ター坊のヨーロッパ・サウンド指向はアルバム「ロマンティーク」(80年)に始まり「アヴァンチュール」(81年)を経て、この「クリシェ」のパリ録音で完成したといえるだろう。

ター坊の透き通るような声が、ワルツ・サウンドにこの上なくマッチしている。

「つむじ風〈tourbillon〉」は、明るくほっこりするような歌曲。アレンジもぴったりで、純正のシャンソンと言われても、そのまま信じてしまいそう。

「思ひ出〈memoire〉」は前曲とは対照的な、別れの歌。

ストリングス、アコーディオンの響き、そして淋しげなター坊の歌声に、胸を締め付けられそうになる。

「夏色の服」は、服とそれにまつわる恋の思い出を語る、これもまた感傷的な歌。

ミュジーのピアノの一音、一音が、聴くものの心に沁みていく。たとえ、恋することをとうの昔に忘れた人の心にも。

B面ラストの「黒のクレール(reprise)」は、ミュジーのピアノ、弦楽をフィーチャーしたインストゥルメンタル・ナンバー。歌詞なしでも、原曲の中に含まれる感情を完璧に表現している。

A1との最大の違いは、フェイドアウトせずにメジャーコードで終わっているところ。

たった3分でも、ひとつの映画を観終えたような充足感がある。さすが、映画音楽のマエストロである。

ター坊の描く純度の高い音楽世界はわれわれに、下世話な世間、煩雑な日常をいっときでも忘れさせてくれる。

悲しい、実りの少ない恋をしている人には慰めを、幸せな恋をしている人にはより一層の祝福を与えてくれる。

そんなミューズの化身、大貫妙子がこの国にいてくれることに、ただただ感謝。

<独断評価>★★★★☆

音盤日誌「一日一枚」#423 来生たかお「遊歩道」(キティ 28CS 0020)

2023-01-14 05:09:00 | Weblog
2023年1月14日(土)



#423 来生たかお「遊歩道」(キティ 28CS 0020)

シンガーソングライター、来生たかおのスタジオ・アルバム。82年リリース。多賀英典によるプロデュース。

来生は50年生まれ。76年にレコード・デビュー。自身はヒットを出せずにいたが、77年のしばたはつみに提供した「マイ・ラグジュアリー・ナイト」がヒットし、作曲家として注目されるようになる。

81年、「Goodbye Day」のヒットでシンガーとしてもようやくブレイク、同年「夢の途中」(「セーラー服と機関銃」のオリジナル)が大ヒットとなる。

この「遊歩道」は実にデビュー7年目、8枚目のオリジナル・アルバムなのである。

昨日きょうデビューのポッと出アーティストには出せない高い完成度を持った、一級品のポップスが詰まったアルバムだ。チャート的にはオリコン12位と、大ヒットした7枚目「夢の途中」の2位には劣るが、大善戦している。

全曲、作詞は実姉の来生えつこ、作曲は来生本人である。

オープニングの「High Noon」は8分近くにおよぶ大曲。でもその長さを感じさせない、ミディアム・テンポのバラード。編曲は矢倉銀、坂本龍一。

ピアノ、シンセを含む全てのキーボードを坂本が担当、ホーン、ストリングスも入った大編成で奏でられるナンバー。

真夏の風景をファンタジーとして捉えた、来生姉の感性が光っている。

前曲にすぐ繋がるように始まる「蜜月」は、たゆたう海のようにゆったりとしたビートのナンバー。編曲は坂本。

どことなくエロティックで意味深長な歌詞。三十過ぎの大人にしか歌えませんな、これは。

恋というものは、その予兆の時期こそが一番美しく、楽しみにも満ちているのだが、まさにそのことを歌った佳曲。

一転して、ポップな雰囲気の一曲は「渚のほのめき」。編曲は坂本。ファンキーなビートが効いた、ポップ・ナンバー。

来生、そして好敵手の山下達郎、南佳孝あたりもお得意とする、リゾートものである。

プールサイド、あるいは浜辺で繰り広げられる恋の攻防戦が、ここでも熱い火花を散らしているのだ。

本盤の中では一番華やかな世界。あゝ、こういうトロピカルな恋を一度は味わってみたいと、男なら誰でも思うことだろう。

登場するヒロインは、貴方のお好きな女優に変換してみてください。

A面ラストは「Midnight Step」。ピアノ・サウンドをベースとした編曲は坂本。恋のさやあてを描いた、ちょっとほろ苦いナンバー。

現実の恋は、そうそう甘ったるいものではなく、常にすれ違いや誤解、心変わりに彩られている。

ダンスのパートナーも、変えないといけない時がいずれ来る。そんなビターな現実を粋な歌詞にのせて、来生はさらっとうたう。

綺麗事ばかりの歌でないところが、多くのリスナーの共感を呼ぶゆえんだと思う。

B面オープニングの「疑惑」は、タイトルが示すようにネガティブな感情を歌ったマイナー・ラブ・ソング。曲調が「夢の途中」によく似ているなと思ったら、同じく星勝の編曲でした。

当然といいますか、この曲もヒットを狙ってシングル・カットされている。

恋人の心を信じきれず、それでもすがることしか出来ない心情が歌い込まれている。来生のナンバーとしては、わりと後ろ向きな内容なのが、好みの分かれるところだろう。

「坂道の天使」は人の善性の素晴らしさを歌う、前曲とはだいぶん雰囲気の異なるバラード。編曲は坂本。

ちょっと世を拗ねた、ニセ刑事コロンボみたいな男が主人公。彼が、まっすぐな心の持ち主であるヒロインと出会って変わっていく。まるで一編のドラマのようである。

あるいは、漫画家の北条司氏が短編マンガにしていても、おかしくない内容だ。というのは、氏は来生のファンで、「キャッツ❤️アイ」の来生姉妹は彼の名字からとっているぐらいだからね。

「蟠(わだかま)り」は、典型的な失恋ソング。女優のように魅力的な女を演じてきた恋人の本性を知り、落胆する男。なんとも切ない恋の幕切れを描いたバラード・ナンバー。編曲は星。

筆者も聴いているうちに、当時自分がしていた実らぬ恋のことをまざまざと思いだして、息苦しくなってしまった。過去のアルバムを聴くと、こういう効果までもたらされてしまうのは、いいことなのか、悪いことなのか(笑)。

誰にでもある青春の苦しみ、それを来生は代わりに歌ってくれているのだ(当時彼はすでに結婚していて、子供もいたけれど)。

「テレフォン・ララバイ」はピアノ・ロックな一曲。来生の敬愛するギルバート・オサリヴォン、ハリー・ニルスンも彷彿とさせるナンバーだ。編曲は矢倉。

間奏の、松田真人のエレピが実にいい雰囲気をだしている。

まだ、ケータイなどなかった時代に書かれた歌詞だから、テレフォンとはもちろん、固定電話のこと。

恋人たちは、会えない夜は自宅の固定電話でコミュニケーションを取ったものだった。「デンワのコード たぐり寄せたいほど」なんて歌詞には、グッときてしまう。

今の恋人たちには、こんな感覚、あるのだろうか?

B面ラストの「スローナイト」は極めつきの来生スタイルなバラード。編曲は星。

ストリングス、ホーン、そしてハープ。

ラグジュアリーの限りを尽くしたバッキングで、始まったばかりの恋を歌う。

焦らずにゆっくりと愛し合う、ひと組の男女。

その、スローモーション映像が目に浮かぶ。

シングルにしてもいい良曲。でも、あえてシングルにせず、アルバムの最後のお楽しみにしたのだろう。

来生姉弟のそれぞれのセンスが融合した、極上の逸品がここにある。

四十年の時を経て、もう一度味わってみよう。

<独断評価>★★★★☆

音盤日誌「一日一枚」#422 DONALD FAGEN「ナイトフライ」(ワーナーパイオニア PKF-5320)

2023-01-13 05:43:00 | Weblog
2023年1月13日(金)



#422 DONALD FAGEN「ナイトフライ」(ワーナーパイオニア PKF-5320)

米国のロック・ミュージシャン、ドナルド・フェイゲンのファースト・ソロ・アルバム。82年リリース。ゲイリー・カッツによるプロデュース。

ドナルド・フェイゲンはいうまでもなく、ロック・バンド、スティーリー・ダンの看板シンガー/キーボーディスト。

80年代に入り、フェイゲンがスティーリー・ダンとしての活動を一旦休止して、ソロ・アーティストとしてリリースしたのがこのアルバムだ。

76年のアルバム「幻想の摩天楼」以降80年の「ガウチョ」まで、バンド形態ではなく、フェイゲンとウォルター・ベッカーのユニットになっていたスティーリー・ダンだったが、ついにそれも終わって、いよいよ解散かと思われていた時期に、フェイゲンが本作を出したのである。

