記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

筑後船小屋駅から船小屋温泉へ、歴史と魅力に触れる散策コース

2020年08月27日 09時12分25秒 | ひと駅ノスタルジー

8月17日(月)のFBSめんたいワイド「ひと駅ノスタルジー」は筑後船小屋駅編でした。ロケは8月7日(金)、本来なら「ソフトバンクホークスの二軍施設」最寄りと紹介する予定でしたが、新型コロナ感染者が出たという理由から紹介も自粛という波乱な展開に。

駅を出発してまち歩きをしながら目的地へ向かうコーナーながら、筑後広域公園の中にある駅から船小屋温泉までの途中には、聞き込みできる古い商店などは無し。コーナー的には厳しいロケ地です。それでも船小屋温泉ロケを実現したかった理由は、一枚目の写真の「鹿田写真館」さんの存在でした。

1926(大正15)年築のレトロな写真館、ここは昭和初期から船小屋温泉の様々な記録写真を撮影し、観光絵葉書の版元でもあり、戦前のガラス判写真ネガなども遺ります。以前は絵葉書専用の印刷機もあったそうですよ。

鹿田さんとの出会いは17年ほど前、親しいカメラマン(遠江晃さん)からの紹介でした。直後に隣接する瀬高町・高田町・山川町が合併して「みやま市」が誕生。私は地元の印刷会社さんの依頼を受けて、みやま市最初の市勢概要の企画構成や観光写真群のアーカイブを担当しました。そのためみやま市庁舎(旧瀬高町役場)へ行く途中に船小屋温泉と鹿田写真館があるので、よく立ち寄って温泉街の変化を見て歴史を伺っていたわけです。

現在の筑後船小屋駅は、九州新幹線鹿児島ルートの全線開業(2011年3月12日)に合わせ、従来は500mほど北にあった船小屋駅を筑後広域公園に移設し、新幹線と在来線の併設駅として開業。

2020年7月からコーナー持ち時間が15分から13分に短縮された「ひと駅ノスタルジー」本編では細かく触れませんでしたが、旧駅から移設された「船小屋炭酸温泉」石標が駅舎や観光案内所に隣接した場所にひっそりと建ちます。

新幹線と在来線のある場所は筑後広域公園内。駅前広場には筑後市の名物をモチーフにしたからくり時計があり、1時間ごとにソフトバンクホークスの球団歌がフルコーラスで流れ人形が踊ります(笑)。筑後市のキャラクターも、なにげきソフトバンクのお父さん犬仕様ですね。

ケン坊田中さんをはじめとするロケ隊は、矢部川の桜並木に沿って船小屋温泉へ向かいます。戦前の絵葉書や昭和30年代の観光パンフでも、矢部川沿いの桜並木は名所として紹介されています。私はコーナーを担当する若いディレクターさんに素材や資料、歴史や文化といった最低限の情報をロケハン時に伝えますが、構成や散策ルートを決めるのはディレクターのお仕事。

ロケハン、ロケ本番時の随行を含めて、私のカバンには周辺情報や歴史資料、写真や地図などが入っており、必要な状況でそれを提示します。ロケ本番でいえばケン坊さんがお店の方に尋ねた際など、昔の話を教えてもらう際や思い出を語っていただく際、当時の様子を伝える写真やパンフは一目瞭然なので、それがある無しで話の広がり、深みはまったく違ってきます。

広域公園の船小屋温泉側にある筑後市の物産販売所「恋ほたる」へ。本来なら無料の足湯や地産地消のレストラン、イベント等も紹介したかったのですが、7月初めの豪雨で温泉施設が被害を受けて足湯はストップ。レストラン等もコロナ禍で通常営業しておらず、温泉地らしい今を紹介できず。しかし「恋ほたる」ではタイミングよく北九州からの団体観光バスが到着し、賑わいを写すことができました。

