marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(530回目)キリストを信ずることは死後に保険を掛けるようなもの?

2018-07-26 00:39:06 | 日記
 まっとうな信者さんからはお叱りをうけるような表題です。しかし、「救い、救い」と言われると、それは第一に「助けられること」だから、その言葉が先んじてしまうと何のことやら、です。おそらく多くの人にとっては・・・。
◆キリストにあって死んだ人は、肉体では存在しないが、霊的には死んではおらず眠っている、そして再び、彼が地上に来られるとき、目覚めて、つまり復活するのである というのが キリスト者の理解です。まず死んで眠っていた者が・・・・、というように順序まで書かれている・・・けれどそれは、僕らには分からないことだから、よしとして・・・。
◆イエスという方はこう言われるのです。「アブラハム、イサク、ヤコブの神である。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ」と・・・。「自分」という言葉をよく考えて見ないといけないと言ったように「生きる」とか「死ぬ」とかと言う言葉も、聖書を読むときに考えていないといけない。「生きる」とは、霊的に生命を与えて下さっている今も活きている神の霊に繋がっていることを「生きている」言うのです。だから、肉体が目に見える生きているという人は、周囲からは分からないが、神の霊につながっていれば「生きている」ということになるし、繋がって居なければ「死んでいる(亡くなる運命にあると言えばいいか)」ということになる、そんな理解を僕はしているのです。旧約の人びとの事など異邦人の誰が知ろう。けれど、何故か「天国」という言葉は普遍的に知っている。「永遠」という言葉も知っている。異邦人に対して、その天の父なる住まいを何とその伝道師パウロは伝えていったか・・・。
◆イエスが生まれる前のさらに2000年ほど前の、旧約聖書(ユダヤ人の方には聖書)には、掲題の信仰の父や、神にあしらわれ人生を送った人びとが描かれているのです。無論、その後の神の人と言われたモーセ、あのイスラエル人をエジプトから脱出させ紅海を渡り「十戒」を神から授けられた人などが居るわけですが、ユダヤ人は現在もいきいきと信じている訳です。なぜなら、これも書かれているが一日は千日のように、千日は一日のようにと、だから、歴史として過ぎ去ったことなど、忘れてもいいことなどとは決して思っていないのです。
◆繋がっていることがとても大切なことなのです。旧約時代から、イエスの登場を待ちに待っていた人びとが多くいたこと、すでに数百年(旧約時代が書き終えられてから400年以上)もたってイエスが誕生されたのですから・・・。我はブドウの樹、汝らはその枝なり。私につながっていなさいと彼はしきりに語るのです。それなので、実際には紀元前の人たちにも拘わらず現存する僕らが信じているかぎり、繋がっている限り彼らは今も生きていることになるのです。
◆異界の人びとは、生きている。しかし、そのプネウマ(神の息と呼ばれる)は、僕らには見えないし聞こえないし、その関わりも分からない。彼に繋がらないもの(霊)は時間が経過すれば、消えていく。彼が、私に繋がっていなさいというのは、永遠からのいのちに繋がっているから、というふうに読める。彼は、見えないが地上にある彼と繋がる霊を「聖霊」として与えられているということになるということ。この理解にはこの朽ちゆく受け取る僕ら側の実際の自分の礎が必要ですね、ともすれば流れてしまいがちになりますが・・・ その基が僕が言っている自分という基軸を持つことです。この点検には自己中(まさに自分からは逃れられないから)にならないように。だから対話し、直していくに必要な対話する完全なる人、イエスという存在が必要となると。そして不完全な欠陥だらけの「自分」の点検には、自己を見る言葉が要求されてくると。
◆極めれば、不完全な欠陥だらけの、自分自身でも知り得ない、直しきれないこの朽ちゆく肉体を持つ、それの解消に絶望してもしきれない現存する自分という存在がある。この生きる肉体と潔い霊(彼の)との会話の接点、それが彼の十字架、それが自分の異界との接触が本来できないことを可能とするこちら側の礎が必要になること。自分の解決できないこの肉体にある全ての欠陥を彼は身に負い、十字架に付かれたということになる。彼が十字架に掛かっているのは、神につながるべく、天国につながるべく、永遠につながるべく、そのための、わたしの全ての欠陥の解消する為の、十字架で血を流されて今も苦しまれているということなのだ。

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「わたしを使わされた父も、ご自分でわたしについてあかしをされた。あなたがたは、まだそのみ声を聞いたこともなく、そのみ姿を見たこともない。また、神が使わされた者を信じないから、神のみ言葉はあなたがたのうちにとどまっていない。あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。」(ヨハネによる福音書5:37-39)

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