ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

長野県下諏訪町の八島湿原では、コバイケイソウの白い花が見ごろを迎えています

2013年06月30日 | 旅行
 長野県諏訪郡下諏訪町と諏訪市にまたがる高層湿原の八島湿原では、群生するコバイケイソウ(小梅草)が花を咲かせています。

 八島湿原は霧ヶ峰高原の北西部にある、標高約1600メートルに位置する高層湿原です。入り口部からみた八島ケ池付近です。



 小雨が時々降る、曇り空です。少し肌寒い感じです。時々、青空になって陽光が差し込むと、暑く感じます。

 八島湿原の周囲を回る木道近くの湿原部分は、開花期を迎えたユリ科シュロソウ属のコバイケイソウの満開の白い花をみせています。レンゲツツジのオレンジ色の花の合間にコバイケイソウが群生しています。





 湿原の緑色の野草を背景に咲いているコバイケイソウの白い花が映えています。一つひとつの小さな花がウメに似ていています。コバイケイソウの花全体は緑色と白色のコントラストがきれいです。



 木道近くでは、ナルコユリノ(鳴子百合)の白い花も密やかに咲いています。



 霧ヶ峰高原にある高層湿原の八島湿原では、いろいろな野草が夏に向けて開花の準備を進めています。八島湿原では、もうすぐ、夏の野草の花が咲き乱れます。

日本経済新聞紙「私の履歴書」にテンプスタッフの篠原さんが登場した話の続きです

2013年06月29日 | 日記
 2013年6月1日から日本経済新聞紙朝刊の最終面のコラム「私の履歴書」に登場した、人材派遣業のテンプスタッフ創業者の篠原欣子(よしこ)さんの話の続きです。

 篠原さんが事務系人材派遣業というベンチャー企業のテンプスタッフを創業し、同業界で成功した理由は、ある企業規模になった時点で、経営のプロを入社させて経営を高度化させたことです。

 米国ではベンチャー企業の創業時の経営者と、企業規模が大きくなってからの経営者は異なることは珍しくありません。テンプスタッフもある時点から売上げが増えなくなり、ある種の事業の壁にぶつかった時に、「事業計画に計数管理を導入し、各部門の責任者を明確にし、経営方針を明確にするように」と、スカウトした水田正道さんらの男性陣に要求されます。

 篠原さんは「仲間意識による経営に幕引きをし」、社内に実力主義を導入し、仕事の成果を客観化・透明化するという、ある意味で当たり前の経営の仕組みを導入します。

 興味深いのは、気の合う女性陣だけで運営してきた会社を、経営のプロの訓練を受けた男性陣が、経営の中枢に入って、テンプスタッフの近代化を実施した点です。男性中心社会に風穴を開けた、能力ある女性に仕事を確保する役目を果たしたテンプスタッフが、皮肉にも男性陣によって経営のガバナンスを再構築するという結果に達したことになります。

 実は企業規模の点では、主にIT系のベンチャー企業などに多い現象ですが、創業して企業規模が社員数10人規模になり、事業黒字が定着し、仕事が安定して取れるようになると、親しい仲間と楽しく仕事ができるので、企業規模を拡大させないベンチャー企業が存在します。

 創業時の経営陣がそのまま経営の中核を続けます。事業黒字が定着しているので、一般的には、IPO(新株上場)をせず、“工房”的な仕事環境で、仲間意識で楽しく仕事を続けます。日本の会社とは何かに関係する現象です。ある意味では、創業時の経営陣が会社を公器化せずに“私物化”しているともいえます。でも、日本では非上場の中小企業に多い形態です。

 テンプスタッフは経営手法に事業計画・戦略を前提としたやり方を導入し、社内に定着させた1990年に4月から新卒採用を始めます。20人の男女の新卒が入社し、社内の企業文化を変えていきます。この第二の創業に成功したテンプスタッフは、会長兼社長だった篠原さんは、水田さんに社長の座を譲り、第二の創業を完成させます。

 テンプスタッフは1990年に株式公開を図りますが、店頭公開準備の直前に株式公開を中止します。



 この辺の経緯は、私の履歴書の文章からでは実はよく分かりません。現時点で考えれば、この時の株式上場回避が良かったのではないかとの感じの文章になっています。

 興味深いのは、突然「店頭公開準備の直前に株式公開を中止する」と、「だから女はだめなんだ」と関係者から罵倒されることです。日本では現時点でも、女性の取締役が少ない会社文化のままです。経営者能力に男女の違いがあるのかどうか、よく分かりません。

