先月、近所の普通の寿司屋で、回らない寿司を食べた。
久々に寿司が美味しいと思った。
会社で行く仕事の延長みたいな寿司屋も、美味しいのだけど、
付き合いで行く寿司は、味わえない。
全くのプライベートで回らない寿司は初めてだったかも。
昨日は、実家で回る寿司屋に行った。
決して不味い訳ではないけれど、飽きてくる。
そういえば、以前からサイドメニュー食べたり、
途中から変わったものを頼んでいたような・・・
普通の寿司屋の寿司は、アナログ的なものと言えると思った。
世の中の、あらゆる製品についても、アナログ的なものが残っている。
製造過程で手作業が多く入るとか、操作が手動だったり、
作る過程で、悩みぬいて出来上がっていたり、
レコードのように原理がアナログだったり、いろいろある。
その反対はデジタル的なものと言える。
全部機械が作った大量生産品で、素人でもマニュアルに従えば作れて、
とにかく利便性に優れる。でも、今の世の中では、もはや無い事は想像できないし、
恩恵から逃れようと思ったら、世捨て人になるしかなさそうだ。
デジタル的なものでも、拘りをもって作られるものもある。
オーディオを例にとれば、CDなどの音はデジタルっぽさを無くそうと改良され、
ファミレスや大手回転寿司チェーン店でも、職人が作ったものに近づけようとしていたり。
でも考えてみれば、結局はアナログ的なものを目指している。
だったら、もっと最初から自主的にアナログ的なものを取り入れた方が、
心地よい生活ができそうだ。レコードを聴くようになり以前から書いてきたけど、
ひと手間をかける事を愉しむゆとりくらい、持っておいた方がいいに違いない。
世の中が上手く回ると、自然にそういう楽しみも増えてくるのかもしれないけれど、
そうなって欲しい。そういう好循環ができてほしい。
二極化が激しい時代でもあるから、関心もたない人などは、興味もないのだろうし、
経済的にゆとりもなかったりするだろうし、そうなると、悪循環に入っていく。
だから、もっと世の中には、アナログ的な事物が必要なのではないかなと、思う。
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