maruの下手の横好き写真とつぶやき
写真を撮ったり、音楽(クラシック・ロック)をよく聴き、読書は古典(主に哲学中心)がメインです。全体主義社会の動きに警戒。
 

能力  


能力のある人、ない人・・・・

といっても、いろいろな能力があるので、
何の能力か?
というのも、人それぞれ。

その中で、自分の能力が分からない・・・
というのがあるようで、
どこかで見た。

能力があるのに、それに気づかない・・・・
というのもあれば、
能力がないのに、それに気づかない・・・・
というのもあると。

政治屋さんには、後者の方が多いようで。
それにしても、その極みのような人が総理やってる。


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何事に対しても、
本質はどこにあるかを、
考えながら生きていかないと、
人の言ったことに惑わされたりする。

自分の信じたい事だけを信じるのは、
思考停止。

今の日本じゃ、エライひとまで思考停止してるから、
何とかならないものか・・・

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本だけではないけれど、
映画にしても、音楽にしても、
結局、古典というものは、今後も廃れずに残っていく、
素晴らしいものだ。

すでに何十年、百年、数百年前から、
読まれたり、聴かれたりしているものは、
普遍的なものが備わっていて、
流行にも流されず、古くならず、それどころか、
新しさを感じる。

最近、オルテガの大衆の反逆を読んだ。
大衆(といっても、一般大衆の意味ではない)という、
自分に甘く、他人から何かを学ぼうとか、過去から
いいものを引き継ごうなど考えない残念な人を
愚か者としていて、職業や階級など関係なく存在するタイプといい、
反対の人達を貴族として、自分に義務を与え、努力し、奉仕の精神を持つという、
二つのタイプに分けたところが今でも通じる。
評論家、政治家、ジャーナリスト、医者、官僚、企業経営者、作家など、
こういう処にも大衆は沢山いる。
とても残念な見識を披露しても、恥じる事のない人が、
確かに今も大勢いますね。

右や左という主義的な概念ではなく、
残念な人という感じで分ければ、右にも左にも、エライ立場の人にも
残念な人は沢山いる。納得させられることの多い本。

そして、こういう古典を読むと、
作者が引き合いに出す他の人の言葉が、これまた的を得ていて、
なるほどと思わせてくれる。

「愚か者は邪悪な人間よりも始末が悪い」(アトナール・フランス)
愚か者は死ぬまで愚か者だからだそうだ・・・
今の日本、いろんな分野の愚か者が沢山テレビに出てきます。
これで、この国の未来が心配にならない方がどうかしている。


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