「倫理学」の授業に出席しました。大学生時代には倫理学を履修したことはないと思いますので、初体験です。
6月18日金曜日夜に、東京工業大学大学院の「新エネルギービジネスと社会受容」という講義の一つとして、「企業倫理と技術者倫理」という授業がありました。講師は北海道大学大学院文学研究科の蔵田伸雄教授がお務めになりました。
講義の主宰者・企画者は、2009年11月に横断組織として設立された環境エネルギー機構の西條美紀教授です。原籍は留学生センターに所属し、東工大で科学技術コミュニケーション論を展開している中心の方です。
授業の冒頭に「近代倫理学のチャンピオンはカント倫理学」と説明され、馴染みのない話の展開になるかと思いましたが、違っていました。
JR西日本の福知山線の脱線事故など、日本企業の不祥事が続きました。この結果、各企業は社員個人の倫理的な問題を解決するシステム構築を迫られ、各種のコンプライアンス(Compliance、法令遵守)体制の構築を余儀なくされた経緯の説明から話は始まりました。企業になぜCSR(Corporate Social Responsibility、企業の社会的責任)が求められ始めたという経緯などです。
技術者が企業の社員として働いている現在では、企業倫理と技術者倫理はかなり強い関係を持つとのことでした。技術者にとっての企業倫理とは、技術者としての専門知識や経験則を用いて、企業倫理を守るシステム構築の設計から運用、維持、改善を図る必要があり、「技術者倫理と企業倫理を厳密に区別することはできない」そうです。「技術面での問題が、企業論理に反映する社会規範やルール、法律などに直結しているからだ」と解説されました。倫理の制度化などが企業で進められているとのことだ。そういえば、「内部統制室」などという仰々(ぎょうぎょう)しい名前の新規部門を設けた企業は多いと聞きます。
企業の社員には、当然のこととして、「法律や各種の指針を遵守する義務(コンプライアンス)」「賄賂を受け取らない・渡さない義務」「公平な取り引きを行う義務」「社員に差別的な行為をしない義務」「仕事を通して知り得た情報を第三者にみだりに漏らさない守秘義務」「環境に十分配慮する義務」などが課せられています。こう義務が明示されたのは、日本ではここ10~20年ぐらいの動きだと思います。
講義では、例えば「社員の安全なモノを安全につくって供給する義務」を考えると、企業の利益を追求して生産コストを抑えると、問題が生じる可能性が浮上するとの事例を考察させました。コスト削減を追求すると、企業の社員である技術者は倫理的なジレンマに陥る可能性が出てくるからです。何のために、コンプライアンスが必要なのかを理解し、技術者の仕事は製品やサービスなどを供給する仕事を通して、人間の生命や健康にかかわっていることから、こうしたジレンマが生じることを考えさせる内容になりました。
特に技術者という「専門職」(Profession)は、専門的な知識を持っているだけに、専門知識を持たない方が予測・判断できないことに対応できることから、「技術者に特有の専門職倫理が発生し、責任を負わさせることがあり得る」と説明されました。この辺は、専門職という地位を日本の技術者が持っているのかどうかという、日本の職業感という文化にかかわる問題になってきます。結局は、日本の企業という組織の体質や姿勢という在り方にかかわってくるという話になりました。企業が技術者を含む社員に行動指針・行動基準を示し、倫理研修を実施してるかという態勢を持っているかになりそうです。
結局、日本ではまだ企業倫理や技術者倫理を具現化した最適なシステムができていないとの印象を持ちました。日本企業が持つ終身雇用、企業や組織間を人材流動しない職業感まで立ち戻って考える必要がありそうです。でも、授業では、技術者という専門職(いわゆるホワイト)に対しては、終身雇用制を採っていない米国企業でも、事故を起こした企業の社員で、内部告発をした技術者はその後、ノイローゼになった事例があり、企業倫理がまだ不完全な様子が説明され、奥が深いと感じました。
個人の理解を超えた、複雑な科学・技術体系を基にした社会システムの中で暮らすには、個人としても組織としても、倫理すなわち哲学を持たないと、事故が起きてからは悩むだけと感じるレベルの理解になりました。こうした問題が職業上、可能性が高まっているので、大学の講義に「技術者倫理」という授業ができたと思いました。日ごろから「哲学」をあまり考えておかないで、その場面に遭遇すると、ジレンマに陥りそうです。日ごろから、哲学を考えることは、自分の判断基準の原点を具体的に考えることと感じました。
