marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

☕ ラッキーマンM君へ、ラッキーボーイAくんへ(お手紙終わり)

2020-10-27 08:49:11 | 手紙

◆倒れた石積みから積み直したよ。初めは751回、倒れた写真は753回。それで、ここ数日、雨で風も強かったから又倒れるかなと思っていたのですが、初めより(753回)バランスが悪そうなのに倒れない。◆それで、前のブログの答えとしての1点とは詰まり、僕が日々イメージするこのG(重心)の平衡になったその目には見えないバランスの基点。日々の生活の考え、行動する基となる魂のGというか、その点から確認すること。すべての僕という生き物の基点というか、それは、今という存在の宇宙も含むすべての中にあるということ。◆その核心は、人であれば石ころの無機物とは違い、有機物の僕が消滅してもその核があったそのことは、僕の存在をあらしめた基へ日々つながっていることを心がければ、永遠のそのGばかりではなく、僕らが知り得ないこの永遠の宇宙の微細な命のシステムの軌道に乗ることができるであろうと、それは間違いないと思ったのです。◆それで、存在するあなたたちが、なぜラッキーなのかは、どこかから持ち出してきた良い話ではなく、今まで地上のDNAを引き継いで来た人々のつまりご先祖からの、永遠の救済のファミリーヒストリーが敷かれていたということを僕は確信したからなのです。あとは君たちは、基点となる魂のGを更に強固にする為に人生が残されているということを自分の言葉で確認し、大胆に生きて欲しい。そこに真の本当の自由への道があるのだから。◆長くなりました、ハイデガーとう哲学者の「存在と時間」を読み始めました。それでは、この地上でフィジカルであるお体に気をつけてみなさんの健康を祈ります。(終わり)


☕ ラッキーマンM君へ、ラッキーボーイAくんへ(その3)

2020-10-24 11:40:31 | 手紙

したがって、普段の無関心なひとから、永遠の命に係わるというのは意識せずともそういうレールの上に生涯が軌道に乗せられている人と言うのは、本人が意識するとかしないとかに係わらず、天地創造以来、選ばれているということですね。こう書いたからといって、すべてがこの世においてパーフェクトだとか、試練がないとかということでは決してないことは理解しないといけない。この地上において悩みがなくなるなどということではない。むしろ、試練や悩みは自分の肉の(この次元の)成長のレベルアップの時とみなすことです。(あぁ、説教じみてきたな・・・)。そうであっても、いかようなことがあっても(守護霊とは言わんけれども)守られているということなのです。ですから、健康だけは留意することです。後は、そのことを信じて自由に生きなさい! その肝心なことを忘れなければ、すべて知りたいことは生きていく途上で学ぶでしょう。小難しいことは、何もないのです。その一点だけなのです。その一点とは・・・続く

 


☕ ラッキーマンM君へ、ラッキーボーイAくんへ(その2)

2020-10-24 07:51:34 | 手紙

 今日は教会のお墓の掃除予定なのですが、雨が凄くて中止! 二~三日前から天気が悪く、風も強く、庭のシンボル化の石積も倒れたくらいですから、外に出ず手紙の続きを書くことにしました。◆引き続き何故、”ラッキーなのか”ということを少しお話しましょう。初めに新約聖書のパウロが書いたエフェソ人への手紙の一節を書きます。キーワード:「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、ご自分の前で聖なる者、穢れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。」(エフェソの信徒への手紙1:4)◆聖書を学ぶと新約においてもイエスが亡くなってから半世紀もたたないうちにも、信徒の間には深い理解のみ言葉への解釈進展があったことが読み取れます。実際、福音書よりもっともはやく文字としてイエスのことが書かれたのは、パウロのテサロニケへの手紙ですが。それはともすれば、観念的な理想的な希望的思いだと思われがちです。なぜなら、イエスのことを知らなくとも何となく希望めいた良いことを言っているなぁとは読んで理解できるからです。しかし、”み言葉の解釈の進展”と書いたのは、地上のことから天上の歴史へと、彼らは生粋のユダヤ人で天地創造来の神の伝統を信じて、その辛酸をなめた先祖の伝統、そして歴史(その歴史の背後にあるものと言っていい)を知っていてその上にそれに係わる天上のありようが言葉に表されてきているからです。その体に染みついた先理解のもとにパウロは先のキーワードの言葉を書いているからです。現象結果としての人の日常の肉の生活からさらに神的な意味合いでの人が創造され霊を吹き込まれたる以前のことが語られるようになったと読み取れるからです。ここに地球上に生きている人それぞれが自分の言葉でみ言葉を理解する必要があるという重要な意味が出てくるのです。・・・続く


