ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

ヤブカンゾウが近所の土手で咲き始めました

2010年06月29日 | 季節の移ろい
 ヤブカンゾウ(藪萓草)が近所の陸橋近くの土手で咲き始めました。濃いオレンジ色のユリ科らしい花が群生して咲き始めました。


 里山らしい風景ですが、残念ながら、たぶん人工的に植えられ増えたものだと思っています。でも、いくらか里山らしい感じを醸しだしていて、いい風景です。

 家の近くにある「レンガの小道」は、元々は小さな疎水でした。近くの水田から流れ出た水を柳瀬川に放流する疎水でした。だいぶ以前に、上流部の水田がニュータウンに大変身したため、市がその上にふたをし、疎水を下水化し、その上を歩道・車道にしてしまいました。その疎水の土手のころの名残りで、春にはシャガ(射干あるいは著莪)、初夏にはヤブカンゾウが所々に咲きます。一部には、ウドも出てかなりの背丈まで成長します。

 このレンガの小道を通る方はかなり多いのですが、毎年咲くシャガやヤブカンゾウの存在を意識している方は少ないようです。疎水の名残りと知っている住民は少ないからと思います。それ以上に、雑木林や田んぼの畔などの里山の自然を知っている住民が減り、都会の自然しか知らない住民が増えたからだと思います。以前にシャガの花を示して「これはジャーマンアイリスの原種となったといわれているシャガという野草です」と説明しても、「知らなかった」というお返事でした。いろいろな意味で、里山の知恵が伝承されなくなった時代になっていると感じます。薪を集めて火をたいて熱源にするなどの生活習慣が都市部では失われつつあるからでしょう。

 不思議なのは、土手の名残りのような場所に、シャガやヤブカンゾウは咲きますが、柳瀬川や新河岸川などの本格的な河川の土手や一部残っている水田の畔には咲いていないことです。河川の土手は、機械的に草刈りをするためではないかと考えています。この点で、土手の名残りの個所は、昔、この辺にに咲いていた植物が生きのびている貴重な場所になっているようです。

 
 ヤブカンゾウの花芽は食べられます。春の新芽も食べられるそうです。以前に、どこかで食べました。たぶん長野県のどこかの民宿などで、ヤブカンゾウの花芽のおひたしを食べたような記憶があります。甘酸っぱかったことを覚えています。味は可もなく不可もなくだったようです。昔の人にとっては、貴重な初夏の食べ物だったと思います。

 ヤブカンゾウの花が記憶に残ったのは、夏に群馬県や長野県の林道を走っている時でした。鮮やかなオレンジ色の花が、夏の濃い緑の森に映えていました。特に、ヤブカンゾウの花を意識したのは、ニッコウキズゲの仲間と知ってからです。

 7月中旬になると、長野県の車山や霧ヶ峰高原に多数のニッコウキスゲが一面に咲きます。朝霧の切れ間から浮かび上がるニッコウキスゲの花々は絶景です。花そのものは、朝開花して夕方になるとしぼみます。一つの株に次々と花芽がついて次々と咲くため、緑の草原にニッコウキスゲの濃い黄色の花が点在し続けます。このニッコウキスゲと、あのヤブカンゾウはユリ科の仲間だから似ているんだと思ってからは、ヤブカンゾウの美しさに気が付きました。やはり仲間であるユウスゲも気品のある黄色で好きなのですが、最近はあまり見かけなくなりました。
 
 ニッコウキスゲは、日本ではゼンテイカ(禅庭花)という名称が植物学的には正しいようですが、尾瀬ガ原や霧降高原などのニッコウキスゲが有名になり、こちらの名前の方が知れ渡っていきました。「キスゲ」とは、葉が湿原に生えるカサスゲ(笠萓)に似ているから名付けられたとのことです。ニッコウキスゲの仲間はいろいろあります。例えば、佐渡島の「黄花カンゾウ(トビシマカンゾウ)」が有名です。一度は見てみたいと考えています。

大学発ベンチャーの社長の話の続きです

2010年06月26日 | 汗をかく実務者
 化粧品事業で成功していることで有名な大学発ベンチャー企業のナノエッグ(川崎市)の話の続きです。

 同社の代表取締役社長を務める大竹秀彦さんは「一日当たりの睡眠時間は4~5時間の生活が続いている」と笑います。自分の仕事を自分の責任で決めて実行するので、たぶんやりがいがあるからできるような気がします。でも、前回お伝えしたように、ハーバード大大学院のMBAをとる時でも、短い睡眠時間で乗り切ったそうです。自分が目指す目標に向かって精進しているため、短い睡眠時間でも大丈夫なように工夫しているようです。

