とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

『千と千尋の神隠し』の分析的読解3「銀河鉄道の夜」

2023-01-25 13:56:50 | 千と千尋の神隠し
 国語の授業で『千と千尋の神隠し』の分析的読解をやってみようと思い、準備しています。キーワードごとに分析していこうと考えています。まだ構想段階ですがメモ的に書いていきます。

 三つ目のキーワードは「銀河鉄道の夜」。

 はじめて『千と千尋の神隠し』を見たとき、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」とイメージが重なりました。もちろん電車で銭婆の家に行く場面です。片道切符しかなく、それに鋏を入れる車掌、そして透明な乗客など、死の世界に運ぶ汽車のように感じられました。天の川を流れるように、静寂の中で電車が進んでいきます。明らかに「銀河鉄道の夜」の世界です。


 最近になってネットで調べてみると、やはり宮崎監督自身が「銀河鉄道の夜」の世界を意識していたことがわかりました。以下は書籍『ジブリの森とポニョの海』より、ロバート・ホワイティングさんとの対談からの引用です。

 千が電車に乗るシーンがあるでしょ。なぜ、電車に乗せたかったかというと、電車の中で寝ちゃうシーンを入れたかったんです。ハッと目が覚めると、いつのまにか夜になって、周囲が暗くなって、影しか見えないような暗い街の広場が窓の下をよぎっていく。電車が駅を離れたところなんです。いったい何番目の駅なのか、自分がどこにいるのかわからなくなっていて、あわてて立ち上がって外を見ると、町が闇の中に消えていく。不安になって、電車の車掌室へ駆けていって、ドアをたたくけれど、返事がない。勇気を振り絞って、扉を開けてみると、真っ暗な空に街の光が闇の中の星雲のように浮いていて、しかも寝かせたガラスに描いたように平らなやつが、ゆっくりと回りながら遠ざかっていく。それは『銀河鉄道の夜』の僕のイメージなんですよ。

 「銀河鉄度の夜」は、主人公ジョバンニの友人カンパネルラが、川でザネリという学校のいじめっ子が溺れそうになっているのを助け、自分は溺れて死んでしまうという話です。死んでしまったカンパネルラと主人公ジョバンニは銀河鉄道で死の世界に向かいます。ジョバンニは最後にカンパネルラと別れ、現実の世界にもどってきます。ストーリーとしても共通するところがあることがわかります。


 「銀河鉄道の夜」と「千と千尋」の違う点は何でしょう。ジョバンニが現実の世界にもどるのには理由がありません。単純に死んでいないからです。しかし千尋は自分の力で自分の名前を取り戻したことによって帰ることができます。そしてそこにはハクの力も必要でした。協力して努力したことによって戻ってくることができたのです。この能動性が大きな違いです。

 
 『千と千尋の神隠し』は「愛と勇気の物語」ということができると思います。
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『千と千尋の神隠し』の分析的読解②「名前」

2023-01-22 09:54:44 | 千と千尋の神隠し
 国語の授業で『千と千尋の神隠し』の分析的読解をやってみようと思い、準備しています。キーワードごとに分析していこうと考えています。まだ構想段階ですがメモ的に書いていきます。

 二つ目のキーワードは「名前」。

 『千と千尋の神隠し』では、千尋は湯婆婆から「千」という名前を与えられ、本名を隠してしまいます。


 日本人が本名を表にしないというのは昔は普通に行われていたことです。例えば『源氏物語』の作者である「紫式部」や、『枕草子』の作者である「清少納言」は本名ではありません。通称です。では本名は? 実はわかっていません。いくつかの説はあるようですが、確証はありません。つまり、本名は隠すのが普通だったのです。

 古代の日本では実名をで呼びかけることは親や主君などのみに許され、それ以外の人間が名で呼びかけることは極めて無礼であると考えられていました。これはある人物の本名はその人物の霊的な人格と強く結びついたものであり、その名を口にするとその霊的人格を支配することができると考えられたためのようです。

 油屋の主人の湯婆婆は「千尋」を「千」という名に変えてしまいます。これは本当の名前を奪ってしまい、支配しようとしているということかもしれません。しかし見方を変えると本当の名前を守っていることになるのかもしれません。死後の世界で本当の名前を使えば、そのまま死後の世界の住民になってしまうのです。湯婆婆は千尋を守ったのかもしれません。どう考えるべきかは、私には今はまだわかりません。


 とは言え、この物語はここから本当の自分の名前を取り戻す冒険になります。千尋はもとの自分の名前を忘れかけます。そんの千尋にハクは、本当の名前を忘れると元の世界に戻れなくなると忠告します。千尋は自分の名前を必死に取り戻します。さらにはハクも自分の名前を取り戻し、本当の自分を取り戻すのです。


 本当の自分を取り戻すことによって、千尋は人間の世界へともどることができ物語は終わりを告げます。これは、資本主義文明に侵された現代社会が、本当の人間社会にもどることを意味しているように思えます。
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『千と千尋の神隠し』の分析的読解①「川」

2023-01-20 16:52:30 | 千と千尋の神隠し
 国語の授業で『千と千尋の神隠し』の分析的読解をやってみようと思い、準備しています。キーワードごとに分析していこうと考えています。まだ構想段階ですがメモ的に書いていきます。

 まず一つ目のキーワードは「川」。

 この映画で「川」がカギになっています。

 最初のほうの場面で、父親と母親が車をおりてかつてテーマパークだったところへ坂を上っていく場面があります。そこに小川があります。これはわざわざ人口の川をテーマパークのために自然に似せて作ったのです。その川の存在は人間の偽善を表現しているようにも思われます。


 夜になり、船に乗った神々が渡ってきます。よく見ると、向こう岸は千尋たちが通りぬけてきた時計台のある建物です。とすると船に乗った神々が渡ってきたのは、あの人工の小川が水量が増えて広がったものであることがわかります。


 三途川とは、此岸(現世)と彼岸(あの世)を分ける境目にあるとされる川です。川は生と死の境目というイメージがあります。その川が埋め立てられたり、氾濫すれば生と死の境は失われてしまいます。人類に大きな不幸をもたらすことになるかもしれません。『千と千尋の神隠し』にはその警告が隠されているのかもしれません。


 千尋は小さいころ川で溺れてしまいます。ハクの本当の名前は「ニギハヤミコハクヌシ」であることが思い出され、ハクは千尋の溺れた「コハク川」の神であることがわかります。


 しかし、そのコハク川も埋め立てられて今はマンションが建っているということです。これは製作者が自然が失われていくことを憂えているように感じられます。

 
 
 その根拠となるのは川の神の登場です。川の神はオクサレ様というヘドロのような存在として登場します。ものすごく臭い。オサクレ様を千尋が相手するのですが、千尋はオクサレ様に何かがささっていることに気が付きます。それを引っこ抜くとそこから大量のごみが出てくるのです。これは人間の出したゴミです。人間の出したごみが昔ながらのきれいな自然を汚し、人間が自然を破壊している、そのことを訴えているのだと思われます。これがこの映画の大きなテーマとなっていることは明らかです。

 オクサレ様が千尋にくれたニガダンゴがストーリー展開に大きな影響を与えてくれます。自然の偉大さを感じさせてくれます。

 雨が降り、川が氾濫し海になるという表現も、地球温暖化に対する警告ととることができます。


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