ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

福島県天栄村の羽鳥湖高原はキツツキの仲間のアカゲラなどの野鳥の宝庫です

2012年04月30日 | 旅行
 福島県岩瀬郡天栄村羽鳥の山間部にある羽鳥湖高原(はとりここうげん)は、自然林の木々の芽吹きがやっと始まったところです。白河布引山(標高950メートル)の山麓に広がる高原だけに、春の訪れがやっと来たところです。

 羽鳥湖高原は自然が豊かに残る、昆虫や野鳥、野生動物の宝庫なのだそうです。「カモシカも時々出る」と伺いました。

 その羽鳥湖高原の中に設けられたスキーリゾート地帯は、夜明け前から、いろいろな野鳥が鳴き始めます。日の出前は、空気の気温が低いために、リゾート地に設けられた人工池の湖面から朝靄が立ち上る立ります。



 朝霧が漂う人工池の水面をツバメが飛び回っています。池の側の地面には、ハグロセキレイが歩いています。近くの林では、シジュウカラ、ホウジロ、ウグイス、コゲラなどが多数鳴いたり、飛び回ったりしています。

 夜明け前のまだ薄暗い林に、キツツキの仲間であるアカゲラが2羽鳴きながら、飛んできて、近くの木の枝に留まりました。薄暗いので、あまりはっきりは姿を撮影できていませんが、アカゲラの腹部の朱色の羽根が見えます。



 夜が明けて明るくなってからは、モズが近くに飛んで来ました。留まった木の枝の手前に細い枝があり、なかなかうまく撮影できませんでした。



 警戒しているモズはすぐに飛び去りました。



 鶴沼川(つるぬまがわ)をせき止めてつくった人工湖の羽鳥湖周囲の林の中に、ミズバショウ(水芭蕉)が点々と咲いています。林の中を流れる小さな小川の近くに、ミズバショウが咲いています。



 湿原のほとりなどに咲くミズバショウの大群生と違って、ここではポツポツと咲いています。厳しい自然の中でなんとか咲いている感じです。

 その近くの林の縁にアズマイチゲ(東一華)がやはりポツポツと咲いています。ササヤブの中で点々と咲いています。



 里山などで見かけるアズマイチゲの大群落とはひと味違う雰囲気です。

 山深い羽鳥湖高原の自然林にも、やっと早春が来たようです。これから高山植物などが芽吹きます。豊かな自然が活性化します。

福島県白河市の南湖公園は池の周囲にサクラ並木が点在しています

2012年04月29日 | 旅行
 福島県白河市にある南湖公園(なんここうえん)は四季折々の花などを楽しめる公園です。当然、ソメイヨシノ(染井吉野)などのサクラの花の開花シーズンは花見の名所として、見物客が多数押しかけます。

 ソメイヨシノなどのサクラの木はまだ花が満開に近い見ごろなために、多くの花見客が南湖公園に来ています。



 江戸時代に白川藩の12代藩主だった松平定信(楽翁公)が当時、大沼とよばれていた湿地帯に堤をつくって池にし、庭園を設けて公園としたそうです。中国唐時代の詩人の李白が詠んだ詩の中にある「南湖」の風景から、この池は「南湖」と呼ばれるようになったそうです。池の周囲のソメイヨシノなどのサクラの木は満開からやや散り始めの感じです。

 南湖の周囲のマツなどの緑色の林の中で、サクラは白色の花でアクセントをつけています。





 南湖の周囲に所々あるサクラ並木の中を、花見客はそぞろ歩きを楽しんでいます。





 サクラの木の下では、スミレなどが咲いています。さまざなな花が咲く季節を迎え、野鳥がよく鳴いています。一番よく鳴いているのは南湖の湖面に漂っているカモ類です。

 サクラの木に良く留まっているのはヒヨドリなどです。枝から枝へと、よく動き回るエナガが飛んできました。



 白河市の南湖公園はサクラの花見の季節の真っ最中です。

 南湖は夏になると、スイレンが花を咲かせ、湖面を美しく彩るそうです。

 白河市内には、現在の放射線量などを知らせる表示などがあり、福島原子力発電所の事故の影響を強く受けている地域であることを意識させます。

栃木県那須町の那須高原では、ソメイヨシノの木が満開になっています

2012年04月28日 | 旅行
 栃木県那須郡那須町にある那須高原は、ソメイヨシノ(染井吉野)などのサクラの木が満開です。いくらか花びらが散り始めている木もあります。

 標高1915メートルの茶臼岳などの那須連山のすそ野に広がる那須高原は標高が400~500メートルと高いので、春の訪れが遅く、今が春真っ盛りです。

 那須高原の中で、牧場や田畑などの農村風景が色濃い里山地域では、ソメイヨシノの木が満開の花で、見ごろです。





 満開の花は、強い風を受けると、花びらが少し散る感じです。



 林の中に立つ、大きなサクラの木は満開で、薄いピンク色の色合いを強調する存在です。



 那須連山から流れ出た雪解け水が流れ込む川の川岸でも、サクラ並木の満開の花が薄いピンク色を目立たせています。



 平野部に比べて、春の訪れがいくらか遅い那須高原では、ちょうど春真っ盛りになりました。山頂部が残雪で白く輝いている那須連山が遠くに見える川岸でも、サクラの木は満開です。那須高原は山里・里山ののどかな春の訪れを感じさせます。