 ナノエッグは川崎市宮前区にある聖マリアンナ医科大学の難病難病治療研究センターに入居しています。大竹さんは、1週間の内で半分もナノエッグの自分の席に座っていることはないそうです。社外でいろいろな方とお目にかかって、打ち合わせをしていることが多いそうです。ベンチャー企業の社長は、トップセールスや資本政策にあれこれ駆け回っているのが普通ですので。

 さて、ナノエッグが創業した2006年4月6日時点では、大竹さんは副社長として参画したと前回、お伝えしました。その時は、大竹さんは聖マリアンナ医科大の研究成果の技術移転などを手がけるMPO(川崎市)の代表取締役社長を務めていたのです。このMPOは聖マリアンナ医科大学の知的財産管理、ベンチャー企業の事業化支援(インキュベーション)、資金調達などを手がけたり支援したりする企業として設立されまました。大学の知的財産本部とTLO(技術移転機関)、VC(ベンチャーキャピタル)などの多様な機能を受け持つ会社として2004年7月に設立されました。

 聖マリアンナ医科大が教育と研究の二つのミッションに加えて、医薬品や医療機器、治療法を社会に発信していく第三のミッションを支援する会社としてMPOは設立されたのです。当時の大竹さんはMPO社長として、同大学発ベンチャー企業として期待されていたナノエッグを熱心に支援していたのです。MPOの社長就任時に「MPOが力点を入れて支援する案件5件の中の一つがナノエッグだった」とのことです。


 大竹さんは、大学生の時から自分の人生設計をしっかり考え、着々と実行してきた人物です。東京大学の学生だったころに、最初は文学で生計を立てる人生にあこがれたそうです。しかし、周りの学生の方が文学の才能は豊かだと感じ、文学で身を立てることはあきらめたそうです。こうした判断を大学生でしっかりする点に感心します。できそうで、できなことです。

 次に「いずれは自分の会社を持ちたい」との人生設計を描きました。この結果、将来MBA(経営学修士)コースに留学させてくれそうな外資系コンサルティング会社の米ベイン・アンド・カンパニーを就職先に選びました。「米コンサルティング企業は実力主義である点から選んだ」と考えたからとのことです。当初の人生設計通りに1997年9月に米ハーバード大学大学院のビジネススクールに入学し、99年6月にMBAを取得したそうです。自分が目指す自己実現のための人生設計を練り、その実現のために努力を続けている方の代表格です。

 MBA修了後に、あるヘッドハンティング企業から「米大手広告代理店のJウォルター・トンプソンの事業責任者に就職しないか」との誘いを受け、就職しました。頼まれたのは、インターネットを利用するダイレクトマーケッティング事業の立ち上げだったそうです。年齢的にはかなり若い事業部長として、ダイレクトマーケッティング事業を社員約40人を率いて、成功させたそうです。事業の立ち上げを3人で始め、陣容を整えて売上げ7億円を達成したとのことです。

 この事業が順調に育ち始め、「そろそろ自分の会社を設立したい」と考えていた時に、聖マリアンナ医科大の病院長だった明石勝也理事長と出会いました。明石理事長は「知的財産管理などを手がけるTLO業務の会社経営を頼みたい」と口説いとのことです。自分が始めてみたい会社構想に一致している部分が多かったことから、大竹さんはMPO設立を引き受け、その社長に就任しました。

 ナノエッグの事業展開が順調に進みだし、創業時に山口氏が引き受けた社長と取締役研究開発本部長の兼務が次第に厳しくなってきました。このため、大竹さんが社長を引き受ける経営体制に切り替えるしたそうです。この結果、研究開発の責任者(CTO、最高技術責任者)と経営の責任者(CEO、最高経営責任者)の役割を明確に分けて、同社の経営を進めていく体制になりました。

