おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

冷静沈着な行動を

2011年04月03日 07時20分13秒 | 日記
室温が今朝は14度もあった。阿蘇南外輪山麓にもやっと春が来た。

庭の花桃がつぼみを膨らませている。

サクランボの木のつぼみがいっぱいついていたので、今年は美味しいサクランボを食べられるかと楽しみにしていたら、それは花芽ではなく葉っぱのつぼみだった。

ミモザの葉は完全に枯れたので、来年花を咲かすのか心配なのだが、枝や幹や根は生きているようなので枯れた葉をつけたまま寂しい姿で立っている。

庭の植木ではカツラやヒメシャラ、モミジがもうすぐ葉を開く。今年は新緑が特別に待ち遠しい。

我が家には桜は植えていない。

村には白水村の一心行の一本桜があり、そして裏の外輪山の牧場の真ん中にある一本桜も去年から大勢の客が訪れている。こんな山の中まで観光バスで押し寄せて来るなよそっと隠しておきたかったのに・・・

桜は人を酔わせ、躍らせ、そして狂わせる不思議な力を持っている。
夜桜は見る人の心象風景が違えば、狂騒から静寂無音への転換とあの世へと誘(いざな)スポットともなる。

願わくば花の下にて春死なん
その如月の望月のころ

有名な西行の歌がある。

世の中に絶えて桜のなかりせば
春のこころはのどけからまし
 これは古今集の在原業平。

今年は震災を思うと花見で騒ぐ心境にはなれない。静かに花の美しさを愛でるだけでいいのではないかー
花見で人が集まるとその分経済効果が現れるのかもしれないが、時には歩みの速度を緩めて、ウェイオブライフを見直すときではないだろうかー

熊本で悲しい出来事が起こった。
放射能放出でたいへんな事態に陥っているんだが、情報が混乱し、人々は右往左往している。風評で1300万の首都東京はある意味パニクッている。

そんななか東京で暮らす若い親子が子供のために心配のない食べ物、水、空気を求めて親の郷里のじじ・ばばに子供を預けていた。ところが街に食事に行った際、子供がその飲食店の5階の窓から転落して意識不明の重態に陥ったというニュースが流れた。
親類が集まっての食事会だったらしい。歓迎の意味があったのかもしれない。
両親は東京。子供だけ郷里に預けてほっとしていたはずだ。
その心境を思うと居た堪れない。
子供の全快を祈るしかない。

情報に踊らされず冷静沈着に行動の的確な判断をしていかなくてはならない。
これは決して他人事ではない。