とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

『三四郎』読書メモ⑩

2024-10-30 16:18:08 | 夏目漱石
夏目漱石の『三四郎』の読書メモ。今回は十章。いろいろな考える要素があって、長くなりそうだ。

三四郎は広田の家に行く。広田は合気道のようなものを稽古している。広田は三四郎に『ハイドリオタフヒア』を貸す。その中に「生きるとは、再の我に帰るの意にして、再の我に帰るとは、願にもあらず、望みにもあらず、気高き信者の見たる明白なる事実なれば、聖徒イノセントの墓地に横たわるはなお埃及の砂中に埋まるが如し。」とある。結局は自分に帰り、自分からは離れることができないのである。

原口の家に行く途中、子供の葬式に出会う。三四郎は美しい弔いだと思う。『ハイドロオタフヒア』を読み、子供の葬式に出会い、三四郎は客観的に人の生死を見ていることに気付く。そして美禰子のことを考える。美禰子を客観的に見ることができるのだろうか。三四郎は美禰子を客観的に見ることができないことに気付く。

「生きている美禰子に対しては、美しい享楽の底に、一種の苦悶がある。三四郎はこの苦悶を払おうとして、真直に進んでいく。進んで行けば苦悶が除れる様に思う。苦悶を除る為めに一足傍へ退く事は夢にも案じ得ない。これを案じ得ない三四郎は、現に遠くから、寂滅の会を文字の上に眺めて、夭折の憐れを、三尺の外に感じたのである。しかも、悲しい筈のところを快く眺めて、美しく感じたのである。」

三四郎は何があろうとまっすぐに生きて行くつもりである。傍観者の立場を捨て、自分の力で判断し行動することを決意する。ここに三四郎の大きな成長が見られる。

原口の家に着く。美禰子の画を描いている。次は意味深な文章である。

「静かなものに封じ込められた美禰子はまったく動かない。団扇をかざして立った姿そのままがすでに絵である。三四郎から見ると、原口さんは、美禰子を写しているのではない。不可思議に奥行きのある絵から、精出して、その奥行きだけを落として、普通の絵に美禰子を描き直しているのである。にもかかわらず第二の美禰子は、この静かさのうちに、次第と第一に近づいてくる。三四郎には、この二人の美禰子の間に、時計の音に触れない、静かな長い時間が含まれているように思われた。その時間が画家の意識にさえ上らないほどおとなしくたつにしたがって、第二の美禰子がようやく追いついてくる。もう少しで双方そうほうがぴたりと出合って一つに収まるというところで、時の流れが急に向きを換えて永久の中に注いでしまう。」

現実の美禰子と絵の中の美禰子の関係が描かれている。これは実物の美禰子と鏡の中の美禰子との関係とも似ている。三四郎は現実と虚像のどちらかに軍配を上げているわけではない。その二つの関係が、人間なのだという認識に至ったということなのではないだろうか。

美禰子が兄は近々結婚するという。実はこの時点で美禰子の結婚は決まっている。兄が結婚するということは、里見の家に兄の嫁が入るということになる。美禰子は居づらくなる。だから美禰子は結婚を焦っていたということも考えられる。里見から紹介された結婚相手を、よし子は断った。よし子は兄にからまだ自立できないのである。野々宮が優柔不断なのもよし子に一つの原因があったとも考えられる。よし子がいる限り野々宮は結婚できない。野々宮がよし子の縁談を断った瞬間に、美禰子は衝動的にそのよし子の縁談相手の男との結婚を申し出たのではなかろうか。いずれにしても野々宮とよし子が縁談を断った時に美禰子がその男との結婚を決めたと考えるのが時間的には説明がつく。

原口の眼の解説が始まる。

「そこでこの里見さんの眼もね。里見さんの心を写す積りで描いているんじゃない。ただ眼として描いている。この眼が気に入ったから描いている。(略)すると偶然の結果として、一種の表情が出て来る。」

原口も自分の判断で行動している。個人の一方的な判断である。他者の存在を一方的な傍観者的な立場から判断している。広田も、野々宮も、原田もみんな傍観者として閉じた世界の人間なのだ。三四郎は動き出す。

「ただ、あなたに会いたいから行ったのです。」

三四郎の美禰子への愛の告白である。三四郎はまっすぐに生きて行く。その決断は美禰子には遅すぎた。美禰子は微かな溜息をもらす。
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『三四郎』読書メモ⑨

2024-10-24 06:51:15 | 夏目漱石
夏目漱石の『三四郎』の読書メモ。今回は九章。

三四郎は精養軒の会に出る。学者サロンといっていい会である。物理学の話になる。広田が「どうも物理学者は自然派じゃ駄目の様だね」と言う。物理学者はただ自然を観察しているだけでは駄目で、人工的な装置を作り、それによって普通の自然界では見出せないものをみえるようにしているというのである。その意味で物理学者は浪漫的自然派だと言う。これはイプセンの劇のようだが、人間は自然の法則にしたがってばかりではないと議論は進む。