 一般に、日本の一部上場企業では、若手の男性が幹部候補生として育成される企業文化です。少なくとも、一部上場企業ではまだ女性登用の道が少ないようです。女性を幹部としてどう育成するかというやり方が未完成なようです。

 会社員として、仕事の基礎が分かる30歳前後で、女性は結婚していると、ちょうど第一子を出産し、産休と育児休暇を取らざるをえない時期です。ここで、幹部候補生から外れます。

 最近話題の“子育て支援策”の拡充は、少子高齢化社会に突入し始めた日本では、優秀な労働力を確保するには、急いで整備すべき施策です。企業の中で、男女差別が無くなることが、日本の企業の競争力を高めるように感じています。ただし、その具体策となると、まだよく分かりません。

 人材派遣業のテンプスタッフ創業者の篠原さんの約32年間の“履歴書”の話は、日本の企業のあり方とは何か、企業経営で男女の差はあるのかなどを考えさせる好材料になっています。

日本経済新聞紙「私の履歴書」に登場した篠原欣子さんの成功要因を考えました

2013年06月28日 | 日記
 2013年6月1日から日本経済新聞紙朝刊の最終面のコラム「私の履歴書」は、人材派遣業のテンプスタッフ創業者の篠原欣子(よしこ)さんが登場し、執筆されています。

 6月末が近づき、篠原さんの事務系人材派遣業というベンチャー企業を創業し、同業界で成功した経緯はほぼ語られたころです。

 テンプスタッフ創業者の篠原さんによるベンチャー企業起こしの歴史では、親しい仲間たちと経営する“個人商店”から、ある程度の規模の中小企業に変身する際の、会社経営のガバナンス導入時点が、結果的に一番の成功要因だったと感じました。



 篠原さんによると、英語を学ぶ語学研修を英国ロンドン市で済まし、その英文をタイプする仕事を、オーストラリアのシドニー市で得た時に「日本と違って、女性が補助職ではなく、対等に会社員の待遇を受けている」ことを知ります。

 この事務能力が高い女性に、事務系の人材派遣業として仕事を与えるという考えが時代の流れに結果的に合っていたと感じました。1973年5月に、東京都港区六本木で人材派遣業を始めた当時は、東京都心部での人材派遣会社としては4社目だったそうです。後追いとして起業した篠原さんは40歳直前の中年としての決断でした。

 篠原さんは「会社の正社員が休みを取った時に、その代理として仕事をこなす臨時スタッフを派遣するアイデアを英国やオーストラリアでの体験から知った」と語ります。ある種の物真似です。しかし、創業後に現在のハローワークから受けた“法律違反疑惑”などの指摘は、社員は全員が正社員として雇用されるという日本の会社のあり方に従った慣例です。この点で、当時の日本の会社文化に挑戦していた点で、テンプスタッフは時代に対する新規性を持っていました。

 法人税のことも知らない篠原さんは、企業経営の素人です。しかし、他人の意見に耳を傾ける“いい人”として、一緒に働きたいと感じさせる人柄だったのではないかと想像しています。この結果、女性たちが自分たちの感性・仲間意識によって、女性が働きやすい事務系の人材派遣業として成功します。家族的な雰囲気の個人商店としての成功は、女性を戦力としてお互いに認め合った結果でした。

 会社の規模が大きくなり、全国展開するようになり、組織としての会社経営に切り替える時期がきます。各支店に運営を一任する“個人商店”として限界を感じた1988年に、リクルートから水田正道さんをスカウトします。女性だけの視点に、男性が加わり、事業計画・戦略を数値目標で管理する近代化を断行します。一緒に苦労してきた女性の支店長を現場から外すなどの“血を流す”葛藤が生じます。

 この辺の経緯を語る文章は、何か奥歯に物が挟まった感じです。いろいろなことが実際にはあったと感じました。一緒に苦労を共にした女性との葛藤がいろいろあったようです。文章が長くなったので、続きは明日にします。

福島県二本松市郊外の高林寺では、アジサイの花はあまり咲いていません

2013年06月27日 | 旅行
 福島県二本松市郊外の高林寺は、約5000株のアジサイ(紫陽花)が植えられた、別名「あじさい寺」と呼ばれるアジサイの名所です。

 高林寺では約5000株のアジサイが急な斜面の境内を中心に植えられています。今年はアジサイの開花が遅れていて、花を咲かせたアジサイの株はポツポツと点在している程度です。





