最近、マイケル・フリーデンの「リベラリズムとは何か」を読んでみた。
時間と共に変化し、国によっても違う。
それを言ったら、保守にしても、なんにしても、
〇〇主義というのは、そんなもんだろうけど、
そうはいっても、核となるのは、自由だという事だねと。
個人の自由や、権利を主体とするものから、
社会主義といった、左派リベラリズムといった平等を求めるもの、
まあ、どこに自由を据えるかなんだけど、
どういう社会や団体、地域に所属しているかで、その主張も変わってしまう。
やはり、社会主義は違うよな。そんなの悪しき平等であって、そもそも不平等なのを、
無理やり平等ですって、そんなのやるから上手くいかない。
また、ネオリベラリズムは、この本では異質として対象外になっているのは、その通りだと思う。
歴史をみると、もともとの始まりは、権力からの脱却、個人の自由を求める思想とある。
そこから自然権(これ、いろんな本に出てくる権利)が出てくるのは、なるほど。
さて、今のコロナ騒ぎで起こっている事は、どうにもリベラリズムには合致しないと思える。
ただの、自分は死にたくない、怖い、が先行しすぎてはいないか。
自由を放棄するなんて、リベラルじゃない。臆病者でしかないのではないか。
で、自分たちはリベラルだと思い込んでいた人たちが、
コロナに対峙したとき、本性が露呈したんじゃないのか。
人気のアニメなど、主人公は権力に屈せず、逆境に負けず、自由を求めて行動するものが多いが、
果たして、多くの人が、その人気とは裏腹の行動をとる。
報道の自由、思想の自由、言論の自由など〇〇の自由を守れと
アベ政権を批判していたような人達が、すっかりその自由を放棄して、一にも二にも、
まず自粛、PCR、隔離、ワクチンだ~っという厳しいコロナ対策を要求している。
それを他人にも求めてしまう。それは全体主義なのだが・・・
似非保守というものもあったけど、似非リベラルも酷いのではないかな。
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