 「今後7年から10年後までに、医薬品事業を売上げ規模20億~30億円に育てたい」とのことです。そして医薬品事業が立ち上がったころに、IPO(Initial Public Offering、新株上場)を実現したいとの計画をお持ちです。IPOによって次の事業投資資金を獲得し、成長路線を確かなものにする予定です。第三の事業としての開発案件は、サプリメントや飲料、食品などをターゲットとして考えているご様子です。

 自分が立てた人生設計通りに人生を歩んでいる大竹さんは努力の人です。自分の目指す目標に向かって邁進しているため、睡眠時間が短くても大丈夫なようです。大学発ベンチャー企業の社長を楽しく務めているとお見受けしました。

人生設計通りに社長になった方にお目にかかりました

2010年06月25日 | 汗をかく実務者
 大学発ベンチャー企業のナノエッグ(川崎市)は化粧品「MARIANNNA」シリーズの化粧品事業で成功していることで有名な企業です。当然、化粧品のブランド名も有名になっています。

 
 同社代表取締役社長を務める大竹秀彦さんは「研究成果を提供した大学の名前が聖マリアンナ医科大学で本当に良かった」と笑います。例えば、東京大学や京都大学という大学がベンチャー企業の母体になっていたら、「化粧品のブランド名には使えないでしょう」と言います。確かに、普通の“お堅い大学名”では消費財のブランド名にはならないと思います。

 大竹さんは自分が目指す自己実現のための計画、すなわち人生設計を練り、その実現のために努力を続けている方です。


 イノベーターのお手本みたいな方です。日ごろの睡眠時間を削る生活を30年以上続けて、自分がやりたいことを着実に実現しています。

 ナノエッグの話に戻ります。同社は2010年6月3日に自社で製造・販売している化粧品「MARIANNNA」シリーズの新製品発表会を開催しました。同シリーズに新製品を加えたり、従来品の一部を「抗酸化効果が期待できる有効成分を加えたり増やしたりする一方で、価格は引き下げるリニューアルを実施する」と発表しました。

 ナノエッグの化粧品の新製品発表会は、今年に入って2回目です。2月にも新製品発表会を開催するなど、化粧品ビジネスを活発化させています。そして、2回目の6月時点の新製品やリニューアルによって、化粧品ビジネスの「売上げ倍増を狙う」と強気の発言をしています。多くの大学発ベンチャー企業が売上げの立つ事業をなかなか成立できないことで苦しんでいる中で、同社は売上げが立つ事業を既に持っています。ここに、同社の強みがあります。現在、化粧品事業の売上げは年間4億~5億円と順調に成長しているとのことです。これは、同社の優れた事業戦略と研究開発戦略の賜(たまもの)です。

 日本の大学発ベンチャー企業の多くは、なんとか創業はしてみたものの、始めてみたら最初に考えた事業戦略が未熟なために、研究開発費や事業投資費の重い負担に耐えながら研究開発に追われ、追加の投資金集めの金策に苦労している企業が多いのが実情です。これに対して、ナノエッグはまず化粧品という製品を実用化して販売し、着々と事業収益を上げ、成長路線を歩んでいる数少ない大学発ベンチャー企業の一つです。

 もちろん同社は化粧品の事業化を目指しているだけの企業ではありません。目指す事業は、機能性化粧品事業と医薬品事業、第三の新規事業などと、事業のポートフォリオをしっかり組んだ事業計画を持っています。

 事業戦略をしっかりつくり上げ、実践している理由は、研究開発の責任者(CTO、最高技術責任者)と経営の責任者(CEO、最高経営責任者)の役割を明確に分けて事業化を進めていることが一因です。研究開発は、創業者の一人である研究開発本部長の山口葉子取締役が担う一方、事業計画などの経営は大竹秀彦社長が担う役割分担がはっきりしています。この経営体制の下に、現実的な事業戦略に基づく成長戦略を描き、着々と実行しています。

 ナノエッグは2006年4月6日に、レチノイン酸のかたまりを、カルシウムやマグネシウムの炭酸化合物などの無機材料でコーティングするナノ粒子をDDS(ドラッグ・デリバリー・システム、Drug Delivery System)として利用する用途を目指して設立されました。DDSは人間の体の必要な箇所に薬効成分をマイクロカプセル化して確実に届ける先端技術です。実は、この実用化を目指しているバイオテクノロジー系の大学発ベンチャー企業は多数あります。