ジャケット写真は、1950年代とおぼしきディスク・ジョッキー(DJ)に扮したフェイゲン。「これから最新のご機嫌な音楽をお届けするぜ」ってことなんだろうが、ラジオから流れるのは、もちろん50年代ではなく80年年代の最新ミュージックだ。

その一方で、歌詞内容は50年代の時事を題材にしていたり、タイトルに懐古趣味が感じられるものが多かったりする。

この「二重構造」が、いかにもフェイゲンらしい洒落っ気を感じさせるね。

オープニングの「アイ・ジー・ワイ」は、レゲエ風の後乗りビートのナンバー。でも露骨にレゲエっぽくはない。意識して聴けばそれと分かる程度の、さりげなさ。何より、横溢する夜と都会のムードが、レゲエの世界とは真逆だ。

フェイゲン自身によるシンセ・ハープが独特の空気感をもたらしている。

シングル・ヒットもしているので、覚えている人も多いだろう。

「グリーン・フラワー・ストリート」はジャズの名曲「グリーン・ドルフィン・ストリート」のもじりなのだろう、アップテンポのビート・ナンバー。シンセ・ビートがいかにも80年代っぽい。

この曲のリード・ギターはラリー・カールトン。スティーリー・ダンのバッキングの常連である。ソロを大仰にではなく、さらりと決めてくれるのがいい。

「ルビー・ベイビー」は本盤唯一のカバー・ナンバー(他は全てフェイゲンの作品)。米国のドリフターズのヒット曲だ。リーバー=ストーラーの作品。

典型的なR&Bもフェイゲンの手にかかれば、最新の音楽になる。ビートは完全に80年代のもの。

一方、間奏のピアノ・ソロがいかにもジャズィ。弾いているのは、グレッグ・フィリンゲインズ。

A面ラストの「愛しのマキシン」は、ゆったりしたテンポのラブ・バラード。ジャズ色濃厚な、多重録音によるコーラスがイカしている。女声はヴァレリー・シンブスン。

そして、ムードを最高に盛り上げるのは、マイケル・ブレッカーのテナー・サックスだ。

B面オープニングの「ニュー・フロンティア」はアップ・テンポのロック・ナンバー。シングル・カットされてPVも作られている。

この曲でも、カールトンが燻銀のような名人芸を聴かせてくれる。

「ナイトフライ」はタイトル・ナンバー。「深夜族」というような意味だ。つまり深夜番組を担当するDJのこと。ラジオ局名もここで明かされて、タイトル回収となる。

三たび、カールトンが洒落たソロで、サウンドを盛り立ててくれる。

「グッバイ・ルック」はラテン・ビートのフュージョン・ナンバー。キューバの革命をテーマにしているようだ。この曲でもカールトン、大活躍。

B面ラストの「雨にあるけば」は原題が「Walk Betwen Raindrops」の軽快なシャッフル・ナンバー。タイトルやサウンドが示すように、ノスタルジックな雰囲気がプンプンとしている。

この曲の、フェイゲンのオルガンがまた、いいんだな。

ロックというカテゴリに入るんだけれど、全編、ほぼジャズへの憧れが溢れているサウンド。完全にアダルト向きの作りだが、汗みどろなロックに食傷気味のリスナー、音楽にオシャレっぽいものを求める人々には大ウケだったのを覚えている。「カフェバー文化」がにわかに注目されるようになったのも、このアルバムが出た82年頃かな。

これまでも一部紹介してきたように、アルバムへの参加ミュージシャンは、例によって超豪華な面々。

ギターはカールトン、ディーン・パークス、リック・デリンジャー、ヒュー・マクラッケン、スティーブ・カーン。

ベースはアンソニー・ジャクスン、チャック・レイニー、マーカス・ミラー、ウィル・リー。

ドラムスはジェイムズ・ギャドスン、ジェフ・ポーカロ、エド・グリーン、スティーブ・ジョーダン。

キーボードは、フィリンゲインズ、ロブ・マウジー、マイケル・オマーティアン。

ホーンはマイケル&ランディ・ブレッカー、デイヴ・トファーニ、ロニー・キューバーほか。

これだけのメンバーを易々と集められるミュージシャンはフェイゲンぐらいのものだろう。

アルバムは当然のように大ヒット。全米11位を記録している。

このソロ・アルバムの成功によって、ファンたちにはスティーリー・ダンの終了は、ほぼ確定事項のように感じられた。

だって、ベッカーが不在であることのデメリットが、ほとんど感じられないぐらいの、見事な出来映えであったのだから。デジタル初期の録音も、最高レベル。

ベッカー本人はドラッグ中毒にハマり、音楽どころでなかったようだし、もうコンビ復活は無理と思われてもいたし方ない状況だった。

その後、ベッカーはドラッグをなんとか克服する。

93年、フェイゲンはソロ・アルバム「カマキリアド」のプロデュースをベッカーに依頼し、ふたりの活動はようやく再開する。

そして「スティーリー・ダン」を復活させ、再びアルバム2作を作ることになる。

「ナイトフライ」は、そんな長いグループ沈滞期に作られたアルバムだが、その出来は「彩」にも匹敵するクオリティだ。

やはり、フェイゲンの才能はとんでもない。スティーリー・ダンのファンだけでなく、耳の肥えたリスナーには全員聴いて欲しいアーティストなのである。

<独断評価>★★★★★

音盤日誌「一日一枚」#421 下田逸郎「陽のあたる翼」(ポリドール MR 5045)

2023-01-12 05:52:00 | Weblog
2023年1月12日(木)



#421 下田逸郎「陽のあたる翼」(ポリドール MR 5045)

シンガーソングライター、下田逸郎のサード・アルバム。74年リリース。

これは筆者としては思い入れのある1枚だ。この中の数曲を、高校2年の文化祭のステージで歌ったぐらいなのだから。

下田逸郎のことを知る若者は少ないと思うのでざっと紹介しておくと、60年代末より活動していた「東京キッドブラザーズ」というミュージカル専門の劇団で、音楽担当をしていた人なのだ。

71年にファースト・アルバムをリリースしてレコード・デビュー。一般的には73年のシングル「帰ろう」、アルバム「飛べない鳥、飛ばない鳥」を出した頃から知られるようになる。

筆者は当時彼が出演していた深夜ラジオ番組での、ナマの弾き語りを聴きながら、受験勉強をしていたという記憶がある。そこで聴いた「タバコ」や「さみしい人達」などが心に残り、筆者はフォークソングサークルのライブ演目として、彼の曲を演ることにしたのだった。

アルバムのクレジットには、プロデューサーの名はなく、ディレクターは金子章平。かの安全地帯を見出して、育てた人だ。他にも井上陽水、中山ラビ、カルメン・マキ&オズ、遠藤賢司らを手がけた職人肌のディレクター、プロデューサーであった。

アレンジャーは、当時わずか21歳で加藤和彦とサディスティック・ミカ・バンドに所属していた高中正義。彼が全編にわたっていい仕事をしている。

下田が本来持つ音楽性であるフォークと、高中のロックが融合して、大人のポップ・ミュージックへと昇華しているのだ。

「からだふたつ、こころひとつ」はストリングス(実は深町純によるメロトロン)演奏で始まるバラード。男と女の、身体と心のまじわりを平易な言葉で歌う、究極のラブソング。

童貞の少年にとっては、歌いこなすにはいささかハードルの高い歌だったな、あれは(笑)。

「古い愛の唄」は、シングル・カットされ小ヒットした作品。高中のツインリード・ギターによるラテン・ロック風の派手な編曲で話題となり、下田の知名度アップにも一役かった曲だ。今聴いても違和感のないアレンジで、実にカッコいい。

フラメンコ風の「古い唄」を最新のアレンジで聴かせるとは、なかなかいいアイデアだったなと思う。

「タバコ」はアコースティック・ギターをフィーチャーしたフォーキーなナンバー。下田のふるえるような高めの声が印象的だ。優しさ、儚さ、そして温かさ。それがこの1曲に詰まっている。

「さみしい人達」は、ジャズやロック、クラシックなどのフュージョン(当時はクロスオーバーと言っていたな)なアレンジが見事な、フォーク・バラード。元六文銭の原茂のドブロ・ギターがいい味を出している。

都会人の孤独感をテーマにした歌詞が、いま聴いても沁みるなぁ。

A面ラストの「ラブとりっぷ」は、下田のラジオ番組のタイトルにもなっていたビート・ナンバー。彼の劇団スタッフとしての経験が歌詞にも色濃く投影されている。男と女がうまくやっていくことの難しさを、コミカルな表現も交えて歌ってくれる。

