marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(878回) 不思議なこの国の物語⑪「阿弥陀如来」は方便である、と!

2021-06-07 06:45:57 | 歴史

◆親鸞の説いた浄土真宗は、キリスト教に似ているといわれる。親鸞の師は、浄土宗を説いた法然であった。それは中国で善導が説いたのだと言い伝えられている。中国には、多くの儒教や道教やインドの仏教や西から来た、ユダヤ教やソロアスター(拝火教)やキリスト教(大秦景教)などがあった。空海もキリスト教に触れている。(今も高野山大学では一般教養でキリスト教を学ぶ)。大乗仏教の中で、善導が開祖と言われる浄土教も、念仏を唱えるならば誰隔てなく涅槃(天国)があり、そこに行けるのである、という教えのキリスト教に近いものの暗示を受けたのであろう。聖書には、「主の御名を呼ぶ者はみな救われる」とう言葉がある。浄土宗、浄土真宗はご本尊が、阿弥陀如来である。親鸞は、これにますますキリスト教にちかいことを述べている。阿弥陀如来は、本来、形のないもので、形で現し示すのは方便であると。神は目には見えないが、その日々の信心が浄土に導くのであると述べているのである。

◆突飛な空論で、善い教えでも宗教性に高められるという教えが定着するには、やはりその開祖が気づかぬが先祖からの肉体的なDNAを持っていたものであろうと思う。先に秦氏は大陸でのキリスト教(ネストリウス派)への改宗者であったと書いた。太陽を求めた東へ移動したデアスポラとなった多くの集団は、旧約のイスラエル人であった旧約聖書の預言、救い主の誕生はその中で先祖伝来知らされたいたが、その途中で国破れあの逃れてきた故郷で救い主の誕生を聞き及びキリスト教に改宗したのである。この当時から、彼らの情報網は、世界規模となっていくのである。僕は高校世界史で、大陸を東へ多く移動したのは”月氏、大月氏”と呼ばれる集団とならった記憶がある。

◆シルクロードは、彼らがいなければできなかった。今も皇后は蚕(シルク)の世話をするしきたりです。これは、まさに秦氏の機(秦)織(はたおり)の語源となったものだし、あの太秦(うずまさ)は、秦氏が天皇に絹の織物をうずたかく献上した場所から名付けられたのだのだと。映画村と呼ばれていたのも意味深ですね。大秦とは、当時のローマの事である(後漢書にもあり)。秦氏は、日本に来た渡来人の後発であるが実に大きな貢献をしたと思う。それは、神仏習合の方便としての仏像を、国をまとめるために、当時、宗教争のあった時に於いて、聖徳太子のブレーンとして”和をもって貴しとなす”と17条憲法の第一条にあげ、天皇が採用しようとした仏教により国を統一の影のコーディネーターとなっていくのである。彼らは、決してこうしろとは出てこない、あくまでサポート役に徹する。それは、天上の神が地上の為政者をあしらうものだから、と旧約聖書に描かれた彼らの役割のとおり、レビや預言者に徹していたのである。

法然は、この古来の多くの技能集団を引き連れ渡来したキリスト教に改宗した秦氏一族のDNAを引いているものであった。父は漆を扱う漆間国時、母は機織の錦織という。


世界のベストセラーを読む(877回) 不思議なこの国の物語⑩次回の大河ドラマは「徳川家康」

2021-06-06 17:15:13 | 歴史

今回のブログの謎の意味は後半にある。◆この国には理想の国造りをしようと、あの大きなユーラシア大陸を様々な辛酸と経験を体験して、長い長い歴史を通して、順次渡来してこの国にきた集団がいたのだ。そして日本人として同化して、この国造りにその意味を見いださんとして求めてきた、そういう心情(信仰心)を持ち続けてきた人々だった。決して表にはでない地下水脈のような流れ、その一つの芯があったのだ。この地球の上に生きては死んで、死んは生きて、その過程に意味を見いだしていた人々がいたのだね。そのプロセスに意味を見いだそうとしていた集団が。ひとつの芯のような身に染みついた、まさに機械的な言語や文字で表されるよな簡単なものではなくて、それはこの国の多くの人々が感じているものなのだ。人と言う生き物は、生きるため食べ、生殖し、外敵から身を守るようになる。それら初歩の事柄をとおい昔、卒業し、王(天皇)をたて、法律を作り、宗教を総合する新たな国造りを争いながらも目指し、改革もなされたきたのである。

