記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

二日市温泉(武蔵温泉)の古い絵葉書と福岡・天神を創った二人の偉人がみた夢

2016年02月19日 21時45分01秒 | 福博まちの記憶

運営するサイト「アンィティーク絵葉書・古写真にみる風景・町並みアーカイブス」の更新を数年ぶりに始めました。デジタル化が済んでいるものから、まず「二日市温泉(武蔵温泉)」。



絵葉書には発行年の記載があるものは殆ど無く、写真から年代を読み解くか、絵葉書宛名面の仕様変化や印刷技術変化などから年代を特定する他に方法がありません。

1枚目も2枚目も「大丸旅館」で「九鉄二日市駅」と記載ありますが、前者は明治39年に国営化される前の初代九州鉄道(現JR九州)で、後者は大正13年開業の九州鉄道(現西鉄天神大牟田線)のことです。

印刷技術もコロタイプ(小ロットの写真画質)印刷から昭和初期にはオフセット印刷へと変化しており、絵葉書を時系列で並べてみてお凡その年代を記しています。

4枚目は当時の大丸旅館があった場所がわかる1枚。現在、御前湯の並びにある薬師如来の場所には「渡辺通り」に名を遺す渡辺與八郎が開設に携わった「薬師湯」があり、薬師如来の祠を挟み右側に大丸旅館がありました。

與八郎は温泉名の由来である九州最古の寺「武蔵寺」を再興し、湯町の近代化に取り組みます。商都博多の商談に温泉街は欠かせないと考えてのこと、博多の奥座敷化に尽力したことは武蔵寺にある碑や明治30年代に発行された「湯町温泉記」、與八郎の紙与呉服店が発行した当時のパンフレット類にもみることができます。

現在も盛業中の湯町を代表する「大丸別荘」は5枚目…。博多の奥座敷として、太宰府天満宮最寄りの湯町として繁栄してきた武蔵温泉が二日市温泉と名称を変更したのは戦後です。この湯町と太宰府を結ぶ路線バスが福岡県内で最初に運行されたバス、馬車鉄道も太宰府と湯町を結ぶものが最初でした。福岡県の交通は二日市温泉と太宰府天満宮から始まったと言ってもいいくらいです。

渡辺與八郎が地元の村長・谷彦一らと連携した軌道計画は、與八郎の急死から数年を経て「電力の鬼」松永安左エ門によって大正13年に「九州鉄道」として実現。現在の西鉄天神大牟田線&太宰府線がそれです。

松永は同窓で盟友であった阪急創始者・小林一三の助言を受けて、武蔵温泉(二日市温泉)湯町を宝塚のような遊興文化の街にすることを目指します。晩年、松永は自身の最も思い出深くチカラを入れた事業が九州鉄道だったと自伝で語っていますが、湯町の宝塚化も熊本への延伸も幻に終わりました。

昨年秋のブラタモリでも取り上げていただきましたが、九州一の繁華街となった福岡・天神を創った二人の偉人が共通して夢見たのが、湯町(武蔵温泉)の繁栄でした。二日市に眠る二人の痕跡探しはまだまだ続きます。

 

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