中盤からの高中のハジけかたがスゴい。ミカ・バンドが解散してソロになってからの彼を思わせるような、はっちゃけたギター・ソロは圧巻。いわば、トロピカルな高中の予行演習ってところか。

B面最初の「ドラマ」は、力強いビートに支えられたバラード。少しシニカルな歌詞、でも前向きに生きていこうという気にさせる曲だ。

ひとの人生は、それぞれ一編のドラマ、ひとつひとつに価値がある。そんな下田の想いが感じられる。

「哀しい唄」はフォルクローレ調のアレンジのナンバー。物悲しいメロディに、彼の声がマッチしている。

「あなたに会って気づきました ひとりでひとりで飛ぶこと」という最後の歌詞が、なんとも印象的だ。

このアルバムタイトル「陽のあたる翼」にしても前アルバムにしても、他の曲の歌詞にしてもそうなのだが、「翼」「飛ぶ」「鳥」という一連の言葉が、下田の中で重要なキーワードになっているのは明らかだろう。

子鳥が親元を離れてひとり飛び立つように、われわれヒトも飛ぶことを覚えて、どこかへと旅立っていく。

「飛ぶ」とは「自立する」ということをも意味するのだろうな。子供ながら、そんなことをつらつら思った当時の筆者であった。

「時は過ぎて」は「古い愛の唄」と好一対をなすフラメンコ風のコード進行のナンバー。アレンジはラテン・ロック。高中の激しいソロが、曲の持つ緊迫感をさらに高めている。

「好きだよ」は一転してやさしいムードの、ロッカ・バラード。女声コーラスが大人のポップスらしさを演出している。

歌詞のストレートな愛情表現が、当時の少年リスナーには、えらくまぶしく感じられたものだった。

「そんなこともあるのさ」は、オルガンの軽快なサウンドが耳に残るロック・ナンバー。明るくさらっとした歌い方であるが、逆に、そこに避けがたい別れの辛さが表現されているんだろうな、と大人の筆者は気づいた。

B面ラストの「この唄」は、ストリングス・アレンジでオープニングと対をなすナンバー。別れゆく恋人に捧げるバラードだ。

この場を去りがたい思いを抱きつつ、恋人との残るわずかな時間をいとおしむ、そんな風景が目に浮かぶ。

ゆったりとしたテンポで、フェイドアウトしていくような旋律。まさにラストを飾るに相応しい。

1枚を聴き終わると、さまざまな感慨が胸に沸き起こって来る。

思うに、下田逸郎が使う言葉はごくごく平易なのだが、その描く世界は実に奥深く、人生の真実をするどく掬いあげてみせる。

でも、そこで突き放すようなことはせずに、全てに優しい視線を向けている。他人にも、自分にも。

そんなところに、少年の筆者も強く惹かれたのに違いない。

そして本盤の魅力はもうひとつ。サウンドの多彩さ、そしてそのクオリティの高さだ。

なにしろ、バック・ミュージシャンは実力派が勢揃い。これまであげた以外にもドラムスの林立夫、アコギの安田裕美、水谷公生、キーボードの松任谷正隆、岡田徹などがサポートしていて、聴きごたえは十分だ。

そして、21歳ですべての曲をアレンジした高中正義の才能には、敬服するしかない。

ペーター佐藤(佐藤憲吉)のイラスト・ジャケット(特に裏面)も秀逸なので、ぜひ現物を手に取って欲しい1枚だ。

<独断評価>★★★★

音盤日誌「一日一枚」#420 DR. FEELGOOD「DOWN BY THE JETTY」(ワーナーミュージック ジャパン WPCR-15503)

2023-01-11 05:33:00 | Weblog
2023年1月11日(水)



#420 DR. FEELGOOD「DOWN BY THE JETTY」(ワーナーミュージック ジャパン UA WPCR-15503)

英国のロック・バンド、ドクター・フィールグッドのデビュー・アルバム。75年リリース。ヴィック・メイルによるプロデュース。

ドクター・フィールグッド(以下DF)はリー・ブリロー(Vo、Hca)を中心に結成された4人編成のバンド。

エセックス州のローカル・バンドとして結成されたのが71年なので、レコードデビューまでは結構時間がかかっている。

しかし、メジャーデビュー、即大人気となり、76年のライブ盤「殺人病棟」は全英1位の大ヒット。

しかし、主要メンバーのウィルコ・ジョンスン(G)が77年に脱退したことにより、一時盛り上がった人気も冷めてしまう。

ブリローが94年に亡くなった後も、新ボーカルでバンドを継続して現在に至っているが、ジョンスンに言わせると「自分が脱退した時にDFは終わった」とのことである。

筆者も、DFの最大の魅力はジョンスンの指弾きによるギター・プレイ、そして彼の作る曲にあると思っているので、彼らの全盛期は2年で終わったのだと思う。

このデビュー盤は、全13曲。ほとんどが3分前後の、短い曲ばかりだ。60年代前半のポップ・アルバムの大半がとっていた、シングル曲の寄せ集めみたいなスタイルだが、これが複雑化、難解化、重厚長大化の一途であった当時の英国ロック界に新鮮な衝撃を与えた。

いわゆるパブ・ロックの誕生、台頭である。

オープニングの「She Does It Right」は、軽快なロックンロール。単純なリフの繰り返しが快感なナンバー。これこそが、DFの真骨頂なのだ。

彼らのライブを観たことがある人なら覚えているだろうが、演奏時の、メンバーの奇妙な往復歩行運動が笑える曲だ。

続く「Boom Boom」はもちろん、ジョン・リー・フッカー62年のヒットのカバー。ブリローのブルース・ハープがイカしている。

ブルース、ブギといった黒人音楽もまた、DFの重要なエレメントだ。

「The More I Give」は、どことなくニューオリンズR&B風の明るいナンバー。この脳天気さが、難解になったロックを解きほぐしてくれる。

「Roxette」はシングル・カットされたナンバー。シンプルなビート、印象的なリフの繰り返し、そしてハープのブロー。ノリの良さだけで、最後まで突っ走る曲調、これぞDF。

「One Weekend」は、ひたすらネアカなロックンロール。「That Ain’t the Way to Behave」は、ミディアム・テンポのシャッフル。ジミー・リード風のひなびた雰囲気のブルースだ。「I Don’t Mind」は典型的なDFサウンド。ボ・ディドリー風のジャングル・ビートにハープ。かつてヤードバーズが得意としていたスタイルだ。

彼らはヤードバーズやストーンズといった、英国のビート・バンドの原点、すなわちロックンロール、ブルース、R&Bへの回帰を目指していたということなんだろう。

「Twenty Yards Behind」はスカ・ビートがめちゃカッコいいナンバー。ステージでは絶対盛り上がったに違いない。ツートーンが流行るよりずっと前にこれをやっていたDFはスゴい。

「Keep It Out of Sight」は黒人ブルースのビートをベースにした、ヘビーなナンバー。軽めの曲が多い中では、異彩を放っている。

「All Through the City」は「She Does It Right」によく似たスタイルのロックンロール。ソリッドなテレキャスター・サウンドが耳に残るナンバー。「Down by the jetty」という歌詞で分かるように、実質的なアルバム・タイトル・チューン。

「Cheque Book」は英国のロックミュージシャン、ミッキー・ジャップの作品。ギターのカッティング、リズム隊の刻むビートに、DFならではのグルーヴが感じられる。

「Oyeh!」は英国のロック・ギタリスト、ミック・グリーンの作品。グリーンといえば、ジョニー・キッド&ザ・パイレーツのメンバーとして有名だが、DF、とりわけジョンスンがグリーンから受けた影響はハンパないようだ。そのリスペクトの表明として、こんなインスト曲をわざわざやっているのだから。

前出の「Keep It Out of Sight」も、パイレーツの影響のもとに生まれたナンバーだそうで、

ラストは「Bonie Moronie」「Tequila」のメドレーのライブ録音。

前者はニューオリンズのシンガー、ラリー・ウィリアムズがヒットさせたロックンロール。後者はチャック・リオが書き、チャンプスがヒットさせたラテン・ナンバー。ホーン・セクションも含めた編成で、乗りに乗りまくるDFが実にいい感じだ。

