ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

佐久荒船高原では野菊が咲き始めています

2010年08月31日 | 佐久荒船高原便り
 長野県佐久市の東部に位置する佐久荒船高原では野菊が咲き始めています。

 伊藤左千夫の小説「野菊の墓」の影響で“ノギク”という種類の野草が存在するように思えますが、ノギクはいろいろな野草の総称なのだそうです。小説の中の「僕はもとから野菊がだい好き」などの文章の影響で、野菊という野草をつい想像してしまいがちなのですが。

 佐久荒船高原では、ヨメナやシオン、ノコンギクなどのいわゆる野菊が所々で咲きます。今回、見つけたのはヨメナのようです。



 実は最初はノコンギクと思っていたのですが、野草の図鑑で調べてみると、ヨメナではないかと思いました。花びらの感じがヨメナのようです。森陰の淵(ふち)の日当たりのいい所に咲いていました。白い清楚な感じは、素朴な美しさを持つ野菊という感じです。今回は立ち寄れませんでしたが、薄紫の花が美しいシオンが咲く所もあります。毎年、シオンが咲き始めると、「秋だな」と感じます。

 盛夏から晩夏にかけて目立つのは、キク科のオタカラコウ(雄宝香)とメタカラコウ(雌宝香)です。この二つは似ています。フキのような大きな葉の上に濃い黄色い小さな花を多数つけます。下から花が咲いていきます。この花はメタカラコウのようです。



 このメタカラコウの花には、クロアゲハなどが群がります。甘い蜜の芳香を漂わせているのでしょうか。いろいろな昆虫が来ています。

 早朝に、山道で若いシカ(鹿)に出会いました。1頭が逃げずに、森陰からこちらを見ています。たぶん今年生まれた若い牡鹿です。


 
 木陰のために少し暗いので、シャッタースピードが遅く、フォーカスが少しぼけています。目が光っている感じになりました。数枚写真を撮ったら、急に鳴いて走り去りました。近くに別のシカがいた可能性が高いです。

 このシカに出会って鳴き声を聞いて、古今和歌集の「奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき」(詠み人知らず)の雰囲気だなと感じました(「百人一首」では、猿丸太夫作となっています)。佐久荒船高原は次第に秋の装いを深める準備を進めています。暑かった夏は次第に記憶の中に消えていきます。

美ヶ原高原はマツムシソウが見ごろでした

2010年08月30日 | 旅行
 8月29日に上田市の旧・武石村(たけしむら)側から美ヶ原高原に向かいました。
 松本市・武石峠に向かう県道を左折し、山道に入りました。濃い緑の森を抜けるつづら折りが続く山道を上り、白樺林を抜けると、標高2000メートルの広大な草原である美ヶ原高原に出ました。高原はある程度晴れていましたが、松本市の北側方向から高原に向かって雲が上ってきて視界を遮り、槍ヶ岳や白馬岳(しろうまだけ)などの北アルプスの山々は拝めませんでした。

 日差しが強く直射日光はきつく感じますが、高原に吹く風は涼しかったです。上田市武石の美ヶ原高原美術館近くの駐車場から、標高1990メートルの牛伏山まで散策しました。木道の周りに、この季節の花の主役であるマツムシソウ(松虫草)があちこちに咲いています。


 マツムシソウは、昆虫のマツムシが鳴き始める晩夏のころに咲く野草なので、「マツムシ」という名前がつけられました。気品のある薄紫の花が見事です。標高の高い草原は風が強いためか、点々と咲くマツムシソウは背の低く、地表をはっている感じでした。マツムシソウの一部は8月初めから咲き始めているので、最盛期を少し過ぎた感じでした。マツムシソウには、アカタテハやアゲハチョウ、アブなどが群がっています。その周りをアカトンボなどが多数飛んでいます。初秋の雰囲気です。

 ウメバチソウ(梅鉢草)の群落が所々にありました。やはり背の低いものばかりです。森林の中でなく、日差しの強い高原で、こんなに多くのウメバチソウを見たのは初めてでした。


 ハクサンフウロ(白山風露)もあちこちに咲いていますが、環境が厳しいためか、ピンクの花がやや小ぶりでした。山道の周りには、エゾリンドウ(蝦夷竜胆)が多数咲いています。緑色の草原の中で、濃い紫色の花が目立ちました。


 リンドウをみて、やはり秋が近づいていると感じました。

 牛伏山の周りは広大な牧場です。牛が多数放牧されていました。草を食んでいます。絵に描いたような牧歌的な風景です。


 美ヶ原高原からはビーナスラインを通って、和田峠、霧ヶ峰高原、車山高原、白樺湖と抜けました。車山高原から白樺湖までの区間では、夕日に浮かび上がる富士山の上部が遠くの雲の上に見えました。高い地点からは、遠くのいろいろなものが見えると感心しました。これも高見の見物なのでしょうか。