◆例えば、記紀以前、オオクニヌシが国造りに困難を覚えるときに、海(今の韓国)からきた新しい集団が、多くの技能を持ちつぎつぎ彼を助けたりする。これは、更に西からこの国を目指して来た、宗教として同根を持つ一団だった。だから、争いがあっても最後は、この国ために国譲りとか、神有月(他のところは神無月)などで、古来のご先祖に経緯を評するなどということが、今でも僕らは多少なりとも知っている訳だ。日本の神々は、一つの物語にまとめられていく。しかし、これも古来から文字に表すことが、何事かを経験で知っていた者たちなのだ。それが時代が下り歴史となると。藤原不比等らはくせ者であるな。

◆これが順次、あのイスラエルの地で割り当ての地を与えられなかったレビという集団。彼らは、神と人の間にたち、神の求める理想のアドバイザーであって目に見えないが、多くのこの日本の国の統合に画策してきたのである。そして、誰もが”永遠の涅槃”に導くといわれる、この国では今も誰も知らない人はいない”阿弥陀仏”という仏像名。突然、仏教と結びつくような話を書くが、この”阿弥陀仏”、サンスクリットでアミターバから来ているといわれるが、これは遠い西のペルシャから方面から大陸を伝わり日本に来ているのである。・・・この限りなく古いレビという集団のDNAを引き継いで来ている一人が旅の僧、徳川家康の祖先と言われる”徳阿弥”なのである。時代を遡り、仏教をもって国をまとめようとしたといわれる聖徳太子、このブレーンだったのが、大陸で東に移動時にキリスト教に改宗したといわれる秦河勝であった。彼もレビ系統であろう。”阿弥陀如来”とは彼が、形の上では仏教で国をまとめようと彼が創設した仏像であろうと。この真の意味合いは、神仏習合の意味合いがすでにこの如来の中にあるのである。秦河勝は、神道、それも真の天地の創造主を古来から知っていたからである。そういう経緯を知っていて徳川家康は、あらゆる宗教を丁重に保護したのである。


世界のベストセラーを読む(876回) 不思議なこの国の物語⑨理想の国造りの影のプロデューサー

2021-06-04 06:24:08 | 歴史

◆僕はコロナ禍の中で、これからの世界の人々の考えは変わっていくと思うのだ。皆さんも考えて欲しい。理想の国造りなんてあるんだろうかと。これだけグローバルに世界のニュースの動きを知ろうと思えば、媒介となるメディアも大丈夫なのかも判断に入れて僕らは善悪を判断しなくてはいけない世界になって来ているけれど、昨今の世界のニュースは、いまで理想の国造りに右往左往、国の人命も損なっても体制を維持するなどということや、国の体制が崩れないように国民の不満を顧みず逆らうものを、捉えたり殺害するということが、あからさまにまかり通っていることに、これは僕などは、算数の足し引きなどの次元で考えられる長い目での損得勘定もできない上に立つ人らなのだろうと思って見たりする。個性ある人が自由であることの難しさ、民主主義の難しさだな。

◆人の意欲をそがない。それは神が人に与える才能で外からの操作でき得ぬものだから。外からの束縛は、最小限にする。他者の生命と財産を侵害してはいけない。才能ある人には出来る限りそれを伸ばして、社会に貢献してもらう。しかし、人には悩みも、悪さも心にある。指導者と民衆と。そこにはやはり、仕組みが必要だ。インフラを整備する。法律も作る。それでも心に娯楽をと技能あるものは、大いに伸ばし社会に還元してもらう。無論、技能ある者は土地の有効利用や開発も行う。人の社会には、大衆イメージとしてヒエラルキーも国の組織として必要だ。そういう、理想の国造りのプロデューサーが、歴史をとして様々な体験をして、この国に順次渡ってきた多くの人々(部族)がいたのです。彼らは共通の根本の宗教性を持って社会ルールも持っていたのだ。無論、当たり前のように部族間の諍いも絶えなかった。しかし、その中でも更にその共通基盤の宗教性による統一に優れたプロデューサーに統一されて国造りを目指していく。記紀以前の古代、この日本にはそういう歴史の布石があったのである。それが、僕らの不思議なこの国の根底に流れる精神性に繋がって流れている。このように考えると、古事記、日本書記に書かれたことの背後でのドラマが推測されてくるである。

◆突然に現れる、この国の文字で表された物語、古事記や日本書記。あの時代、この国に同化した大陸でのみずからの辛酸を経験した優れた渡来人達が、その大基を作成したのであった。彼らは、文字に記録を残すことが使命のようなものだったから。そのような中での最も優れ天皇もサポートし、養蚕機織から酒造り、その他多くの技能集団、秦氏(はたうじ)は、現在も日本中にある「八幡」や「稲荷」を名乗る神社は、彼ら渡来人集団(秦氏)が布石したものである。・・・僕が生まれた村にもある。