つまりは、「パーティ・バンド」として最高なんだな、ドクター・フィールグッドは。

「七面倒な理屈は他のバンドに任せておけばいい。オレたちはひたすら楽しい音楽を提供するぜ!」

こういう気概を感じさせてくれるデビュー盤。

同じ阿呆なら、踊らにゃ損損。テンションアゲアゲになりたいなら、この一枚ですぜ。

<独断評価>★★★★

音盤日誌「一日一枚」#419 BECK, BOGERT AND APPICE「BECK BOGERT AND APPICE」(Columbia 32140)

2023-01-10 05:00:00 | Weblog
2023年1月10日(火)



#419 BECK, BOGERT AND APPICE「BECK BOGERT AND APPICE」(Columbia 32140)

ベック・ボガート& アピスのデビュー・アルバム。73年リリース。ドン・ニックスによるプロデュース。

ベック・ボガート& アピス(以下BB&A、BBAとすると別の意味もあるので)は72年結成。グループ結成までのいわく因縁はあちこちで書かれていて、皆さんも耳タコ状態だと思うので、ごく簡単に。

第1期ジェフ・ベック・グループ時代にベックが知り合った米国のバンド、ヴァニラ・ファッジにいたリズム隊がボガートとアピス。彼らの超絶プレイをいたく気に入ったベックが「一緒にやろうぜ」と持ちかけたのだが、ベックが交通事故に遭い、バンド結成は頓挫。仕方なくふたりはカクタスに参加。カクタスが72年に解散して、ようやくBB&Aが実現の運びとなったのだ。

しかし、長い両片思いの末ようやく恋が成就したカップルが意外とすぐに別れてしまうように、BB&Aの活動も実に短かかった。スタジオ・アルバムとしてはこの1枚のみ。当時日本限定発売だった来日ライブ盤を含めても2枚のみのリリースで、74年には解散してしまう。

当時「最強のロック・トリオ」(スリーピース・バンドって言い方はまだなかった)と呼ばれて、将来を期待されていたのに、本当にもったいない話だった。

まぁそれでも、2枚のアルバムがホントに素晴らしいので、ファンはこれを繰り返し聴くだけでも至福の時を味わえるのだ。

オープニングの「黒猫の叫び」は、プロデューサー、ドン・ニックスの作品。黒猫にまつわる迷信はブルースでもよく題材になるが、これもその流れにあるブルース・ナンバー。

ベックのヘタウマ・ボーカルと、フツウマ・スライドギターが楽しめる。

続く「レディー」は「BB&Aスゲー!!」とわれわれロック少年を狂喜興奮させた超絶テク全開なロック・ナンバー。メンバー3人ほかの共作。

ここでの彼らのスーパー・プレイが、ZEPやパープルらを一気に抜いて、ロック・バンドの世界水準になったと言っていい。

ボガートの普通のブレべを弾いてるとはとうてい思えない、スピーディでグルーヴィなベース、アピスのド派手なパワー・ドラミング、そして彼らに一歩たりとも引けを取らず、ありえないような神プレイを繰り出すベック。

ヤードバーズの過去の栄光にすがるスターではなく、現在進行形でトップ・プレイヤーであることを、この1曲で証明して見せたのだ。

これでつかみはオーケー、後は怒涛の進撃が続く。「オー・トゥー・ラヴ・ユー」は、メンバーの共作。スロー・テンポのラヴ・ソング。

前曲でもそうだったが、ボガート、アピスのツイン・ボーカルがカッコいい。ふたりともリードが取れるし、ハーモニーもバッチリ。さすがヴァニラ・ファッジ以来の長いコンビ、息の合い方がハンパない。

ロック・バンドとして最強なだけでなく、ポップ・ボーカル・バンドとしての水準も高いのがBB&Aの強みだった。

A面ラストは「迷信」。言わずと知れたスティーヴィ・ワンダーの作品で、ベックがアルバム「トーキング・ブック」の録音に参加したお礼として、ワンダーから贈られた曲だが、ワンダー本人のバージョンが大ヒットしたわりに、BB&Aのバージョンのセールスはイマイチであった。

それはともかく、ライブ・ステージではトーキング・モジュレーターを使ったトリッキーな演出で盛り上がるナンバーでもある。ワンダー以上にヘビーなノリに仕上がっている。

ブラック・ミュージック大好きなベックらしい、ファンクなナンバー。筆者も、もちろんオキニであります。

B面トップは「スウィート・スウィート・サレンダー」。ニックスの作品。白人シンガーソングライターでカントリー好きなニックスらしい作風のバラード・ナンバー。

日本でも、こういうカントリー・タッチのロックが好まれるようで、ロック・セッションでも取り上げられることが多い曲だ。

「ホワイ・シュッド・アイ・ケアー」は、のちにアピスとともにKGBを結成することになるシンガー、レイ・ケネディの作品。

ボガート、アピスのツイン・ボーカルをフィーチャーしたアップ・テンポのロック・ナンバー。ハモりが掛け値なしにカッコいい。

「君に首ったけ」「リヴィン・アローン」はともにメンバーの共作。前者はミディアム・テンポのハード・ロック。ブルース・フィーリング溢れるギター・プレイがいい。

後者はアップ・テンポでぐいぐいと迫るブギ・ナンバー。ギターも、ベースも、ドラムスも、おのれの出せる限界に挑戦している。メンバー全員の「本気」が、音に滲み出ていて、鬼気迫るものがある。

ラストの「アイム・ソー・プラウド」は米国の黒人ソウル・グループ、ジ・インプレッションズのナンバーで、メンバーのカーティス・メイフィールドの作品。

ソウル・バラードの名曲を、ボガートとアピスが高らかに、誇らかに歌う。実に見事なコーラスである。筆者的にイチオシ。

本盤は歌と演奏のバランスもよく、なかなかの出来映えだ。セールスも全米12位、日本でも22位とまずまずだった。その勢いで、セカンド・スタジオ・アルバムの制作も進行中だったようだ。

だが結局、それは日の目を見ることはなかった。

かねてより、「ジェフ・ベックはバンドを作ってはアルバム2枚出して潰す男」という評判が立っていたが、今回はそれ以上で、実質1枚で潰してしまった。

以降、彼はボーカルをフロントに置くパーマネント・バンドを一切やらなくなってしまう。

一体なにゆえに、ジェフ・ベックはボーカルを自分のバンドから排除してしまったのか?

その問題を語りだすと、えらく長くなると思わるので、それはまた別の機会に譲ることにしよう。

今はこの、奇跡のマリアージュともいうべき1枚を、ひたすら愛でるのみ、である。

<独断評価>★★★★☆

音盤日誌「一日一枚」#418 ELVIS COSTELLO「THIS YEAR’S MODEL」(Columbia CK 35331)

2023-01-09 05:10:00 | Weblog
2023年1月9日(月)



#418 ELVIS COSTELLO「THIS YEAR’S MODEL」(Columbia CK 35331)

英国のシンガー、エルヴィス・コステロのセカンド・アルバム。78年リリース。ニック・ロウによるプロデュース。

コステロは筆者が大学に入った77年のレコードデビューだから、世に出てもう45年以上も経っている。実に早えーもんだ。

この2枚目のアルバムが日本でも話題になったことで、洋楽リスナーにもその奇妙な芸名が認知されるようになったのを、つい昨日のことのように覚えている。

コステロは54年、リヴァプール生まれ。ジャズ・ミュージシャンだった父の影響を受けて音楽に興味を持ち、バンド活動を始めた。もちろん、地元の最大のヒーロー、ビートルズ(とりわけジョン・レノン)も彼の憧れの対象だった。

77年、パブロックの旗手ニック・ロウに認められたコステロは、彼のプロデュースでシングル「Less Than Zero」をリリースしてデビュー。同年にはファースト・アルバムも出した(全英14位)。

そしてこの「THIS YEAR’S MODEL」で全英4位、全米30位となり、人気に拍車がかかった。

オープニングの「No Action」からラストの「Radio Radio」に至るまでの11曲(米国版)はおおむね、3分弱から長くても4分以内の短い曲ばかり。

ロックの楽曲の長尺化が進んでいた70年代においては、それは明らかな逆行現象だったが、それがむしろ大曲にうんざりしかけていたリスナーには、新鮮に感じられたのだろう。

当時はパブロックというジャンルに一応は区分けされたコステロの音楽だが、実際にはさまざまな要素を含んでいる。

それは彼が芸名として使ったエルヴィスだったり、ビートルズだったり、ビーチボーイズだったり、さらにはバディ・ホリーだったり。さらにはフィル・スペクターあたりも含まれる。

要するに、コステロが聴いてきた過去のロックやポップのエッセンスがすべて散りばめられていると言っていい。

もちろん、それはそれとすぐ分かるかたちで模倣されているわけではなく、あくまでも隠し味として使われているわけだが。

「No Action」は、コーラスワークが印象的なナンバー。コステロといえば、そのちょっと鼻にかかったようなクセのある歌声が強烈すぎて、そればかり話題になりがちだが、コーラスも実にパワフルなのだ。

