記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

10月29日は「渡辺通り」渡辺與八郎氏の命日、鹿児島を走る花電車との関係とは?

2020年10月29日 22時31分15秒 | 福博まちの記憶

今日10月29日は「渡辺通り渡辺與八郎氏の命日です。1911(明治44)年、悲願の博多電気軌道開業からわずか4週間、與八郎氏は当時流行していたワイルス氏病という疫病にかかり、自らが招致開校を支援した九州帝国大学病院に入院。激務による心労疲労もあってか、発病からわずか2週間後の10月29日には46歳の若さで亡くなりました。彼が作った道路や橋、軌道はその後の福岡市発展の礎となり、彼を慕った人々の尽力で「渡辺通り」という地名や道路名が遺っています。

それから109年のいま、実は與八郎氏が購入した車両の中で最後の現役車両が引退を迎えようとしています。それは鹿児島市電の「おはら祭り」PR「花電車」です。2020年10月21日から11月2日まで最後の運行中。私は10月25日(日)に日帰りで鹿児島へ行き、花電車の最後の元気な姿を撮影しました。

戦後の花電車は1947(昭和22)年5月、日本国憲法発布を記念して運行。それ以降は1949(昭和24)年から1975(昭和50)年11月まで福岡市内線で「博多どんたく港まつり」や記念行事の花電車が運行。引退する車両は1954(昭和29)年頃に花電車専用に車体改良されたそうで、それ以前は散水車などに花電車の装飾を施して運行していたようです。今回は、明治から109年も活躍した歴史ある車両の引退でした。

1979(昭和54)年に鹿児島市電へ譲渡され、以降おはら祭りの花電車として活躍。途中、1988(昭和63)年から1992(平成4)年までは北九州市の「わっしょい百万夏まつり」花電車として貸し出されて、西鉄北九州線の軌道を走ったこともあるそうです。

西鉄時代の花電車の記録、北九州線を走った記録は「歴代花電車・花自動車アーカイブス」をご覧ください。

福岡・鹿児島・北九州を走った車両、来年の車両110周年&再来年の鹿児島市電110周年を前に引退は残念。で、思い出したのが渡辺與八郎氏がなんと鹿児島市電の最初の開通区間の設立に携わっていたこと。鹿児島にはもともと縁があったのです。しかも同時期には北九州市で西日本鉄道の前身となる「九州電気軌道」の設立発起人代表にもなっています。

彼の夢は北九州から鹿児島まで、高速電車で結ぶことだったようです。彼の本業は呉服商。九州一円に販路を持つ、当時九州No.1の呉服反物の取扱高とのことで、夢はちゃんと本業の利益にも繋がると読んでいたのでしょう。

鹿児島の路面電車開通は見ることなく急逝した與八郎氏。言い換えれば、今回引退する花電車は、彼の壮大な夢を実現した車両だったと言えるのかもしれません。ほんとうに長い間、ご苦労様でした。

次々に新資料が発掘されて、ご遺族や西鉄さんのご協力を受けながらなかなか進まなかった「紳商・渡辺與八郎伝」の執筆も、コロナ禍のいま執筆に集中できて、ようやく佳境に入ってます。来年には豊富な写真や図版資料を載せて刊行できそうです。ご興味ある方は、それまではにしてつWEBミュージアム渡辺與八郎の未来都市」をご覧ください。

 

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LOVE FM 76.1MHz 「JAL九州歴史ロマン街道」2020年4月より9月まで第2クール放送(毎月第3・第4・第5土曜日13:00〜13:30)。コロナ禍の影響で一旦放送は終了されました。

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