あの方の死からのよみがえりがなかったのなら、それは何も始まりはしなかった。マグダラのマリアは見たと言う。このマリアは、七つの大罪を直してもらったという。ある者は、よみがえりのあの方にすがりつこうとしたことから、あの方と婚姻関係があったのではないかという者も現れる始末だが、このわずかの記事から、むしろあなた達はどういう境遇をマリアは体験してきたかを推し量るべきではないだろうか。このマリアは財もあり、そして多く知ることの罪を犯したが故により大胆になった、多く悔い改め、多くの涙を流し、多く許されたのだから。・・・ 三日目の朝、よみがえりのその方に初めてあったのは彼女だった。天使は言う。「あの方はここ(墓)にはおられない。よみがえられたのだ。ガリラヤでお会い出来るであろう。」 彼女は誰にも言わなかった。恐ろしかったからである。・・・本来、わたしの福音書はここで終わる。その理由。12使徒の中に私の名前はない。私は、歳も若くあの方といつも時間を共にすることはなかったから。しかし、福音書というあの方の物語として私がもっともはやく書かれたのは、あの天国の鍵を授けられたと言われた漁師であったペテロのギリシャ語の通訳として彼について回ったからである。彼の行く末、そして何よりあのエルサレムが崩壊せんとするあの時、あの方の生涯を記録しようと後が短いと思われたペテロからの奨めもある。わたしは、復活したあの方には遭遇していないのだ。しかし、わたしを背後で感動をもって書かしめたその湧き上がる思いは何だったのだろうか。その畏れはなんだったのだろうか。復活して生きておられると言われたあのか方はどこに現れるのだろうか・・・。つたない人の言葉で書き表されることよりも、あの方は2000年後の世界で読まれるであろうそのベストセラー、それを読まれる人々の傍に現れ(復活し)、語り続けるであろうと。文字に著せばそれは読まれたときに過去になる。彼は生きているのだ。生き続けて語り継げているのだ。今も生きている彼にだれもが遭遇するであろうと私は確信したのだ。
僕は、あのときのあの方のたったひとりの目撃者なんだ。弟子の一同をとどまらせ、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴いさらに奥深く、寂しいところで祈られたとき、あの3人は眠っていたのだからね。つまり、僕というもうひとりの目が見ていないと書ける記事ではないだろうあのような場面は。あの方は本当に血のような汗を流し祈られていた。僕はあの時の証人なんだよ。マルコによる福音書 14章51節、52節「ひとりの若者が、素肌に亜麻布をまっとってイエスについて来ていた。人々が捕らえようとすると、亜麻布を捨てて裸で逃げてしまった。」 これは、僕のことだ。僕はその場にいて見ていたことの記事をそういうかたちで残したんだ。僕の叔父は、世間でも人徳のあると慕われてきたバルナバ。レビの一族でもある僕らは代々、旧約の話には通じている。それを今に、そして後代に伝えていくべき役割を担わされてきた一族。小さな頃から聖書の話を叩き込まれてきた。聖書の終わりに書かれた言葉。マラキ書三章23節、24節。
「見よ、わたしは大いなる恐るべき主の日が来る前に預言者エリアをあなた達に遣わす。彼は父の心を子に。子の心を父に向けさせる。私が来て、破滅をもってこのちを打つことがないように。」私たち一族は実に長い間、この聖書の最後の言葉の実現の日を待ち望んでいたのだ。 marco(2010.8.28)
今日は時間がないからあの時の様子を手短に書こう。
先祖伝来守られてきた特別の行事。過ぎ越しの夜に、みんなはあの方を囲んで、私の母の経営する宿屋の二階の大広間で食事をしていたんだ。そう、僕は、あの時の様子をよく覚えている。皆は慎重に何事か改まったように急に静かになったからね。あの方からちぎったパンの端きれをもらい食べたあと、弟子と呼ばれたあの人たちはますます神妙な面持ちでぶどう酒を盃にひとりひとり注いでもらって順番に飲んでいた。しばらくし、ひとりが急に立ち上がるとそそくさと外へ出て行った。その様子を見たあと、僕は、昼の疲れもあって湯あみをしてから休もうとしていた。ところが、僕が床の中でうとうとし始めた時、皆が階下に降りていく音がした。あの時代は裸で寝るのは普通のこと。・・・大広間を覗くと誰もいない。僕は、そのまま裸の上にタオルを巻きつけて、見失うまいといそいで階下に降りてみんなに追いつこうとした訳なんだ。伯父のバルナバはあの方に注目せよといつも言っていた。だいぶ、夜の闇も深くなって来ていたし、僕がもたついていたせいか、見失ってしまった。みんなはどこに行ったのだろう。 普段、あの方はどこに行かれているだろう。そんなことを考えながら、僕の足はゲッセマネの園に向かっていた。あの方のいつもの祈りの場であったから。
君が君の時代に読むであろう文学や真理を追求すると思われる偉い先生方が現してきた学術書なども、私たちの目に留めることのできる現象、人という生き物の限界の中でのすでに目の前にあったことがらのあらたなる発見、解釈、理解にすぎないのだという。今思えば、人の歴史とはなんだったのだろう。創造主に出会うまでの遠い道のり・・・・。
君たちの時代、目の前にあるけれど見えない理念というものについて、ドストエフスキーは「作家の日記」でこんなことを述べていたのを覚えている人はいるかい。
「最高の理念なしには、人間も国家も存在できない。ならば、地上における最高の理念とは、唯一、人間の霊魂の不滅をめぐる理念である。・・・人類愛は、人間の霊魂不滅への信仰をともなったものでなくしては、とうてい考えられず、理解されず、またまったく不可能なのだ。・・・みずからの不死に対する確信がなければ、その人間と大地との絆はたたれてしまう・・・。要するに、不死の理念は生命そのもであり、生きた生活なのだ。」 要するに、不死の理念は生命そのものであり、生きた生活なのだ・・・。 marco (2010.8.28)
Marcusは<戒律が高い><確かな><腰が低い><苦い>を意味する名前である。 Marcusは<重い鎚>を意味するmarcoから由来している。(「黄金伝説」ヤコブス・デ・ウォラギネ)
その方が来られるということは先祖代々言われて来たことなのだということを聴いたのは僕がものごころ付いた時からだったろうか。夏の朝まだ涼しいとき、そして夕の陽が沈みかけるころ、晴れた日は軒下で、雨の日は村はずれの遠くに山並みの見える一軒家で僕たちは創造者の話を聞くのが日課だった。そのあと、僕は裏の山に水を汲みに出かける。前後に木の桶の付いた天秤棒の重さを今でもしっかり覚えている。僕の家は村の中でも比較的裕福で宿屋を営んでいたから,朝の水汲みは僕の家族の一日分だけれど、宿屋の多量に使う水汲みに僕もかり出されることがしばしばあった。言いつけの一通りの仕事が終わると、けだるい昼が訪れる。村外れの一軒の家の軒下で朝とは違った遠くの山並みを見ながら、ある時は空を見上げ、ある時は野の花や石ころを見ながら、すべての造主の話に僕は思いを巡らす。万物の造主、天地の創造の主。すべての造主。僕らの知りえない物も含めてのすべての造主。教えてくれるのは、僕の叔父にあたるバルナバ。僕の家系は、レビと呼ばれる一族にある。先祖から代々受け継いできた、そしてこれからも語り継がれるであろうその物語は、そういう訳で僕らの知り得ない物すべてが、そうでなくなる日まで語り継がれるであろうと村のみんなからラビと呼ばれる叔父はいうのが口癖だった。