それは他の曲についても言える。次の「This Year’s Girl」とかラストの「Radio Radio」とかがそうだ。ある意味、さわやかささえ感じる。

ポップ・ミュージックはソロボーカルのアーティストと、コーラス中心のアーティストが交互に覇権を取る、みたいな歴史を繰り返してきた。例えば、エルヴィス→ビートルズ→レッド・ツェッペリンのように。

その伝で言えば、コステロはソロボーカル型のアーティストなのだが、そこにとどまらずコーラスの方にも力を入れているところが、従来にはあまりないパターンだと言えそうだ。ソロとコーラスの二段重ね、この「コテコテ感」が好きな人にはたまらないのだ。

「Little Triggers」はバラード・ナンバー。デビュー・アルバム中の「Alison」に代表されるように、コステロはバラードもけっこう数多く書いていて、その人気は高い。彼の独特な声で歌われる甘いラブソングも、けっこうわるくない。

「Hand In Hand」「Lip Service」のようなメロディアスで軽快な曲もコステロに多い。ポップ職人的なセンスが感じられるナンバーだ。

ポップ職人と言えばその代表格、トッド・ラングレンあたりに通じるものもある。ユートピアが「Face The Music」で初期ビートルズをトリビュートしているが、それと聴き比べてみると面白いだろう。バックのサウンドはかなり違うが、メロディ・センスはわりと近いように思う。

コステロは常に「ジ・アトラクションズ」というバンドと音作りをともに行っているが、このバンドの最大の特徴はオルガンの音だな。

MG’Sのような厚みのあるオルガン・サウンドではなく、むしろ60年代のガレージ・バンド、あるいは日本のグループ・サウンズのようなチープな音。これが独特の味をかもしだしている。「The Beat」「Pump It Up」「You Belong To Me」「Living In Paradise」といったビート・ナンバーで、その好例を聴くことが出来る。

アトラクションズの(意外に)高い演奏力は「Lipstick Vogue」で最も発揮される。ベースを前面にフィーチャーしたパワフルな演奏は、単に過去のバンドのフォーマットをなぞるだけではない、ニューウェーブを模索するバンドの「意気込み」を感じさせる。

コステロは、そのルックスで分かるように、バディ・ホリーに始まったメガネロッカーの系譜に位置づけられるひとりだろう。ハンク・マーヴィン、ジョン・レノン、エルトン・ジョン、そしてコステロだ。

彼らの多くに共通するのは、ロック・スターというよりも一般ピープル的なスタンスで音楽を追求する姿勢ではないだろうか。

コステロも20歳と若くして結婚、デビュー時には既に子供もいた。ロック・スターを目指していたら、そいつはご法度だろうが、何よりも生活者としての自分を大切にして、日々の暮らしの中から歌の題材を得ていく、そういうライフスタイルを彼の作品に感じとることが出来る。

商業主義的音楽とは一定の距離を取り、その中に埋没しないコステロの姿勢には、好感を持つ筆者である。

ロックが巨大産業化した70年代後半に、パブロックやパンクといった「揺り戻し」が自然発生的に起こっていったが、コステロはまさにその立役者のひとりとなった。

社会風刺的な歌詞、アクの強い歌声、ガレージっぼいサウンド、でもメロディは王道そのものという、不思議な個性を合わせ持つ新時代のヒーロー。

新たなリヴァプール・サウンドの誕生を告げる一枚である。

<独断評価>★★★★

音盤日誌「一日一枚」#417 SONNY BOY WILLIAMSON「HIS BEST」(MCA/Chess CHD-9377)

2023-01-08 06:16:00 | Weblog
2023年1月8日(日)



#417 SONNY BOY WILLIAMSON「HIS BEST」(MCA/Chess CHD-9377)

サニーボーイ・ウィリアムスンのチェスにおけるベスト・アルバム。97年リリース。

サニーボーイ二世ことアレック・ライス・ミラーは、これまでもオリジナル・アルバムを4枚取り上げて来た。

どのアルバムも良盤なので、出来れば全てを聴くのがいいのだが、実際には特にファンでもないリスナーは、そうもいかないだろう。

もし「一枚だけ聴いて彼の全容を把握したい」というのならば、このアルバムが一番適当なのではなかろうか。LP2枚分、20曲が収められていて、サニーボーイの世界をじっくりと堪能出来るからだ。

アルバムは「Good Evening Everybody」でスタート。サニーボーイの作品(基本的に彼のナンバーはオリジナル)。

最初期の55年と時代的に古いせいか、演奏も録音もラフな感じだ。他のアルバムにはほとんど収められていないので、要チェキな一曲。

ギターはジミー・ロジャーズ、マディ・ウォーターズ、ピアノはオーティス・スパン、ベースはウイリー・ディクスン、ドラムスはフレッド・ビロウと、チェスの代表選手が勢揃い。先日取り上げたロジャーズのパーソネルとほぼ共通している。

同じメンバーで2曲続く。「Don’t Start Me To Talkin’」「All My Love In Vain」だ。前者はサニーボーイのブロウがカッコよく、彼の代表曲ともいえる。後者はタイトルは似ているが、ロバート・ジョンスンの「Love In Vain」とは全く違う曲である。

上記のメンツからスパンが抜けて、ギターがルーサー・タッカー、ロバート・ロックウッド・ジュニアに代わったラインナップで3曲。

56年録音の「Keep It To Yourself」はダブル不倫のカップルが主人公という、刺激的な歌。まぁ、寝取られ(NTR)は黒人ブルースにありがちなテーマだが。ディクスンの曲「Back Door Man」とかがそうだ。田舎の小作農の黒人にとっては、NTRも数少ない娯楽のひとつ、なのかな?

「Fattening Frogs For Snakes」は珍妙なタイトルだが、当然ながらウラの意味がある。英語に堪能な方は歌詞にも注意して聴いてみよう。

タネ明かしをすると、カエルとは弱いくせに賭博で有り金を全部かけてプロにカモにされる素人、ということのようです。

「I Don’t Know」はもちろんウイリー・メイボンの名曲とは別物であります。

「Cross My Heart」「Born Blind」「Ninety Nine」はこの3曲のメンバーにスパンが加わってのレコーディング。57年録音。

この中では、スロー・ブルース「Cross〜」のギターオブリがこの上なくイカしている。必聴。

以上の曲の大半は、「Down And Out Blues」、そう、ホームレス老人のジャケ写で有名なアルバムでも聴ける。

続いて、ギターのうちタッカーがユージーン・ピアスン、ピアノがラファイエット・リークに代わったナンバーが2曲。「Your Funeral And My Trial」「Keep Your Hands Out Of My Pockets」だ。58年録音。

ピアノのリークが、バックで結構熱演をしているのが、後者。50年代ブルースの影の立役者は、やはりピアノだな。

再び「Cross〜」等と同じメンバーで「Sad To Be Alone」「Checkin’ Up On My Baby」。ともにアルバム「The Real Folk Blues」でも聴ける。

後者はとりわけイカした、アップテンポの演奏だ。数あるサニーボーイの曲の中でもベストスリーに入る出来ではないかな。

ロックウッドのギターが入ると、それだけで演奏がビシッとしまるように思う。この人ホント、ツボを押さえているんだよなぁ。

「Down Child」はギターがタッカー、ロックウッド、ピアノがリーク。60年の録音。

「Nine Below Zero」は「Cross〜」と同じ編成。61年録音のスロー・ブルース。

これも重要な曲だ。アルバム「More Real Folk Blues」でも聴ける。

終盤はパーソネルも大きく変わり、ギターがマット・ギター・マーフィ、ベースがミルトン・レクター、オルガンがビリー・エマースンまたはリーク、ドラムスがアル・ダンカンになる。

伝統的なブルース・スタイルから60年代らしい、よりコンテンポラリーでファンキーなサウンドに変化している。

「Bye Bye Bird」は、サニーボーイひとりだけでも演ることのあるナンバー。サニーボーイとディクスンの共作。63年の録音。

ここではアップ・テンポで快調な演奏を聴かせてくれる。

「Help Me」はブッカー・T・アンド・MGズを意識したようなビートとオルガン・サウンド。63年の録音。

哀願するような、もの悲しい歌とハープがしみる名曲。

「Bring It On Home」はディクスンの作品で、レッド・ツェッペリンのカバー(一部だけど)で知られるナンバー。歌とハープの巧みな切り替えは、まさに至芸だ。