 道路側から急な斜面の境内を登っていく小道の両側に、アジサイの株が一面に植えられています。アジサイの葉は新緑に染まっています。アジサイの開花は7月上旬のようです。



 境内にある本堂の裏側の急斜面では、ホタルブクロが花を咲かせています。薄いピンク色と白色の2種類が咲いています。





 高林寺近くの道路はある種の切り通しです。その切り通しの斜面には、マタタビのツルがあちこちに育っています。



 高林寺は、二本松市の市街地から西側にある阿武隈川を越えて、さらに西側に進んだ山間地にあります。

 二本松市の郊外の途中では、原発事故の放射能の除線作業の現場を通りました。原発事故のその後が続いていると現状を知りました。つらい現実です。

2013年6月24日の日本経済新聞紙朝刊の「設備更新 減税で促進」を拝読しました

2013年06月26日 | 日記
 2013年6月24日発行の日本経済新聞紙朝刊の一面記事は見出し「設備更新 減税で促進 法人税額を圧縮」という記事です。経済産業省と財務省が2014年度の税制改正として検討している法人税減税の概要を伝える記事です。

 日本経済新聞社のWebサイト「日経電子版」では、当該記事の見出しは「設備更新 減税で促進 損失を前年度分から還付」と少し変わっています。



 安倍晋三内閣は、今月閣議決定した成長戦略として、2012年度の企業の設備投資額が63兆円だったものを、今後3年間で70兆円台に乗せる目標を掲げました。これを実現する具体的な施策として、経済産業省と財務省は製造業などの企業が設備投資を促進する具体策を考案していると報じています。

 具体的には(1)設備廃棄による欠損金を前年度に納付した法人税から還付する、(2)原価償却費を一括して損金に算入できる、(3)研究開発支援 の三つを提示すると報じています。

 こうした設備投資減税の恩恵を受ける製造業として「電機業界」などは技術革新が激しいので、設備を廃棄すると、減価償却が進んでいないために、「巨額の除去損が生じて赤字になるケースもある」と、記事では報じています。

 この「設備更新 減税で促進」の対象は、巨額赤字に苦しむシャープやパナソニック、ソニーなどなのでしょうか。減価償却の進んでいない生産設備の廃棄を進めることは、新しい生産設備を導入することに本当につながるのか疑問が残ります。また、事業不振を続ける国内の半導体企業は生産設備の廃棄を進めても、生産設備更新を実行するかどうかも不透明です。

 最近の円安によって中・小型液晶パネル事業を好転させているジャパンディスプレイ(東京都港区)は既に生産設備の増強を発表済みです。この設備更新(?)が減税対象になるのかどうかも不明です。

 見出しの「設備更新 減税で促進」が実現できるのか、よく分かりません。電機業界や自動車業界では、以前の円高対策として、生産設備の海外移転が進んでほぼ移行済みです。日本国内にある生産設備を廃棄しても、国内に新しい生産設備を導入するのかどうかは、国内・国外を組み合わせた生産態勢全体の事業戦略に依存します。

 電機業界や自動車業界などの大手企業では、国内の生産設備の更新は施策案のように、一部は生産設備の更新を進める可能性があります。これに対して、中小企業や零細企業は生産設備を更新する余裕があるのかどうかは不透明です。その理由は、電機産業でのヒット商品不足です。例えば、国内メーカーの携帯電話機・スマートフォンや液晶テレビ、パソコン・タブレット型携帯機器などで、ヒット商品が誕生すれば、その部品などを供給する中小企業や零細企業は増産に励みます。こうなれば、生産設備の更新が始まります。そのヒット商品が登場する兆しがあるのかどうかは分かりません。

 また、自動車業界では小型乗用車から軽自動車へのシフトが国内では進んでいます。ハイブリッド自動車を含めた小型自動車で、ヒットがでるのかかどうかも不透明です。

 中小企業や零細企業が、今後仕事が増えると判断しない限り、生産設備の更新には踏み切りません。

 アベノミックスによる成長戦略では、日本企業が研究開発を進め、その研究成果を生かした独創的な製品を市場に送り出し、その製品がヒット商品にならないと、生産設備の更新を実行しません。日本のモノづくり企業がヒット商品を産み出すことが、設備更新を進める前提になります。こうした前提条件を施策ではどう織り込んでいるのかどうかは、今回の経済産業省と財務省が提案する法人税減税ではよく分かりません。