しかしまあ、コロナだ、変異だ、ワクチンだ、自粛だ、解除だ、差別だ、
いろいろ続きますが、否が応でも、テレビからその話題が耳に入ってくると、
そこで認識をして、自分の中で判断する事になります。
個人を中心に狭い範囲で考えるか、自分の属する社会の範囲なのか、
もっと広い社会をみて考えるか、それによって変わって来る。
また、この瞬間だけを考えるのか、5年先、10年先まで考えるのか、
時間軸の範囲もある。
つまり、時間と空間の範囲をどこまで認識するか(或いはできるのか)が問題になる。
感情的に判断すると、空間的には個人的になり、
時間的には瞬間的な判断になりがちで、
視野の狭い、偏った判断になる。一見正しく思えても、感情論で考えた答えは気を付けた方がいい。
たまたま、良い判断をする事もあるけれど、
それはあくまで、偶然に状況と感情が一致しただけで、
正しく判断できた場合と、似て非なるものだ。
テレビから流れてくるニュースは、感情に訴えてくる事が多いので、
殆どの人は感情に流されて、ああでもない、こうでもない、楽しい、けしからん、素晴らしい、
などと感じながら、あれこれ判断をする。
政治家や、活動家、アナウンサー、専門家など、
みている人の感情を煽ったり、迎合してくる人たちを無条件で信じてしまう。
感情的に判断するから、否定されると、これまた感情的になってしまう。
さらに、内容ではなく、誰の意見かどうか人で物事を判断するようになったら、
もはや宗教と同じ。
すぐに矛盾する事態に陥って、一貫性のない状態になって失敗する。
ネトウヨも、サヨクも、根っこは同じ。自称リベラルも自称保守も、差別主義者も、
最近やたらと多い正義マンも同じ。中庸の徳を意識する人は少ない。
もちろん、正しい判断がいつでも出来るひとはいないと思う。
多分、哲学っていうのは、人の言う事を色々考える(よくも悪くも)事になるので、
変な判断に陥る可能性を減らせる意味でも役に立つ。
それでも、出てくる答えは十人十色には違いないのだけど、
ただ、感情的な意見の相違より、遥かにましでしょう。
空間と時間を広く意識して考えていくしかないと思っている。
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