最もあとの時代と思われるレコーディングは「My Younger Days」。

ギターがバディ・ガイ、ベースがエイシズのジャック・マイヤーズ、ピアノがリーク、ドラムスがビロウ、サックスがドナルド・ハンキンス、ジャレット・ギブソン。

ギターが変わりホーンも加わると、サウンドの印象もだいぶ違ってきて、都会的な感じだ。

そしてラストの61年録音、「One Way Out」でシメとなる。これはベストワンにしてもいい名演だ。

この曲は、オールマンズのカバーで有名となった。もともとはエルモア・ジェイムズの曲だけどね。

メンバーは「Cross〜」と同じようだ。やはり、ロックウッドのプレイが光っている。

この曲の研ぎ澄まされたリズム感覚は、とうてい60年代初頭とは思えない。白人のロック・ミュージシャンたちにもリスペクトされたのも、むべなるかな。

この一枚を聴いて興味を持った人は、あとはヤードバーズやアニマルズとの共演盤などに手を出していくといい。

サニーボーイのひなびて古臭いようで意外と先進的なセンスを、この20曲にかぎ取って欲しい。

<独断評価>★★★★

音盤日誌「一日一枚」#416 RCサクセション「シングル・マン」(ユニバーサル ミュージック UPCY-9146)

2023-01-07 05:46:00 | Weblog
2023年1月7日(土)



#416 RCサクセション「シングル・マン」(ユニバーサル ミュージック UPCY-9146)

日本のロック・バンド、RCサクセションの3枚目のスタジオ・アルバム。76年リリース。多賀英典によるプロデュース。

RCサクセション(以下RC)は、忌野清志郎、小林和生、破廉ケンチの3人で結成された。中学の同級生だった彼らが66年に作った「ザ・クローバー」が前身で、当初はフォーク・バンドだった。

東芝音工のオーディションに合格、70年にシングル・デビュー。ホリプロに所属する。

72年の3枚目のシングル「ぼくの好きな先生」がヒット、ファースト・アルバムも出して、人気グループの仲間入りを果たす。

少し遅咲きではあったが、ようやく順調にバンド活動が展開出来ると思われていた74年、RCは思わぬつまずきを経験することになる。

当時ホリプロでRCを担当していたマネージャーO氏が、同じく担当していた売れっ子の井上陽水を引き抜いて、自ら設立した事務所に移籍させた。

RCもその新事務所に移籍することが決まっていたのだが、契約関係が残っていたこともあり、しばらくホリプロに残らざるを得なくなった。そして彼らは、仕事を完全に干されてしまったのだ。

サード・アルバムも、次に所属となる予定のレーベル、ポリドールの多賀英典のもとでレコーディングを秘密裡に進めて、74年に完成していたのだが、これが宙ぶらりん状態となってしまった。

結局、RCが新事務所に移籍出来たのは76年で、サード・アルバムも4月にようやくリリースされたのだった。

そういった、いわくつきの本盤は、それまでのRCのサウンド・イメージを大きく打ち破る、画期的な内容だった。

従来のアコースティック楽器によるフォーク・サウンドから、電気楽器、そしてホーン・セクションを導入したロック・サウンドへと大きく模様替えしたのである。

オープニングの「ファンからの贈り物」を聴いてみよう。レコードには全くクレジットされていないが、スゴく切れ味のいい、ファンキーなバック・バンド。これは一体、何者?

タネ明かしをすると、これは米国のバンド、タワー・オブ・パワーなのだ。

曲は作詞・作曲ともに忌野(作詞は肝沢幅一という変名を使っている)。アコースティック時代からのレパートリーだそうだが、見事なファンク・ナンバーに仕上がっている。

これこそが、RCが目指した新たな音なのだった。

忌野は、もともとソウル・ミュージックを愛好していて、中でもオーティス・レディングに心酔していた。

本音ではフォークよりもソウルをやりたかった忌野が、ついにその夢を実現したということなのだ。

もちろん、自前のバンドではなく、外部のミュージシャンの手を借りざるを得なかったわけで、その辺の物足りなさ、欲求不満が、のちのRCの再編成によるロック・バンド化へとつながっていく。

外部のミュージシャンといえば、本盤のもうひとりのプロデューサーとも言える、ギタリストにしてアレンジャー、星勝の果たした役割は非常に大きい。

星は日本のロック・バンドの先駆け、ザ・モップスのギタリスト。モップスは74年5月に解散したが、バンド現役時代から、星は井上陽水をはじめとするアーティストのアレンジを並行して行なっていた。

その星が、本格的なプロデューサー業に専念するようになり、成果としてこの「シングル・マン」が生まれたのだ。

「大きな春子ちゃん」は、珍しく小林(リンコ)がリード・ボーカルをとったナンバー。忌野の歌い方に似ているが、もう少しのほほんとしたユーモラスな歌声が、お茶目なこの曲にマッチしている。レゲエ・ビートのアレンジも新鮮だ。

「やさしさ」は、恋人との優しい関係に潜むエゴイズムをあぶり出した、忌野らしいブラック・ユーモアが発揮された一曲。悲痛な叫びと、乾いた笑いが同居している。

ラストのヘレン・シャピロの「悲しき片想い」をもじった、おチャラけエンドには笑いました。

「ぼくはぼくの為に」は、3人に深町純のピアノ、西哲也のドラムス、そして星のエレキギターを加えた、RCらしい生き生きとしたナンバー。が、歌詞は決して明るくなく、恋人に告げる決別の言葉である。

RCにとってのラブソングとは、どちらかといえば恋愛のハッピーな状態よりも、それが危うくなった時のことを描くもの、そんな気がする。

「レコーディング・マン(のんびりしたり結論急いだり」は、SE、そして雑多な演奏のパッチワークによる実験的ナンバー。当時の彼らの心象風景といえるだろう。

「夜の散歩をしないかね」は一転、柴田義也のジャズ・ピアノをフィーチャーした、しっとりとしたバラード。RCらしからぬアダルトな音が、異彩を放っている。

「ヒッピーに捧ぐ」は、無名時代のRCを支えてくれた、ひとりのスタッフの死に対する哀悼曲。

バックの美しいストリングスは、どうやらニューヨーク・フィルハーモニーらしい(クレジットなし)。なんとも贅沢な制作体制であった。

ラストの忌野の悲痛な叫びが、いつまでも耳に残る。

「うわの空」は「きみは空を飛ぶのが大好きなんだ」というフレーズが妙に心にこびりつく、フォーキーな一曲。

この曲も、ストリングスが効果的に使われており、アレンジした星のセンスが光っている。

恋人に他の男と結婚するようすすめる男の心情が、なんとも切ない。

「冷たくした訳は」は、ホーン・セクションをフィーチャーしたロックン・ソウル・ナンバー。80年以後の新生RCを予見するような、活気に満ち溢れている。

ドラムスは、ハプニングス・フォーのチト河内(クレジットなし)。手だれのビートはさすがである。

「甲州街道はもう秋なのさ」は、弦楽、そしてアコースティック・ギターの響きが印象的な、スロー・ナンバー。

これを聴くと、秋のわびしさが身に沁みてくるね。

ラストの「スローバラード」は、4月のアルバム・リリースに先行して1月に発表されたシングル曲。

多数のアーティストにカバーされている、名曲の誉れ高いソウル・バラード。しかし、発売当時の売れ行きは、宣伝の甲斐なくイマイチだったという。

ホーンはおそらく、タワー・オブ・パワー。テナーサックスのソロは、エミリオ・カスティーヨだろう。

「悪い予感のかけらもないさ」という忌野の反語的な叫びに、思わず涙があふれそうになる。

恋人たちのバッド・エンドを歌わせたら、忌野清志郎の右に出るものはいない、そう思う。

このアルバムの、その後についても少し触れておこう。

その充実した出来映えのわりに、プロモーションも十分でなく、完成後時間が経っていたこともあってメンバーもアピールする気合いが落ちていたため、セールスは芳しくなかった。翌年には廃盤の憂き目にあう。

これをのちに知った音楽評論家の吉見佑子が発起人となり、79年、再発売実行委員会を立ち上げて、マスコミなどの知人を巻き込んで、ポリドールへ働きかけたのである。実は、出版社勤務だった筆者の上司も、昔その運動に加わっていたという。

結果、「シングル・マン」はまず300枚限定での再プレス、自主販売となり、追加分も含めて1500枚が売れ、翌80年には正式に再発売となったのだ。

草の根的な活動が生んだ、アルバム復活のエピソードを聞くと、このアルバムがいかに魅力に満ちていたのかが、よくわかるだろう。

「シングル・マン」こそ、偉大なるバンド、RCサクセションの再スタートの原点。

50年近い歳月など、微塵も感じさせないみずみずしさを、この一枚に感じてほしい。

<独断評価>★★★★

音盤日誌「一日一枚」#415 JAMES BROWN「THE VERY BEST OF JAMES BROWN」(Polydor 553804-2)

