先日のNHK朝ドラ「あさが来た」のあさと福沢諭吉の会話が気になった方、かなり居たようですね。Yahoo!で検索してみると「北九州 ただくまやま」の検索が結構行われたらしい…(笑)。最初は「北九州の皿倉山(さらくらやま)」を聞き間違えたのかと思いましたが、ネット上で「ただくまやま」が上がっていることをみると聞き間違えてなかったようです。
以下、ドラマの台詞(抜粋):
あさ) へぇ。大丈夫や思います。
いつも山道をよう歩いてますさかい。
福沢) 山道を! どこの山を?
あさ) 北九州の忠隈山だす。
ええ石炭が採れますのや。
福沢) 石炭? なぜ石炭を?
あさ) それは…石炭で、陸蒸気や船や、
日本を動かしたいからだす。
忠隈山というと潤野坑からほど近い、住友忠隈炭鉱の現存するボタ山のこと?気になったのでわかりやすい吉田初三郎「飯塚市鳥瞰図(1938年版)」で位置関係を確認してみました。
史実的に考えられる遠賀川経由でも長崎街道経由でもなく「山を越える」という行為にドラマのメッセージがあるんでしょうね。
上の写真は噂の「ただくまやま」を国道201号から遠望。
ドラマの時代(明治前期)は、まだ「北九州」という概念どころか「筑豊」という概念も定着していない時期(筑前国と豊前国にまたがる炭鉱エリア区分=筑豊=明治24年開通の筑豊興業鉄道に初出)だと思うのですが、脚本を担当された大森美香さんの故郷(築上町)から飯塚へ行くには2つの山を越えねばなりませんので、そのあたりの意識もあったのかと勝手に想像します。
この鳥瞰図は私自身もお気に入りで、運営する「地図の資料館」サイトのTOPページのイメージ画でも以前使用していました(現在は久留米市鳥瞰図)。市街地には嘉穂劇場など現存する施設も描かれています。また、潤野坑から約1kmほど南にある椿温泉(椿神社そば、現在はナフコなどが建つ場所)は当時この界隈唯一の温泉(今でいう温泉健康ランド)でしたので、潤野坑で働く人々も訪れたかもと想像膨らみます。
同じ朝ドラの「花子とアン」関連の伊藤伝右衛門邸がある幸袋界隈には、幸袋工作所や日鉄高雄坑などが描かれています。1933(昭和8)年版との比較も面白く、未入手の戦後の鳥瞰図を探す日々です。
ちなみに「北九州」という言葉は大正7年発足の「北九州鉄道(現・JR筑肥線)」が最初かと思います。現在の北九州市にあたる5市(門司・小倉・戸畑・八幡・若松)と下関をひとつの市にという構想が大正末に始まり、上の大正15年発行の地図絵葉書にも「北九州」という言葉が見えます。