みなさんいかがお過ごしですか。私は新型コロナウイルスの感染拡大防止で外出自粛していますが、こんなに長い間、暇を持て余していることは過去に記憶がありません。
記憶といえば、国民学校に通っていた昭和20年8月15日、学校から全員集まれと連絡があって急いで登校すると、すでに運動場に生徒が集まっていて、校長先生がおもむろに「天皇陛下のお言葉があるので拝聴せよ」。とのことだった。
天皇陛下の「耐えがたきを絶え、忍び難きを忍び・・・」のあの玉音放送がラジオから重々しい声で流れて日本国の無条件降伏を知らされた。
日本は絶対に負けないと信じていた。みんな一瞬放心したようなり、その場に崩れるように腰を下ろしてほほを伝って流れる涙を手の甲で拭っていた。
後で考えると、3日ほど前にサイレンが聞こえて間もなく西側の山の陰から三機の飛行機が姿を現し第7師団がある旭川の方向に飛んで行った。
アメリカの戦闘機グラマンである。今にも空中戦がはじまるものと草むらにじっと身を潜めていたが、グラマンの機銃掃射だけが聞こえてきただけだった。
その頃、女子の学校では竹槍を、男子は木刀を使って戦う訓練をしていたが、「竹槍や木刀」では最後の一人になるまで戦おうという掛け声だけで、すでに勝敗は決まっていた。
わが人生83年、過去を振り返り「今は昔のこんなこと」これから少しづつ記憶をたどってつづっていきたい。