2023-01-06 05:00:00 | Weblog
2023年1月6日(金)



#415 JAMES BROWN「THE VERY BEST OF JAMES BROWN」(Polydor 553804-2)

米国のシンガー、ジェームズ・ブラウンのベスト・アルバム。97年リリース。

ブラック・ミュージックにおけるゴッドファーザー的存在であるジェームズ・ブラウン(以下JB)について語ることは、アメリカ人でも、黒人でもない筆者にとっては容易ではない。

自分はJBの「スゴさ」「偉大さ」を語るに十分な知識も、語彙も持ち合わせていないのだ。

せめて出来ることといえば、断片的な知識で過去の彼の変遷を語ることぐらいだろうか。

そんな程度の話しか出来ないが、よかったら聞いて欲しい。

JBというシンガーは、まず「セックス・マシーン」というえらく刺激的なタイトルのアルバムを出したシンガーとして、筆者の目の前に現れる。時は70年だったろうか。

まずはレコード屋のポスター、そしてAMラジオから流れるシングル曲で。

当時中学生になったばかりの筆者は、英米の白人のロックに興味を持って、いくつかのバンドのレコードを聴き始めていたのだったが、それらの音楽とは明らかに異質な匂いを、JBのサウンドは放っていた。

単純なリフを延々と繰り返すバンドをバックに、歌とも叫びともつかない野性的なボーカルが執拗に続く、それがJBスタイルだった。

多くの白人ロック・バンドがまとっている知性、あるいは良識、そういうものをかなぐり捨てたような、原初的、根源的なパワーを直に感じさせるような歌声だった。

人間の、そしてオスの本能に訴えかける音、そういったらいいだろうか。

肉体労働者のような筋骨隆々たる体格、短かめの髪型。そのルックスも相まって、JBは「野性」そのものの存在に思えた。

その後、次第に音楽の知識が増えてきて、JBのそれまで辿ってきた道のりがわかってきた。

もともとは、普通の曲、つまりブルースなどの起承転結、一定のコード進行のある、メロディもきちんとした楽曲を歌っていた。それも3分程度の、いわゆるシングル・サイズの曲を。

50年代後半にデビューし、60年代前半まではそういうスタイルだった。

しかし、60年代後半より「ファンク」と呼ばれるスタイルに次第に移行、基本ワンコードで長時間演奏するようになった。それが完成の域に至ったのが「セックス・マシーン」という曲、アルバムであった。

中学生の筆者は、メロディとかコード進行に重きをおいた白人ロックに傾倒しながらも、どこか心の片隅でこのJBなる男がやっている音楽にも注意を払っていた。

「こいつのやっていることは、単なる異端の音楽ではないのかもしれない」と。

その後、70年代のいつからだったろうか、JBはあからさまにルックスを変えた。髪型である。

ボクサーのような男っぽい髪型から、ちょっと女性的な長めの髪になったのだ。

そのイメージ・チェンジの狙いがどこにあったのかは、いまだに分からない。

少なくともカッコよくなったとは思えなかったが、以後彼のイメージは、もっぱらその髪型で通るようになった。80年の映画「ブルース・ブラザーズ」に教会のジェームズ牧師役で出演し、歌った時のイメージは、多くの人の目に焼きついているだろう。

ブラック・ミュージックは、70年代に入って変化を迎え、60年代から「ソウル」と呼ばれていた音楽は、JBのようなビート中心の「ファンク」と、メロディ中心の「ディスコ・ミュージック」に分かれていく。そして、ファンクの中でも先鋭化したグループは「プラチナ・ファンク」「Pファンク」と呼ばれるようになる。

JBがオリジネートしたといっていいファンクは、70年代、商業的な成功はさほど得られなかったが、後々のブラック・ミュージックに大きな影響を与えた。

ヒップホップ、ラップといった、非メロディ系のジャンルのアーティストたちがこぞってJBへのリスペクトを表明し、その楽曲をサンプリングしているのである。

最も成功した黒人ミュージシャンであるマイケル・ジャクソンも、JBを父親のように尊敬していた。

詰まるところ、JBのやっていた音楽は、あまりに先進的過ぎたのだ。10年は早かったといっていい。

60年時点でのJBは、基本的に過去のブラック・ミュージックのフォーマットを守っていたミュージシャンであった。他のソウル・シンガーやブルース・シンガーと大きく異なっていたわけではない。

多少、ステージの演出などで他よりもハメを外していた点があったにせよ、である。

しかしその後、64年に「Out Of Sight」で初めてファンク・スタイルを試みてからは、従来のフォーマットを惜しげもなく捨てて、自らが新しいと思う音楽のみを追求するようになる。

ジャズの世界で、何度も過去の自分のサウンドと訣別して新しいスタイルを生み出してきた、マイルス・デイヴィスに通じるものがあるね。

さて、このベスト・アルバムは「Think」「Please, Please, Please」「It’s A Man’s Man’s Man’s World」のような旧フォーマットのJBから、ファンク全開の「Get Up I Feel Like A Sex Machine」の時代を経て、86年の「Gravity」に至るまでの、約30年間の代表的ヒット曲が収められている。

ひとことでJBスタイルのファンクといっても、年代によってサウンドはかなり変化しているので、その変遷を聴き分けるのも一興だろう。

メイシオ・パーカー、ブーツィ・コリンズといったスゴ腕ミュージシャンも、JBなくしては見出されることはなかった。

ブラック・ミュージックにおける「イノベーター」「オーガナイザー」としてのJBは、もっと評価されていい。

もし、ジェームズ・ジョゼフ・ブラウン・ジュニアという男が存在しなかったら、ブラック・ミュージックはおそらく、現在のようなかたちをとっていなかった。

全然違うものになっていただろう。そして、白人たちの音楽も。

白人バンドであるレッド・ツェッペリンも、実はJBフリークで、そのリスペクトを「聖なる館」の「The Crunge」であからさまに表明している。

ZEPが「胸いっぱいの愛を」のような繰り返しパターンを好んで使うのも、重度のJB好きが根っこにあるのだと筆者はニヤリとしてしまった。

実はみんな大好きジェームズ・ブラウン、ということで異論はないよね?

<独断評価>★★★★☆

音盤日誌「一日一枚」#414 BUDDY GUY & JUNIOR WELLS「ALONE & ACOUSTIC」(Alligator ALCD 4802)

2023-01-05 05:00:00 | Weblog
2023年1月5日(木)


#414 BUDDY GUY & JUNIOR WELLS「ALONE & ACOUSTIC」(Alligator ALCD 4802)

米国のブルースシンガー、バディ・ガイとジュニア・ウェルズのデュオのスタジオ・アルバム。91年リリース。ディディエ・トリカールによるプロデュース。パリ録音。

ガイとウェルズのコンビがスタートしたのは65年。97年にウェルズが亡くなるまで続いたので、実に30年以上にわたっての付き合いとなった。

そんなふたりが91年にヨーロッパ・ツアーに出た際に、フランス人プロデューサー、トリカールのもと、パリでレコーディングされたのがこのアルバムである。

「Give Me My Coat and Shoes」はガイの作品。12弦ギターで歌われるのは、「フーチー・クーチー・マン」スタイルのブルース・ナンバー。これにウェルズがハーブで絶妙な合いの手を入れる。

ガイの歌声は、いつものハイ・テンションなそれとは違ってとても落ち着いている。これが実に新鮮だ。

「Big Boat (Buddy And Junior’s Thing)」はウェルズの作品。ガイは6弦ギターでバッキング、「ロック・ミー・ベイビー」のリズムを刻む。

ウェルズは力強い歌いぶりで、聴き手の心を揺さぶってくれる。

「Sweet Black Girl」は再び12弦ギターでガイが自作ブルースを歌う。今回は彼のみの、完全な弾き語り。

しみじみとした歌い方がグッと来る一曲。

「Diggin’ My Potatoes」はデルタ・ブルースマン、ウォッシュボード・サムの歌で知られる、サニー・ジョーの作品。

ここではウェルズがボーカル、ハープのソロも取る。いかにもデルタ・ブルースらしい、泥臭い味わいのナンバー。

「Don’t Leave Me」はガイの作品。ブルースを6弦ギターで独演。ロバート・ジョンソンの諸作品に似た曲調だ。

たったひとり、ギター一本でもビートは強烈に感じられる。これぞ、リアル・ブルースマン!

