岐阜県飛騨市の飛騨古川駅近くの“飛騨古川”の町並みを、また散策しました。飛騨古川駅はJR高山線の駅です。
“飛騨古川”の町並みは、1589年に豊臣秀吉の命を受けた金森長近が飛騨地域一帯を統一し、その二代目の金森可重が平城の「増島城」を築き、城下町がつくられたことを受け継いだ“昔ながら”の町並みがいくらか残っています。
観光面で有名なのは、瀬戸川という疏水沿いに残る(たぶん“観光名所”として整備した)白壁土蔵の町並みです。白壁土蔵の家々は商店などの店舗や蔵などのようです。時代劇に出て来そうな町並みです。
この瀬戸川は、約400年前に増島城が築かれた時に、お濠(ほり)の水を活かして、新田開発をした時の疏水です。幅4メートル程度の疏水が町並みを流れています。
現在は観光名所として、ニシキゴイ(錦鯉)などを放流しています。今回、訪れた時は既に防寒のために、コイを池に引き上げた後でした(来年の春にコイは疏水に戻ります)。
“飛騨古川”の町並みは、江戸時代や明治時代などを思わせる伝統的な木造建築の家を意識して保存し、日本の伝統的な風景を維持しているようです。
この白壁の店舗の一つは、造り酒屋です。表側の店舗には、日本酒の造り酒屋であることを示す「酒林」(さかばやし)が釣ってあります。毎年、新酒ができる11月ごろに、新しいものに交換されます。
“飛騨古川”には現在、2軒の造り酒屋があるそうです。
“飛騨古川”を観光面で有名にしているのは、毎年4月19日に開催される「古川祭り 起こし太鼓」です。
当地に春を告げるさらし姿の裸の男たちの祭りです。その起こし太鼓が祀(まつ)られている気多若宮神社です。
今回、“飛騨古川”の町並みを散策して驚いたのは、日本人観光客と同じ程度に外国人観光客(中国人観光客が多い感じです)が訪れていることでした(混んでいる高山観光に付随した観光ではないかと想像しています)。
“飛騨古川”の近くを流れている宮川の橋の上から、夕暮れ時に南に見える冠雪した山々です。
宮川沿いに発達した飛騨地方を感じさせる風景です。
“飛騨古川”の町並みは、1589年に豊臣秀吉の命を受けた金森長近が飛騨地域一帯を統一し、その二代目の金森可重が平城の「増島城」を築き、城下町がつくられたことを受け継いだ“昔ながら”の町並みがいくらか残っています。
観光面で有名なのは、瀬戸川という疏水沿いに残る(たぶん“観光名所”として整備した)白壁土蔵の町並みです。白壁土蔵の家々は商店などの店舗や蔵などのようです。時代劇に出て来そうな町並みです。
この瀬戸川は、約400年前に増島城が築かれた時に、お濠(ほり)の水を活かして、新田開発をした時の疏水です。幅4メートル程度の疏水が町並みを流れています。
現在は観光名所として、ニシキゴイ(錦鯉)などを放流しています。今回、訪れた時は既に防寒のために、コイを池に引き上げた後でした(来年の春にコイは疏水に戻ります)。
“飛騨古川”の町並みは、江戸時代や明治時代などを思わせる伝統的な木造建築の家を意識して保存し、日本の伝統的な風景を維持しているようです。
この白壁の店舗の一つは、造り酒屋です。表側の店舗には、日本酒の造り酒屋であることを示す「酒林」(さかばやし)が釣ってあります。毎年、新酒ができる11月ごろに、新しいものに交換されます。
“飛騨古川”には現在、2軒の造り酒屋があるそうです。
“飛騨古川”を観光面で有名にしているのは、毎年4月19日に開催される「古川祭り 起こし太鼓」です。
当地に春を告げるさらし姿の裸の男たちの祭りです。その起こし太鼓が祀(まつ)られている気多若宮神社です。
今回、“飛騨古川”の町並みを散策して驚いたのは、日本人観光客と同じ程度に外国人観光客(中国人観光客が多い感じです)が訪れていることでした(混んでいる高山観光に付随した観光ではないかと想像しています)。
“飛騨古川”の近くを流れている宮川の橋の上から、夕暮れ時に南に見える冠雪した山々です。
宮川沿いに発達した飛騨地方を感じさせる風景です。