☕ ラッキーマンM君へ、ラッキーボーイAくんへ(その1)

2020-10-23 18:07:08 | 手紙

◆伴侶となるKさんの父上がご自宅に僕らが訪問されたとき、御じいさまが昔寄進されたという狛犬の、それは今は新しい狛犬の後ろに置かれて鎮座して歴史を感じさせるものとなっていましたが、近くの八幡神社に共にお参りに引率されお参りした時、僕はいささかびっくり、あぁ、M君は本当に神様に導かれたラッキーな男だなんだなぁと思ったのです。◆秦氏の謎などという本を送ってましたでしょう。このとてつもなくこの日本の思想的形成、技術、文化などに影響を与えた渡来人の多数の部族集団は、この日本のいたるところに八幡(はちまん)神社も作り、村や町の名前として残っているのです。この東北の田舎にも代々木八幡、近江八幡とかの都会でも・・・。◆秦氏は、古代、先に来ていた帰化人たち、それは東から太陽を求めて移動してきた失われたイスラエル10部族の後発に当たる、つまりキリストの誕生を東への途中の国々の形成に係わりつつある中でキリストを信じたネストリウスキリスト教を信じていた人々だと言われているのですね。稲荷神社もINRI、ちなみにお狐さんは弘法大師空海さんが置いたのが始まりなのだそうだ。INRIが稲荷と、これはイエスが十字架に架けられた時に頭上に打ち付けられた文字から来たものだろうと言われるくらい、秦氏が広めたものだそうだ。◆神社神道は、実は基は一神教なのでそれは、古代大陸から帰化した人々の天地創造された旧約のヤーウェに当たるとされているのです。いずれ、この東北の地に今まで地面から穀物や木の実、のちには米などを唯一食べるためにひたすら地上の産物から糧を得ていた古代人の中へ、山の中に鉱石があることを探しに来た人々がいて、それが遠く大陸の西から渡って来ていた人々の技能集団であったのであると考えなければ、理屈にあわないわけだ。青森、岩手にはアラハバキ神という代々の言われた神がありそのご神体は石。それが鉱石が多数産出した岩手。丘(岡)の中に多くの産出物がある(盛られて出る)。これが盛岡と名前の由来であろうと。◆昔、日本のチベットなどと言われていたが、なぜ、中尊寺の藤原三代があの平泉にきたのか、どうして徳川家康があの関東に出て江戸城を開いたのかなど、表には出てこない大きな深い歴史の流れがあったのではないか。そして遠野物語に釜石(釜を作れる石がでる)には昔、異国人がいたなどと書かれているのは、そういうことなのである。・・・続く

 


世界のベストセラーを読む(753回) シンボル化の石が倒れた!

2020-10-23 17:08:05 | 日記

 ◆先程、ブログ751回で書いた庭のシンボル化の石積みが倒れた。ひとつ16kgほどもした石なので地盤が雨で緩み、G(重心)の平衡がずれたのだ。752回に載せた写真の30cmほどの高さのものはコンクリートの雨の当たらないところでこちらは、無論倒れない・・・が、震度1ほどの地震があった時、あっけなく倒れていた。◆Gは僕が求める心の重心のようなシンボライズされたものだと書いたけれど、だいぶ以前にも書いたが、もっと形象的に言えば大海に浮かぶ氷山のGなのだ。その氷山は、海から表面に露出しているものは一部で9割方は海の中にあり浮かんでいるが、無論G(重心)はある。温暖化が進み、流れて溶けて形は小さくるがGはあるのだ。◆全体の大きさや形は表からはわからない。人は表しか見えないから、その部分でしかその人が分からない。それは大気や大海のなかで動いて流れて形を変えていく。そして、いつか溶けてなくなるだろう。しかし、人それぞれの魂に象徴化されたGは、そのまま溶けてなくなることはなく、永遠の世界へ戻っていくのである。僕は、いつもそんなことをイメージして生きている。・・・晴れたら建て直そう。