 

「パテント・トロール」という難しい話を拝聴しました

2010年08月28日 | イノベーション
 今日8月28日午後に「パテント・トロールへの大学での対応方策」というセミナーを聞きに行きました。
 日本知財学会のイノベーション・標準化分科会が東京都内で開催したセミナーです。日本が直面しそうな難問です。しかも、被害は一般消費者にまで及びます。



 多くの方が「パテント・トロール」という言葉に馴染みがないと思います。簡単に言えば、他人の特許を合法的に譲り受け、その特許を基に、「特許に抵触してるので、損害賠償を支払え」とたかって、巨額を稼ぐ組織(個人)のことです。こうしたパテント・トロールの企業が米国には数社あり、巨額を稼いでいます。先進国では特許などの知的財産で稼ぐビジネスモデルが重視されています。こうした中で咲く“あだ花”がパテント・トロールなのです。

 以下、今回のセミナーで聞いて分かったことをつまみ食い的に説明します。“トロール”とは本来は、北欧ノルウェーのやや怖い妖精を意味します。米国の知的財産の某有力責任者が、特許訴訟によって荒稼ぎする組織を「パテント・トロール」と呼んでから、この名称が多く使われるようになったそうです。それまでは「パテント・マフィア」などと呼ばれていたそうです。

 このパテント・トロール問題は特許の価値の根源に関係し、特許で稼ぐことの本質にかかわる難問です。日本は現在、特許などの知的財産を重視した“知財立国”を目指しています。現在の多くの製品やサービスは特許などの知的財産を基に、事業が進められています。苦労して開発した新製品や新サービスが、他社に簡単に真似されては事業を安定して持続できないからです。

 パテント・トロール問題と、従来の特許係争とどう違うのかを簡単に説明します。パテント・トロール組織は、自分が汗を流して研究開発した成果を基に特許を得るのではなく、他人が得た特許などを市場原理で買って自分のものにします。そして、その特許を利用した事業を始めません(製品やサービスを提供する事業をしないのです)。

 「ある企業Aがある製品Bを販売している」とします。突然、ある会社Cから「製品Bは、我が社が持つ特許を使って製品化されている」との訴えが届きます。そして「当社の特許を使いたいならば、その実施権のライセンス代を支払え」と伝えてきます。ここで重要なのは、米国では特許訴訟の費用がかなり高いことです。ある会社Cは、予想される訴訟費用よりは安い損害賠償費を提案してきます。「訴訟する前に、提示額を支払えば、提訴しない」と伝えます。

 こう伝えられた企業Aは「特許訴訟に必ず勝てる」と判断すれば、この訴えを無視します。しかし、必ず勝てると判断できなければ、訴訟した時の経費を勘案し、闘うか屈するかを冷静に判断します。この場合の会社Cがパテント・トロールです。これは実際のビジネスでは、それなりにあり得る話です。お互いに事業をしている会社同士の特許係争であれば、「当社の特許Dを使わせる代わりに、係争相手の企業と特許Eを使わせる」というクロスライセンスの解決法があります。これに対して、事業をしていないパテント・トロールC社は損害賠償費用を勝ち取らないと、訴訟を起こした意味がありません。

 訴訟社会の米国は、特許流通事業が盛んな社会でもあります。このため、特許を売ったり、買ったり、紹介したりする特許の仲介業者がいます。土地や建物などの不動産を仲介する不動産業の知的財産版です。知的財産を事業の基と考える先進国では特許の仲介業界が発達しています。実は、日本では経済産業省や特許庁が特許流通事業の育成を図っていますが、それほど成長していません。

 今回の「パテント・トロールへの大学での対応方策」セミナーを聞きに行った動機の一つはパネリストが魅力的だったことです。九州大学理事・副学長の安浦寛人さん、東京大学先端科学技術研究センター教授の渡部俊也さん、東京工業大学大学院イノベーションマネジメント研究科長・教授の田辺孝二さんの豪華な3人です(写真では、向かって右から左に3人が並んでいます)。



 
 以下、断片的に。まず、大学の教員などの研究成果を基にした特許を、ある会社Eが「譲渡してもらいたい(買いたい)」と言ってきた場合、この会社Eがパテント・トロールにならないことを予測しなければならないのです。問題は、この会社Eが赤字になり、別の会社Fに買収された時に、この会社Fがパテント・トロールになるケースです。もっと気をつけなければならないケースは、ある会社Gが有力教員に委託研究を持ちかけ、しかも将来の事業化に必要な目標値を示すケースです。教員は今回の研究成果が産業価値を持つことを保証され、将来実用化される可能性が高いので、研究開発を精力的に進めます。しかし、この会社Gが実はパテント・トロールだった時に問題になります。個々の教員は委託研究を提案する企業の真の姿を見い出すことは、実際には困難です。

