◆親鸞の説いた浄土真宗は、キリスト教に似ているといわれる。親鸞の師は、浄土宗を説いた法然であった。それは中国で善導が説いたのだと言い伝えられている。中国には、多くの儒教や道教やインドの仏教や西から来た、ユダヤ教やソロアスター(拝火教)やキリスト教(大秦景教)などがあった。空海もキリスト教に触れている。(今も高野山大学では一般教養でキリスト教を学ぶ)。大乗仏教の中で、善導が開祖と言われる浄土教も、念仏を唱えるならば誰隔てなく涅槃(天国)があり、そこに行けるのである、という教えのキリスト教に近いものの暗示を受けたのであろう。聖書には、「主の御名を呼ぶ者はみな救われる」とう言葉がある。浄土宗、浄土真宗はご本尊が、阿弥陀如来である。親鸞は、これにますますキリスト教にちかいことを述べている。阿弥陀如来は、本来、形のないもので、形で現し示すのは方便であると。神は目には見えないが、その日々の信心が浄土に導くのであると述べているのである。
◆突飛な空論で、善い教えでも宗教性に高められるという教えが定着するには、やはりその開祖が気づかぬが先祖からの肉体的なDNAを持っていたものであろうと思う。先に秦氏は大陸でのキリスト教(ネストリウス派)への改宗者であったと書いた。太陽を求めた東へ移動したデアスポラとなった多くの集団は、旧約のイスラエル人であった旧約聖書の預言、救い主の誕生はその中で先祖伝来知らされたいたが、その途中で国破れあの逃れてきた故郷で救い主の誕生を聞き及びキリスト教に改宗したのである。この当時から、彼らの情報網は、世界規模となっていくのである。僕は高校世界史で、大陸を東へ多く移動したのは”月氏、大月氏”と呼ばれる集団とならった記憶がある。
◆シルクロードは、彼らがいなければできなかった。今も皇后は蚕(シルク)の世話をするしきたりです。これは、まさに秦氏の機(秦)織(はたおり)の語源となったものだし、あの太秦(うずまさ)は、秦氏が天皇に絹の織物をうずたかく献上した場所から名付けられたのだのだと。映画村と呼ばれていたのも意味深ですね。大秦とは、当時のローマの事である(後漢書にもあり)。秦氏は、日本に来た渡来人の後発であるが実に大きな貢献をしたと思う。それは、神仏習合の方便としての仏像を、国をまとめるために、当時、宗教争のあった時に於いて、聖徳太子のブレーンとして”和をもって貴しとなす”と17条憲法の第一条にあげ、天皇が採用しようとした仏教により国を統一の影のコーディネーターとなっていくのである。彼らは、決してこうしろとは出てこない、あくまでサポート役に徹する。それは、天上の神が地上の為政者をあしらうものだから、と旧約聖書に描かれた彼らの役割のとおり、レビや預言者に徹していたのである。
◆法然は、この古来の多くの技能集団を引き連れ渡来したキリスト教に改宗した秦氏一族のDNAを引いているものであった。父は漆を扱う漆間国時、母は機織の錦織という。