ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

東京都港区海岸にある都立庭園の旧芝離宮恩賜庭園を散策しました

2019年11月30日 | 季節の移ろい
 東京都港区海岸にある都立庭園の旧芝離宮恩賜庭園を短時間、散策しました。

 都立庭園の旧芝離宮恩賜庭園は、JR浜松町駅のすぐ東側にあります。そして、ここ10数年間の高層ビル建設ラッシュによって、周囲は30数階程度の高層ビルに囲まれています。このため、高層ビル群による影によって、陽が当たる場所が限られています。太陽の動きによって影の部分、陽が当たる部分が動きます。

 この旧芝離宮恩賜庭園は、典型的な池泉を中心とした回遊式庭園です。

 旧芝離宮恩賜庭園の中心部には大泉水(だいせんすい)と呼ばれる大きな池があります。





 この大きな池の真ん中には、中島という島があり、八ツ橋や西湖の堤と呼ばれる橋などが架かっています(現在は通行できません)。

 さらに、大きな池の中島の隣には、浮島という島が配置され、南端には大島という島が設けられています。

 この池には、キンクロハジロやホシハジロなどが20羽ほどいます。











 大きな池の周辺では、シュウメイギクの最後の花がいくつか咲いています。



 スイセンの花がごくわずか咲き始めています。



 同様に、南側にあるウメ林付近では、白いツツジが本の少し咲いています(秋の狂い咲き?)。



 この近くでは、ツワブキの黄色い花も咲いています。



 ここでは、1本だけジュウガツザクラ(十月桜)の木があり、花を咲かせています。





 この西側には、JR浜松町駅があり、その奧には高層ビルが立っています(一つは建設中です)。

 この2つの高層ビルの間から、東京タワーが見えました。



 入り口部分から南側方向を見た風景です。鈍い黄銅色に紅葉しているのはケヤキの大木のようです。



 この旧芝離宮恩賜庭園は、江戸時代初めごろから海岸が埋め立てられ始めて陸地になり、1678年(延宝6年)には当時の老中だった大久保忠朝の上屋敷が建てられました。

 この時に、回遊式庭園を造園する際に、自分の領地だった小田原の庭師を呼んで造庭したそうです。

 さらに、江戸時代の終りには、紀州徳川家の芝お屋敷となり、さらに、明治4年(1871年)に有栖川宮家の所有になり、その後は宮内庁の管理地になりました。

 その後、東京都に移管され、昭和54年(1979年)に現在の都立庭園の旧芝離宮恩賜庭園になったという経緯があります。

 都立庭園の旧芝離宮恩賜庭園の中央部分にある大泉水と呼ばれる大きな池は、造園当初は東京湾の海水を引き入れていましたが、現在は真水を入れています。これも時代の変化です。

日本経済新聞紙の見出し「パナソニック 半導体撤退」という記事を拝読しました

2019年11月29日 | 日記
 2019年11月28日に発行された日本経済新聞紙の夕刊一面に見出し「パナソニック 半導体撤退」という記事が載っていました。

 パナソニックは11月28日に、パナソニック系の半導体事業を台湾の新唐科技(ヌヴォトン・テクノロジー)に売却すると発表したという記事です。

 パナソニックの半導体事業子会社の全株式を2020年6月をメドに、2億5000万米ドル(約270億円)で売却するとのことです。

 日本経済新聞紙のWeb版である日本経済新聞 電子版にも見出し「パナソニック 半導体撤退へ、台湾企業に売却」と掲載しています。



 これまでにもパナソニックは、半導体事業の工場や一部事業の売却などを行って構造改革を進めてきましたが、半導体事業では赤字が続いていました。

 パナソニックは2021年までに赤字事業の構造的な整理を徹底する方針を示していることの一環です。

 実はパナソニックは、このいくらか前に、液晶パネル事業からの撤退も発表しています。電気・電子・半導体系事業の整理を続けています。

 1980年代は、“電子立国日本”との呼び名の下に、米国市場に半導体を輸出し続け、これに困った当時の米国政府は「日米構造協議」との名称で、日本に半導体の輸出規制をさせたほど、日本の半導体産業は強いものでした。

 今は、こうした過去の強みはいつの間には消え失せ、日本企業は韓国や台湾、中国の半導体企業の後塵を拝しています。わずか30年で、日本の半導体産業は事業としては大きく落ち込みました。

 その一方で、日立製作所は11月25日に、グループの中核子会社である化学大手の日立化成の売却を巡って、総合化学メーカーの昭和電工に買収の優先交渉権を与えることを決めたと発表してます。

 日立製作所は、日立グループの「御三家」と呼ばれた日立化成を売却し、“ものづくり”から“デジタル関連事業”を中核とする企業への移行を急ぐという戦略だそうです。日立化成は東証1部上場の会社で、日立製作所が51パーセントの株式を保有しています。日立製作所の近未来像に必要な事業だけに特化する戦略です。

 この企業売却が実現すれば、日本国内の化学業界でも久々の大型再編となります。

 話を半導体事業に戻すと、11月27日に東京大学と台湾の半導体ファウンドリ最大手のTSMCは、全社・全学レベルでの連携アライアンスを締結し、Society 5.0社会の実現に向けて求められる先進的な半導体システムに関する研究開発面で協業を推進していくことを発表しています。

。日本の有力な研究大学の東大が行っている半導体関連の研究開発成果を台湾企業に技術移転するという中身です。

 日本の半導体企業は、東大以外の日本の有力大学と組むという話なのでしょうか。日本の半導体企業の実力が低下する可能性を示す産学連携事例です。

仙台市青葉区川内にある仙台城二の丸跡では、カエデの木が綺麗に紅葉しています

2019年11月29日 | 旅行
 仙台市青葉区川内にある仙台城二の丸跡では、カエデの木が紅葉し、サザンカの木が花を咲かせています。

 この仙台城(通称、青葉城)二の丸跡は、広瀬川の河岸段丘の上にあり、眼下を流れている広瀬川越しに、仙台市の市街地が望めます。江戸時代に仙台藩の行政は、この二の丸辺りで決められてたと推定できます。