 ナノエッグのDDSの基盤技術となっているのは、ナノ粒子の製造法です。同社が国内出願した基本特許「多価金属無機塩被覆レチノイン酸ナノ粒子の製造方法および当該製造方法により得られたナノ粒子法」が2009年12月11日に成立したと発表しています。知的財産戦略も一層加速させ、経営基盤を固めています。このDDSに使うナノ粒子を“ナノエッグ”と名付け、親しみやすいことから社名に採用しています。大学発ベンチャー企業には、妙に先端技術らしさを前面に押し出した訳の分からない社名が多い中で、ナノエッグは覚えやすい点でしたたかな戦略性を感じます。独りよがりではない、ユーザー視点を感じます。

 同社は聖マリアンナ医科大の難病治療研究センターの五十嵐理慧さん(現ナノエッグ名誉会長)と山口葉子取締役が起業計画を練り上げて設立されました。五十嵐さんと山口さんは共同創業者として事業化の準備を進め、2003年9月に科学技術振興機構(JST)のプレベンチャー事業にテーマ「皮膚再生のためのレチノイン酸ナノ粒子」を提案したそうです。この提案が2003年9月にJSTに選ばれ、創業に向けて一気に加速したのだそうです。

 同社設立時は、大竹さんはナノエッグの副社長として参画しました。その経緯は次回にお伝えします。なかなか複雑な話なのです。


九輪草の先端に輪状の花が咲いていました

2010年06月23日 | 佐久荒船高原便り
 佐久荒船高原の湿地に九輪草(クリンソウ)が咲いていました。

 日本の桜草(サクラソウ)の仲間で、一番大きいのが九輪草です。佐久荒船高原は内山峠の近くで、夏でも朝などは麓から霧が立ちのぼってくるため、湿気が高いようです。雨量も多いようで、清水が湧き出る小さな水場が多く、ここから小さな小川もいくつか流れ出しています。林道を行くと、水場付近に点々と咲いています。



 ある水場の付近に、九輪草が群生して咲いています。野草の中で、こんなに赤が鮮やかな花はあまりありません。



 この「九輪」とは、お寺の塔の頂上部の柱を構成する九つの輪装飾のことです。
 お寺の五重塔などの頂上部は「相輪」(そおりん)と呼ばれ、一般的には七つの部分で構成されているそうです。その頂点の「宝珠」(ほうしゅ)の下に、「竜車」(りゅうしゃ)、「水煙」(すいえん)と並んでいる下に、「宝輪」(ほうりん)という九つの輪が並んでいるそうです。これが九輪です。今度、五重塔を見に行ったら、双眼鏡で見てみましょう。




 九輪草の花も、層状に咲きます。最初に咲いた花が実をならせると同時に、その上側に茎が伸びて、その先に花が輪状に咲きます。これが繰り返されると、実の部分が輪状となって層状に重なり、九輪のように並びます。これが、九輪草と呼ばれる由縁と言われています。

 九輪草が枯れて、実の中に多数の種ができます。芥子(けし)の実のような小さな黒い種が無数できます。これが湿地に落ちて、次世代が育つようです。できた種の数を考えると、ほんのわずかの種が次世代の九輪草になるようです。

 九輪草の学名は「Primula japonica」です。“日本”が入っています。日本を代表するサクラソウ科サクラソウ属の多年草の野草と認められているようです。日本固有種がこんなに美しい野草であることは、本当にうれしいことです。

 先日訪れた神奈川県箱根町の「箱根湿生花園」では、花の色が白や薄いピンク、濃いピンクなどのさまさまな九輪草に出会いました。水辺に白や薄いピンクなどの九輪草がある程度群生していました。

 九輪草の自生地として広域で咲くことで知られているのは、長野県南部の喬木村(たかぎむら)の九十九谷森林公園(くじゅうくたにしんりんこうえん)です。村花として村の方が約5万株も植えられ、大事に育てられているとのことです。九輪草の花が絨毯状に一面に咲き誇るそうです。まだ行ったことはありませんが、白やピンク、赤の花が群生している風景を一度は見てみたいです。日本には行って、その季節の風景を見てみたい所が多数あります。四季折々の風景が美しいからでしょうか

「企業倫理」「技術者倫理」を考えました

2010年06月22日 | イノベーション
 「倫理学」の授業に出席しました。大学生時代には倫理学を履修したことはないと思いますので、初体験です。

 6月18日金曜日夜に、東京工業大学大学院の「新エネルギービジネスと社会受容」という講義の一つとして、「企業倫理と技術者倫理」という授業がありました。講師は北海道大学大学院文学研究科の蔵田伸雄教授がお務めになりました。


