有名な、オルテガの「大衆の反逆」を再び読み始めた。
この本は、1930年に発刊(昭和5年)され、
アメリカでは20世紀で最も重要な本と紹介された。
因みに、19世紀はマルクスの資本論、18世紀ではルソーの社会契約論がそれぞれ紹介されている。
その時代、それまで人がいなかった部分に、大衆が進出してきたという。
群衆という言葉も使われている。
大衆とはなにか・・・自分を評価せず、自己をよくしようとも努力せず、
他人と同じでいる事を嫌がらず、むしろ喜ぶ、浮草のような人たちだという。
もう、言いたい放題です。
でも、下層の人達だけにいるわけではなく、上流にもいるという。
逆もありで、大衆でない人は、下層にもいる。
そして、優れた伝統を持つような知的な集団でさえ、大衆が支配的だと嘆く。
知識人も似非知識人が、政治の世界でも、資格のないものが支配するという。
まるで、今の世界をそのまま描写したような冒頭部分です。
政治も、貴族的な人たちが行うべきという見解ですが、
ここでいう貴族は、華やかな貴族とは違い、徳のある人たちを指します。
なんだ、自分は政治家でもないから、いいんだ、などと思わない事です。
良くも悪くも、選挙で政治家を選ぶのは、有権者ですから。
ただでさえ、のほほんと流されて生きてしまうのだけど、
そこは、ぐっとこらえて、自らの知を鍛えていく必要があります。
でも、これは大変だ・・・古代ギリシャやローマの時代から、
徳とは何か、知識とは何か、など論じているのだから。
でも、それに触れる事は、無駄ではないですよ。
そうしないと、日本の2世、3世の世襲政治家みたいに、みっともない醜態をさらしても、
それにすら気づかない恥ずかしい人間になってしまうし、
コロナ騒ぎで右往左往する事もなくなるし、
芸能人の浮気問題もばかばかしく思えるし、
自然と世の中を見る目が変わり、大衆と違うものを観て感じているはずです。
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