当時の文壇では自然主義と浪漫主義の対立があったわけだが、漱石はそのどちらかに偏るわけではない。『三四郎』は念入りの仕掛けを用意して、その中で登場人物たちは動いている。それを語り手が語るという構造だ。この語り手の視点は三四郎に焦点化され、三四郎の思考の外にあるものは、基本的には解釈を与えられない。与えられた仕掛けのなかで三四郎がどう考え、どう動くかを観察しているような小説なのである。精養軒の会の議論は『三四郎』の構造を論じている場でもあると言えよう。

帰り道与次郎が借金の言い訳をし出す。三四郎はどうせ返す事はあるまいと思っている。こういう鷹揚さが三四郎の不思議さである。与次郎は金を返さないから関係が続くと思っているようである。だから美禰子からもいつまでも借りておいてやれという。逆に言えば金を返すというのは関係を切るということでもある。

三四郎は美禰子への借金を返すために、母親に金を送れと手紙を書く。その返事がやってくるが、金は野々宮に送ったから野々宮から受け取れとある。野々宮の家にいく。途中よし子と出会い、よし子も野々宮に用があったので、ふたりで野々宮の下宿に向かう。

三四郎は野々宮から金を受け取る。よし子の話は縁談だった。よし子に縁談の口があるというのだ。これは後でわかるが、この縁談をよし子が断り、その相手の男は美禰子と結婚するののである。よし子が断ったから美禰子が結婚するのだ。よし子と野々宮はこの後里見家に行く。その時縁談話が急展開し決定していくのだと推測される。縁談も借金のようにたらいまわしにされていくのである。問題は美禰子がこの縁談をなぜ受け入れたのかである。ここは想像する甲斐のある場面であろう。
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『三四郎』読書メモ⑧

2024-10-23 10:23:04 | 夏目漱石
夏目漱石の『三四郎』の読書メモ。今回は八章。

三四郎が与次郎に金を貸した顛末が語られる。かなり面倒くさい流れである。
①広田が家を借りる際の敷金が足りなくなる。
②野々宮が、よし子にヴァイオリンを買ってやるための金を広田に貸す。
③広田は金が出来たので、借りた金を返すことになり、その金を与次郎に運ばせる。
④与次郎が競馬ですってしまう。
⑤与次郎は三四郎に金を借りて、広田の借金を野々宮に返す。
もともとは広田が野々宮に借金したものが、いつのまにか与次郎が三四郎にかりたものにすり替わってしまったのである。もちろんすべては与次郎が悪い。

与次郎は美禰子に借金を頼む。美禰子は応じるが与次郎には金を渡せないといい、三四郎をよこすように言う。そこで三四郎は美禰子の家に行く。与次郎に金を貸したことによって美禰子に借金することになるのである。このどうでもいい様な金の流れが現代社会を見事に表している。

三四郎は美禰子の家に行く。この場面が私の最大の興味の対象となっている。これも箇条書きで書いていく。
①応接室(座敷)に通される。正面に暖炉があり、その上に鏡がる。鏡の前に蝋燭立が二本ある。三四郎は自分の顔を見て座る。
②ヴァイオリンの音が聞こえる。その音が消える。
③ヴァイオリンの音が再び鳴り響く。それに驚いているうちに鏡に美禰子が立っていることに気付く。
④美禰子は鏡の中で三四郎を見る。三四郎は鏡の中の美禰子を見る。美禰子はにこりと笑う。

三四郎も美禰子も鏡を通してお互いの顔を見るのである。そして同時に自分の顔も見ることになる。自分が見ている世界と、他者が見ている世界を同時に見ることになる。自己の世界に閉じ込められていた状況から、いきなり現実世界に飛び出すような感覚である。思い出してほしいのは二章の次の記述である。

「この激烈な活動そのものが取りも直さず現実世界だとすると、自分が今日までの生活は現実世界に毫も接触していないことになる。(中略)自分の世界と現実の世界は一つ平面に並んでおりながら、どこも接触していない。そうして現実の世界は、かように動揺して、自分を置き去りにして行ってしまう。甚だ不安である。」

自分の世界と現実の世界は、三四郎と美禰子のように並んでいる。だから接触していない。しかし鏡によって三四郎と美禰子はお互いが迷子であることを確認しあう。同時にその迷子である二人を鏡の外から見つめるデヴィルの立場にもいることに気付く。二人は現実世界の中に位置づけられたのだ。

美禰子は三四郎に30円を無理やり貸し与える。そして展覧会へ行く。展覧会で原田と野々宮に会う。野々宮にいやがらせをするかの如く、美禰子は三四郎と親しいふりをする。美禰子と野々宮の関係に大きな亀裂がおきているかのごとくである。