 また、最近話題の“知財ファンド”組織のように他人の特許を束ねて事業化を企画し、特許の価値を高める組織もあります。ある側面では、パテント・トロールに似た運営をしているともいえます。その組織がパテント・トロールがどうかの判定は予想以上に難しいといえます。みずからパテント・トロールと名乗る企業はないからです。相手企業がパテント・トロールかどうかの判断は非常に難しいようです。

蔵王のお釜はエメラルドグリーンのままでした

2010年08月22日 | 旅行
 蔵王連峰の火山湖「お釜」を30数年ぶりに見に行きました。
 30数年前は、冬に山形蔵王側からスキーで尾根沿いを30~40分かかって見に行きました。尾根沿いは風が強く寒かったことを覚えています。その数年後に宮城蔵王側に春スキーに行った際に、お釜を少し見ました。

 お釜は、蔵王刈田岳(標高1758メートル)、熊野岳、五色岳(標高1674メートル)の三峰に抱かれた、蔵王連峰の中心部にある火口湖です。宮城県と山形県の県境にあります。火山が噴火した火口の跡に水がたまったカルデラ湖ではなく、蔵王連峰がこれまでに26回の噴火を繰返し、吹き飛んだ跡に五色岳の断崖が崩壊してできた湖だそうです。湖面は、太陽光の当たり具合いを反映してエメラルドグリーンの色を変える“五色湖”です。


 お釜を望む刈田峠は快晴でした。宮城県側は雲海が広がり、下界は曇りのようでした。

 お釜見物は刈田岳頂上にある刈田嶺神社(かったみねじんじゃ)の奥宮近くからします。刈田峠付近は風が涼しく、リンドウ(竜胆)やアキノキリンソウが咲き始めていて、初秋という感じでした。



 刈田峠駐車場から徒歩10分ぐらいで、すぐ眼下にお釜を見下ろすことができる展望台に着きます。刈田峠駐車場までは、山岳道路の蔵王エコーラインから有料道路の蔵王ハイラインを通ってたどり着きます。車で簡単に行けるので、観光客で賑わっています。自動車の40%ぐらいは関東の他県ナンバーで、お釜の人気の高さを知りました。

 お釜の南西部側から清水が流れ出て濁川となり、宮城県側へ流れ出ています。渓流釣りができそうな荒々しい清流です。
  同じように蔵王連峰を下る清流の一つに澄川があります。この澄川には不動滝、三階の滝、地蔵滝という有名な滝が三つあります。蔵王エコーラインの途中にある滝見台から、不動滝と三階の滝の二つを見ることができました。濃い緑のブナやカツラの天然森の中の断崖から、水流が吹き出しています。不動滝は高さ54メートル、幅16メートル、三階の滝は高さ181メートル、幅7メートルだそうです。

 不動滝はすこし離れた別の見晴台からは滝壺までみることができました。


 三階の滝の三段目も、滝見台の中でいい位置を探さないと、手前の木に遮られて見ません。今は濃い緑の中に、白い水しぶきのコントラストを見せていますが、10月中旬には紅葉の中に白い水しぶきが見える、最高の見所時期だそうです。

 蔵王のお釜自身は30数年間にどのぐらい変化したのかよく分かりません。大きく変わったのは刈田峠駐車場に通じる道路でした。山岳道路の蔵王エコーラインと有料道路の蔵王ハイラインが整備され、観光地になっていました。宮城県白石市側は道路がよく整備されていました。また、仙台市から宮城蔵王に向かう川崎町の道路もよく整備されていました。土建国家日本のおかげで、快適に走りました。でも、この結果、日本に多額の借金ができたことも事実です。複雑な思いです。

新材料で事業収益を上げるには約30年もかかるそうです

2010年08月21日 | イノベーション
 「金属ガラス」という新材料の研究開発成果の公開講座を聴講しました。8月19日から20日の2日間にわたって、東北大学金属材料研究所が東北大の青葉山キャンパス(仙台市青葉区)で開催したものです。
 
 公開講座の正式名称は「平成22年度 東北大学リカレント教育講座・公開講座 『非平衡金属の材料科学と応用技術』」とかなり難しいものです。公開講座の中身の中心は金属材料研究所の教授や准教授による研究成果を解説する講義です。こうした大学教員の研究成果の解説に加えて、企業が金属ガラスをどんな製品に実用化しようとしているかについて解説する講義もありました。

