maruの下手の横好き写真とつぶやき
写真を撮ったり、音楽(クラシック・ロック)をよく聴き、読書は古典(主に哲学中心)がメインです。全体主義社会の動きに警戒。
 



古典ではありませんが、

「ストーリーが世界を滅ぼす」ジョナサン・ゴットシャル著

 という本を読みましたが、並行してスピノのエチカ(今回は畠中訳)、そして「唯識の思想」も読んでいて、先に唯識の本を終わり、エチカに専念しようとしたけれど、こっちの本を先に読んだ方がいいという心の声に従って、順番を入れ替えて読みました。

エチカは違う訳者ですが3回目で、途中からでも読める。そして、エチカの感情について書かれている部分に相当してくると思ったので。

人が物事を認識するとき、ストーリーに感情を揺さぶられてしまう事が、色々な問題・分断を引き起こすというお話です。

単に事実を述べられるよりも悪役や被害者、そして正義の味方がいるという物語にすると、人間は思い切り引き込まれて当事者のような感じになる。歴史も同じ。三国志の正史より、三国志演義の方が、善玉劉備に悪玉曹操と引き込まれてしまいますからね。(個人的に曹操が好き)

善と悪の戦い・・・今の世界をみても分かりやすいですね。アメリカを考えると、トランプ派と反トランプ派(民主党などポリコレ派)に分かれて戦ってます。ロシア・ウクライナも、西側とロシア・中国グループ(まとまりは弱いけれど、その他多数の国が集まる)に分かれてきていて、双方プロパガンダ合戦に入ってます。特に西側は勧善懲悪の世界観です。どちらかが消えるまで決着がつくわけがない・・・

しかも悪い物語ほど、人々は食いつきがいい。

本の中でプラトンがキーワードで登場しますが、有名な古典「国家」を引き合いにだして、彼が言葉で人を惑わす詩人を良く思っていない話など織り交ぜながら進みます。

が、この著者はコロナ対策は有効だという認識らしく、対策に従わない人を非難したりする。Qアノンを否定するのは分かりますが、じゃあ今のバイデンUSAはどうなのよって感覚はないらしい。これでは著者自身のストーリーが偏っていると感じてしまう。個人的にはその中間を意識しないと危険だと思っていますが、そこはなかった。悪を憎むという点では、厳しいコロナ対策=善という考え方の方が、ストーリーに浸ってる。おそらく書いていたのがアメリカがコロナで酷かった頃というのも影響してますが、それでも・・・です。こういう本を書くなら、疑問に思って欲しい処は残念でした。

身も蓋もないお話なんですが、結局は自分が信じたいものに惹かれてしまう(信じたくないものを忌避する)。自分が好きな人に良い事が起こると嬉しいし(悪い結果が出ると悲しい)、嫌いな方が酷い目に遭うと嬉しい(うまいことやると妬ましい)・・・スピノザが言っている事そのまんま。

でも、言わんとしている点は同意です。今の世の中をみていると、何でもストーリー仕立てで出来ている。手法として、こうやるとウケると分かっている。ラジオ、テレビのメディアが発達し、プロパガンダにも磨きがかかり、人々を誘導するには善悪と道徳に従って感情に訴えかければよい。カルト宗教でも同じ。自分達は被害者、○○する権利がある、相手は道徳に反しているので非難されるべきとかの論調が多くなる。

まあ、分断はメディアによって作られる。感情や道徳心に訴えかけてくるストーリーには要注意ですね。

ところで、唯識の話は難しいのですが、超簡単に言えば、主観が全てで、世の中の事は自分で決めているだけ。この世界には、確固たるものはなく、自分のこれまでの経験などが生み出した世界。一人ひとり違う。カントの悟性(理性)みたいな感じですが、末那識という働きもあったり、分かったような分からんような・・・そういう思想的な知識が必要になってくるんじゃないかなあ・・・余計なストーリーに惑わされないためにも。



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