美禰子と三四郎は展覧会を出る。雨が降っている。二人は雨をしのぐためにに「森」に行く。二人は雨にふられながら立ちすくむ。この場面は淡い恋愛を描く名場面であろう。美禰子は野々宮を愛しているのはあきらかではある。しかしこの場面においては三四郎と心を交わしている。三四郎にとっても、美禰子にとっても大きく変わる場面である。
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『三四郎』読書メモ⑦

2024-10-20 10:34:34 | 夏目漱石
夏目漱石の『三四郎』の読書メモ。今回は七章。

この章は三四郎と美禰子との直接のからみはない。広田による現代評とそれにからんだ美禰子評が語られる。それが興味深い。

広田は言う。昔は他本位であったが、近代になり西洋文明が入って来ると自己本位に変化した。その結果、昔は偽善であったものが、今や露悪になってきている。

これはわかりやすそうでわかりにくい。自分なりに整理をする。3つの段階に分類することができる。

1.善 自分を犠牲にして利他的行動をとる。決して利己的ではない。
2.偽善 利他的行動のように見えるがそれは利己的である。
3.露悪 利己的そのもの。自分の主張を明確に示す。

美禰子だけが露悪であるわけではない。現代人はみんなそうである。この後に、広田は二十世紀になってから「偽善を行うに露悪を以てする」ようになったというのだ。人の感触を害するために、わざわざ偽善をやるということだ。これがよくわからない。政治家とか、和田アキ子のようなものだろうか。広田は美禰子が「偽善を行うに露悪を以てする」とは言っていない。しかしもし美禰子がそうだったらどういうことになるのだろう。これがわからない。

原田がやってくる。美禰子の画を描くことになったと言う。当人の希望で団扇を翳している所を描くのだという。ここがまたつじつまがあわない。後で美禰子は絵は三四郎と最初に会ったときから描き始めていたのだということが語られる。しかしこの場面ではやはり絵については運動会、もしくはその後から描くことが決まったとしか解釈できないのである。わからないことだらけだ。
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『三四郎』読書メモ⑤

2024-10-16 08:19:41 | 夏目漱石
夏目漱石の『三四郎』の読書メモ。今回は五章。(前回六章を先にだしてしまいました。順番前後してすみません。)

三四郎は大久保の野々宮の家に行く。いるのはよし子だけ。よし子は水彩画を描いているが、どうもうまくいかない。三四郎はよし子から野々宮と美禰子の情報収集をする。よし子は「兄は日本中で一番好い人に違いない」と思っている。

下宿に戻ると葉書が来ている。美奈子からの菊人形見物の誘いである。その字が、二章で野々宮がポケットに入れていた封筒の上書きに似ている。やはり野々宮と美禰子の関係は怪しいと感じる。

大学にも慣れ始め、講義がつまらなくなってくる。しかも美禰子に恋をしてしまったようで、「ふわふわ」した気分になる。

会場に行く途中で乞食と迷子に会う。一行は関わり合いを避ける。このあたりの仕掛けが意味深である。現実世界とのかかわりをさける都会人を表しているようにも感じられる。三四郎はまだ都会人とは言えないが、都会の雰囲気になじんでいないのでやはり関わり合いを避けるのだろう。

一行は菊人形の小屋に入る。美禰子は野々宮のほうを見るが野々宮は美禰子を見ない。美禰子はふてくされたのか、どんどん先に進む。三四郎は美禰子を追う。美禰子は三四郎を誘って小屋を出る。二人は小川沿いに歩く。橋を何度かわたって歩くのだが、とうとう疲れて草の上に腰を下ろす。ふたりは空を見上げる。

そこへ男が現れる。三四郎と美禰子を睨み付ける。この場面が印象的である。この男はどういう意味があるのだろうか。これもまた意味深である。

美禰子は自分たちは迷子だと言う。この言葉がやはり意味深であり、『三四郎』の最大のキーワードと言ってもよかろう。この迷子を英語に翻訳すると「ストレイシープ」だと説明する。そして美禰子は「私そんなに生意気に見えますか」と言う。このセリフもまた意味深である。そして三四郎は「この言葉で霧が晴れた」とあるのだ。なんの霧が晴れたのか。「明瞭な女が出て来た」とあるので、野々宮と美禰子の関係が恋愛関係だと悟ったということなのであろう。

しかし、この章の最後で、二人の肉体は最接近する。水たまりをさけるために手を貸す三四郎が手を引っ込めた瞬間に美禰子が水を飛び越えようとしたのである。「美禰子の両手が三四郎の両上の上へ落ち」、美禰子が「ストレイシープ」と口の中で云ったときの呼吸を、三四郎は感じるのである。

三四郎は美禰子に恋をしてしまった。しかし明らかに美禰子と野々宮は恋愛関係にあった。だから三四郎はあきらめなければいけない。しかし野々宮と美禰子の関係も崩れかけているようにも見える。不安定な状態の中にいる美禰子と三四郎が描かれている章である。

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