「Rollin’ And Tumblin’」はトラディショナル。マディ・ウォーターズのバージョンが一番有名だ。

ウェルズが歌い、吹き、ガイが弾く。ブルースの原初的スタイルが、ここにある。

「I’m In The Mood」はジョン・リー・フッカーの作品。ガイの弾き語り。

大先輩フッカーのナンバーを、自分のスタイルで弾き、歌う。パワーに満ちた一曲。

「High Heel Sneakers」はブルースシンガー、トミー・タッカーの作品で64年のヒット。エルヴィス・プレスリーやホセ・フェリシアーノのような白人シンガーにもカバーされている。

この曲ではツー・ビートのリフに乗せてウェルズ、ガイ、ともに歌う。お互いを鼓舞するような雰囲気が伝わって来る。

「Wrong Doing Woman」は、ウェルズの作品。「フー・ドゥー・マン・ブルース」を思わせるブルース・ナンバー。

ウェルズの得意とする、おどろおどろしい持ち味が本作中でも一番出ていて、マル。

彼には、底なし沼のようなブルースが一番似合う。個人的意見だけど。

「Cut You Loose」はメル・ロンドンの作品。ブルース・シンガー、リッキー・アレンが63年にヒットさせている。

軽快なビート。ウェルズのリードに、ガイがハモりをつける。実にいい感じだ。

「Sally Mae」は再びジョン・リー・フッカーの作品。スローテンポのブルース。

こちらも、ガイが歌い、ウェルズがハープで応える。

独り言のような歌、引きずるようなギターが、フッカーのそれを思い出させる。

「Catfish Blues」はトラディショナル。これもマディ・ウォーターズのバージョンが有名だな。

ウェルズがボーカル。後半のハープ・ソロも、深い味わいがある。

「My Home’s In The Delta」はそのマディのオリジナル曲。

ジミー・ロジャーズ・スタイルのギターに乗せて、ウェルズが哀感に満ちたブルースを聴かせる。

一軒家から周囲を見渡せば、一面の綿畑。そんな風景を、心に呼び覚ます一曲。

「Boogie Chillen」は三たびのフッカー・ナンバー。もちろん、歌とギターはガイ。

よほど、ガイはフッカーがお気に入りなのだろうか。

ギターは、フッカーのユニーク極まりないスタイルをほぼそのまま再現していて、本気の度合いを感じさせる。

ラストは「Baby What You Want Me To Do」「That’s Allright」のメドレー。

前者はジミー・リード、後者はジミー・ロジャーズの作品。ふたりのアカペラ・コーラスで始まり、交互にリードを取る。

ともにシカゴ・ブルースの代表的ナンバー、しかしテンポもニュアンスも異なる2曲を、巧みにシームレスに繋げたワザはなかなか見事だ。

いずれも、他のミュージシャンを一切使わず、ガイとウェルズ、ふたりだけで作り上げている。

このテクノロジー全盛の時代に、ノー・ダビングの一発録り、エコーなどの音響技術を使わず、生の演奏がそのまま収められた一枚。

アナクロといえば、アナクロだ。

それでも本盤は他のアルバム以上に好評をとり、10万枚以上が売れたという。

結局大切なのは、どれだけ凝った仕掛けをするか、どれだけ音を盛るかではなく、音楽そのものに「心」があるかどうかなのだ。

最もプリミティブな音楽こそが、最も聴き手のハートを揺さぶるものなのだ。

そのことを、ガイ&ウェルズはこのアルバムで鮮やかに証明してみせている。

<独断評価>★★★★

音盤日誌「一日一枚」#413 RITA COOLIDGE「リタ・クーリッジ」(ポリドール/A&M POCM-2048)

2023-01-04 05:19:00 | Weblog
2023年1月4日(水)



#413 RITA COOLIDGE「リタ・クーリッジ」(ポリドール/A&M POCM-2048)

本日より、連載再開である。今年もよろしくです。

米国のシンガー、リタ・クーリッジのデビュー・アルバム。71年リリース。デイヴィッド・アンダールによるプロデュース。

リタは45年、テネシー州の生まれ。ネイティブ・アメリカンのチェロキー族の血を引いている。

幼少期よりゴスペルに親しみ、歌うようになる。69年、デラニー&ボニーのツアーに参加したことで一躍注目を浴び、さらに翌年、ジョー・コッカーのツアーにも加わってメジャーな存在となる。

そういった名だたるミュージシャンたちとの人脈によって出来上がったのが、このアルバムだ。

バックがとにかく、超豪華である。

まずはキーボードのブッカー・T・ジョーンズ。彼は後にリタの姉、プリシラと結婚して義兄となる人でもある。そしてレオン・ラッセル、スプーナー・オールダム(以前にダン・ペンとのライブ・アルバムを取り上げた人だ)。

ギターはライ・クーダー、クラレンス・ホワイト(バーズ)、マーク・ベノ、ジェリー・マギー、スティーブン・スティルス、ボビー・ウーマックと、実にさまざまなタイプのプレイヤーが集まっている。

ベースにはジョーンズの盟友、ドナルド・ダック・ダン、ドラムスにはジム・ケルトナーなど。

コーラスには、姉プリシラ、グレアム、ナッシュ、そしてハンブル・パイとの共演で知られる黒人女性グループ、ブラックベリーズなど。

もう、このパーソネルだけでこの一枚、買おうかなと思わない?

曲は基本的に他のアーティストのカバーだが、選曲がバラエティに富んでいる。

「愛の神に伝えて」はシンガーソングライター、ドナ・ワイスの作品。「ベテイ・デイビスの瞳」のヒットで知られる人だ。

ゴスペルの雰囲気が濃厚なバラード。ブラックベリーズがリタの熱唱を、盛り立てる。

「友の微笑」はスワンプ・ロックの代表選手、マーク・ベノの作品。ベノはギターでも何曲か弾いている。これは友人のラッセルつながりだろうな。

アコースティック・ギターの響きが美しい、フォーク・バラード。リタの歌声はこの上なく優しい。

「クレイジー・ラヴ」は英国のシンガー、ヴァン・モリスンの作品。R&B色の強いナンバー。

こういうブルーアイドソウルな曲も、リタはお手のものなのだ。

「ハッピー・ソング」はオーティス・レディング、スティーブ・クロッパーの作品。もちろん、ジョーンズつながりの起用である。サザン・ソウルの佳曲。

MG’Sばりのファンキーな演奏をバックに、快唱するリタ。こんなバンドで歌えるなんて、ラッキーの極みだな。

「セブン・ブリッジズ・ロード」はカントリー系のシンガーソングライター、スティーブ・ヤングの作品。彼の代表的ヒットでもある。

ドラマティックなバラード・ナンバー。リタの歌声がなんとも勇ましい。

「悪い星の下に」は、言うまでもなくジョーンズとウィリアム・ベルの作品。スローなブルース・ナンバー。

この曲はアルバート・キングのバージョンが最も知られているが、女性シンガーによるカバーは珍しい気がする。

リタ自身は格別不幸な生い立ちではなさそうだが、その落ち着いた歌声には、不思議と説得力がある。

「あなたなしでは」はマーヴィン・ゲイの65年のヒット。スモーキー・ロビンスン、ピート・ムーア他による作品。モータウン・ソウルの代表的ナンバー。

軽快なビートに乗り、歌いまくるリタがカッコいい。

「マウンテンズ」は再び、マーク・ベノの作品。しみじみとした曲調の、ロック・バラード。

リタの温かみのある歌唱が、実にマッチしている。

「マッド・アイランド」はこれもドナ・ワイスの作品。

カントリー・タッチな中にも、ゴスペルの匂いを感じさせるロック・ナンバー。張りのある歌声が素晴らしい。

ラストの「アイ・ビリーヴ・イン・ユー」はニール・ヤングの作品。スティルスつながりの選曲。

ゆったりとした、フォーク・バラード。素直な心でひたむきにラヴ・ソングを歌うそのイメージは、のちのちのヒット曲「ウィー・アー・オール・アローン」「あなたしか見えない」でもずっと続いていく。

リタの声って、クセのないスーッとした感じだが、そのおかげでかどんなタイプの曲でも、フォークでも、カントリーでも、ソウルでも、ブルースでもよく合うのだよな。オールラウンドな声と言いますか。

それは、純粋白人でも、黒人でもない、ハイブリッドなリタ、ひとつのレース(人種)に縛られないリタだからこそ可能なことだという気がする。

音楽はミックスされることによって、より高い次元のものになって行く。

そのことを、よく教えてくれる一枚であります。

<独断評価>★★★★