◆2000年以上も前から答えはでていたはずなのに、世の中、世界がそうゆう状況であるならばという意味で、その時代に言葉を充てるのが、哲学であり、文学なのだとすれば、いずれ、答えが出ていたにも関わらず、それを回答と見ないで、それには違う次元の基底があるもの達だけが理解するものなのであった。それを知る者は少ない。ブームにしてはいけないものだ。少なくとも減少する傾向となるようなブームにしては。
◆これは何を言っているのかと言えば、この小説の12章も小見出しにサルトルの文章がそのままに掲載されているからなのであった。これは、四国の山の故郷の村に帰り、万延元年に起こった一揆に模して村で騒動を起こし、結局、今やこの章では銃で弟の鷹四が自害する章である。その冒頭にはこう記載されていた。
12 絶望のうちにあって死ぬ。諸君はいつまでも、この言葉の意味を理解することができるであろうか。それは単に死ぬことではない。それは生まれ出たことを後悔しつつ恥辱と憎悪と恐怖のうちに死ぬことである、というべきではないだろうか (J=p・サルトル 松浪信三郎訳)
◆彼の小説は、大脳皮質を刺激するにはいいのだが、なにぶんにも肉体に対する考えがずいぶんと荒い。それも身体に関する実存哲学というものの初期の試験期間というものか。しかし、ノーベル賞と言えども時代を反映すると言えばそういうものなのであろう。肉体においてしかもそれは魂を受胎する人のいう生き物の、神の似姿に創造されたとすれば、恣意的に言葉で部品ののように言葉で乱雑に取り扱いことは、正直、非常に雑な、猥雑ないら立ちを感ずるものである。つまり、イメージの先行く落としどころがない。人の生殖器など、医者でもなければ、しかも医者はそれを部品とみているだけだから、庶民がそれを真似れば気分が害されるだけだ。いずれ、救済の道しか残されていないのである。確かに彼はその方向へ向かった。少なくとも内面においては。。。答えは出ていたとは、まさに実存主義の元祖と言われる哲学者キィェルケゴールが、その著書「死に至る病」の中に「死は絶望である」と語っていたからなのである。しかし、絶望を希望に変えた男がいたのに。答えは出ていたのである。そして多くの大衆はそれを知っていたのだ。あぁ、あの世界のベストセラーに、あの語られた言葉の中にねぇ。
◆彼は、このことも感じていたと見え、あとがきに 著者から読者へ「乗り越え点として」題する中にこう書いていたのである。・・・次回へ続く