◆伴侶となるKさんの父上がご自宅に僕らが訪問されたとき、御じいさまが昔寄進されたという狛犬の、それは今は新しい狛犬の後ろに置かれて鎮座して歴史を感じさせるものとなっていましたが、近くの八幡神社に共にお参りに引率されお参りした時、僕はいささかびっくり、あぁ、M君は本当に神様に導かれたラッキーな男だなんだなぁと思ったのです。◆秦氏の謎などという本を送ってましたでしょう。このとてつもなくこの日本の思想的形成、技術、文化などに影響を与えた渡来人の多数の部族集団は、この日本のいたるところに八幡(はちまん)神社も作り、村や町の名前として残っているのです。この東北の田舎にも代々木八幡、近江八幡とかの都会でも・・・。◆秦氏は、古代、先に来ていた帰化人たち、それは東から太陽を求めて移動してきた失われたイスラエル10部族の後発に当たる、つまりキリストの誕生を東への途中の国々の形成に係わりつつある中でキリストを信じたネストリウスキリスト教を信じていた人々だと言われているのですね。稲荷神社もINRI、ちなみにお狐さんは弘法大師空海さんが置いたのが始まりなのだそうだ。INRIが稲荷と、これはイエスが十字架に架けられた時に頭上に打ち付けられた文字から来たものだろうと言われるくらい、秦氏が広めたものだそうだ。◆神社神道は、実は基は一神教なのでそれは、古代大陸から帰化した人々の天地創造された旧約のヤーウェに当たるとされているのです。いずれ、この東北の地に今まで地面から穀物や木の実、のちには米などを唯一食べるためにひたすら地上の産物から糧を得ていた古代人の中へ、山の中に鉱石があることを探しに来た人々がいて、それが遠く大陸の西から渡って来ていた人々の技能集団であったのであると考えなければ、理屈にあわないわけだ。青森、岩手にはアラハバキ神という代々の言われた神がありそのご神体は石。それが鉱石が多数産出した岩手。丘(岡)の中に多くの産出物がある(盛られて出る)。これが盛岡と名前の由来であろうと。◆昔、日本のチベットなどと言われていたが、なぜ、中尊寺の藤原三代があの平泉にきたのか、どうして徳川家康があの関東に出て江戸城を開いたのかなど、表には出てこない大きな深い歴史の流れがあったのではないか。そして遠野物語に釜石(釜を作れる石がでる)には昔、異国人がいたなどと書かれているのは、そういうことなのである。・・・続く