記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

吉田初三郎の蘇江画室解散と印刷技術+月桂冠

2007年03月31日 22時42分55秒 | 吉田初三郎
 昭和11年初頭、蘇江画室は解散され、弟子達の多くは独立する
こととなった。大正11年に当時初三郎の会社であった大正名所図
絵社専務だった小山吉三が、初三郎に内緒で会社とは別に営業をし、
最も有力な弟子であった金子常光らを誘い独立する下りがある。そ
の事件とこの時期の多くの弟子達の独立をダブらせて考えるのが、
研究者の間でも常識化しているようだが、その辺は少し事情が違う
ようである。

 和多田印刷は、独立した城下豊栄をメイン画家にそえて、観光社
とは別に仕事を直接受注し始める。しかし反面、その後も観光社の
主印刷も担当していることは、いくつかの印刷物や残された資料か
ら判る。つまり、和多田印刷が勝手に営業をしたのではなく、独立
した城下豊栄をサポートしていたというのが正しい。

 また、蘇江画室解散の翌年、昭和12年には京都伏見の月桂冠の
初三郎作品があるが、絹本原画は二曲一双の堂々たる屏風絵で月桂
冠大倉記念館に収蔵されている。この屏風絵を贈呈したのは他でも
ない和多田與太郎氏。この図の作風は、蘇江画室解散後も昭和30
年に初三郎が亡くなるまで唯一、初三郎をサポートし続けた吉田朝
太郎の画風である。(本日掲載の図は、その月桂冠鳥瞰図)

 月桂冠大倉記念館の屏風原画
 http://www.gekkeikan.co.jp/enjoy/museum/byobu.html

 同じく前田虹映は独立後、小林義和という人物に著作権管理を任
せているが、彼は観光社時代には小林松太郎と名乗り、高松支社を
任されていた。虹映の場合、独立したのはカラー写真製版の技術が
向上したことと非常に連動している。従来の初三郎式画風から日本
画的な濃淡・ぼかしをそのまま活かせる時代が来たのも、この時期
であった。

 虹映は「神奈川県観光図(昭和7年)」をはじめ、多くの作品で
「初三郎代理」として活動し、また身内(義理の兄・弟)でもあっ
た。虹映までが独立したことが、研究者の間での蘇江画室解散の謎
を深めているのも確かだが、すでに昭和6年頃の新聞記事には、朝
太郎が初三郎の令息として紹介され、後継者の流れは朝太郎へと流
れていた。

 ただ、蘇江画室の突然の解散を弟子だけでなく観光社全体で考え
れば、誇大化し莫大な維持費が必要となっていた時期でもあり、ま
た長引く不況や戦時の匂いの中、分社独立したと考える方が自然の
ように思う。事実、研究者が収集したこの時期の資料には資金繰り
で苦労していたことを証明するものもある。

 解散直前には、観光社の主メンバーは皆、台湾の作品群製作のた
めに初三郎に同行しており、独立した面々も含まれている。作品数
でいえば昭和10・11年が製作点数のピーク。組織が大きくなり、
活動が活発であったからこそ、この時期に組織の整理・分社独立し
たのだと考える。ただ一つ、誤算は戦時へと突入したことであろう。

 拠点を移す先が青森・種差であったことも当然、観光社が分散す
る最大の理由だと思う。弟子達の中には種差へ行くことを拒むもの
や事情で行けないものもいたであろうし、何より観光社の経営に携
わる営業スタッフから見れば、交通便悪く営業しづらい地への移転
には反対するものが多くて当然である。

 結果として、前田虹映を筆頭とする有力な弟子の多くが、分社に
合わせて独立するカタチとなったのだろう。後年まで蘇江画室解散
の件を初三郎が語っていないが、今風に言えば急拡大した企業規模
を一旦リセットを押し、適正規模にしたと考える方が自然である。
事業を縮小する場合、あまり自分からは言わず、営業方法も各地の
代理店を支店扱いにしてそのまま継続したというのが真相ではない
であろうか。(考察はあくまで私見)
コメント (3)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 吉田初三郎と京都の老舗・和... | トップ | 3月末で無くなった福博の老舗... »
最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (konatu)
2007-04-01 22:23:54
はじめまして。
吉田初三郎と鳥瞰図の研究をされている様なので、興味深く読ませてもらってます。
鳥瞰図は好きですが、歴史となると殆ど分らないので、勉強になります。
返信する
コメントありがとうございます。 (mapfan01)
2007-04-01 23:33:41
Unknown (konatu)さんへ
コメントありがとうございます。
初三郎については独自の解釈で画業を評価できればと考えています。研究の諸先輩方からの貴重な情報、初三郎のご遺族、ゆかりの方々からのお話を総合して、せっかくなので日記形式で少しずつ書こうと試みております。所有する初三郎作品の画像はブログ以外にも以下サイトで少しずつ追加していますので、合わせてお楽しみください。あくまで趣味で情報追加しているので、更新が遅々としていますがご了承ください。
http://www.asocie.jp/map/oldmap/oldmap_top.html
返信する
城下豊栄のその後 (祐太朗)
2016-09-06 20:43:32
初めまして。初三郎と鳥瞰図でこちらの頁にきました。いろいろ興味深いことが載せられていて勉強になります。城下豊栄も最近知りました。初三郎や前田虹映はご遺族がわかっておられるとのことですが、豊栄の場合はどうなんでしょうか。略歴も、戦後の動静なども見たことも聞いたことないですが、何かわかっていることはありますか。
返信する

吉田初三郎」カテゴリの最新記事