経済の語源は、
経世済民、あるいは、経国済民といい、
世を治め民を救済する事にあります。
何かの本で最近読みました。
原発関連で、経済学者の原発推進論の中に、
(未だに)コストが安く、安全である。
放射能だって、福島で誰か死んだか?
みたいな事を言う人がいるのですが、
こういう学者は、とにかく数字上のことで比較し、
それが科学であって、人々の役に立つと信じて疑わないのでしょう。
それなら、今までの安全神話とかは何なんだと思うところです。
大体、未だにあの原発の、どの部分に燃料があるのかすら分からない。
東電も、値上げするぞ、と脅してみせれば、お金をくれと国に無心する。
そんなコストも考えて欲しい。
たとえコストが安くても、そういう机上の話では世の中は治まらないと思うのです。
(実際には、膨大なコストがかかるはずなのに。
イラン関係で石油価格が上がっているから、ほれみたことかと言いたいのでしょうが、
地元ばらまきのお金、テレビCMや、その他啓蒙活動のお金、政治献金、
御用学者の研究費用、廃棄物保管のコスト、有事の際の賠償金・・・色々考えずに、
単に発電のコストだけを比べるのは、現実的ではないのですが・・・)
おまけに、CO2の問題を未だに言っている。
大体、ウランから核燃料を作る際に、石油も使う、CO2も出す。
それに、CO2が温暖化の原因など、これこそ科学的ではない。
科学的というなら、CO2の事は問題に出すべきではない。
むしろ寒冷化の疑いが濃いともいえるのだ、今なのです。
それでも推進という判断なら、核廃棄物の処理方法を考えてからにしてもらいたい。
使う方ばかり述べて、捨てるのは後の世代に託す事が科学的なのかな?
推進論の学者にとっては、反対論を唱えるのはヒステリックな事なのだそうだ。
この際、それを度外視しても、もっとも根本的に、
何が民を救済するのか?
です。
今回の事で、大部分の人が、心の中で、原発って怖いよね・・・けど、
自分の家の近所にはないしね・・・
世界でも安全性は高いしね(これは本当だと思う)・・・
電気は有難く使わせてもらおう。
と、現実を見て見ない振りをしてきた事に、ハッと気づいたと思う。
モロに原発のおかげで職を失ったり、住む場所を失った人達だけでなく、
僕らみたいな一般人を救うのに、原発を推進??
今の状況だと、多くの人が、
多少の不自由な事なら受け入れてでも原発依存をやめる事を選択するんじゃないかな。
個人的には、できるとこから脱原発で良いと思う。
推進はあり得ないだろうと思う。
再稼働にも、脱原発ありきであれば、夏場のピークだけどか、条件付きで良いとすら思う。
意外と寛大かな。
ところが、今の状況では、将来の方針はどっか置いといて、
再稼働ありき論になっている。
こういうなし崩し的に物事を進めるのは、官僚の得意技。
小沢を追い出したあたりで、仙石などが官僚を守る方に動き、対等な日米関係の公約にしても、
自民以上の対米従属まっしぐら。日本のたたき売り大バーゲンセール。
アメリカ様の靴でも何でも舐めちゃいます。
経済面から、日本はかなり危険な状態にきています。
単に、不景気というレベルではないです。
その自覚をできるだけの人に持ってもらいたい。
ある意味、経済戦争状態でしょ。世界中で。
テレビでは何も分かりませんよ。え、最近はテレビも東電を叩くようになった?
そらもう、でんこちゃんはCMに登場しませんから。
政治と金ならぬ、テレビと金。
このままじゃ、民は救われません。
特定の企業や官僚、政治家を救うのが経済なのか?
経済が危険状態だからこそ原発じゃないかって?
でも、もう事故ったら大変だと骨身に染みてもいい頃だと思うけど。超ハイリスク・ハイリターン。
ここで国として、価値観の共有が必要になってくると思う。
原発を将来はゼロでやっていくんだと言う切り替え。
電気は使い放題ではないという切り替え。不便もありうるという切り替え。
ここで本当は、政治の力で、リーダーシップを発揮してもらわないとダメなのに、
民・自・公と、うやむやの感じで連立政権状態になっている。
政治面でも危機的状態です。
でも周りを見回すと、危機感ないんだよなあ・・・・大丈夫かな?この国は・・・
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