世界のベストセラーを読む(875回) 不思議なこの国の物語⑧「徳」が「川」のように途絶えず流れる

2021-06-03 15:16:48 | 歴史

◆彫刻家の作者が如何にギリシャ彫刻が得意だったとしても、あまりにその像の面構えはこの国の人では無いな。家康の父親は松平広忠。松平郷を治めていた2代目の重信の時代に旅の僧である徳阿弥(とくあみ)を娘婿に迎える。そう簡単に「徳」とか「阿弥」(あの阿弥陀仏とかの阿弥だ!)付けられたものだろうか? それはさておき、徳阿弥は僧侶から俗人へ戻り、名前を松平太郎左衛門親氏(ちかうじ)と改名する。家康の初代、祖先となったのだね。

◆ここで覚えて欲しい。各地の豪族が勢力拡大する中に於いて、親氏は近隣諸国を平定、西三河北部を平定するようになる。僧侶でもあったから、貧しい人々の救済や道路の整備などをおこない慕われていたらしい。そのなかで、彼は僧侶として何を信心していたのだろうなと思う。彼の信じていたものは、これという目に見える信心対象にはなかったのではないだろうか。いろいろな宗派の宗教を家康は保護していたのだから、天皇をも。いろいろな神社や寺にも徳川の葵のご紋が見られるし。彼は見えぬ次元の異なる神を信じていたんだ。

◆まさに、徳阿弥は前回書いた、もっと次元の異なる未来の予測も出来、国造りのコーディネーターとなるべく、昔、この国に渡来した集団の血を引く一員の信仰を持っている者だったと思われるのである。彼の信仰の集団の情報網は、凄いものだった。理想の国造りに、ふさわしい武将がいれば、みずからが敵国になっていたとしても、この国の理想の国造りを優先して代々、加担していたのだ。大陸で経験してきた、理想国家のあり方、王(天皇)を尊重し、法律を作り、宗教を保護する。ここで、民衆を平定するには、宗教が大切なものだったことを知っていたのです。

◆徳阿弥の遠い祖先は、縄文時代から多数遺跡のあった、昔、あの江戸と呼ばれたまさに日本の中心としての位置を知っていたのである。遠い昔、どういう人々が太陽がのぼる国を求めて旅をし、あの地に多く住むようになったのかを。それは古代から、永遠の故郷を求めて太陽の昇る地を求めてひたすら旅を続けてきた割当ての地がなかったレビが引き連れてきた一団だったのである。


世界のベストセラーを読む(874回) 不思議なこの国の物語⑦なぜ「松平」から「徳川」になって天下統一をしたのか

2021-06-03 06:11:28 | 歴史

◆今という時だけで無く、過去から未来まで少なくとも推測して、今という時を十分ベストを尽くせるよう意識して生きて行くことにしよう。歴史の主人公たる人のやる気を大切にしよう。能力を伸ばして、国の為に貢献してもらおう。あわよくば、そう思っている自分らの利益にもなるように・・・・。しかし、みずからは歴史の表舞台に出ず、チャンスという可能性を出来る限り主人公となるべく彼らに与えることだ。そう、背後に控えるブレーンたるプロデューサーは考える。そして、彼らは、決して表には出てこないが、世界に散らばっている。出てくるとすれば、名前を変え歴史に名を残すが、消滅するとも構わないことを知っている。しかし、彼らの集団からすれば、突然変異と見なされ悲しまれる。我らの、思いは歴史のドラマを行うこの地上の舞台と天上の間の次元の異なるところにある。地上の人々も、彼らの思いの軌道にのれば、きっと幸せになれるだろう、少なくともこの地上に於いては・・・。突然に人生訓のようですがそうではなく。。。

◆なぜ『徳川』という名前を名乗るようになったのだろう。そのきっかけとなった人には、歴史の表舞台でない背後のブレーンが古来から沢山いた筈です。敵とか味方とかに関係なく、どにでも存在していた筈で、ネットワークに情報を持ち、もっとも時勢において正しいと彼らが判断した時の武将に加担したのです。時勢において正しい? これは徳川家康が、実に多くの書物を読み、神仏の求めているその究極の存在、歴史に動かすその何者かを察して、それにより天下統一を図ろうとしていたことに賛同した目には見えぬ集団の存在があったからだと思われるのです。

 ◆徳川家康は24歳まで「松平」という姓だった。愛知県豊田市の『松平郷』には、背丈が2m以上もある不思議な人物像がある。これはどう見ても日本人ではない。そして、この人の名前は「徳阿弥」というのだそうだ。ここに「徳」と「阿弥」という文字が出てくる・・・。これも不思議な名前だと思いませんか?