 企業の研究開発者2人による金属ガラスの製品化・事業化の苦労談のご講演です。日立金属の峯村哲郎さんは金属ガラスの誕生の基になった「アモルファス金属は約30~40年ぐらい前に盛んに研究開発され製品化されたが、事業収益という点ではここ5年ぐらいでやっと事業収益が本格的に見込めるようになってきた」と説明されました。


 従来無かった独創的な新材料を本格的に事業化するまでには30年~40年もかかってしまうという貴重な証言でした。

 「金属ガラス」という言葉を聞くと、一般の方は「透明な金属ができたの?」という質問をよくします。普通の“ガラス”は液体がそのまま固まったようなもので、構成原子がバラバラのまま固まっているのです。同様に、金属ガラスも、おおまかにいえば構成原子が結晶構造を取らず、バラバラのままでそのまま固まったものです。構成原子がバラバラのままで固まっているものの代表的なものはアモルファス(非晶質)と呼ばれるものです。少し話がややこしくなりますが、金属ガラスはアモルファス金属の中で、ガラス転移点を持つものです。

 アモルファス金属が磁気的性質に優れているなどの高性能さはよく知られていました。しかし、高コストなどの点からアモルファス合金の実用化は限定的な状態になっていました。こてに対して、ここ数年、省エネルギーの視点が強まり、電気を送電する際に必要となる変圧器のコアと呼ばれる部分にアモルファス合金を採用する機運が強まり、採用数が増えているようです。いくら技術面で優れていても、実際に採用されるには、何かのきっかけが必要なようです。こうしたことから、研究開発が進展し、実用化に必要な要素技術も整ったのは20~30年ぐらい前でしたが、実際に採用数が増えたのは最近のようです。

 先輩格のアモルファス金属がやっと事業化が本格的に進み始めているのですから、金属ガラス製部品はまだ事業化の途上です。独創的な新材料が本格的に事業化されるまでには30年~40年もかかってしまうという典型例は、炭素繊維でしょう。旅客機の胴体や主翼などに多用されている炭素繊維も事業収益を上げるまでには30年以上かかったようです。主力企業の東レはやや後発として、PAN(ポリアクリロニトリル)という合成繊維を蒸し焼きして炭素繊維を製品化しました。「合成繊維を巧みに扱う技術を持っていたことが、高品質な炭素繊維の開発に成功した要因」と、東レの研究開発者から伺ったことがあります。

 いい炭素繊維はできたが、各企業はなかなか採用してくれない状況が続きました。その内に、ゴルフクラブやテニスラケットに採用され、炭素繊維は少し足場を築きます。でも、本命と考えていた旅客機の部品にはなかなか採用してもらえないかったのです。そこで、東レは、当時ボーイング社の航空機部品に採用してもらうために必要な品質認証制度の審査に合格していたユニオンカーバイド社に対して、東レの炭素繊維製造技術を技術移転させます。これによって東レの炭素繊維の優秀さを知らしめます。これが後日、東レの炭素繊維の採用の布石となります。

 航空機部品としては、最初は万一壊れても機体に本質的な損傷を与えない非構造用部品の一つに炭素繊維強化プラスチック製の部品に置き換えてもらうことに成功します。これを起点に、旅客機の部品が炭素繊維強化プラスチック製に代替されていきます。非構造用部品から重要な構造用部品に対象を拡大させていきます。ここまできて初めて、炭素繊維をつくる製造装置を本格的に拡充し、炭素繊維強化プラスチックをつくる工程向け製造装置も拡充されます。こうした設備投資を経て、やっと炭素繊維事業は収益を上げ始めます。

 現在、炭素繊維事業は中国企業の追い上げを受け、厳しい状況になっています。東レは炭素繊維の低コスト化を図るために、原料のPAN繊維から炭素繊維に変換させる際に炭素原料を無駄にしない製造法を研究開発中です。新材料が事業収益を上げるまでには苦労の連続であると、改めて感じました。

 最後に、金属ガラスの製品化に挑戦し続けている財団法人素形材センターの西山信行さんが聴講生に、実物として見せたパラジウム系金属ガラスの大きな塊をお見せします。直径10センチメートルぐらいの大きな塊は、パラジウムなどの原子がバラバラのままで凝固しています。手に取るとずっしりと重いです。


 パラジウム系の溶融金属をガラス製の鋳型に流し込み、大量の氷を含んだ氷水に漬けて急冷したものです。このごろんとした塊は、構成原子が結晶構造を取っていません。このゴロンとした金属ガラスは、パラジウムを多く含むために、原料費が数百万円もかかっているそうです。