6月18日金曜日夜に、東京工業大学大学院の「新エネルギービジネスと社会受容」という講義の一つとして、「企業倫理と技術者倫理」という授業がありました。講師は北海道大学大学院文学研究科の蔵田伸雄教授がお務めになりました。
講義の主宰者・企画者は、2009年11月に横断組織として設立された環境エネルギー機構の西條美紀教授です。原籍は留学生センターに所属し、東工大で科学技術コミュニケーション論を展開している中心の方です。
授業の冒頭に「近代倫理学のチャンピオンはカント倫理学」と説明され、馴染みのない話の展開になるかと思いましたが、違っていました。
JR西日本の福知山線の脱線事故など、日本企業の不祥事が続きました。この結果、各企業は社員個人の倫理的な問題を解決するシステム構築を迫られ、各種のコンプライアンス(Compliance、法令遵守)体制の構築を余儀なくされた経緯の説明から話は始まりました。企業になぜCSR(Corporate Social Responsibility、企業の社会的責任)が求められ始めたという経緯などです。
技術者が企業の社員として働いている現在では、企業倫理と技術者倫理はかなり強い関係を持つとのことでした。技術者にとっての企業倫理とは、技術者としての専門知識や経験則を用いて、企業倫理を守るシステム構築の設計から運用、維持、改善を図る必要があり、「技術者倫理と企業倫理を厳密に区別することはできない」そうです。「技術面での問題が、企業論理に反映する社会規範やルール、法律などに直結しているからだ」と解説されました。倫理の制度化などが企業で進められているとのことだ。そういえば、「内部統制室」などという仰々(ぎょうぎょう)しい名前の新規部門を設けた企業は多いと聞きます。
企業の社員には、当然のこととして、「法律や各種の指針を遵守する義務(コンプライアンス)」「賄賂を受け取らない・渡さない義務」「公平な取り引きを行う義務」「社員に差別的な行為をしない義務」「仕事を通して知り得た情報を第三者にみだりに漏らさない守秘義務」「環境に十分配慮する義務」などが課せられています。こう義務が明示されたのは、日本ではここ10~20年ぐらいの動きだと思います。
講義では、例えば「社員の安全なモノを安全につくって供給する義務」を考えると、企業の利益を追求して生産コストを抑えると、問題が生じる可能性が浮上するとの事例を考察させました。コスト削減を追求すると、企業の社員である技術者は倫理的なジレンマに陥る可能性が出てくるからです。何のために、コンプライアンスが必要なのかを理解し、技術者の仕事は製品やサービスなどを供給する仕事を通して、人間の生命や健康にかかわっていることから、こうしたジレンマが生じることを考えさせる内容になりました。
特に技術者という「専門職」(Profession)は、専門的な知識を持っているだけに、専門知識を持たない方が予測・判断できないことに対応できることから、「技術者に特有の専門職倫理が発生し、責任を負わさせることがあり得る」と説明されました。この辺は、専門職という地位を日本の技術者が持っているのかどうかという、日本の職業感という文化にかかわる問題になってきます。結局は、日本の企業という組織の体質や姿勢という在り方にかかわってくるという話になりました。企業が技術者を含む社員に行動指針・行動基準を示し、倫理研修を実施してるかという態勢を持っているかになりそうです。
結局、日本ではまだ企業倫理や技術者倫理を具現化した最適なシステムができていないとの印象を持ちました。日本企業が持つ終身雇用、企業や組織間を人材流動しない職業感まで立ち戻って考える必要がありそうです。でも、授業では、技術者という専門職(いわゆるホワイト)に対しては、終身雇用制を採っていない米国企業でも、事故を起こした企業の社員で、内部告発をした技術者はその後、ノイローゼになった事例があり、企業倫理がまだ不完全な様子が説明され、奥が深いと感じました。
個人の理解を超えた、複雑な科学・技術体系を基にした社会システムの中で暮らすには、個人としても組織としても、倫理すなわち哲学を持たないと、事故が起きてからは悩むだけと感じるレベルの理解になりました。こうした問題が職業上、可能性が高まっているので、大学の講義に「技術者倫理」という授業ができたと思いました。日ごろから「哲学」をあまり考えておかないで、その場面に遭遇すると、ジレンマに陥りそうです。日ごろから、哲学を考えることは、自分の判断基準の原点を具体的に考えることと感じました。