団体客の中には、遠賀町の「きみしゃんいりこ」きみしゃんもいらっしゃって、ケン坊さんに話しかけてきます。つい数日前のTNC「なんしょうと!」にも出演されていたきみしゃん、博多華丸・大吉くん等と吉本同期のケン坊さんも神対応で面白い展開もありましたが、コーナー本編の放送では残念ながら全カット(笑)。

恋ほたるを出発するとすぐ船小屋温泉。ちなみにケン坊さんが持って廻るお題パネルに使った絵葉書は上のような写真。福岡ローカルで30年ロケをしてきたケン坊さんですから、すでにご存知の方は多く船小屋温泉を代表するホテル「樋口軒」も過去何回もロケで訪れたそうで、社長と親しく話されました。

ディレクターが目をつけたのは1949(昭和24)年の九州巡幸の際、樋口軒に泊まられた昭和天皇の逸話。この時の記録写真群を鹿田写真館さんが撮影しており、樋口軒から鹿田さんを紹介してもらうという自然な流れを作りました。実際、樋口軒の昭和以降の絵葉書を撮影・製作してきたのが鹿田さんの初代でした。樋口軒の玄関向かいには、昭和天皇ご巡幸ご宿泊の記念碑もあります。

いよいよ鹿田写真館へ。1926(大正15)年建築当時のままの2階スタジオで貴重な写真原板や絵葉書など船小屋温泉の歴史を語る資料を拝見しながら、温泉街の最盛期だった鹿田さんの子供の頃の話を伺いました。スタジオにはレトロな写真機などに混じり、昭和初期から使われている肖像写真撮影用の小道具・大道具もあります。

このスタジオで写真を撮った有名人の代表格は、コロナ禍の今では志村けんさんでしょうか。「天才!志村どうぶつ園」ロケ旅で立ち寄った志村さんと、当時まだお元気だった鹿田さんのお母様が一緒に映った写真を拝見し、鹿田さんらしい驚きのエピソードが。「有名人だし、フィルムが残るカメラでの撮影はダメだろうな」とのことで、撮ったのはすぐに見てもらえる一枚もののポラロイド写真でした。

鹿田さんにお題写真のおおよその場所を伺い、温泉発祥エリアへ。平成に入ってから道路拡幅などで鉱泉場の建物を含めて、中心地の風景は変わっています。整備された雀地獄広場にある案内板、使われている写真は鹿田さんの親子三代で撮影&提供。

写真の場所の確定は、鉱泉場の隣に建つ凌雲閣さんへ。現在の建物は昭和60年代の建て替えですが、昔は立派な木造3階建。対応いただいた若女将は78歳、女将さん(お母様)は106歳でまだまだお元気なのだそうです。やはり鉱泉の恵みを受けての長命でしょうか。昭和天皇も訪れた鉱泉場の建物は1953(昭和28)年の西日本大水害で倒壊、その後に建て替えられたお土産屋付きの建物も平成に入って建て代わり、鉱泉場の建物は2mほど南へ移動。しかし泉源の井戸はそのままの場所なのだそうです。

お題写真の場所も確定。石垣は戦前から基本同じ、度重なる水害を受けて補修はされていますが、風景は昭和30年代からあまり変わっていません。上等客用の温泉場があった場所には、戦後になって西鉄の船小屋温泉センターがあり団体客で賑わったそうです。この道を抜けると、中之島公園へ続く「ガタガタ橋」です。

水害のたびに上の橋は流されてきた通称「ガタガタ橋」。温泉を訪れた宿泊客が浴衣と下駄を履いての散策をするのが船小屋風情。木製の橋の上を下駄で歩く足音から「ガタガタ橋」という名がついたそうですが、3年前の豪雨でまたも橋は流され修復する間もなく毎年の洪水、7月初めの豪雨では対岸の中之島公園も壊滅的被害を受けて今夏は立ち入り禁止。川での淡水浴も禁止されているそうで残念、来年以降復活することを願います。

コロナ禍でマイクロツーリズム(近場観光)が提唱される中、今度は船小屋温泉に宿泊して風情を楽しみたいです。秋も気持ち良さそうですし、春の桜の季節、さらにホタルの季節も良さそう。

 

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