今回は、僕のコメントのみです。メッセージの続きは次回の ◆ から です。
・・・前回のここまで説教されて、話されている教会の歴史を語ります。信仰は、あくまで個人のものであるから、第三者からは如何とも評価の出来ないものである。確かにそうなのですが、優先順はあくまで横(地)を先に見るのではなく、縦(天)を見る。そして、その十字の交差に自分がいて、その根元は自分の足下の地面に食い込んで立っているということ。そして、それには時間軸が加わります。天上界(天国)から地上へ、天地創造、人間の創造、神の存在を教え知らしめる為のヘブル人の選民、そしてその歴史(これが旧約聖書)、世界の人間への救済の為のキリストの派遣(現代はその時代を生きている)が加わります。そして、この時代、言葉はわれわれの実際の生活に、考えに、人が責任を持つことによって世の中を変えてきたと、しかもそれでもやはり、欠陥のある人間には自らの救済は困難であろうと・・・キリスト者はこの世とは異なる暦を持って生きていると説教者は語り始めました。この世とは異なる暦とは、天地創造来から天上界に帰還するまで続いているカレンダーです。キリスト教では、救われるとかいいけれど、そもそも何かいな・・・という人が実は殆どな筈、で少なくとも旧約の民の歴史とは永遠の昔の天地創造以前の天国への帰還の意味が、いつも込められているという考える上での措定、大前提を持っているのです。そして、天地創造以降の歴史が旧約聖書、ユダヤ人にとっては聖書そのものに著されていると信じていることになります。
プロテスタントの歴史に中で、教派に分かれ、その時代、時代に理由があったのですが、そこに居たのも群を構成する人間でした。その時代に生きたキリスト者が啓示を受けて教派に形成されてきたとも考えられますが、その「人というものは、まさに時代によってもいかなるものであるのか」ということも考える上で、霊的な意味合いで大きな示唆を受けます。そこに、キリスト者という枠が解消されて、全て真なる神を求めている人びとにメッセージが降されて来ている、そういう時代が広がりつつあるのだと言えるかも知れません。
「潔めを受けつつ、栄えに進み」との表題は、教派で言えばジョン・ウエスレーの創設した「メソジスト」であることはすでに理解された方がおられるかも知れません。この後、説教者は、話の中盤に今生を生きて行くキリスト者に何を心がけなければならないかを18世紀の英国でウェスレーたちを生かして止まなかった書物、ウイリアム・ローという一人の英国教会(聖公会)の司祭が書いた書物を紹介し語ります。僕が思うに、人が生きる上での合理性(経済的な意味ではなく肉体と魂の関係での上での)、そして、古代ユダヤから生活に於いて衛生を心がけた民であったこと(これはまさに「聖書」の「聖」であり、「神、聖なれば汝らも聖なるべし」という戒めの実生活での遵守事項が沢山あった。余談だがヨーロッパでまさにペストが流行った時、多くのユダヤ人が死を免れたのは手を洗うことを神の戒めとして心がけていたらしいという話です)、これがイエスが来られて、いわば実際の生活を通して「心の中まで衛生を心がけ生きること」、聖書を研究しそこを見出していった人びと、その教派が「ホーリネス」であり「メソジスト」であると言えるのではないかと思います。これはこれで、歴史の中でのメソッドつまり、律儀に生活することが、18世紀の英国では必要だった訳で、これは事実、英国の大変多くの人びとの心に変革をもたらしました。
次回 ◆説教の続き(抜粋)です。・・・ 続き
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・・・前回のここまで説教されて、話されている教会の歴史を語ります。信仰は、あくまで個人のものであるから、第三者からは如何とも評価の出来ないものである。確かにそうなのですが、優先順はあくまで横(地)を先に見るのではなく、縦(天)を見る。そして、その十字の交差に自分がいて、その根元は自分の足下の地面に食い込んで立っているということ。そして、それには時間軸が加わります。天上界(天国)から地上へ、天地創造、人間の創造、神の存在を教え知らしめる為のヘブル人の選民、そしてその歴史(これが旧約聖書)、世界の人間への救済の為のキリストの派遣(現代はその時代を生きている)が加わります。そして、この時代、言葉はわれわれの実際の生活に、考えに、人が責任を持つことによって世の中を変えてきたと、しかもそれでもやはり、欠陥のある人間には自らの救済は困難であろうと・・・キリスト者はこの世とは異なる暦を持って生きていると説教者は語り始めました。この世とは異なる暦とは、天地創造来から天上界に帰還するまで続いているカレンダーです。キリスト教では、救われるとかいいけれど、そもそも何かいな・・・という人が実は殆どな筈、で少なくとも旧約の民の歴史とは永遠の昔の天地創造以前の天国への帰還の意味が、いつも込められているという考える上での措定、大前提を持っているのです。そして、天地創造以降の歴史が旧約聖書、ユダヤ人にとっては聖書そのものに著されていると信じていることになります。
プロテスタントの歴史に中で、教派に分かれ、その時代、時代に理由があったのですが、そこに居たのも群を構成する人間でした。その時代に生きたキリスト者が啓示を受けて教派に形成されてきたとも考えられますが、その「人というものは、まさに時代によってもいかなるものであるのか」ということも考える上で、霊的な意味合いで大きな示唆を受けます。そこに、キリスト者という枠が解消されて、全て真なる神を求めている人びとにメッセージが降されて来ている、そういう時代が広がりつつあるのだと言えるかも知れません。
「潔めを受けつつ、栄えに進み」との表題は、教派で言えばジョン・ウエスレーの創設した「メソジスト」であることはすでに理解された方がおられるかも知れません。この後、説教者は、話の中盤に今生を生きて行くキリスト者に何を心がけなければならないかを18世紀の英国でウェスレーたちを生かして止まなかった書物、ウイリアム・ローという一人の英国教会(聖公会)の司祭が書いた書物を紹介し語ります。僕が思うに、人が生きる上での合理性(経済的な意味ではなく肉体と魂の関係での上での)、そして、古代ユダヤから生活に於いて衛生を心がけた民であったこと(これはまさに「聖書」の「聖」であり、「神、聖なれば汝らも聖なるべし」という戒めの実生活での遵守事項が沢山あった。余談だがヨーロッパでまさにペストが流行った時、多くのユダヤ人が死を免れたのは手を洗うことを神の戒めとして心がけていたらしいという話です)、これがイエスが来られて、いわば実際の生活を通して「心の中まで衛生を心がけ生きること」、聖書を研究しそこを見出していった人びと、その教派が「ホーリネス」であり「メソジスト」であると言えるのではないかと思います。これはこれで、歴史の中でのメソッドつまり、律儀に生活することが、18世紀の英国では必要だった訳で、これは事実、英国の大変多くの人びとの心に変革をもたらしました。
次回 ◆説教の続き(抜粋)です。・・・ 続き
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