27日は娘の小学校の運動会であった。この日、北部九州には軒並み光化
学スモッグの注意報が出て、北九州市では予定の全校が運動会を中止にし
たことは新聞やニュースでも全国報道された。福岡市も注意報が出てば中止
となるところであったが、辛うじて発令は無く無事に運動会が開催された。
午前中は快晴であったが、確かに昼過ぎから風が強まり黄砂・スモッグで視
界は悪くなった。
運動会の時期になると、子供たちも忙しいがお父さんたちも大忙しである。
今年も「おやじの会」の総会が運動会のサポート打合せを兼ねて23日に開催
された。総会といっても、気の合うお父さん達が集う懇親会だ。うちの校区
では伝統的に?飲み会でないと大事な案件は決まらなかったりする(笑)。
それでも2時間かけて、運動会に始まる今年度のおやじの主催事業の日程決
めとサポート依頼の案件について確認した。
昨年から始めた校区全体の夏祭りは、昨年はおやじ達が主導で開催したこ
とが評価されてか?今年はちゃんと自治協議会が動いてくれることとなった。
これまで校区内で地区ごとに別々に夏祭りを行っていたものを統合したので
ある。夏のカヌー教室、秋のキャンプ、冬のしめ縄作り、どんと焼きなど、
今年も活発に活動することとなった。
お堅い話が終わると、皆の目が輝いてくる。学校近くの立ち飲み酒屋前で、
皆でゴザを敷いて座り込み飲み会が始まる。4年前、福岡市おやじサミット
を本校で開催した頃からの「伝統」である。その席で、ずっと活動を一緒に
しているお父さんが実は私の高校の先輩であることが判り、二人で驚きあっ
た。うちの娘とそちらの男の子は同級生である。
聞くと私が中学時代に英語を習った先生は親戚とのこと。今は教頭先生に
なっているそうだが、当時はまだ駆け出しの先生で私たちはよく先生の家へ
おじゃましていたことを思い出した。今はどうか知らないが、当時私はよく
担任の先生宅へ遊びに行った。
中学時代、私は駅伝部だった。当時は今ほど外食をしなかったが、駅伝大
会の前に先生が部員を連れてホルモン焼き屋へ連れて行ってくれるのが楽し
みだった。友達とつっつく焼き肉類ほど楽しい食事も無いのではないか、と
今は思う。
駅伝部は当時すでに部員数が少なく、野球部など他の部から足の早い選手
を選抜していた。1年の時、野球部から参加してくれた先輩や、駅伝部の先
輩3年生はその後、築上中部高校に進んで野球部に入り、春の選抜甲子園に
初出場した。部員16人、うち高校に入って初めて野球を始めた先輩達が多
くいながらの快挙に、当時市は大騒ぎとなったものだ。
話は現代へ戻り、運動会前日のテント張り等おやじの出番は続く。運動会
の中では、組体操や騎馬戦、綱引きなどの補助に加え、校内のパトロールや
喫煙所への誘導など、おやじは毎年大忙しである。娘は吹奏楽部としての演
奏、応援団を掛け持ちで、休む間もなくずっと動いて頑張っていた。
後かたづけ、テントを各
町内へ返却し、最後は近くの公園へ寄ってバーベキューを焼いたりして、夜
遅くまで語り合った。今年は中学生の男の子達がおやじのサポートで頑張っ
てくれた。博多区の公立中学校の「悪さ」ぶりは良く知られるが(博多っ子
純情、武田鉄也etc)、ちゃんと頼もしく育ってくれている子供達も多いの
である。
今日の写真は東光小吹奏楽部の今年3月のお別れ演奏会の様子。
この日は歴代の卒業生も多数詰めかけ、在校生とともに演奏した。
西日本大会(関西以西)で最優秀賞、優秀賞の常連の子供達である。
(昨年末の大会でも優秀賞)
学スモッグの注意報が出て、北九州市では予定の全校が運動会を中止にし
たことは新聞やニュースでも全国報道された。福岡市も注意報が出てば中止
となるところであったが、辛うじて発令は無く無事に運動会が開催された。
午前中は快晴であったが、確かに昼過ぎから風が強まり黄砂・スモッグで視
界は悪くなった。
運動会の時期になると、子供たちも忙しいがお父さんたちも大忙しである。
今年も「おやじの会」の総会が運動会のサポート打合せを兼ねて23日に開催
された。総会といっても、気の合うお父さん達が集う懇親会だ。うちの校区
では伝統的に?飲み会でないと大事な案件は決まらなかったりする(笑)。
それでも2時間かけて、運動会に始まる今年度のおやじの主催事業の日程決
めとサポート依頼の案件について確認した。
昨年から始めた校区全体の夏祭りは、昨年はおやじ達が主導で開催したこ
とが評価されてか?今年はちゃんと自治協議会が動いてくれることとなった。
これまで校区内で地区ごとに別々に夏祭りを行っていたものを統合したので
ある。夏のカヌー教室、秋のキャンプ、冬のしめ縄作り、どんと焼きなど、
今年も活発に活動することとなった。
お堅い話が終わると、皆の目が輝いてくる。学校近くの立ち飲み酒屋前で、
皆でゴザを敷いて座り込み飲み会が始まる。4年前、福岡市おやじサミット
を本校で開催した頃からの「伝統」である。その席で、ずっと活動を一緒に
しているお父さんが実は私の高校の先輩であることが判り、二人で驚きあっ
た。うちの娘とそちらの男の子は同級生である。
聞くと私が中学時代に英語を習った先生は親戚とのこと。今は教頭先生に
なっているそうだが、当時はまだ駆け出しの先生で私たちはよく先生の家へ
おじゃましていたことを思い出した。今はどうか知らないが、当時私はよく
担任の先生宅へ遊びに行った。
中学時代、私は駅伝部だった。当時は今ほど外食をしなかったが、駅伝大
会の前に先生が部員を連れてホルモン焼き屋へ連れて行ってくれるのが楽し
みだった。友達とつっつく焼き肉類ほど楽しい食事も無いのではないか、と
今は思う。
駅伝部は当時すでに部員数が少なく、野球部など他の部から足の早い選手
を選抜していた。1年の時、野球部から参加してくれた先輩や、駅伝部の先
輩3年生はその後、築上中部高校に進んで野球部に入り、春の選抜甲子園に
初出場した。部員16人、うち高校に入って初めて野球を始めた先輩達が多
くいながらの快挙に、当時市は大騒ぎとなったものだ。
話は現代へ戻り、運動会前日のテント張り等おやじの出番は続く。運動会
の中では、組体操や騎馬戦、綱引きなどの補助に加え、校内のパトロールや
喫煙所への誘導など、おやじは毎年大忙しである。娘は吹奏楽部としての演
奏、応援団を掛け持ちで、休む間もなくずっと動いて頑張っていた。
後かたづけ、テントを各
町内へ返却し、最後は近くの公園へ寄ってバーベキューを焼いたりして、夜
遅くまで語り合った。今年は中学生の男の子達がおやじのサポートで頑張っ
てくれた。博多区の公立中学校の「悪さ」ぶりは良く知られるが(博多っ子
純情、武田鉄也etc)、ちゃんと頼もしく育ってくれている子供達も多いの
である。
今日の写真は東光小吹奏楽部の今年3月のお別れ演奏会の様子。
この日は歴代の卒業生も多数詰めかけ、在校生とともに演奏した。
西日本大会(関西以西)で最優秀賞、優秀賞の常連の子供達である。
(昨年末の大会でも優秀賞)