東北大教授の岡田益男さんの「新物質・材料の創製を目指して」を拝聴しました

2012年04月27日 | イノベーション
 東北大学名誉教授の岡田益男さんの最終講義の講演「新物質・材料の創製を目指して」を拝聴しました。岡田さんは現在、青森県八戸市にある八戸高等専門学校の校長をお務めです。

 今回の講演は、本来は昨年3月ごろに講演される予定でしたが、2011年3月11日の東日本大震災によって、東北大学の青葉山キャンパスが被災したために、今年に延期されました。この結果、仙台市では2月10日に開催されました。今回はこの最終講義の講演を受けて、東京での再度の最終講義というかたちで、JR東京駅近くの東北大学東京事務所で開催されましたた。

 岡田さんは現在、文部科学省が推進している元素戦略プロジェクトの中で「 サブナノ格子物質中における水素が誘起する新機能」プロジェクトの研究責任者をお務めです。現在は、“水素系材料”の研究開発の中核の研究者です。

 講演「新物質・材料の創製を目指して」では、これまでの岡田さんのさまざまな材料開発の研究成果をお話しされました。その中で、印象に残ったのは「研究分野を意図的に定期的に変えています」という話の狙いでした。

 新材料・新物質を発見するには、セレンディピティーが必要なので、その分野の“素人”して先入観無しに研究することが大事との趣旨です。このことを「常に分野の素人であれ」と表現されます。

 岡田さんは学生時代には希土類永久磁石を研究されました。その後、強誘電体などの電子セラミックス分野を研究され、続いて水素吸蔵合金などの研究分野に入り、新規水素化物の分野に進まれます。

 このことから岡田さんは、1968年にオランダの大手電機メーカーのフィリップス研究所の研究者が永久磁石のサマリウム・コバルト合金(SmCo5)の保持力機構を研究している際に、水素吸蔵合金のランタン・ニッケル(LaNi5)を発見したことに着目されています。これが水素吸蔵合金の発見になり、その後の水素吸蔵合金の研究開発に発展しました。



 岡田さんの研究室では、以前に学生の方が材料研究の際に「材料の原料の組成を質量%と原子%を間違える」という偶然から、新しい電子セラミックスの発見につながった経験があるそうです。

 似たような話で有名なのは、ノーベル化学賞を受賞された白川英樹筑波大学名誉教授が導電性プラスチックを発見した時の逸話です。実験材料の原料の量を間違えたことが、導電性プラスチックを発見しました。

 岡田さんがいう「常に分野の素人であれ」とは、常に新規分野に挑戦し続けるという姿勢を示したものです。手慣れた研究分野に安住せず、どんどん新規分野の開拓を続けるのは、絶え間ざる努力が必要です。なかなか奥が深い話です。

知り合いの方のご子息が始めた小規模ビール醸造所ビアパブに行ってきました

2012年04月26日 | 日記

 横浜市のJR関内駅近くにオープンした“地ビール”を売り物したビアパブです。ビアパブの席から、小規模ビール醸造所(マイクロブルワリー)の地ビール醸造設備が見える点が特徴です。

 このビアパブで飲むことができる地ビールは、自分の醸造設備でつくったものと、他の小規模ビール醸造所の地ビールの両方です。一定量を仕込んで発酵させているために、仕込み時間がかかるために、品切れの自家製地ビールもでます。このため、ビールのメニューは毎日変わります。出された地ビールを飲むのに忙しく、その写真を撮るのを忘れました。

 地ビール醸造設備は、糖化を行う「仕込釜」、麦汁にホップを加える「煮沸釜」、麦汁に無菌の酸素と、ビール酵母を加えて発酵させる「発酵タンク」などで構成されています。





 ここのオーナーでもあるビール職人の方は、以前は、横浜市の“老舗”地ビール会社でビールづくりの腕を磨き、今回自分の地ビールをつくるために、独立されたそうです。地ビール醸造設備も個人にとってはかなりの初期投資額になります。ビール醸造設備を工夫して、開業にこぎ着けたようです。

 自分の手で、自分の小規模ビール醸造所を開業することは、起業家でないとできません。若者が自分の手で新規事業を始めることが、今の閉塞感漂う日本にとっては重要なことです。日本でのビール醸造量の規制緩和が平成6年(1994年)にあり、ビール製造免許取得の最低限度数量が1年間当たり2000キロリットルから60キロリットルになって、小規模ビール醸造所が起業されたようです。

 横浜市は国産ビールの発祥の地の一つだそうです。実はビールの発祥の地はいくつかあります。横浜は「徳川時代の末期に、横浜で外国人がビールをつくった地」のようです。その後、日本人の手では大阪でビール醸造が始まり、ビール事業としては札幌が発祥の地のようです。こうした背景がある横浜市では、地ビールをつくる小規模ビール醸造所が多くあるようです。

 JR関内駅から北側の海岸寄りにある、横浜市中区日本大通に面した神奈川県庁本庁舎は、横浜市の3塔として、「キング」の愛称で親しまれています。



 神奈川県庁本庁舎の近くのイチョウ並木は新芽が出て新緑がきれいになっていました。明治維新後に、横浜市は新産業興しの中心地の一つになりました。明治時代の起業家精神は、現在、どう継承されているのか考えています。