 仙台城二の丸跡の端には、仙台城大手門脇櫓跡(やぐらあと)があり、仙台城の本丸への入り口という雰囲気が濃い場所です。



 この仙台城大手門脇櫓跡は、第二次大戦後にたぶん昭和時代に復元された建屋です。

 「仙台城二の丸跡」は、正確には東北大学川内キャンパスの西端にあり、この部分は市民に事実上は公開されています。散策路が公開されています。

 この仙台城二の丸跡には、東北大学百周年記念会館 (川内萩ホールも隣に建っています)という建物が建っています。





 この東北大学百周年記念会館に向かって、背の高いメタセコイアの巨木の並木が続いています。





 メタセコイアの巨木は赤茶けた紅葉をし、葉が落ちています。

 この仙台城二の丸跡の中には、ソメイヨシノなどの桜並木があり、葉が落ち始めています。

 仙台城二の丸跡には点々と植えられたカエデの木があり、葉が真っ赤に紅葉してます。





 メタセコイアやサクラの木々の間に、カエデの木が点々と植えられています。





 パラパラと植えられたサザンカの木が花を咲かせています。







 仙台城大手門脇櫓跡に近い部分に、支倉常長の銅像が立っています。木々に囲まれてあまり目立たない感じです。





 伊達政宗が慶長18年(1613年)に慶長遣欧使節(けいちょうけんおうしせつ)として、支倉常長を副使としてメキシコ経由で派遣した経緯を思い出します。メキシコ経由で、スペインとイタリアに向かい、スペイン国王・フェリペ3世とローマ教皇・パウロ5世のもとに派遣された使節団です。

 実際には、この当時に日本からメキシコに渡るだけでも大変な船旅だったことと思います。

 仙台藩藩主の伊達政宗は、外国との海外交易によって、仙台藩を繁栄させたいと考えていたそうです。

 まったく目立たないのですが、東北大学百周年記念会館の裏側に三太郎の小道という散策路があります。

 この「三太郎の小道」はたぶん、今はもう忘れられた存在になっている気がします。

仙台市青葉区八幡にある大崎八幡宮の境内では、カエデの木などが見事に紅葉しています

2019年11月28日 | 旅行
 仙台市青葉区八幡にある大崎八幡宮の境内は、見事に紅葉したカエデの木などが鑑賞できます。

 大崎八幡宮(おおさきはちまんぐう)は国宝に指定された社殿を持つ神社です。

 戦国時代から仙台藩の総鎮守として伊達政宗をはじめとする歴代藩主から庇護されてきた神社です。

 本殿や拝殿の前に建つ長床の入り口です。



 入り口から見事なスギ並木の参道を進んで来て、10数段の階段を上ると、長床の前に出ます。



 この長床の奧に本殿や拝殿などが鎮座しています。

 実際には、関ヶ原の戦い前後から、仙台藩主の伊達政宗の寄進によって本殿や拝殿などが建てられました。本殿や拝殿などの建屋は安土桃山様式の絢爛豪華なものです。屋根は柿葺(こけらぶき)です、







 本殿や拝殿などの安土桃山様式の建屋は平成時代に大修復が施され、絢爛豪華さがよみがえっています。

 この大崎八幡宮の絢爛豪華な安土桃山様式を参考に、徳川幕府は栃木県日光市郊外に東照宮を造営した際に、安土桃山様式を用いたと伝えられています。

 本殿や拝殿などを囲む境内の参道では、カエデなどの木々がよく紅葉しています。





 周囲のうっそうとしたスギの巨木の中で、カエデの木がよく色づいています。



 本殿と長床辺りには、ニワトリが数羽、います。







 このニワトリは、神話時代に天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天の岩戸に御隠れになられて世の中が真っ暗闇となった時に、人々は困り果て夜明けを告げる「長鳴き鳥」(にわとり)の鳴き声を聞かせたという謂われから放たれているそうです。

 大崎八幡宮のルーツは、征夷大将軍の坂上田村麻呂が宇佐神宮を鎮守府胆沢城(現在の岩手県奥州市水沢)に勧請し、鎮守府八幡宮と称したことが始まりだそうです。

 その後、室町時代に奥州管領だった大崎氏が自領内の現在、宮城県遠田郡田尻町に移し、さらに伊達政宗が仙台市の現在の地に移したという経緯があります。

仙台市太白区秋保町馬場大滝にある滝本山西光寺の奧にある秋保大滝を眺めました

2019年11月27日 | 旅行
 仙台市太白区秋保町馬場大滝という山奥にある滝本山西光寺の奧にある秋保大滝を眺め眺めました。

 この秋保大滝(あきゅうおおたき)は、幅が6メートル、落差が55メートルの見事な大滝です。







 秋になり、秋保大滝が見える渓谷の崖の木々の葉が落ちて、大滝が見やすくなっています。





 この秋保大滝から流れ落ちた清流は、美しい渓谷美を見せています。





 美しい渓谷に生えている木々は多くは葉を落としていますが、まだ紅葉したままのものもあります。



 滝本山西光寺がある山麓は、仙台市と山形市まで延々と低山が続く山深い山麓地域です。広義的には蔵王連山のすそ野といえます。



 この日は小雨模様の点になり、霧も時々、流れました。

 この渓流は、名取川に流れ込み、太平洋に流れでます。