◆大江健三郎がすべての原稿を東京大学に寄託されたという先ほどニュースが流れた。(2021年2月12日) 昔、彼の原稿の<字>を見た時に自分の乱筆に勇気を得た思いがしたものだったが。それはそれで、写真は平成13年4月1日発行初版で、ほとんどの小説の終わりに出されたものだが、僕がこれは・・・と思いながら気にけていた作品の各内容に、その理由づけをするようなエッセイである。だから、彼の本の秘密を知りたければ、作品に現れる以前の作者の思いが考えがつづられている訳で、直接読んで面食らう小説も同時にこれを読んでその意図を思えば、僕個人だけかもしれないが、そのイライラが解消されるというものだ。人それぞれに読み方はあるだろうが、僕の場合は作品が面白いとうことより、どうしてそういう作品が書かれたのか、その時代、その作者の思いとか、そういう方面を考えてしまい興味を持ってしまうので。◆その僕が感じるイライラ、それが評論家、あの小林秀雄が2ページ読んで読むのはやめたよ、あのような作品が批評家に受け入れられると思っているのか、と彼に言ったことと同じことかどうかは分からぬとしても(それも、この本に書かれているが)作者はその作品「同時代ゲーム」は自分にとっては大切な小説だといっているのだから、それだからこそというか、結晶としての作品と同時にその作品を絞り出す作者の思いの深層を並行して知らないと僕にとっては読みずらいと思う訳である。それは作品よりも人が知りたい、という僕個人だけの指向かもしれないが。◆だからというか、小説以外では作品創造の大江の秘密を知るうえで、彼の要衝のころからの作家になるまでの土台形成を見る思いで僕はダントツこのエッセイが面白いと思っているのである。