国語の授業で『千と千尋の神隠し』の分析的読解をやってみようと思い、準備しています。キーワードごとに分析していこうと考えています。まだ構想段階ですがメモ的に書いていきます。
三つ目のキーワードは「銀河鉄道の夜」。
はじめて『千と千尋の神隠し』を見たとき、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」とイメージが重なりました。もちろん電車で銭婆の家に行く場面です。片道切符しかなく、それに鋏を入れる車掌、そして透明な乗客など、死の世界に運ぶ汽車のように感じられました。天の川を流れるように、静寂の中で電車が進んでいきます。明らかに「銀河鉄道の夜」の世界です。
最近になってネットで調べてみると、やはり宮崎監督自身が「銀河鉄道の夜」の世界を意識していたことがわかりました。以下は書籍『ジブリの森とポニョの海』より、ロバート・ホワイティングさんとの対談からの引用です。
千が電車に乗るシーンがあるでしょ。なぜ、電車に乗せたかったかというと、電車の中で寝ちゃうシーンを入れたかったんです。ハッと目が覚めると、いつのまにか夜になって、周囲が暗くなって、影しか見えないような暗い街の広場が窓の下をよぎっていく。電車が駅を離れたところなんです。いったい何番目の駅なのか、自分がどこにいるのかわからなくなっていて、あわてて立ち上がって外を見ると、町が闇の中に消えていく。不安になって、電車の車掌室へ駆けていって、ドアをたたくけれど、返事がない。勇気を振り絞って、扉を開けてみると、真っ暗な空に街の光が闇の中の星雲のように浮いていて、しかも寝かせたガラスに描いたように平らなやつが、ゆっくりと回りながら遠ざかっていく。それは『銀河鉄道の夜』の僕のイメージなんですよ。
「銀河鉄度の夜」は、主人公ジョバンニの友人カンパネルラが、川でザネリという学校のいじめっ子が溺れそうになっているのを助け、自分は溺れて死んでしまうという話です。死んでしまったカンパネルラと主人公ジョバンニは銀河鉄道で死の世界に向かいます。ジョバンニは最後にカンパネルラと別れ、現実の世界にもどってきます。ストーリーとしても共通するところがあることがわかります。
「銀河鉄道の夜」と「千と千尋」の違う点は何でしょう。ジョバンニが現実の世界にもどるのには理由がありません。単純に死んでいないからです。しかし千尋は自分の力で自分の名前を取り戻したことによって帰ることができます。そしてそこにはハクの力も必要でした。協力して努力したことによって戻ってくることができたのです。この能動性が大きな違いです。
『千と千尋の神隠し』は「愛と勇気の物語」ということができると思います。