 講義の主宰者・企画者は、2009年11月に横断組織として設立された環境エネルギー機構の西條美紀教授です。原籍は留学生センターに所属し、東工大で科学技術コミュニケーション論を展開している中心の方です。

 授業の冒頭に「近代倫理学のチャンピオンはカント倫理学」と説明され、馴染みのない話の展開になるかと思いましたが、違っていました。

 JR西日本の福知山線の脱線事故など、日本企業の不祥事が続きました。この結果、各企業は社員個人の倫理的な問題を解決するシステム構築を迫られ、各種のコンプライアンス(Compliance、法令遵守)体制の構築を余儀なくされた経緯の説明から話は始まりました。企業になぜCSR(Corporate Social Responsibility、企業の社会的責任)が求められ始めたという経緯などです。

 技術者が企業の社員として働いている現在では、企業倫理と技術者倫理はかなり強い関係を持つとのことでした。技術者にとっての企業倫理とは、技術者としての専門知識や経験則を用いて、企業倫理を守るシステム構築の設計から運用、維持、改善を図る必要があり、「技術者倫理と企業倫理を厳密に区別することはできない」そうです。「技術面での問題が、企業論理に反映する社会規範やルール、法律などに直結しているからだ」と解説されました。倫理の制度化などが企業で進められているとのことだ。そういえば、「内部統制室」などという仰々(ぎょうぎょう)しい名前の新規部門を設けた企業は多いと聞きます。

 企業の社員には、当然のこととして、「法律や各種の指針を遵守する義務(コンプライアンス)」「賄賂を受け取らない・渡さない義務」「公平な取り引きを行う義務」「社員に差別的な行為をしない義務」「仕事を通して知り得た情報を第三者にみだりに漏らさない守秘義務」「環境に十分配慮する義務」などが課せられています。こう義務が明示されたのは、日本ではここ10~20年ぐらいの動きだと思います。

 講義では、例えば「社員の安全なモノを安全につくって供給する義務」を考えると、企業の利益を追求して生産コストを抑えると、問題が生じる可能性が浮上するとの事例を考察させました。コスト削減を追求すると、企業の社員である技術者は倫理的なジレンマに陥る可能性が出てくるからです。何のために、コンプライアンスが必要なのかを理解し、技術者の仕事は製品やサービスなどを供給する仕事を通して、人間の生命や健康にかかわっていることから、こうしたジレンマが生じることを考えさせる内容になりました。


 特に技術者という「専門職」(Profession)は、専門的な知識を持っているだけに、専門知識を持たない方が予測・判断できないことに対応できることから、「技術者に特有の専門職倫理が発生し、責任を負わさせることがあり得る」と説明されました。この辺は、専門職という地位を日本の技術者が持っているのかどうかという、日本の職業感という文化にかかわる問題になってきます。結局は、日本の企業という組織の体質や姿勢という在り方にかかわってくるという話になりました。企業が技術者を含む社員に行動指針・行動基準を示し、倫理研修を実施してるかという態勢を持っているかになりそうです。

 結局、日本ではまだ企業倫理や技術者倫理を具現化した最適なシステムができていないとの印象を持ちました。日本企業が持つ終身雇用、企業や組織間を人材流動しない職業感まで立ち戻って考える必要がありそうです。でも、授業では、技術者という専門職(いわゆるホワイト)に対しては、終身雇用制を採っていない米国企業でも、事故を起こした企業の社員で、内部告発をした技術者はその後、ノイローゼになった事例があり、企業倫理がまだ不完全な様子が説明され、奥が深いと感じました。

 個人の理解を超えた、複雑な科学・技術体系を基にした社会システムの中で暮らすには、個人としても組織としても、倫理すなわち哲学を持たないと、事故が起きてからは悩むだけと感じるレベルの理解になりました。こうした問題が職業上、可能性が高まっているので、大学の講義に「技術者倫理」という授業ができたと思いました。日ごろから「哲学」をあまり考えておかないで、その場面に遭遇すると、ジレンマに陥りそうです。日ごろから、哲学を考えることは、自分の判断基準の原点を具体的に考えることと感じました。