marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(750回) ”僕が生まれた小さな村の大きな物語” が始まった。

2020-10-12 18:29:57 | 日記
 
世界のベストセラーを読む(594回) 僕の生まれた小さな村の大きな物語(僕とは誰なのか?何故いるのか)

僕が生まれて生きているということ、そして年を重ねて、だいぶ疲れて来始めているということ。・・・ 「僕の生まれたにある八幡神社」◆自分とはどういう人間か というのは難しい問題......
 

◆掲載の1年前の内容がとても長い。だから誰も読まないだろうから前回の宿題をこっそり書こう。GoogleMapで見ることができるその場所とは拡大していかないと現れてこない小さなお堂がある場所である。秋田駅から奥羽本線を北に上り、八郎潟駅に着き、国道7号線と平行な219号線を上って、踏切を越えると真坂というがある。そこを大きく拡大していくと郵便局がある。その北側に「神明社」と書かれたその場所である。ずいぶん細かに画像をアップしてくれた人がおられたのですね。世界の人々が探そうと思えば見れることになった。大きな物語が始まった。実はこの場所は・・・。続く 


世界のベストセラーを読む(749回) (その7)家訓:『どんなことをしても生き延びよ!』

2020-10-12 12:43:12 | 日記

◆若い方の自死が相次いできたことに、残念至極に思っている。芸能人だから目立つが実際にもニュースにはならない多くの死があるのだろうことは悔しいことだ。子供が地上に命を持って誕生したことに親はどんなに喜んだことだろうに。どんなことがあっても死んではいけない。悪魔は命を人に与えて自分とおなじように生きる人となった最高傑作の創造されし”人”の誕生のその仕組み(心のありよう)に嫉妬し、いかような時にも心の隙に肉体と霊との切り離しに揺さぶりを掛ける。僕は旧約聖書のあのダビデが生き延びる為に狂人を装ったことを思い出す(サムエル記上21:14)。◆『どんなことがあっても生き延びよ。』これが僕の家の家訓のようなものだ。あの時代、村の貧しさに爺さんは心機一転、勉強して偉くなり村人を連れて樺太に渡って郵政省の仕事を一緒に渡った村人に与えた。村に戻ってきた時、多くの村人が提灯を下げて爺さんを迎えたそうだ。あの終戦時、樺太からの引き上げに財産の殆どを失って、爺さんは本土に戻って田舎に自分で木の家を建てその田舎で僕は生まれた。◆「僕の生まれた小さな村の大きな物語」。誰がアップしてくださったのか、まさにその場所はgooglemapでドンピシャで見ることができる。360度ぐるり移動も・・・。世界の人が見ることができるのだ。まさに僕はその小さなせまい猫のひたい程の狭い場所にあった木造の小屋のようなところで生まれたのだ。僕はその場所で死んでもおかしくない体験をした。その体験は世界のベストセラーに繋がっている。「永遠に生きよう!」それは生きている神の導きだろう。生きている人は誰でもがそういう宿題を持って人生を生きるのだ。死んではいけない。ところで僕の生まれたその場所は・・・。続く 


庭の草木も店じまい

2020-10-12 08:22:33 | 日記

 ◆今日は朝からいい天気。だいぶ寒くなってきた。ストーブを取り付けた。庭の花々もどこから来るのかという感じで今までそこに咲いていなかった花が突然、咲いている。突然と書いたのは色づく花が咲くまで気がつかないからだ。庭に昨年、見られなかった花が咲いている。どこからどうしてやってきたものか。鳥も時折、枝に止まっていたとこがあったけれど、彼らかなぁ。今年の夏は短かった。庭の草木も店じまいを始めた。眺めていると草木ひとつひとつにもそれらの物語を考えてしまう。名前は分からないのに。木々も冬を迎えるにあたり店じまい。子孫を残すために多くの実をばらまき始めた。写真は椿。・・・